#3 わーってるよ。みなまで言うな
放課後。
体操服を纏ったタクトの教室に、それを貸し出したご本人が人目をはばからず登場した。
ちらりと自分と出口辿を一瞥しながら部活へ行ったり帰宅を始める生徒たち。人の
流れに逆らうようにタクトのもとへと歩み寄る。
「お疲れ。いこーぜ」
「待って、まだ心の準備が…」
手首を掴まれ、そのまま引っ張られる。
「なんだあれ!」
教室を出る直前の男子たちに指を差されて笑われる。
「ちょっ、ちょっと…!」
「お前そのまま逃げるつもりだったろ?」
「…」
「はい図星」
「まだ何にも言ってないし! てかそろそろ放してよ!!」
力強く振りほどくと、そのはずみで視界の角度が変わる。
眼前に広がる、必然のような偶然が待ち受けていた。
「あっ…」
「よっ、タクト」
ぎこちない笑みでスポーツ用のエナメルバッグを肩に下げた男子がタクトに声を掛
ける。
『ハム屋』と『ホッシー』。
小学校の時はほとんど毎日のように遊んでいた友人二人の視線が、こちらに集ま
る。
「ほら、集めてきたぜ。…お前ら、部活やってたらごめんな、この制服紛失大臣が
どうしてもお前たちに聞きたいことがあるんだって」
勝手なことをして勝手なあだ名をつけて勝手なことを言い放つ出口辿を睨むと、彼はふざけたように口をすぼめてよそを向く。
「ささ、旧友のみなさん、プチ同窓会でもしましょうか」
偶然だと思っていた必然で、集まった二人は、打ち合わせでもしたかのように、出口辿に教室の中へと案内され、そのまま入室して行った。
「ほらほら、主役のチミも」
気持ちの悪い二人称で呼びながら、出口辿はタクトの背中を押した。
「俺らは、数学の授業で、リュウも出てたよな?」
野球部に所属している角松公造(かどまつこうぞう)ことハム屋が、校則の緩いこの
学校でも注意を受けるくらい髪の長い星宮流(ほしみやりゅう)、ホッシーにアリバイ
を確かめる。
「そうなんだ、ハム…公造と星宮…くんは、二人とも授業に出てた…」
かつてのあだ名で呼んでしまいそうになり、慌てて本名を呼び直す。
公造の『公』の字をカタカナで『ハム』と呼び、『造』という字からハムを作る工
場とかをイメージしたことから『○○屋さん』の『屋』。それで『ハム屋』。
『ホッシー』に関しては安直。『星宮』の『星』から取ってもじった。
「俺は別にハム屋のままでいいよ。お前らに呼ばれる分にはこっちの方がしっくりく
る」
「うん…」
タクトは少しだけ安心するが、『俺は』という言葉は、逆を言えばホッシーの方が
強く拒絶していることを意味していて少し寂しい気持ちにもなる。
小学校3年の時から一緒に考えあったあだ名。
タクトはハム屋の、ハム屋はホッシーの、そしてホッシーはタクトのあだ名を考え
た。
中学に上がっても、ハム屋は呼び方に関して特に異論はなかったが、ホッシーに関
しては強く拒んだ。ちなみにタクトは、付けてもらったあだ名は気に入っている。
ホッシーの呼称が変わったのを皮切りに、人付き合いも徐々に変わっていった。中
学校に上がってから呼び方が変わるなんてのはよくあるらしいけど、タクトにとって
はそれが嫌で…。
大人になった、ということなのだろうか。
これが大人になるということなら、タクトはずっと大人になんてなりたくなかっ
た。
「証拠はあんの?」
本当に授業を受けたのかと怪訝そうに出口が尋ねる。
「うん、あるよ。俺たちちゃんとノート取ってるから」
「お前ら意外と真面目なんだな、特にロン毛の人! チョー意外!!」
「意外とってなんだよ」
出口の失礼な発言にハム屋は柔らかく笑う。
ハム屋は、昔と変わらず、周りの調和を第一に考えるムードメーカーで、顔もいい
し運動神経も良いから男子に頼られ女子にはモテる。そういう男。出口辿みたいな人
の神経を逆なでするようなお調子者にも柔軟に対応する。
「…」
ホッシーはクールで怖い印象があるけど、顔が整っていて言いたいことをはっきり
言ったり、喧嘩が強いから、ハム屋とは別の方向で人望がある。互いにタイプは別だ
がリーダー格で、自然にふるまうだけで勝手に人だかりができる。
本当に自慢の友達だった。
しかし二人とも、こんな落ちこぼれは早々に切り捨てた。
賢明な判断だと思う。こちらとしても二人の株を下げたくなかったし、これでよか
ったんだ。
「もういいかよ」
ずっと黙り込んでいたホッシーがようやく口を開いた。いかにも不機嫌そうな態度
で席を立とうとする。
その顔には違和感があった。
彼の顔に、後ろめたい何かを隠しているような翳りが…、気のせいだろうか。特
に、ちらりと、タクトを一瞬だけ一瞥した時…。
タクトは意外にも勘が鋭い。人の顔色をうかがう癖から生まれた、特技のような、
短所のようなもの。
「おいおい、退出するの早すぎだろ~」
本当に、この出口辿という男は誰に対してもふざけたような態度で接する男であ
る。今日から知り合ったばかりの人間たちに囲まれても全くそれを気にしない。それ
どころか楽しんでいるようでもある。
「あ?」
対するホッシーは、今にも暴力が飛び出しそうな目つきで出口を睨みつける。
「分かった!」
出口辿はそんな剣幕に動じず、へらへらと笑いながらふざけ調子でとんでもないこ
とを言い放った。
「お前がやったんだろ?」
「っ!? てめえ何言ってんだ?」
振り返り、刺すような目つきで出口辿を睨む。
「だってめっちゃ怪しいじゃん! さっきからそわそわしちゃってさあ。自分が犯
人ってことがバレそうだからおしっこでもちびりそうなの?」
数秒の沈黙が流れた。
直後。
「…殺す!」
凄まじいスピードで出口辿に駆け寄り、腹を蹴り飛ばした。
「ぐっ…はは、図星か?」
痛みに呼吸を乱しながらも、相変わらずお調子者の目つきで相手を笑う出口辿。
「次は顔面に決められてえか」
「おいっ! やめとけって!!」
「るせえ!! 放せや!」
力強くもがいてハム屋の両腕を振り払おうとする。
自分も止めに入らないと。
なのに、身体に力が入らない。
心臓がドキドキする。
震えが止まらない…。
優しいハム屋なら、怪我するから来なくていいと言ってくれるけど。
出口辿だって同じ気持ちになってくれるかもしれないけど。
なんて臆病なんだ。
こんなんだから、二人から見限られるんだ。
「ごめん…」
誰にも聞こえない声で、小さく謝るだけしかできなかった。
「おーい、角松ぅ~。部活行こうぜ~」
ドアを開けて現れたのは、野球のユニフォームを身にまとった男子。
「あっ、取り込み中?」
「いやいや、大丈夫だよ。行こうぜ」
怪訝そうにホッシーを抑えつけるハム屋を目にした男子に、ハム屋がホッシーから
離れて、その男子の肩を包み込むように自分の肩を組む。
そのままの体制で後ろを振り返った。
「リュウ、お前も何か用事があるんじゃねえのか?」
「俺は特に…」
「あるだろ?」
タクトたち三人の中で、ハム屋が怒ると一番怖い。ホッシーよりも喧嘩強いし。
そんな彼が鋭く睨むと、さすがのホッシーも従わざるを得なかった。
「チッ。…くだらねえ」
納得が行かない様子で教室を後にしようとするホッシー。
「あっ、待ってホッシー…」
つい、昔のあだ名を声に出して呼んでしまった。
「おい、その呼び方やめろっつったよな?」
「ごめん…星宮、くん…」
案の定、こちらを睨みつける。タクトは下を向いて謝った。
そしてホッシー、…星宮君は教室を後にする。
「リュウ! …そういうことじゃなかったんだけどな」
頭を抱えるハム屋は、次に、「ぐるじぃ~」とふざけた様子で、でも本当に苦しそ
うにお腹をさする出口辿を見た。
「お前、頼めるか?」
「わーってるよ。みなまで言うな」
ハム屋も教室を後にすると、疑問符を浮かべるタクトは肩を叩かれた。
「ほら、行くぞ」
「どこに?」
「その格好で帰るの恥ずいだろ? ついでに制服も。みなまで言わせるな」
「…うん。ありがと」
出会って一日目の人に、この人はどうしてここまで優しくできるんだろう。
こんな根暗で何の取柄もない人間に…。
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