エピローグ4 会依

これは、あの純白ユメの空間の続き。


「アダンは―――この選択に、本当に後悔が無いって言えるの?」


そのとき――――――弾けるような閃光が辺りを駆け巡った。純白の空間がより一層、光の反射を加速させる。

アダンは思わず目を瞑った。そして―――瞳に焼き付いた光の残像が落ち着くと同時に、まぶたを開く。


「あ――――――」


アダンは続く言葉を見失ってしまった。瞬きさえ忘れるほどの衝撃。


「―――この姿、どう?」


アリスは少し、恥ずかしそうにそう言った。

そこにいるのは確かにアリスなんだろう。

だが――――――アダンが知っている姿とは少し、違っていた。


アダンの胸くらいまでしか無かった背丈はアダンと同じ目線まで伸びており、

顔立ちもどこか凛としていて、

声には少女らしさが抜け、代わりに女性らしさが現れていた。

―――いつの間にか成長していた。


そしてアリスは赤を基調とした、足が隠れるほど丈の長い婦人服ドレスに身を包んでいた。

よく似合っていた。アダンが今まで見たものの中で最も美しいと思うほど、綺麗だった。


「お、大きくなったな―――」


思わず、そんな感想しか出てこなかった。こんな事実しか述べられなかった。


「っそうね」


アリスはくすりと笑う。軽く握った左手で口元を抑える、その仕草。

“年上みたいだ。”、と見惚れるようだった。


「この姿は―――二一歳の私なの」

「二一歳って・・・・・・」


本当に年上だとは、とアダンは少し驚く。そしてその数字に、声を落とした。


「これはその最後の日の姿」


アリスは自らの胸に手を当てて、そう言った。


「未来は幾重にも分岐する。そして分岐した未来はまるで成長する枝葉のように、無限に続くの。こことは違う―――あったかもしれない未来。それをここに投影してみたの」

「それが・・・その姿?」

「うん」


アダンは再び、その姿を見つめた。あったかもしれないその日が、ふと頭をよぎった。


二一歳の誕生日。その日、多くの人が集まった。

その中にはアエやウィル、トゥデの姿があった。ヘリックらしき姿も・・・あったような気もする。それにまだあったこともない人たちが、混血が、一堂に会し、彼女の誕生を祝福した。そして―――彼女の死を悼んだ。

アダンは彼女の顔を傍で見ていた。そこには何の後悔もない、満ち足りた表情。

誰もが涙を浮かべた。しかし悲しみに暮れるばかりではなかった。彼女は希望を与えてくれた。明ける気配のない異族の忌避という暗闇に、一筋のひびを入れた。

彼女の栄誉を胸に抱き、残された者は歩き出す。

彼女は死んだ。だが、人の記憶からも、記録からも、その姿が消えることはなかった。

そんな彼女を起点に、世界は変革を来たす。誰もが彼女を偉大だと言った。


――――――そう、それがあり得たかもしれない未来の一つ。ここではないどこか。違う選択をしていたなら、そこへ辿り着けたのかもしれない可能性。

だが、それはとうに潰えている。


「他の世界線では私もアダンもアエも、皆死ぬ未来があった。それにアダンがヘリックと手を組む可能性だって高かった。そして――――――」


アリスはアダンをじっと見つめた。


「この世界線では、アダンは死を選んで、アエだけが生き残る」


アダンはふっとアエの顔が思い浮かんだ。彼女はこれからどうするのだろうか、と。


「未来は自分の手で掴み取ることが出来る。私にはもう出来ないけど、それは生者の特権よ。アエはこれから無数に広がる分岐を選んでいく。小さなそれは蓄積され、やがて人生という大きな歴史を形成する。そして、今際にやっとそれを展望できる」


アリスは一歩、アダンへと近づく。


「未練があるんでしょ?」


アリスはじっと、アダンを見つめてきた。それは相手を等身大に見つめる、まことの眼差し。


「アダン――――――」


アリスはアダンの頬を両手で包む。そして、互いの額を押し当てた。

そのとき――――――どこからともなく一陣の風が吹いた。アリスの長い髪が靡き、アダンへとしなだれかかる。


「自らにもとる死を、私は許しません。その選択に明確な意志がないというのなら、それはなおのこと」


アリスは芯の強い声音で語りかける。


「だからね、せめて自分だけは誇りに思える選択をして。それがアダンの―――本当の願いなんだから・・・・・・―――」


突然――――――

鼻息がかかるほど近かった距離は、いつの間にか遠のいていた。

その断絶は今も広がり続ける。


「ア――――――アリス!!!」


いくらその手を伸ばしても、届かない。アリスの姿はもう点のようになっていた。


「自分で決めなさい! これからどうしたいのか!!」


別れだ。アリスは全力で手を振っている。


「じゃあね、アダン!!! 絶対、幸せになってね――――――!!!」


涙。

どれだけ離れていても、瞳に湛えられたそれは何故かよくわかった。


純白世界が、罅割れる。罅からは白以外の色が垣間見えた。それは現実の色。

混沌カオスの再来。崩壊が近い。


アダンは覚醒にも似たような感覚を覚えた。

うつろに蔓延る罅はいたるところに伝播し、やがて――――――その純白ユメは、美しく、終わりを告げた。


ぐっと開ける視界。そこには、別離したはずの世界があった。

しかし―――高さが違っていた。生者のそれではない。死者への道中、その視界だった。

天への昇華。非存在のアダンは空に浮かんでいた。


ふと―――目に止まった。肩を震わせて泣いている少女の後ろ姿が。


―――知っているその姿を。

知っているその声を―――。


アダンは遠ざかる眼下の景色を見ながら――――――思う。


あのアリスの姿は、まさに最善の世界線のものだったのだろう。

希望はあった。絶望のどん底だとしても、そこにはまだ確かな希望が残されている。

そして、希望に通づる道は手繰り寄せることが出来る。アリスはそう言っていた。


であれば――――――――― 

そんな希望はアエにだって、あるのではないだろうか? 


生きる、とは、絶望と理不尽が掻き混ぜられた、地獄の釜に溺れることを指す。

しかしそんな中にも、珠玉のように光り輝く希望が、密かにある。


そんな希望を手にできるよう、アエを見守り、助ける。

幸せになって欲しい・・・・・・。

アリスとともに歩めなかった最善。それを――――――


“アエと生きてみたい。”


途端――――――

さきほどまで消えかかっていたアダンの体は、次第に輪郭がはっきりし始める。そして、重力という呪いに掛けられたように、一気に落下する。


願いは―――死の願望を超えた。

人類繁栄の根源―――傷つきたくないという願望より、他人と関わりたいという願望が優先されたように。

それは自然の成り行きの如く、実を結んだ。


どさり、と。

アエの目の前でそんな音がした。

なんだろう、と思って見ると、そこには―――――――――


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「それが―――アダン先輩がここに残った理由なんすね」


アダンの回顧を聞き終わったトゥデはそう言い、アダンから目を逸らす。

トゥデには、アダンのその選択に至る動機があまりにも不幸に見えた。他人に自らの生を預けたような生き方に、共感できそうになかった。


「悲惨に見えるか?」

「・・・はいっす」


アダンはそんなトゥデの心情を察したのか―――。


「幸福の解釈は人それぞれだ。そう思うのも仕方ない。だが、俺にとって一つだけ確かなことがある」


そう言い、アダンは胸を張る。


「後悔はない。選んだ道がどういう末路になるかは、まだわからない。だけど、それは―――これから確かめていこうと思う」


アダンはしっかりと、トゥデを見つめた。淀みのない眼差し。トゥデはそれに少し、後退ってしまった。


アダンの目の奥には、確固とした決意があった。

“退廃的だ”、とトゥデは思う。

だって、放った矢に結果を見出そうとしないなんて―――。結果よりも過程を重視するなんて―――。


「俺はともに在ることを選んだんだ」


アダンは隣を歩く、アエを見つめた。そこには慈しむような思いがあった。

トゥデはそれを見て、“そういうことか”、と気付いた。

―――たとえその道が非業に終わるとしても、アダンにとっては幸福と思えるのかもしれない。


アエはアダンの視線に気づき、アダンを見た。二人は見つめ合う。

二人の思いは同様だった。


「そういうもんなんすかね」


トゥデはその光景を見て、呆れるように言った。そこには軽蔑という感情はなかった。むしろ自分もその輪に入って、それをこれから知っていこうとする気概が見て取れるようだ。


三人は歩む。ずっと、ずっと、ともに・・・・・・―――。


―――うにりて。

人とともに在ること。それを幸福と捉えた。


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今際に、遥かに ゆでたま @yudetama_1231

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