#5 絶対に、譲らない
「さっき、家の門が開いてたけど、一度帰ってきてたの?」
19時25分。
タクトの部屋のドア越しから名前を呼ばれ、母に尋ねられる。
「ああ、そうそう。一回帰ってきた。友達と買い物に行ってたから」
別に嘘はついていない。出口辿が友達、ということ以外は。
「へえ~、そうなのね。星宮君と角松君?」
「違うよ」
「へぇ~、そうなんだ。へぇ~」
母が、いたずらっぽく笑いかける声がした。どんな顔をしているのかもだいたい分
かる。
「今かかってきてるのは、その友達からかな。感じのよさそうな男の子」
「えっ!? ハム屋? …星宮君?」
「いや、でぐちくん? って子。言葉遣いも丁寧でしっかりしてたわ~」
「外面がいいんだよ。てか友達じゃないし、あんなやつ」
先ほどの、勝手なお説教を思いだす。出会って間もないくせに、他人のテリトリー
に土足で上がり込んで好き勝手なことを調子よく喋ってきたあいつの顔を。
「そういうこと言うもんじゃありません。保留にしてるから急いでね~」
母が階段を下りる音がする。
タクトは迷ったけど、逆上されて面倒なことになったら嫌だなと考え、しぶしぶ、
本当にしぶしぶ電話に出ることにした。
「なに?」
不機嫌に応答した。
「よっ! お前と一緒に行かなきゃいけないところがある」
これまた訳の分からない本題を何の説明もなく切り出す。
「制服が見つかるかも! 今から5分以内に学校集合! 絶対来いよ!」
「えっ、ちょっと待って。それ、ホント…」
そしてプツッと電話が切れた。つくづく自分本位な男である。
タクトは、急いで部屋着を脱ぎ、タンスから私服を引っ張り出す。
学校からは自転車を飛ばしてちょうど5分くらいだろうか。
せっかくシャワーを浴びたのに、これではまた汗をかきそうだ。自室へ戻り、眼鏡
を掛けて、自転車の鍵をポケットに入れ、
「ちょっと出てくるねー!」
とリビングにいるだろう母に一声かけて、玄関を出る。
門扉を開けて自転車のペダルを強く踏みしめる。
信号に捕まらなかったので、予定よりも2分くらい早く着いた。
校門の前には、出口辿の姿。
「わりいな、急に呼び出して」
出口辿が、どこか緊張した顔でタクトの顔と全身を見る。ダサかったかな、私服。
眼鏡姿もやっぱり似合わないか。
「…うん、別に。制服が見つかるかもって聞いたから」
先ほどのやり取りを思い出しながら、目を背けて返事をする。
「見たんだよ」
「え?」
もしかして。
「さっき。教室で『犯人』が制服をカバンにしまってるところ」
「ホント?」
「ああ。自分の机と思しき場所から引っ張り出して、カバンに入れてた」
本当に盗難だったんだ、なんて感心もするが、プールの更衣室で着替えをしたのだ
から授業が終わったらそこにないとおかしいので、盗難以外ありえないことに気付
く。
「その『犯人』って…」
タクトが尋ねようとした。
「急ぐぞ!」
タクトの問いに答えず、出口辿は窓の方を見て走り出した。
「ああ、ちょっと!」
強く手を引かれるまま、タクトの教室の前の廊下へとたどり着いた。
「ここで…」
「しっ!」
顔の前に指を立ててタクトの言葉を遮る出口。
「返せよ」
「はあ、なんのこと?」
「とぼけんなよ、お前、あいつの制服盗ったろ?」
「意味わかんない。言いがかりなんだけど」
彼と一緒に耳をそばだてると、教室から男子と女子の声が聞こえた。
「これって…」
「ああ…」
小声で確認し合う。
ドアの向こう、教室の中で、ホッシーと、クラスのリーダー、烏山美里がもめ合って
いた。
「もう別れてくれ」
「はあっ!? 意味わかんない! 急になんなのよ!」
ホッシーと烏山は付き合っていることは、タクトの耳にも届いているから、驚かな
かった。しかし、今の「別れる」という発言はもちろん初耳で、驚きのあまり声が腹
の底から飛び上がりそうだった。
だって一年生の春から付き合い始めて、今年、二年生の夏まで続いていた長い関係
が、こんな場所で急に…。
「なんでそんな話になるのよ!?」
次第に大きく混乱し始める烏山美里。
ホッシーは言った。
「悪いのは全部俺だ。あいつらに悪態付いて、周りの目を気にして、本気でお前とも
向き合えてない俺が不誠実で、全部悪い」
「何よそれ? 別に私はリュウくんが不誠実でもいいの。カッコいいから」
「こんな俺の、どこがカッコいいんだよ」
呆れたように笑うホッシー。
「顔…とか、喧嘩が強いとことか」
数秒迷った末に、彼女は答えると、ホッシーは大きくため息をついた。
そして、力なく笑った後に、言った。
「あいつは、本当の俺を見てくれた」
タクトのことだ、と自意識過剰にもそう直感した。
「何でよ!! 好きになるのに理由なんているの!? むっかつく…! またあい
つ…!」
心臓がチクリとする。それからはドクドクと大きく鳴り続けた。
「あいつは関係ない。俺の弱さがお前らを傷つけた」
「なによ…、あんな女の方がいいっていうの!? 私がどれだけあなたのことを大切
にしてたか! それに比べてあの女…!」
「タクトは、お前よりもずっといい女だ」
「えっ…」
思わず声が漏れた。
自分がいい女だと言われたからではない。仲が良かったあの時のあだ名で呼んでく
れたことに喜びを隠せなかった。
幼いころのホッシーの声と、夏休みの公園が頭の中で反芻する。
『じゃあ昇子(しょうこ)のあだ名は、タクトだな』
なんで、と尋ねたんだ、確か。
『コンタクトレンズ、から「タクト」の部分を取ってきた。これでいいだろ?』
もっとかわいい名前がいいんだけど、って非難したっけ。
『ケチ付けんなよ~。人が足りない頭で徹夜して考えたんだからよぉ』
それなら仕方がないな、ってハム屋と笑ったっけ。
あんなに仲が良かったのに、突き飛ばしたんだっけ。
突然触れた男らしい手に過剰に驚いて、お付き合いしてる相手に悪いよ、とホッシ
ーを突き飛ばして、自分からふさぎ込んだんだっけ。
じんわりと涙が出てきた。
それを袖で拭い、スカートを両手で握りしめ、タクトは立ち上がった。
「おい、朝日…」
「ちょっとでいいから、踏み込んでみる」
「いや、さっきはそう言ったけどよぉ…」
先ほど言われた発言を、言った本人の出口辿に叩きつけて、タクトは勢いよく教室
のドアを開けた。
二人が、タクトに気付く。
「あんた、いつから…」
「私は!!」
声を張った。大きく声を出さないと、伝えられえない気がしたから。
「私は、ホッシーが大好き!」
この勢いのまま本音を打ち明ける。
「でもそれは、親友として、っていう意味で、あの時突き飛ばしたのは、それを伝
えたくって! もっと私が器用だったら、もっと私が、周りとうまくできるような人
間だったら、こんなことにはならなかった! だから!」
息を吸う。そして言った。
「二人は、別れる必要なんてない。でも、私は私で、ホッシーたちとまた仲良くバ
カやっていきたい。これが、私の本音だから」
言いたいことを言い切って、沈黙が流れた。
「タクト、お前…」
ホッシーが笑った。
しかし。
人が近づく気配がして、シャツを強く握りしめられた。
「なに勝手なこと言ってんのよ」
烏山美里が、人を殺すような目つきで睨んでいた。クラスの女子たちがこの子に頭
が上がらない理由を肌で感じる。
タクトも縮み上がりそうだった。
でも、負けられなかった。
このまま、ホッシーたちとの絆を譲りたくなかった。
だからタクトは、烏山の肩を強く押して、床に伸した。
背中から落ちたのだろうか、その部分を手を後ろに回してさするようにし、顔を痛
みに歪めていた。
そして…。
再びタクトに掴みかかって来た。
「なに、すんだよクソアマァァァァァ!!!!!」
先ほどなんか比べ物にならないくらいの勢いと声量で襲い掛かり、壁に何度もタク
トを激突させた。
タクトも焦りながらそれに抵抗する。
「絶対に、譲らない…」
「何が譲らないだよ!! 私の大事なもの全部奪いやがって!!!! あんたの制
服も切り刻んで返してやるつもりだったのに!!!!」
「お、おい、お前ら…」
「ホッシーは黙ってて!!」「あんたは黙ってて!!」
ヒートアップしきった女同士の喧嘩に、おろおろと慌てふためくホッシーをよそに、タクトと烏山はどちらかが折れるまで手を離さないつもりだった。
「うおお! お前らやめろやー!!」
ホッシーと同じく慌てたような表情で、しかし勇敢に止めに入ったのは部外者の出口辿。
「何よあんた!! 引っ込んでろや部外者は!!」
「出口君には関係ないでしょ!!!」
中肉中背の男子が介入しようと、女子たちの本気を抑えることができず、数秒が経
過する。
負けない。
絶対に負けない。
しばらくすると、彼女への恐怖も無くなり、負けん気だけがタクトの心の中で強く
燃え上がった。
そして…。
「こういう喧嘩を止めるのはイケメン男子の役目でしょうがぁ!! …ぐっ!?」
ゴン、と鈍く大きな音が鳴った。
掴み合っていたタクトと烏山は、その音の先を見る。
「…出口…君?」
女子二人が同時に出口辿を引きはがしたはずみで、彼の後頭部が壁に強く激突し
た。
「ちょっとあんた…」
そして彼は、壊れたロボットのように口をポカンと開けて泡を吹き痙攣し始めた。
「きゅ、きゅ、救急車!!」
情けない声でホッシーがポケットから自分のスマホを取り出し、たどたどしい口調
で救急車を呼んだ。
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