#4 踏み込んでみろよ

 いったん家に帰り、お年玉貯金を財布に補填してから、相変わらず大げさに派手な門扉をカードキーで開ける。


 「お前の家、金持ちか?」


 「分かんない。お手伝いさんが週2で部屋の掃除に来てくれるくらい」


 「月何万の小遣いもらってんの? 味噌汁に伊勢海老入ってる?」


 「そんなにもらってないよ、月千円。味噌汁には豆腐とネギと油揚げだけ」


 「小遣い俺より安いじゃん。嘘つくな。伊勢海老も入れてんだろ」


 「嘘じゃないって。甘やかさないようにするためのうちの方針。だから豆腐とネギ

と油揚げだけだってば」


 「ふうん。まあ、子供のうちから金銭感覚をちゃんとさせとくってのはあるあるだ

な。だから冷蔵庫に伊勢海老が入ってても味噌汁には入れないのか」


 「そういうこと。ていうかさっきからその伊勢海老への異常な執着はなに?」


 「うめえじゃん伊勢海老。じゃあお前の一番好きな食べ物はなんだよ?」


 「ええと…コーンスープとか」


 「飲み物じゃんそれ」


 「そういう揚げ足いらないから」


 「だって飲み物じゃん」


 歩きながら、こんな調子で出口辿に絡まれ続けた。


 そうこうしているうちにタクトたちは目的地に着いた。


 タクトが通う私立の学校の制服は、『学生服の宮田』で売られている。


 「ほら、行って来いよ。この辺で待ってるから」


 ガラス越しにびっしりと並ぶ学生服たち。マネキンに着せられているものもいくつ

か。


 怖かった。


 一人で行って、どうすればいいんだろう。


 「…どうした?」


 「学生服って、いくらだっけ?」


 「わっかんねえ。今日買えなかったら、また出直してくればいいんじゃね? とり

あえず行って来いよ」


 「あ、うん…」


 正直、心細かった。値段に関しては全身で2万円というのは分かっていた。お母さ

んと制服を買いに行ったときに把握済みだ。お小遣いもお年玉もちゃんと貯金してい

るから、値段は大丈夫。


 しかし…、こんな格好をして制服を買いに行くなんて、きっと怪しまれる。現役の

学生が制服を買いに行くなんてなおのこと怪しい。今が夏真っただ中だから入学前に

買いに来た、なんて嘘も通用しない。


 きっと怪しまれる。かと言って、この格好で帰ってきて親になんていえば…。


 「やっぱり、一緒に来てくれない?」


 タクトが尋ねた、その時だった。


 「は、はあ!?」


 出口辿は取り乱すように怒った。


 「ふざけんなっての! お前一人で行けよ!」


 だよね、と思った。


 「ごめん。そうだよね…。変なこと言った」


 「いや、別に…。ここで待ってっから」


 仕方がないのでタクトはそのまま入口へと入っていた。





 「買えなかった」


 手ぶらで店を後にするタクトに「あれ?」というような表情をした出口辿に、まず

は結果だけを先回りして言った。


 「なんで?」


 「いや…」


 声が淀む。


 「正義感の強い店員さんが…」


 「そういうことかよ…。つーか嘘でも付けばよかったろ?」


 「ごめん。…あの年頃の人、騙したくなくて…」


 だいたい察してくれたらしい。しかし不機嫌そうにため息をつかれた。正義感の強

い、なんて言葉を口に出すと恥ずかしいが、そうとしか言えなかったし、そんな人を

欺いてまで制服を手に入れたくなかった。


 『ちゃんと返してもらわないとだめだよ』


 先刻、母と同じくらいの年齢の女性に言われた。


 「あのおばさんか?」


 ガラス越しでレジを操作する女性を指さす。


 「うん」


 「分かった。俺も言ってやるから、ああいうオバハンはねばりゃ折れてくれるもん

だよ」


 「ああ待って!!」


 「あ?」


 「やっぱり駄目だよ。…ちゃんと犯人探してくるから…」


 「だからって誰がやったか見当はついてんのかよ? 明日も体操服で過ごすのか? 

長袖長ズボン、お前の名前が記載されてるのを着たとしても恥ずかしいだろ」


 「それは…」


 その時だった。


 女子たちの嬌声が聞こえたのは。


 「何してんだ?」


 「こっち見ないで!」


 慌てて距離を取り、タクトは障害物へと身を隠した。


 そして、そのまま自転車で通り過ぎる女子たちをなんとかやり過ごした。


 通りに身を戻す。


 「危なかった…」


 「何が?」


 「いや、だってまずいでしょ!?」


 こんな自分と一緒にいるなんて分かったら、出口辿までもが腫れもの扱いされる。


 「まずくねえだろ。あいつ、昼休みにお前のクラスで叫んでたやつの友達だろ? 

確か、烏山の」


 「うん。だから、出口君も巻き込みたくなかった」


 「俺は別にいいんだけどな」


 「こっちは嫌なんだよ!」


 思わず声が大きくなった。慌てて声量を抑える。


 「もう、自分のせいで誰かが変な目で見られるのは避けたい…。出口君だって…」


 「お前さ」


 出口は言った。


 「ビビってるだけだろ」


 「えっ?」


 タクトは固まった。


 「自分の大切な友達がどうこう、…じゃなくて自分がこれ以上嫌われたくないだ

け」


 「そんなこと…」


 「そんなことあるんだよ。だからあいつらの前でも堂々とできない。制服も一人で

買えない。譲っちゃうんだよ」


 だんだんと声が大きくなる出口辿。


 なんだろう、この感覚。目元に圧力が集まるような。


 心が、大きく揺さぶられる。


 「大切にしてた友達を嫌いなやつらに譲って、自分が制服を買いたいという願望も

知らないおばさんの正義感に譲って」


 「やめて…」


 「今のままだとお前はこの先ずっっっっと! そうしてくんだよ。譲って、譲っ

て、譲っ…」


 「やめてよ!!!」


 一年前、ホッシーを突き飛ばした時と同じくらい大きな声が出た。


 あ、そうか。


 こうやって手放していくんだ。


 大事だと思っていたものを。


 でも、だって、悪いのは出口くんじゃんか。あの時だって、ホッシーが悪いじゃん

か。


 「お、おい」


 「ごめん、もう帰る」


 自分の声が涙声だということは、自分でもよく分かった。


 「わりい! 言い過ぎた」


 「もういいからっ!」


 謝る出口辿に背を向ける。


 彼が立ち止まる気配がした。


 声がどんどん小さく聞こえてくる。


 「ちょっとでいいから、踏み込んでみろよ!!」


 出口が声を張った。


 「急にじゃなくても、ちょっとでいいから! 何かを守る素振りを見せてみろよ! 

そうすりゃなんか、変わる気がするから!」


 「勝手なことを…」


 小さく呟いた今の声は、出口辿には届かなかった。

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