第10話 二十年ひと昔

 あれから二十年の歳月が流れてしまった。当人たちにとっては早すぎるらしい。

 「十年ひと昔っていう言うけど、最近は違うわよねぇ。二十年ひと昔よ」

 「それは、それだけお前が歳を取ったということだろう」

 「同い年で何言ってんのよ。アタシがそうならアンタも同じでしょーが」

 二十年の歳月は、葵と基をすっかり人生の歩み方は勿論のこと、日常生活も根底から変えてしまっていた。

 勿論、二人とも全く変わらない部分もある。腐れ縁の仲などがいい例だ。

 「まさかねぇ……地元ここでアンタとカフェバーをやるなんてねぇ……中坊の頃なんか想像だにしなかったわぁ」

 「それはこっちのセリフだっつの。アホ」

 朝から午後のティータイムまでが一階部分でカフェを、夜は地下でバーを共同経営している。オーナーが基で店長が葵となっているが、他に従業員はいない。主に調理を基が、接客を葵が担当している。


 「東京であちこち修行したって言うのにねぇ……結果コレだし?思ったよりも杉崎ウチの会社と関わり合いがあるし?人生分かんないわ」

 「そうだよな……俺もそう思う」

 (今このヒレカツを作っていること自体が不思議な気持ちだ……普通にコレを作れる日が来るなんてな。しかも自分以外の人の為にこんな気持ちで……二度とカツサンドは作らないと思った当時のに教えてやりたい。大丈夫だ思い悩むな、って)

 「ん~いい香り~!ねぇ今日のまかないってソースカツ丼なの?ご飯足りるかしら」

 調理場でカフェタイムの洗い物を終えた葵が、遅めのランチを作っている基のそばへ寄り、揚げたヒレカツを今にもつまみそうな勢いで匂いを嗅いでいる。

 「いや……これはカツサンドにするつもりだ」

 「……え?こんなにカツ要る?あっ、もしかして、センセの夜食にでもくれるの?」

 センセとは、店の近くに一軒家を借りて住んでいる塾講師のことで、バータイムの常連である。そして葵の恋人で、同棲相手でもある。

 「ああ。そのつもりだ。それと……小西くんに御礼を兼ねて、だな……」

 葵の表情が固まった。

 「……小西くんに……?」

 「ああ。昨日なんか体調が悪そうだったし、無理をさせてしまったのかもしれない。だから今日のランチに来なかったのかも、だし……これを届けがてら様子を見てくる。独り暮らしだし。心配だから」

 「……ふぅん……」

 何か言いたそうな葵の顔を極力見ずにヒレカツ作りに専念している基は、自分の行動に葵も変だと思っているのだろう、と推測した。本人もそれを自覚しているのだ。不思議な気持ちの方が勝っている。

 「あのさ~、基」

 「ん?あ、葵、悪いなパンを出しといてくれないか」

 「え?あ、うん」

 葵がパンの保管ケースの蓋を開けた。

 「ちょっとお……これ、スーパーのパンじゃないでしょう?パン屋さんに行って来たの?え、いつの間によ!」

 随分と気合の入ったカツサンドを作るつもりなのね?と葵が訝しむ。

 「基……?小西くんは、の従兄弟だからね?」

 「は?それが何か意味があるのか?」

 「無自覚かよ」

 ボソッと言い放った呟きは基の耳には届かなかった。




 小西くんは、アタシたちがこの春知り合ったお客様。本人は知らないけれど、本当はアタシの父の妹の次男なの。

 父に妹がいたなんてアラサーになるまで全然知らなかったわ。

 おばさまが子供の頃に養子縁組で本橋家を出た後、音信不通で行方不明……生き別れになってたんですって。何しろ本橋の家に居たくなかったらしくて、何回か自殺未遂を起こした末の養子縁組だったから、本橋は敢えて行方を捜さなかったそう。

 それがどうして私たちの前に現れたって?偶然か?小西くんが杉崎の就職試験を受けたからなの。

 本社から面接要員に借り出された父が、四十路で早世した自分の母親に面影も仕草もそっくりな小西くんに出会ったからなのよねぇ……そこから全てが急展開よ。

 面接試験の時に、父は彼に両親のどちらに似ているか?って聞いたんですって。そしたらどちらにもあまり似てない、って答えたそうよ。じゃあ祖父母、って突っ込んだら(面接試験中何やってんのよ!)、両親ともに施設出身なので祖父母の顔を知らない、って。

 それを聞いてもあまりに似ていたので、専門家に依頼して調査して貰ったら、ドンピシャ!甥っ子だったんですって!事実は小説よりも奇なり、よね!

 おばさまは父が杉崎に婿養子に入ったことを知っているのか。偶然か。はたまた財産狙いか?って、最初はざわついちゃってねえ。

 またまた専門家に依頼して詳しく調査し直して……結果は「多分ご存じないものと思われます」だったんですって。

 でね?本社勤務の筈だったんだけど、父が武市おじさんにお願いして、支社に小西くんを回して貰ったの。

 そして、杉崎のお得意先であるウチに大事な書類と説明して、小西くん《本人》に自分の調査報告書を届けさせたのよ!

 「うん、前にも聞いたけど……そのおかげで僕もこれをご相伴にあずかれるってことかな?」

 「センセ、まだ続きがあるのよ!」

 「うん、分かった。聞くから、聞きながら食べていいかな。とっても美味しそう……」

 「あっ、やだ、アタシったら!ごめんねセンセ、どうぞ召し上がって!今飲み物を用意するわね」

 恋人の田部井たべいわたるは、いつも葵よりも先に帰宅している。夜食をお土産に貰ったから夕食は軽く摂っておいてとの連絡を受け、葵の帰りを待っていた。

 「うわ、ボリュームあるなあ。美味しいよ葵くん!葵くんも食べない?」

 「アタシはランチで頂いたからいいのよ。全部センセの分なの」

 「そんなこと言わないで一緒に食べようよ。ひとくちだけでも。ね、どう?」

 「……カツサンドはねぇ……基の黒歴史だったからねえ……まあ、脱・黒歴史!ってことで、ひとくち頂こうかなぁ。ビールでも飲みましょうかね?」

 「……こんな深夜じかんにこんな……?」

 「まあ、小さなお祝いだから今日くらいは大目に見てちょうだいよ」

 「お祝い……?何の?」

 「基が普通にカツサンドを作れるようになったことと、初恋の呪縛から解き放たれたお祝い、かしら。はい、どうぞ」

 プルトップをプシュッと開けて、「脱、基の黒歴史にカンパーイ!」との葵の言葉に渡はいまいちな理解度をよそに「カンパーイ」とビールをかかげる。

 「美味しいわ……味がしっかり染みてる~う。これからまた作ってくれるかしら」

 「封印でもしてたの?」

 「二度と作らないってわめいてたのよ。中坊の時に」

 「……えっ?そう、なんだ……って、中学生でカツサンドを作ったの?凄いな基くん……」

 「初恋のなせる技よねぇ」

 カツサンドをほおばる渡を眺めながらビールを飲む葵は、とても幸せそうだ。

 「でも、どうして基くんがまたカツサンドを作れるようになったの?」

 「それはねえ……話せば長くなっちゃうのよ。さっきの話の続きだから。色々あって、小西くんにご協力して頂いたりして、基がねぇ……もしかしたら、だけどねぇ……」

 歯切れの悪い物言いに、渡はピンと来たのだろう。

「まさかとは思うけど……基くんがその子のことを?」 

 「……まだ分からないけどねえ……アイツの行動が最近おかしくって」

 渡が身を乗り出して、葵の顔を覗き込む。


「小西くんて葵くんの従兄弟だろう?葵くんとしては複雑なんだね?」

 「まあね。あの子はノンケだし。アタシたちのことも杉崎のこともなあんにも知らないみたいなのよ……その上、基が好意を寄せているなんて知ったら?いっそ全部知ってしまったら?なんて考えちゃうのよねえ……」

 「そうなんだ……まあ、部外者の僕が口出ししてもどうかなとは思うけど……」

 「センセは部外者じゃないでしょ。アタシのパートナーなんだから」

 アルコールのせいではなく、少し顔を赤らめて「うん」と頷いて、渡は言葉を繋いだ。

 「大丈夫だと思うな。なるようになるまでだと……人生なんて何が起こるか分からないし。その時はその時になってから考えれば?取り越し苦労はお勧めしないよ」

 「そうなんだけどねえ……」

 「あの日チラッと見ただけだから、小西くんのことはよく分からないけど……目立つタイプの子じゃなかったよね?」

 「そうなの。背景に馴染んじゃうような子なのよ。存在感ゼロ、って言っても過言ではないわね」

 「葵くんと正反対だね」

 「えっ?アタシ悪目立ち?」

 「そんなのじゃなくて、存在感たっぷりだからさ……なんだか小西くんにもう一度会ってみたくなったな」

 「あのね、今日は来なかったけど、最近日曜ランチの常連になりつつあるのよ!センセがもうちょっと遅く来れば会えるわよ、きっと!」

 「そっか。僕はブランチ派だからね。ランチタイム少し前に行けばどうかな?」

 「そうね。あの子はだいたい早めに来るから会えると思うわよ。ふふふ。センセと小西くんが仲良くなったらアタシ嬉しいわあ……」

 「そ、そう?その子、まだ若いだろう?新卒だから……あれ?葵くんの十歳年下じゃないか?え、じゃ基くんも?同じだよね?」

 葵はため息をついた。

 「そうなのよ。ちょっとジェネレーションギャップもあるのよねえ……」

 「……そっかあ。それはそれは。まあ、成り行き任せでいいんじゃない?このカツサンドと同じで。今日のようにいつかは食べられるチャンスがまた来るかもしれないよ。良いことを考えよう」

 「渡くん……今いいこと言ったと思ってるでしょ」

 「えっ?」

 「例えが悪いわ。小西くんが食べられちゃったらどうするの」

 「それ、は、深読みすぎということで」

 「ふふ。分かってるって。ふふふ。うーん!今日は何回も中坊時代を思い出したわあ……カツサンドのおかげで」 

 「本当に美味しかった。基くんに宜しく伝えといてくれる?」

 「うん、分かったわ。ふふふ……」

 「どうしたの?今日はなんだか嬉しそうだね」

 「そうね……今日は何回も『ひとりじゃなかったんだ』って思い出したから、かしらね」

 「そうなんだ?よかったね」

 「基のハートブレイクのおかげでね」

 「……ハートブレイク……?」

 「ひと昔前の、ね」


 葵のひと昔前が二十年を意味していたことなど、渡には全く通じていなかった。


 「僕はひとりじゃなかった」


 今もひとりじゃない。


 葵はそれが嬉しかった。


 その嬉しそうな葵を見て、渡も嬉しそうだった。




          完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕がひとりじゃなかった日 永盛愛美 @manami27100594

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る