第9話 僕がひとりじゃなかった日

 葵は隣に座っている基の顔をじっと見つめながら、これまで心の奥にしまっておいた思いの全てを従兄弟の基にさらけ出した。

 小学生の時に男の子が好きだと分かったこと。女の子のようにスカートをはきたいと思ったこと。綺麗なもの、可愛いものを見ていることが楽しいこと。妹の洋服を選んだり、母親と妹のショッピングについて行くことが嬉しかったこと。

 また、今年の夏休みにテレビを見ていて「オカマ」や「ニューハーフ」といったタレントの存在を前よりも詳しく知って、自分に近いと感じたこと。

 クラスメイトの男の子たちとは最近話が合わなくなって来たし、かといって女の子と恋バナがしたくても出来ない。

 苦しい思いもした。悲しい思いもした。女の子というだけで、好きな人のそばにいられることがずるいと思ったこと。憎らしいとも感じた。

 どんなに化粧をしても、体も顔も手術を受けないと女の子に見えるようには簡単にならないということ。

 このまま成長すると、テレビタレントのように男の人のまま、あんな風に見える自分になるのかもしれない、と怖くなった。このままでは、将来の自分は杉崎の会社には就職出来ないと思うこと……。


 「お……前……そんなことを考えていたなんて……そんなも素振りも全然見せなかっただろうが……葵らしもくない」

 (いつもなら分かり易いヤツなのに……)

 クッキーをかじりながら葵がむくれる。 

 「僕らしいって何?僕だって自分のことが良く分からなくなっちゃったよ……もうね、去年なんか世界中でこんなに悩んでる小学生なんかいないんじゃない?ギネスブックに載せるにはどうやって悩んでいることを証明するの?って考えたもんね!」

 「……」

 基はひと言も返せない。

 「……何、その顔?」

 基は葵を憐れんでいるかのような表情を浮かべていた。

 「……あ、うん……気の毒だな、と思って……だな……」

 基もロールクッキーに手を伸ばす。「おっ?」といつもとは別格な口溶けに少しは浮上したらしい。

 「気の毒ぅ?なんで?基だって僕と同じじゃん。条件とかさ」

 (男の子が好きなことはおんなじじゃん!)

 負けじと葵もクッキーをパクパクと食べる。これはとても美味しいのだ。

 基はそんな葵を横目で眺めた。違う。決定的に違う。

 「……だってさ、俺は女になりたいとは思えないし。お前の方がハードルが高くないか?」

 「……あ……そっか……」

 (基はそのまんまでいいんだ……何がどう違うのかな……?)

 二人とも空になったコーヒーカップを持ち上げて、同じくテーブルに戻した。葵はすかさずカップをトレーに乗せて立ち上がる。

 「お代わり持ってくる。また同じのがいい?それとも別のヤツにする?」

 「……出来れば生姜のやつ……」

 「分かった。ジンジャーティーだね。カップこれでいい?」

 「……ん。有難う」

 葵は基の好みも熟知している。クッキーの風味の中ではバターが勝っていて、基には少し重いのかもしれない。生姜で口をさっぱりしたいのだと悟った。

 (このクッキーには基の好きなコーヒーよりは紅茶の方が合うのかな?僕には良く分からないけど。ホント、基は食べるものにはうるさいんだから)

 自分のひた隠しに隠していた秘密を打ち明けて、葵の心と体が幾分軽めになっていた。しかし、基は自分とは違うらしい。今度は基の話を聞くんだ、と、義務感やら親近感やらが頭をもたげる。その為には基の好きな食べ物をセットして、ご機嫌を取らないと……アイツは普段から口が重いんだから、と面倒くさいリクエストに素直に応えた。



 基が同性を好きだと気付いたのは、小四の自分の誕生日、バレンタインデーに貰ったチョコレートの一件が発端だった。 

 お返しとしてホワイトデーにクッキーを三軒にポスト投函した翌日に、その三名が放課後に教室へやって来て、三名のうち、誰が一番好きであるかを問われたという。その現場を早瀬亨に見られてしまい、そのことがきっかけとなって早瀬を意識するようになったのだ。


 「えええぇ!そんな前からだったのぉ~!信じらんない!僕よりももっと前だったんだぁ……」

 お互いが横目で互いを盗み見た。

 なぜだか、くすぐったいような恥ずかしいような気分だった。淹れ直した紅茶を飲んで「辛い……」と葵が呟く。

 「……僕さあ、基にだけは知られちゃいけない、って思ってたんだぁ……なんか気が抜けちゃった」

 「……俺も。お前に気付かれないように一生懸命だった。だってまさかお前まで……なんて思いもしなかったからな……脱力もんだよな」

 そう告白しあって二人とも苦笑いをする。お互いが一番気を遣う相手であったのだ。

 二人でいっせーの、と何かのラインを跳び越えた瞬間だった。

 「うん……僕ひとりじゃなかったんだねぇ……」

 ホッとしたのもつかの間。今度は違った意味での問題が湧いて出てくる。

 「俺も葵も将来自分ちの会社には就職するのは難しいよな。普通に結婚出来ないし、したくもない。いつまでも家族や親戚に隠しておけるとは思えないし……中学生の今からこんなことを考えたくはないけど。俺は一番先に将来に頭が行っちまった……」

 基はため息をついて、ジンジャーティーを啜った。「うん、やっぱコレ合うな」とひとりで納得している。

 葵は「辛すぎちゃったけど、クッキーがもっと甘くなったみたいで変なの」とブツブツ言いながら「将来かぁ……」と腕を組む。

 「ねぇ、やっぱさ、家族には話さなきゃならない時って来るんだよね……?一生隠しておけないよね……てか、ムズいと思うし」

 「そうだよな……ハッキリさせとかないと、どんどん生き辛くなると思う。こんなことを考えたくはなかったけど、俺たちは杉崎で働くもんだと皆考えていると思うんだ。ってずーっと考えて……」

 基の目から再び雫がツゥ、とこぼれ落ちる。

 「ヤバい。俺、今日なんか変だ……」

 「そのがいたから僕らの秘密が打ち明けられたんだよ?基の失恋が酷かったおかげだね」


 「酷いって言うな」

 目頭を押さえて文句を言う基はさっきまでの変な基ではない。

 「ごめん。辛かった失恋」

 「失恋言うな」

 「じゃあなんて言えば…!あ、やば、僕もやば……」

 葵の視界がみるみるうちにぼやけてくる。

 二人で静かにティッシュケースに手を伸ばして、交互に目元を拭いたり、鼻をかんだりしてゴミ箱へと投げた。


 「基がいてくれて良かった……」

 「……俺も。なんか安心がドシンて来た感じ」

 「何、ソレ安心て」

 不安だらけじゃない?


 「お前だからだよな多分」

 不安をぶっ飛ばしそうなんだよ。



 お互いが「自分ひとりじゃなかった」ことに安心感を得られた日になった。少なくとも、ひとりは味方がいる。しかもそれは生まれた時からの相棒である。最強の味方が誕生した瞬間はとても静かだった。


 

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