#END おう、また

 出口辿が目覚めたのは、後頭部を強打して気絶した夜から22時間後。


 夏だと18時でもこんなに明るい。目玉焼きの黄身のようにこんがりと焼けた黄昏

の光に照らされ、真っ白なベッドに横たわる出口辿の双眸が開いた。


 意外と整った顔立ちできれいな目元が、私を見つける。射すくめられたように、私

は固まった。


 「あれ、ここ、どこ? …っててて。なんか後頭部いてえ」


 ほとんど丸一日意識を失っていたので、状況がすぐに呑み込めないのは無理もな

い。


 「出口くん、昨日のこと、覚えてる?」


 私は少しずつ昨日の記憶を回復させようと試みた。


 「昨日、私と烏山…さんの喧嘩を止めてくれた時に、そのはずみで転倒して、後頭

部を強打…」


 「う~ん。そんなことあったっけか? ていうか、君、誰?」


 「えっ…」


 私は再び固まった。


 まさかのまさか、彼は記憶を失っているのか。


 「えっ、ちょっと、待ってよ…!」


 ぼんやりと窓の外を見始めた。


 「まだ、私は…」


 感謝の言葉を言えてない。


 曲がりなりにも、あなたの言葉のおかげで。


 この、でたらめな出口辿という男に、出会って一日しか経ってない人に「ありがと

う」って、心の底から言いたかった。


 昨日と同じく、目の表面から薄っすらと涙がにじみ出た。


 「なんてなっ!」


 「は?」


 「サープラーイズ!!」


 「え?」


 「ちゃーんと覚えてるよ! 体操服女!」


 「えっ、ちょっ…はあ!?」


 困惑した。


 「だから言ってるだろ? サ、プ、ラ、イ、ズ! お前ってやっぱり鈍いのな」


 してやったぜと悪戯っぽく前歯を見せて笑う男子。


 「この…、心配したのに…」


 「え?」


 「心配したのに、心配したのに…!!」


 マグマのように熱くこみあげてきた怒りは、腕へと伝染する。


 「痛い!!」


 「バカッ!!」


 点滴に繋がれた無防備な出口辿の頬を思いっきり叩いてやった。






「悪かったな」


看護師を呼び医者に検査してもらった後、再び部屋に戻された出口は、暗くなった窓

のそばで私に謝った。


「そんなことない。むしろ、出口君には感謝しないと…ありがとう」


ようやく言いたい言葉を言えた。記憶喪失だと嘘をついていたことは絶対に許さない

けど。


ホッシーとは関係修復した。その後、彼から事情を説明された。


周りの目を気にし過ぎて烏山美里と別れたくなかったり、女であるタクトを避けよう

とした。しかし昨夜、勇気を出して彼女にタクトの制服について問い詰めた。他人の

ことが見えてなかったのはこっちの方だったと、タクトは痛感する。


私、タクトこと朝日(あさひ)昇子(しょうこ)は、出口辿という男に感謝した。


彼の助言のおかげで一歩を踏み出せた。そして烏山美里とはライバル関係になった。


私は、今朝、周りが見つめる中で堂々と制服を返却し、彼女に宣戦布告された。


「『この件は』、悪かったわ。私だって、あんたになんか負けないんだから。次は

正々堂々と闘ってあげる」


 昨夜と変わらない凄みがあったが、しかしそこには、悪意に満ちた害意ではなく、

相手を認めた上での健全な敵意があった。


「うん。私も負けない」


彼ら以外の人間に話せなかった私は、面と向かって目の前の初めて出来たライバルを

見据えた。


「で、今日から早速、カラオケに誘われるんだ。自分の持ち歌で点数を競い合って、

ホッシーにふさわしい女を選ぶんだってさ。私アニソンしか歌えないんだけど、勝敗

以前にみんなが知らない曲を熱唱してキョトンとされたらどうしよう」


「っはは」


 タクトの新たな苦悩を、出口は呑気に笑った。


「他人事みたいに…。出口君って性格悪いよね?」


「今更かよ。それより、男取られないようにしないとな」


「だからホッシーたちとはそんなんじゃないってば!」


本当にそうだ。


彼らは私の親友。それ以上でもそれ以下でもない。


ただ私は、目の前の出口辿のことが…。


彼の声と匂いを、不意に思い出しては消し去る。昨夜、ベッドの上で何度その行為を

繰り返しただろうか。


いやいや、気の迷いだ。


けが人に気を使いすぎているだけだし、体操服を貸してもらっただけだし。感謝と申

し訳なさがそう錯覚させてるだけで…。


まだ出会って丸一日しか経ってない人をす…。


違う! でも…


「元気になったら、出口君も来ない?」


 どくどくと鳴る心臓で私は彼を誘ってみた。


「色々お世話になったから、そのお礼で!」とあくまで礼儀だということを強調して

付け加える。


すると彼は、「う~ん」とわざとらしく悩むしぐさをして答えた。


「…俺はいいや。変なことに巻き込まれたくねえし」


気楽を装っているが、どこか暗い表情をしていた。


「そう…、なんだ…」


こんな男に断られたくらいで、なんでこんなにシュンとしているんだろう、私は。


もしかして、普段から調子のいいことを言ったりヘラヘラと他人の困難を楽しんでい

るような彼も、重く、抱えるのには心がもたない何かを抱えているのだろうか。


しかし彼はすぐに今までの調子を取り戻す。


そして、どこか残念がってしまっている私に言った。


「なにもじもじしてんだよ? 小便か? 俺と少しでも長くいたいから尿意を抑えて

たか? かわいい奴め…痛っ!」


「バカ」


無防備な彼に手刀をお見舞いした。


やっぱり気の迷いだ!


「さっきから暴力多くねえか? つかバカはそっちだろ。この美少年のお顔がへこん

だらどうすんだよぉ。丁重に扱いな?」


「うっさいバカ、ボケ、クズ、う○こ」


「泣いていいか?」


呆れた顔をする彼をよそに、私は荷物を持ち病室を出ようとした。


「ふふっ」


思わず笑みがこぼれた。


「また学校でね」


空気を読まず、自分のためだけに笑ったのはいつ以来だろうか。心が躍っていた。じわじわと浸食した闇が取り払われたような感覚だった。


「おう、また」と返す彼もまた、鼻からと息を漏らして笑った。




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HARDな1DAY―それはありえない― ヒラメキカガヤ @s18ab082

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