最終話 何気ない日々

「起きろ、飯を用意しろ」

 ぶんたはいつもわがままだ。それはもう、私の都合なんて考えてくれない。

 蝉がうるさく鳴く夏中旬。連日の暑さからくる夏バテを何とか休日に解消したい。そう思って食べ物を買い込み、目覚ましも切った。

 そうして整えた万全の状態にもかかわらず、お構いなしにぶんたは起こしてくる。

 そこに遠慮はない。頬に手を押し付けて、グイグイと揺らしてくる。

「せっかくの休みなんだからもうちょっと寝かせてよ」

 タオルケットをかぶって退避したとしても、ぶんたの追撃は止まない。

「明美の休みなど俺には関係ない」

 さぁさぁ、用意しろ。的確にお腹辺りの所に乗っかってくるもんだから、重くて息苦しくなってくる。

 結局、いくらこちらが覚悟を決めても、私の平穏はぶんたに破られる。

 仕方なく起き上がると、ぶんたはちょこんと布団の脇に座り込んだ。本当にあざとくてお行儀の良い姿勢だ。

「おはよう、ぶんた」

 頭を撫でてやると、ぶんたは気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らした。

「おはよう、明美」

 ちょっぴり低めのひと声が今日も響いた。



 あの後、ぶんたは何とか一命をとりとめた。

 必死に救急センターまで意識を保って処置室へ連れ込まれる寸前まで頑張り続けた。手術後のリハビリも驚くほどすんなりといって、後遺症もなくすっかり動き回れるようになっていた。

『きっと、ぶんた君に思いが届いたんでしょうね』

 先生はそう言って感心していたけど、ぶんたと喋れる私からしたらなんてことないただ必然の結果だったのかもしれない。

 一つ残念なことがあるとすれば、ぶんたの体重についてだ。入院中にこの子は太りすぎです、とついでにさせられていたダイエットの成果が消えつつある。

『こんなの飯無いのと一緒だぞ』

 不平不満を言うぶんたをなだめつつ一時はちょっと大きめの猫くらいにまでサイズダウンしたぶんただったが、今ではまた前のぷっくりしたおしりを揺らす体形に戻ってしまった。

 まぁ、でもいいか。このおしりがまた可愛いし。


 縁側で満足そうに毛繕いをするぶんた。さすがに日向は暑いらしく、ギリギリ日影部分で寝そべっている。その隣に座り、ぼっと空を見上げた。

 夏の日差しは眩しい。吸い込まれるような青がどこまでも続いていて、その中心に一つ大きな入道雲がどっしりと構えていた。

「そういえば、あの男とは話ついたのか」

 話。そう、弘人の実家に引っ越すという話だ。

「弘人が明日家に来るから、そこで話すよ。ぶんたも家に居てね」

 なんだ。そうなのか。少し意外そうにぶんたが呟いた。

「俺が入院している間もちょくちょく来ていたからてっきり話決めていたのかと思っていたぞ」

「そんなことしないよ」

 ゆっくりと首を振った。

「私はぶんたと弘人。三人が幸せになれる方法を探したいの」

「またわがままだな願いだな」

「わがままでもいいよ。それで三人が幸せになれるなら私はわがままがいい」

 どんなわがままも、成し遂げられなければ意味がない。このわがままだけは貫かないといけない。だから今はわがままでいたい。

 力強くこぶしを握り締めた。

「明美って凄いな。逃げずにちゃんと立ち向かおうとしている」

「凄くなんかないよ」

 思わず苦笑してしまった。別に凄くなんかない。それは間違いない本心だ。でも、そう続けようとする言葉をぶんたは遮った。

「俺は逃げてしまった。モヤモヤとした気持ちをどうすることもできなくて、明美から逃げてしまった。明美みたいにわがままになって明美と過ごせる道を探すことができなかった。だから明美は凄い」

 力強く、ぶんたは断言した。後悔も織り交ぜて、自分の事と比較して、私を褒めてくれる。そういえば、ぶんたに褒められたのいつぶりだろう。ちょっと嬉しくなって頬が緩んでしまった。

「きっと。立ち向かえたのはぶんたのおかげだよ。ぶんたが居てくれたから私はわがままになれた。わがままになれたから、今、ぶんたと共に生きていられるんだよ」

「あぁ、間違いない。明美がわがままでいてくれたから俺は明美と共に生きていられる」

 力強く私を見つめる瞳。綺麗なガラス玉のような瞳が私を覗き込む。

「わがままっていいな」

「そうだね。わがままっていいね」




 今日もぶんたとの何気ない一日が続いていく。

 なんてことない日々。

 でも、私はそれでいい。私はそれがいい。


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ぶんたと共に 〜わがままなあなたと〜 神崎 @kanzaki-izumi

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