第7話 ロクサーヌ
「ディアマンタ・スターレットです! ダイヤって呼んで下さい、師匠!」
目を覚ますなり千切れんばかりに尻尾を振る勢いで懐かれて、俺はかなり困惑していた。
横にいるロクサーヌを見るが、視線を逸らされる。
ここまでの短いやり取りで薄々感づいてはいたが、この魔導士は結構いい性格している。
「あ、ああ、よろしくな。ところで師匠って何のことだ?」
「師匠は師匠です。どうかあたしを鍛えて下さい。よろしくお願いします!」
「と言われても普通に困るんだが」
「あれほど手も足も出なかったのは初めての経験です。あたし、感動しました。一生ついて行きます、師匠!」
「いや、だからな……」
「好きっ!」
「お、おう。そうかそうか」
目を輝かせて訴えてくるダイヤから視線を外し、俺はこめかみを指で揉んだ。
「大変だ、ロクサーヌ。打ち所が悪かったみたいだ。どうすればいい」
「安心なさい、バルト。これがこの子の素だから。出会ってからここまで旅をした三日間、ずっとこんな調子だったわ」
「俺と初対面の時は違ったが」
「一生懸命悪ぶっていたのよ。若いからって舐められたくないのね」
「それは健気だが……もしやロクサーヌの時も力試しをさせられたのか?」
俺が尋ねると、ロクサーヌは遠い目をしてふっと笑った。
「しばらくの間宙で逆さ吊りしてあげたら、すごく素直になったわ。わたし、生意気な学生さんを分からせてあげるのは得意なの」
「……苦労してそうだな」
「犬と同じよ。ああいった手合いは序列を決めないと気が済まないの。だったらはっきりさせてあげるまでよ」
史上最年少、しかも女性の教授ということで彼女を侮ってかかる輩はさぞ多いことだろう。そのせいで残酷な教育法を考案してしまったのかもしれない。
そして逆さ吊りという単語を聞いた途端、ダイヤが俺の服の裾を掴んで小刻みに震え出したのだが。
どう見てもトラウマになってるぞ、これ。
俺もロクサーヌは怒らせないようにしよう。
生まれたての小動物みたいに震えているダイヤが哀れになった俺は、結局彼女が弟子となることを許した。
まあ弟子といっても俺とダイヤとでは戦闘法がまるで違うし、大したことが教えられるとは思えないが。
今のところは俺を師匠と呼ぶだけで満足しているようだし、何にしても慕われるというのは悪い気はしない。子どもというのは無邪気でいいものである。
本来であれば山頂近い奇岩のそばが合流地点になっていたのだが、はぐれオーガの存在によって山頂へ向かうまでもなく予期せず合流できたため、そのまま山を抜けることにする。
向かう先はサルヴィーニ教国の聖都アニエス。
カステン王国とその南に位置するエミリア共和国連邦との境目に存在する、極めて小さく豊かな国家である。
人類が崇拝する神々の主神イグネリスの膝元。
3千年前の聖女にして殉教者アニエスの名を冠する都市は人類の至宝とも称賛される美しさなのだそうだ。
貴族失格だとは思うが個人的には雨風を凌げれば見た目なんぞどうでもいいと俺は考えているので、世界中の旅人が涙するというアニエスの美観にも興味はないのだが、何しろ呼び出しを食らってしまったからには仕方がない。
そう、俺たちがわざわざカステン王国を横断して聖都アニエスを目指しているのは、旅を始めたらすぐに聖都を訪れるようにと、オーランド枢機卿から要請という名の事実上の命令を受けたからだ。
イグニア教皇庁はすでに第2次魔王討伐に人材は派遣しないと会議にて表明していたと記憶している。確かに虎の子の聖女が瀕死で戻って来た以上、他の人材など出せはしないだろう。
祝福かありがたいお説教でもくれるつもりなのか。
あるいは……オーランド枢機卿の要請の時点で聖女に関する何らかの報せを受けていたのか。
とてもじゃないがいたたまれないので、年若い少女の葬儀になど参列したくはないのだが。
「難しい顔をしているわね」
馬上で沈思黙考していると、轡を並べたロクサーヌが話しかけてきた。
「いや。ちょっと考え事をしていただけだよ」
「考えすぎで馬から落ちたりしないでしょうね」
「心配には及ばないよ。よく訓練しているから、たとえ寝ていたって絶対に自分から馬から落ちたりはしない」
重たい鎧を着ている騎士にとって、馬から落ちることは命に係わる。だから、馬術に関しては徹底的に仕込まれるのだ。まだ若い頃は股の皮が擦り切れてよく泣いたものだ。懐かしい。
懐かしいと言えば、十代の頃の婚約者だったクラリッサがいつも擦り切れた場所に膏薬を塗ってくれた。場所が場所だけに当然下穿きを脱がねばならず、恥ずかしくも胸が高鳴ったものだ。クラリッサの優しい手付きはやがて傷のない場所にも及び……、思い返してみればあの頃は本当に幸せだったな。
「ところでロクサーヌ」
「ええ。何かしら」
「ダイヤのことだが、やはりこの旅に同行するには彼女は若すぎないか?」
昔から一族の中では優秀な斥候役だったというダイヤは、数馬身ほど前方で俺たちを先導している。馬の背で揺られる小柄な姿を眺めながら、俺は小声で懸念を表明した。
「ああ見えて彼女はもう17歳よ」
「子どもじゃないか」
「アディントンでは15歳で通過儀礼を経て大人として認められるの。あの子を子ども扱いするのは侮辱に当たるから気を付けたほうがいいわよ、バルト。まあ、50歳のお年寄りからすればそう言いたくもなるでしょうけど」
笑いを含んだロクサーヌの言葉に思わずムッとして言い返す。
「俺は34歳だ」
「あらそう? 意外ね」
「白髪だってまだそんなにないし、歯も全部ある」
「分かったわよ。冗談で言っただけなんだから拗ねないで」
豊かな声で笑うロクサーヌはひどく魅力的で、俺はいささか居心地が悪くなった。
「話を戻すが……、ダイヤが才能溢れる若者なのは俺も認めよう。しかし、現時点での彼女の実力では最後まで戦い抜くのは無理だろう」
「だったら師匠であるあなたが鍛えてあげるのね。アディントンの連中も考えなしじゃないわ。ダイヤなら世界最高戦力の一角を担える。それだけの素質があると信じて送り出してる」
素晴らしい素質が開花することなく命を散らす人間などごまんといるのだが、ロクサーヌは分かっているのだろうか。
いや、聡明なロクサーヌが分かっていないはずはない。とすると彼女はあえて言っているのだ。この俺にダイヤの命を背負え、と。
それは何故か?
おそらくだが、俺が男だからだろう。第2次魔王討伐パーティーの中に紛れ込んだ唯一の異物。
この先予想される旅の仲間たちとの軋轢を少しでも和らげるために、俺に保護者という地位を与えようとしているのだ。
男であれば起こり得る問題も、父であれば回避できる。
そのようなことを考えているのではないだろうか。
なるほど賢いロクサーヌが考えそうなことではあるのだが、問題は俺が彼女が思うほど老成していないということである。
正直に言って、ロクサーヌはとても美しい。大学教授なんてかび臭くてあか抜けない不美人だろうと勝手な偏見を抱いていたのだが、実際の彼女は今すぐにでもカステン王国の王宮サロンで女主人を務められるほど洗練された美女であった。その上彼女は茶目っ気のある皮肉屋で悪戯好きな一面も持ち合わせていた。
子どもっぽさの目立つダイヤにしても、後数年すれば目の醒めるような美女に成長するであろうことが明らかだ。話を聞く限りアディントン氏族というのはまるきり蛮族なのだが、大勢いる姉妹たちと比べれば自分は醜いアヒルの子だとダイヤは断言して憚らない。ダイヤ以上の美女が裸同然の格好で剣やら槍やらを振り回している光景を想像すると、奮い立たずにはいられなくなる。
ようするに、俺は旅の仲間として最初に合流した二人が揃いも揃って美女美少女であったため、早くも狼狽を覚えていた。
そして同時に嫌な予感がし始めていた。
何かに一身に打ち込む人物は、多かれ少なかれ表情が引き締まって凛々しく見えるものだ。そして、旅の仲間となる女性たちはいずれもその道の第一人者ばかり。
美女たちをぞろぞろと引き連れて魔王の元へ向かう自分を想像すると、ぞっとせずにはいられない。
容姿に優れるという特質は、魔王を討伐する上でクソの役にも立たない。
そこにまったく意味はない。
美しかろうが不細工だろうが、強い者が、賢い者が、運のいい者が勝利する。
そう、この先の戦いに美貌は何の恩恵ももたらさない。
だがしかし俺の心には早くも影響を及ぼし始めていた。
そしてまだ34歳で現役真っ只中の下半身にも。
勇者が死んでただの騎士のおれが魔王と戦うことになった件について @pantra
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。勇者が死んでただの騎士のおれが魔王と戦うことになった件についての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます