義妹が滅茶苦茶可愛い件について

鍋谷葵

義妹が滅茶苦茶可愛い件について

 今日、親父が再婚した。

 うん、あんまりにも唐突なことで誰もが驚いていると思うけど、俺が一番驚いている。母さんの不貞がばれてから、早十年、もう二度と女性を信じないと言っていた親父が再婚するとは思わなんだ。もっとも、親父は仕事もできるし、アラフィフの癖に筋骨隆々で髪も肌も艶やかでダンディーだ。会社でも良い感じの役職についているらしいし、モテないなんてありえない人だ。だから、再婚自体は驚くことじゃない。ただ、そんな優良物件を前に、不倫をした母さんの気持ちが分からない。俺が女子だったら、まず間違いなく親父と一緒に居るんだけどなあ……。

 まあ、それでも親父が幸せになるんだったら、俺は何だって良い。俺も高校二年生になって、それなりに自立の道が開けてきたところだし、親父には自分の人生を幸せに満たして欲しいからな。でも、そんな大切なことを今日の朝まで黙っていたことはいただけない。目玉焼きにかけてたコショウが驚きのあまり鼻に入った違和感と痛みは午前中ずっと取れなかったし、何より再婚相手に連れ子がいるっていうのを伝えて欲しかった。それも俺と一歳しか変わらない女子ならなおさらだ。しかもしかも、俺と親父の家に新しい家族たちは今日越してくるらしい。

 朝、年甲斐も無く、顔を赤らめながら俺の人生最大のサプライズを顔を赤らめながら伝えてきた親父の横顔、思いっきりぶん殴ってやればよかった……。

 でも、そんなことを言ったって何も変わらない。結局、時間によって事実は運ばれるし、それを拒絶することは親父の不幸に直結する。だから、俺はただ流れに任せて、それを受け取れば良いだけだ。

 なんて、カッコつけたことを言っても、心はドギマギしっぱなしだ。顔も分からない再婚相手とその連れ子の女の子が、どんな人たちか想像しながら受けていた授業は集中できなかった。まあ、そんなことが無くても、大体の授業は真面目に受けてないんだけどさ。

 ともかく、そんなことを考えながら、想いながら、苦しい一日を過ごしてきたという訳ですよ。俺の素性、誰に言ってんだろ?


「諒助、新学期早々にくだらないこと考えてた?」


 頭一つ俺より身長の低い俺の親友こと、真紀は軽蔑するような目つきで俺を見上げて来た。眼鏡で淀む眼は俺の心を傷付ける。ちなみに、こいつは女の子だ。と言っても、πは薄っぺらくて、髪も普通のボブカットで面白味が微塵もない。強いて言うなら、この夕日をバックに制服姿で歩く雰囲気が写真になるくらいだ。もちろん、被写体じゃなくて風景画の方で。


「イって!」


「失礼だぜそいつは?」


「だからって、思いっきりつま先踏む必要は無いだろうよ。というか、俺の考えていること読めるんだな。びっくりだよ」


「十年も一緒に居れば大抵のことは分かるよ。逆にお前が私の考えを読めない方がおかしいんだ」


 真っ黒な威圧感を放ちながら、真紀は俺が逆立ちにしても出来ないことを責めて来た。

 ごめん真紀、お前と十年一緒に居ても、お前の考えてることが分からないんだ。本当にごめんな。

 俺の内面を読める真紀は、俺のことを察してくれると大きな溜息を吐きながら頭を抱えた。俺の態度がうんざりって感じだ。けど、そんな拒否感を示しても、真紀は俺と一緒に居てくれるんだからありがたい。生涯の友達だ。


「なんで私はこんな奴を……」


「俺がどうした?」


「なんでも無い!」


「ッ! 二回は無しだろ!?」


 聞き取れなかったことを聞き返しただけなのに、どうして俺はこんな目に合わなきゃいけないんだ?

 でも、真紀もこれで落ち着いてくれるだろう。俺の痛みで、こいつの鬱憤が晴らせるならそれで良いさ。

 あれ、俺ってもしかしてマゾ?


「また、くだらないことを」


「いや、俺の人生史上最も重大な分岐点について俺は考えてたんだよ」


「あんたの人生史上最も重大な分岐点はもう過ぎたでしょ?」


 真紀は呆れながら痛がる俺を置いて、一人前に歩き始めた。


「親父の離婚は確かに過ぎたけど、俺の性癖だとか新しい家族だとか云々をだな」


 ただ、俺の言葉を聞くや否やビクッと踵に急ブレーキをかけて、俺の数歩先に立ち止った。そして、口角をわなわなと震わせながら、眉をひくひくと痙攣させながら俺を見た。


「家族? あんたの親父さん、まさか再婚するの!?」


 そして、閑静な住宅街によく響く悲鳴染みた疑問を俺に投げかけて来た。

 ご近所さんなんだから迷惑を考えようぜ?

 まあ、俺も真紀の両親が離婚するなんて聞いたらこのくらい驚くから別に不思議じゃないか。


「そう言えば言ってなかったな。今日の朝、親父からそう言われてさ。マジでびっくりしたよ」


「随分と平然としてるわね」


 俺の言葉に真紀はやっぱり呆れる。


「いや、今でも結構動揺しているぜ? こっちも朝聞かされてそれっきりだからさ。あれだ、あんまりにも驚くと逆に冷静になるみたいな?」


「私に聞かないでよ。それにしても、あんたの親父さんがまさか女性恐怖症を克服するなんてねえ……。よっぽど、良い人と出会えたんでしょうね」


「ああ、間違いない。あの親父の心を射止めた人なんだからさ」


「そうね」


 けど、呆れもそこそこに真紀は親父の再婚相手を想いながら優しい笑みを浮かべる。

 やっぱり、真紀は優しい。だからこそ、俺はこいつと親友をやってられるんだろうな。紆余曲折合っても、結局、俺たちの仲は変わらなかったのも、全部こいつの優しさのおかげかな? そんな真紀に倣って、俺も笑ってみる。そして、前に、新しい家庭に向かって歩く。

 きっと、この風景を有名な写真家に撮らせて、コンクールに送ったら金賞は固いと思う。客観視できてない当事者が言うんだから、間違いないことだ。今度、写真部のやつに撮ってもらおうかな?

 ただ、そんなノスタルジーをぶち壊す下衆な輩もこの世に居るみたいだ。


「諒助、あんたの出番よ」


「分かってるさ」


 本気で蔑む視線を真紀は、丁度通りがかった裏路地に向けた。

 俺もそれに従って視線を路地裏に向けた。

 そこには四人の輩が一人の女の子を囲んでいた。女の子は俺たちの高校のスカートをちらちらと揺らしている様から、現状に嫌がっているのはよく分かる。そして、女の子を取り囲む輩は、呆れるくらいあからさまに輩と分かる恰好をしていた。この隠れヤンキーが多い現代で、短ランを着て、髪をカラフルに染め上げているのは勇敢なことだと認めるさ。けれど、四人で寄ってたかって一人の女の子をナンパするのはいただけない。男として虚しいことだ。だから、俺が再教育をしてあげよう。


「喧嘩じゃ勝てないんだから、ちゃんと考えてね」


「ひでえな」


「ホントのことでしょ?」


「まあな。まあ、そんな気が滅入るエールを気にせず、男諒助、いざ参るぜ」


「健闘を祈るわ」


 闘志と親友の冷たいエールを胸に、俺はブロック塀で両脇を囲まれた狭い路地裏に乗り込む。そして、震える脚とびくつく心を抱きながら、輩に向かって歩く。一歩一歩は虚しいけれど、積み重なれば勇者の足取りのはずだ。


「ちょっと、そこのお兄さんたち!」


「「「「あ?」」」」


 勇気を振り絞って出した声に、お兄さんたちはガンを飛ばしてくる。本物のヤンキーたちの目力は、凄まじい。本当にこの場に女の子が居なかったら、俺は恐れを成して一目散に真紀の退散したに違いない。それくらい怖い。

 でも、俺は女の子を助けなきゃいけない。だから、この図体のデカくて、体つきもかなり良い、俺よりも頭一つ大きい輩たちを相手にしなきゃ駄目だ。ションベンちびりそう……。


「女の子が嫌がってるじゃないですか!」


「嫌がる? 違うぜ、こいつは喜んでるんだよ。こんなイケメンに相手されてることがさ」


「そうだぜ、お坊ちゃん。お前と違ってタカさんはイケメンなんだよ」


「「そうだそうだ!」」


 金髪をオールバックにしたヤンキーのリーダーと思わしき、すきっ歯で魚顔のタカさんは女の子のか弱いほっそりとした手首を乱暴に握りながら、ロクでも無いことを言い始めた。漫画の中だと、それは三下の言うセリフだ。強いヒーローを前に、一瞬でやられる奴のセリフだ。それに信号カラーの取り巻きたちも三下だ。もちろん、内面もそうだ。

 でも、俺は残念ながらヒーローじゃない。か弱い女の子を、顔を長いブロンドの髪で隠した女の子をカッコよく助けられる人じゃない。だから、ここは穏便に済ませよう。余計な言葉を吐かず、俺に使える強の力を使おう。

 学生ズボンのポケットに手を突っ込んで、俺は神の機械を天へと持ち上げる。


「なっ!? それは!」


 あからさまに動揺するタカさんは、俺の手に握られる神器を見つめる。取り巻きたちもそれを見つめる。それもそうだ、この髪から与えられし、万能の機器とその機能には誰もが恐れを成す。他力本願だけれど、この際、そんな悠長なことを言ってられない。

 俺は神器に神を召喚する番号を入力するふりをして、耳に当てる。


「もしもし、ポリスメン! 今、輩に絡まれている女の子を助けようとしたら輩に絡まれまして!」


「お、お前! 卑怯だぞ!」


 後退りするタカさんと一同、女の子から離れて、一歩後退りした。


「卑怯はお互い様だろ! さしものビビりでも、四対一のナンパはしねえよ!」


「うっ……!」


「分かってるなら、俺も許してやるよ! だから、警察が来る前にさっさとここからいなくなりな! そうすれば、パクられずに済むからよ!」


「「「「憶えてろよ!」」」」


 タカさん一同は、公的権力に恐れを成して、路地裏の奥に走り去って行った。

 まさか、去り際のセリフまで三下的だとは思わなんだ。

 だけど、これで女の子も俺も助かった。女の子も乱暴されていたわけでもないし、被害が取り返しのつくもので本当に良かった。けど、女の子の綺麗な手首を圧迫して、赤らめたのは万死に値する。それに怖がらせたのもだ。


「大丈夫ですか?」


「……怖かった」


 ほれ見ろ、女の子はびくびくと肩を震わせながら、可哀そうに俯いている。声は涙ぐんでいる。きっと可愛らしい顔には似合わない涙が浮かんでいるはずだ。

 あの野郎、許すマジ。

 消え去ったタカさんたちに怨念の言葉を胸中で漏らしていると、可愛らしい女の子は俺の胸元に飛びついてきた。柔らかく、心地のいいπが胸板に当たる。そして、すこぶる早い心拍数と嗅いだことの無い甘い良い香り、そして涙ぐむ嗚咽が五感を刺激する。


「怖かったよ、怖かった……」


「大丈夫。もう、あんな奴らは居ないからさ。怖がる必要は無いよ」


 柄にもなく俺は女の子の腰に左手を回して、華奢なその体を支える。そして、左手で子供をあやすように女の子の恐怖に震える頭を撫でる。丁度、真紀と身長が同じくらいだ。

 本当に柄でも無い。キザッたらしいことこの上ないぜ。けど、勇者にはこれくらい認められるだろ? 例え、それが他力本願で勝利を勝ち取った男であってもさ。こっちも弱っちい健気な心に鞭を打って、この子を助けたんだからさ。

 ただ、こんな性分に反することをやってると罪悪感が半端ない。身の丈に合わないことっていうのは、慣れないし、苦笑いだ。お陰様で俺の中途半端な顔には、中途半端な表情浮かんでる。多分そうだ。いや、絶対にそうだ。言い切れる。沈みかけたお天道様に誓っても良い。


「あっ、ごめんなさい」


 真紀にまた馬鹿にされそうなことを考えていると、女の子は俺の胸板に当てていた額をそっと離した。

 女の子の行動に従って、俺の手癖も治る。そして罪悪感も消える。これで俺と女の子は晴れて自由の身だ。ほんのちょっと残念だけど。

 自由の身になったけれど、女の子の声は涙ぐんだままだ。それはちょっとよろしくない。女の子は笑ってこそ、本来の輝きを取り戻す。そんな気がする。真紀も悲しんでいる時よりも、笑ってる方がいじりがいがあるし、そっちの方が楽しい。ちょっとしたジョークが間に挟まってた方が良いに違いないさ。


「問題ないぜ。俺はこの通りピンピンしてるよ。だから、君も元気を出してよ。ほら、朝日が落ちてる。君が元気を出さなきゃ、あれも昇ってくれないよ」


「……?」


 心底くだらない俺の冗談に女の子は、名前も知らない女の子は初めて顔を上げる。そして、首を傾げて、俺に冗談の意味を問うてくる。


「わあお」


 けれど、俺に俺自身の冗談を答えることは出来なさそうだ。

 だって、滅茶苦茶可愛いんだから。

 筋の通ったモデルの様なな鼻、ぱっちり二重、翠色の潤む瞳、長いまつ毛、桜色の唇、シミの無い白い肌、それら全てが均一に整えられている。アシンメトリーが一つも無い完璧なシンメトリーだ。

 心が奪われるっていうのは、こういうことを言うんだと思う。だって、俺の口からは感嘆の言葉しか出ない。それにこの子のご尊顔以外の何も考えられない。落ちる夕陽も、薄暗い路地裏も、背後で待たせている幼馴染も、全部どうでも良い。全部、この子のあどけない美しさに吸われる。時間の感覚でさえも。


「大丈夫ですか?」


「ああ、うん、頭の方はちょっとぶっ飛んでるけど、体は大丈夫だぜ。ホントに。何なら、触ってみる? 俺は気にしないよ。むしろ、イイ感じ?」


「……ふふ。面白い人ですね」


「それは蔑みの意味で?」


「いえ、本当に面白い人って思っただけです」


 女の子は、どうやら俺の一芸を楽しんでくれたみたいだ。猫のように目を細めて、クスクスと心の底から笑ってくれている。

 やっぱり、女の子には笑顔が一番似合う。


「あらあら、嬉しいことを言ってくれるでござんす」


「ふふ、本当に変わった人」


「よく言われるよ。とりあえず、行きましょうか。こんなジメッとしたところは君に似合わないよ。だから、明かりのある場所にさ。あと、俺は変な人だけどそっちの意味で変な人じゃないよ。それだけは俺の弱虫が保証するよ」


 自分の弱さを恥ずかしげも無くさらけ出しながら、俺はそそくさと女の子に背を向ける。あんまりにもキザッたらしくて恥ずかしい。自分の弱さは別にどうだって良いけど、自分の演技は恥ずかし過ぎる。

 そんな弱虫は自分の照れ隠しを悟られたくないから、さっさと路地裏から出ようと一歩踏み出す。

 けれど、俺の足は小鳥のついばみの様な可憐な手で止められる。俺の袖は後ろの女子に掴まれた。それを振り払うことは、男の恥だ。恥ずかしくても、それから顔を背ければ根性に恥をかく。あと、何よりこの子のこれを振り払った後に待ち受ける真紀の対応が怖い。絶対、暴力振るってくる。暴力系ヒロインは流行らねえぜ?


「手、繋いでくれませんか?」


 世の中、こういうヒロインが流行るんだよ。

 真紀も真似しろよ?

 もっとも、真紀にこんなことされたら俺は絶対におかしくなる。だから、真紀は今のまま、暴力系幼馴染ヒロインの道を突き進んでくれよ。俺、今生の願いだ。

 さて、真紀に呆れられることを考えるのもそろっと止めよう。今はどうやってこの状況を切り抜けるかだ。もちろん、一番簡単なのはこの子の手を取って路地裏から出ることだ。まず間違いない。でも、それが俺にできるかどうかは別問題だ。いや、しなきゃいけないから今さらのことなんだけどさ。それなら、カッコよく自分に踏ん切りをつけて、この子の手を握るとしますか……。


「あ、ありがとうございます」


「い、いいえ」


 今さら襲ってきた緊張に手を震わせながら、俺は少し冷たいほっそりとして、しなやかな女の子の手を取った。その時漏れた小さな熱っぽい声は、俺の緊張をさらに煽りたてる。そして、普段はよく回る俺の口は恥ずかしながらどもった。

 ビビりでチンケな根性を引っ提げて、前に歩き出す。決して後ろは見ない。絶対に見ない。見たら俺は色んな意味で昇天する。四人の輩を相手するより怖いことってあるんだな。心拍数は跳ね上がって、動悸が止まらない。胸が張り裂けそうだ。お陰様で体も熱い。

 でも、この子の手も温かい……。

 お互い様ですか。

 そう考えると緊張もほぐれる。この子も俺と同じように緊張している。そして、恥ずかしがっている。自分で手を繋ぎたいと言ったのに、俺と同じくらいドギマギしてるなんて健気で可愛い。世にも美しい小鳥のついばみは、俺の心を優しく温める。


「諒助、頭のネジでもはずれたの?」


 いつの間にか路地裏から抜け出して、俺たちは昏い夕陽に満ちるオレンジ色の道に出ていた。

 腕を組みながらブロック塀に背中を預け、俺の帰還を待っていた美紀は、俺たちを認めると開口一番、滅茶苦茶俺に対して失礼なことを尋ねてきた。しかも、その声色からして冗談じゃない。本気で、俺のことを心配してる調子だ。


「なんでお前まず一番にそういうことを疑うんだよ」


「だって、あんただよ? それなりに顔が良くて、学校の女子からもまあまあな頻度で告白されるのにもかかわらず、ビビりが興じて一回も女子と付き合えってないあんただよ? それが、そんな可愛らしいこの手を男らしく引いて来るんだからしょうがないでしょ」


「うっ、それを言われたら俺の口も閉じちまうよ」


 ただ、美紀の口からは最もな理由が告げられると、俺はぐうの音が出なかった。男らしくない言動しかしてこなかった野郎が、唐突に大胆な行動を取ってるんだから、それはそれは誰だって頭のネジが一本外れたと思うでしょうね。もっとも、この行動は俺の自発的なものじゃ無い。だから、俺の弱虫は変わらず俺のままだ。何時か、変わる時が来るんでしょうか?

 神のみぞ知るタイミングを想いながら、俺はそっと女の子から手を離した。その時、小さく、今度は心の底から残念そうな声を俺にだけ聞こえるように女の子は発した。残念ながら俺はそれに答えることは出来ない。ビビり野郎だから。


「それで、その子はどなた様なの? まあ、私たちと同じ高校ってことは制服から分かるけど」


「まあ、それは間違いない。うん、というかそれしか知らない」


「呆れた。あんた、あんなキザッたらしいことやっておきながら名前も聞いてないの?」


「しょうがないだろ、聞くタイミングが無かったんだからさ」


「タイミングは待つんじゃなくて、自分で作るものだぜ? チキン野郎」


「だまらっしゃい」


「チキン野郎ってことは否定しないんだな」


「そいつは否定しないぜ。俺が一番よく知ってるからな。さっきだって、本当は怖くて怖くて仕方が無かったんだぜ」


「そこは嘘でも怖くないって言いなさいよ」


「嘘は吐けない。俺は俺自身に正直じゃなきゃいけないからな」


 だから、俺はこうして昔馴染みと不毛なやり取りをして、恥ずかしい時間を潰す。日常の時間に没頭する。あやふやで、掴み所の無い関係性に手を付けず、俺は分かりきった俺と真紀だけの世界に没頭する。

 特別、過去に何かがあった訳じゃない。忘れられない御大層な悲劇を俺を持ち合わせていない。俺は自分の知らない世界を知ることが怖くて仕方が無いだけだ。けど、その癖、新しい家族には期待している。意志が脆弱だぜ、俺っていう人間はさ。


「あの……」


 ただ、こんな俺の現実逃避に可憐な女の子は手伸ばしてくれる。俺自身がこの子に手を伸ばせないことを、この子自身が知っているからかもしれない。本当にありがたい。

 臆病な弱虫は自分よりもよっぽどか弱い手に、手を伸ばす。実際には手を伸ばさない。ただ、女の子の弱々しい声に耳を傾けるだけだ。


「どうかしたでやんすか?」


「い、いえ、ただお礼を言いたくて。それに名前も教えなきゃって……」


 勇気を振り絞りながら俺たちのくだらないやり取りを中断した女の子の声は、震えていた。そんな声を前に、俺と真紀は互いに面を向き合わせて罰の悪い表情をそれぞれ浮かべる。俺のそれは若干の演技だ。

 間の悪さを感じる女の子は慌てふためいて、俺たち二人を慌ただしく見比べる。その動きに従って、女の子の手も、あわわと擬音が発せられるような動きをする。右も左も分からない小鳥みたいで可愛い。

 勇敢な小鳥は可愛らしく混乱する。俺に手を差し伸べて来た女の子は、俺たちを見る。ずっと見ていたい構図だけど、俺も意地悪じゃない。意志薄弱の人間だからこその優しさは持ち合わせてる。むしろ、それが俺唯一の得意分野だ。


「おっとっと、お礼はさっきも言った通り良いよ。俺は男としての義務を完遂したまでだからさ」


「腰を抜かしながら? それとも鳥肌を立たせながら?」


「水を差さないでくれよ、冷静沈着な魔女様」


「今度、その冗談言ったら問答無用でぶっ飛ばすよ」


 冗談半分で言ったことに、真紀は拳をポキポキと鳴らしながら脅してくる。

 僕はその脅しに敵わない。怒れるこいつほど、怖い奴は居ない。なら、初めっからこいつが輩退治に行けば良かったんじゃ?

 いや、過去をぶり返しても虚しいだけだし、何よりも我が高校の後輩が怯えてるから早いこと話を流そう。息苦しさは要らないんだ。おふざけで全てが過ぎることを祈ろう。


「と、まあこんな冗談はさておいて。マジでお礼は良いよ。俺は自分の出来ることをしたまでだからさ。困ったときはお互い様さ。損得なんて河童の屁よ」


「でも……」


「大丈夫よ。こいつは心からそう思ってるから。昔っから、こいつは自分の価値観で動いているし、それはアホなことに慈善九割、打算一割が混じり合った混合物だ。だから、本当に要らないんだよ」


 真紀は申し訳なさそうにする女の子に俺を貶しているんだか、褒めているんだかよく分からない言葉を告げた。眼鏡を赤い夕陽に光らせながら堂々と言う姿は、なんだか誇らしげだ。

 俺のことで誇ることなんてあるのか?

 でも、それでこの子が納得してくれているんだからそれで良いか。若干、不服そうだけどそこは溜飲を下して欲しい。むくれた顔も可愛らしいけど、本来の可愛らしさじゃないしさ。

 胸に秘める俺の意志が伝わったのか、女の子は胸に手を当て、瞼を閉じて、ホッと息を吐き出して、落ち着いて見せた。そして、瞼を開けて、もう一度、今度は落ち着きながら俺と真紀を綺麗な翠色の瞳で見る。


「それなら、名前だけでも教えたいです」


「うん、それでよろしく頼む。俺としても君のことを心の中で『女の子』とか『この子』って呼ぶのに疲れてたし。大体、語呂があんまりよくないよな」


「『女子』って呼べばいいじゃない」


「俺にも使い分けが……。まあ、こんな下らない会話に時間を費やしてないで、さっさと用事を済まそうか。いよいよ、朝日も沈んできたところだし」


 どうでも良い日常にストップをかける。真紀はまたロクでも無いことに、この子を巻き込んでしまったことに、反省の色を見せている。日頃からアレだけ俺のどうでも良い冗談に呆れているから、ことさら反省の色は濃い。俺もまた自分の楽な方に、会話を運んでしまったことを反省してる。嘘じゃないさ。

 一寸前の自分たちに反省の言葉を掛けながら、俺と真紀はクスクスと笑っている女の子を見る。そんなに俺たちの反省は面白かったのか?

 それなら結構。道化師冥利に尽きるよ。

 女の子に感謝を告げると同じくして、上品な笑い声を女の子は引っ込めた。

 でも、表情にはまだその面影が残っている。今一度、何かしらのジョークを与えたら可愛らしい笑い声を上げてくれるはず。まあ、それは時間の無駄だからしない。

 今一番重要なことは、この子の名前をこの子の口から聞くこと。ただそれだけだ。

 込み上げてくるどうでも良い日常を飲み下して、俺と真紀は女の子に微笑みかける。すると、女の子はクスッと一回だけ笑って、後ろで手を組みながら、明るい表情を浮かべた。


「私、瑠璃って言います。瑠璃色の瑠璃です。ちなみに高校一年生です」


「綺麗な名前だ。それにしても後輩ですか……。大人びてるから先輩かと思ったよ」


「いえいえ、私は後輩です」


 ほんのちょっとしたイタズラが成功したような表情を瑠璃さんは浮かべる。

 滅茶苦茶可愛い。暮れる陽とブロンドの髪が相まって、より可愛らしさと美しさは引き立てられる。見惚れちまう……。


「でも、諒助より大人ね」


「一言余計だぜ、真紀」


「本当のことでしょ?」


「まあ、本当のことだけどよお……」


 ただ、俺と真紀は溜飲を下せずに再び下らないやり取りを始めた。

 せっかく、綺麗な子を目の前にしてるんだからこんないつでもできること止したいのに……。

 でも、俺たちはそれを自認していても変わらない日常の中に、身を置きたいと本能的に行動する。仕方が無い。それが本能ってやつだから。

 それに俺たちの日常の寸劇を楽しんでくれるたった一人の可愛くて、綺麗な人も居る。 


「ふふふ、本当に仲が良いんですね。嫉妬しちゃいます」


「嫉妬、そう、嫉妬……」


 夕陽を背景に笑う二人の女子は少し奇妙に笑う。

 瑠璃さんが笑うのは分かるけど、どうして真紀も笑ってるんだ。それも執念深そうに。あと、どうしてこんな関係に嫉妬するんだ。

 滅茶苦茶失礼だけど、まさか瑠璃さん友達が居ない?


「失礼な! 私にだって友達の一人や二人いますよ」


「あ、君も俺の心が読めるのね」


「もちろんですよ。だって、私たち兄妹じゃないですか」


 うん? 今なんて?


「今、なんて言った?」


 そうそう、真紀。その反応ありがとう。

 この子、まさか電波系? 本物の小鳥さん? 生まれたての雛的な?


「違います。私は正常です。本当に今日、私と諒助さんは兄妹になるんです。まあ、義兄と義妹の関係ですけどね」


「……」


 わあお。

 まさか、この子が、こんな綺麗で可愛い子が、親父の再婚相手の連れ子?

 声が出ねえよ。


「マジで言ってんの?」


 真紀、ホントにそう。

 マジで、この子が俺の兄妹になるの?


「マジですよ」


 瑠璃さんの声に呆ける真紀を横目に、俺の義妹になるらしい綺麗な人は俺の肩に手を置いて、そっと俺の耳元に口を寄せた。

 吐息が耳に掛かってこちょまっこい。熱っぽくて恥ずかしい。多分、今の俺を俯瞰したら赤い夕暮れ時の中でも目に見えて分かるほど真っ赤だと思う。それくらい体が熱い。

 ゆでだこ状態の俺の耳に瑠璃さんは、軽いキスをした。


「今日から兄妹ですよ、お義兄ちゃん」


「……」


 驚きのあまり言葉が出ない。真紀も瑠璃さんの言動に絶句している。


「それとさっきは本当にカッコよかったですよ。惚れちゃいました。ふふ、これから一緒の家に暮らせると思うと本当に楽しみです。小林諒助こと、私の大切なお義兄ちゃん」


「そ、それはどうも」


 どうやら、本当に瑠璃さんは俺と兄妹になるらしい。

 事案だ。事件だ。人生最大の危機だ。

 ああ、どうしよう。落ち着け。まずは、諸々の整理をしやすくするためにこの事件に名前を付けよう。どんなのが良い? 俺に聴いたって仕方が無いことじゃないかこれ?

 駄目だ、一回冷静に成れ。

 うん、それは無理だ。

 自己解決万歳!

 気が狂いそうだから、とりあえずそのままの名前を付けよう。

 こんなのはどうかしら、『義妹が滅茶苦茶可愛い件』なんて言うのは……。

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