英雄

 青ざめる私を支えながら、カウンセラーが強く言う。


「彼は助かる。絶対に助かる!」


 その言葉に、私は頷いた。


 神様、神様!


 私は祈った。心の底から祈った。

 その時。


「いやあ、まさか耐え切ってしまうとはねぇ」


 上空から声がした。


「予定では、どんなに頑張っても最後の五秒で意識を失うはずだったのですが」


 残念そうに言う。


「まあ仕方がありません。では」


 声の調子が上がった。

 そして私は、信じられないような言葉を聞いた。


「第二ラウンド、いってみましょうか!」


 私の顔が引き攣る。


「ルールは同じです。人類の中から我々が一人指名する。それを君たちが探し出す。チャンスは十回です。試練の内容は改めて……」

「ふざけないで!」


 上空に向かって私は叫んだ。


「約束したじゃない! 彼が試練に耐えたら……」


 私を無視して声は続く。


「今度の試練は、もう少しグレードアップさせる予定ですので……」

「ひど過ぎる!」

「ふざけるな!」


 広場が騒がしくなった。

 メディア関係者が、警備の自衛官までもが、宇宙船に向かって何かを叫ぶ。中には石を投げ付ける者もいた。


「ちょっと、みんな聞いていますか? 今大切な話をしてるんですよ」


 笑いながら声が言った。


「もしかしたら、次こそ人類は助かるかもしれないんです。だから、君たちはそこに希望を見出すべきだと思うんですけどねぇ」


 彼の言った通りだった。


 金持ちが狩りをするのと同じです。これは、遊びなんですよ


 侵略者たちは、最初から人類を助ける気などなかったのだ。


 あまりに非情な結末に、私は全身が震えた。

 同時に、彼と過ごした十日間の記憶が頭の中を駆け巡る。


 彼の言葉。

 彼の笑顔。

 彼との食事。


 僕は、島崎さんを愛しています


 彼がくれた、暖かな光。


 私は宇宙船を睨み付けた。

 全身の血が沸騰しそうだった。体中から血が噴き出しそうな気がした。


「許さない……」


 怒りで髪が逆立つ。


「あなたたちを、私は絶対に許さない!」


 空に向かって叫んだ。

 それに答えるように、声が言った。


「みんな、ちょっとうるさいですね」


 その声は苛立っていた。


「何だか腹が立ってきましたよ」


 広場が急速に静かになっていく。


「君たちは下等生物なんですよ。下等生物がどうあがいても、我々には勝てない。だから、君たちは我々に従うしかない。それは分かってもらえたと思っていたんですけど」


 人々が狼狽え始めた。


「もう一度、それを全人類に教える必要があるみたいですね」


 人々が後ずさる。


「逃げても無駄ですよ。今から、半径数キロが消滅するんですから」


 みんなの顔に絶望が広がっていった。


「悪いのは君たちですからね。まったく、もう二度と我々に……」


 そこで、なぜかふいに声が途切れる。

 奇妙な沈黙が訪れた。人々は、怯えながら上空を見上げていた。

 すると。


「……接近に気付けなかっただと? この役立たずが!」


 怒鳴り声が聞こえた。


「母船に帰還、急げ!」


 突然、宇宙船が猛烈な速度で上昇を始める。

 呆然とする人々を残して、宇宙船はあっという間に空の彼方へと消えていった。


 何が起きたのかまったく分からなかった。

 人々が困惑に包まれる。ざわめきが広がっていく。


 その騒ぎにも動ずることなく、一心不乱に働く者たちがいた。


「諦めるな!」


 大声に驚いて、私が視線を戻す。


「生きろ、生きろ!」


 あの医師が、心臓マッサージをしながら叫んでいた。

 私の全身の毛穴が開いていく。


「お願いします」


 声に出して私は言った。


「私の命を差し上げます。だから、どうか彼を助けてください」


 両手を組んで必死に祈った。


 だが。


 医師の動きが止まった。

 医師が彼から離れていった。


 私が彼に近付いていく。

 彼を囲む輪が崩れる。


 私が、彼の横に立った。


 全員がうつむくその真ん中で、私は、彼の頬にそっと手を当てた。

 微かにまだ暖かいその頬を両手で挟んで、青白い顔を見つめる。

 嘘みたいだった。今朝まで彼は、私に向かって笑っていたのだ。


 私の心が暴れ始めた。

 表現できない感情がせり上がってくる。


 彼と過ごした日々。

 彼と交わした言葉。

 彼と重ねた心。


 私の奥から激しい感情が吹き出してきた。

 それが体の中心から喉元へ。

 喉元から口へ。


 それを私は、必死になって飲み込んだ。


 歪む視界で、彼の顔はよく見えない。

 それでも、私は笑った。


「お疲れ様でした」


 私が声を絞り出す。

 涙を拭いて、彼の顔をしっかりと見ながら、私は言った。


「最後まで、格好よかったですよ」


 そう言って私は、彼の唇に、自分の唇を重ねた。





「お忙しいのに、見送りに来ていただいてすみませんでした」

「そんなの気にしないでいいわよ」


 頭を下げる私に、童顔ショートヘアが明るく笑う。


「何だったら、このまま一緒にご実家まで行きましょうか?」

「いいえ、大丈夫です」


 はっきりと答える私に、彼女が心配そうに言う。


「この国は復興も早いし、治安もずいぶん回復してはいるけど、まだ女の一人旅は……」

「心配しないでください。今日中には着くんですから」


 なおも粘る彼女に、私は笑ってみせた。


 人類は、復興への道を歩み始めていた。特に我が国の復興はめざましく、主要な鉄道や道路はかなり整備が進んでいる。


 あの日、突然空へと消えた侵略者たちは、その後二度と我々の前に姿を現すことはなかった。

 かわりに現れたのは、別の宇宙船と無数の小型艇。地球の言葉で例えるなら、”辺境地域を守る軍隊”だった。辺境の星々を荒らす無法者を取り締まる組織で、地球を襲った侵略者たちをずっと追っていたらしい。

 異星人の軍隊は、侵略者たちを追い払うと、人類に対して謝罪をした。そして、今後は地球周辺を重点警戒星域に指定すると言った。

 だが、それ以上彼らは何もしなかった。復興を手伝うことも、補償することもない。人類は支援を引き出すために交渉を試みたが、彼らの答えは素っ気なかった。


 惑星間移動すらままならない種族を、我々が支援することはない


 違法なハンティングから野生動物を保護するようなものなのかもしれない。宇宙規模で見た場合、人類とはその程度の存在なのだろう。


 あの出来事以来、私は何度も考えた。


 彼らがもう少し早く来てくれていれば……


 一日、いや、一時間、いや、あと三十分でよかった。あと三十分早く来てくれれば、彼は助かったのに。

 だが、彼らのおかげで人類は助かったのだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いはない。


 侵略者は去り、人類に平和が訪れた。戦争も紛争もなくなり、国や地域は助け合って生きようとしている。

 いずれまた争いは起きてしまうのかもしれない。それでも、人類より上位の存在がいるという事実が、世界のあり方を変えていくと私は信じたい。


「しばらくこっちには戻らないんでしょう? 彼のお墓参りはしてきたの?」

「いいえ。あのお墓は、ちょっと近寄りがたくて」

「まあ、気持ちは分かるわね」


 彼女が苦笑する。

 彼は、試練が行われたあの公園に、人類の英雄として葬られた。

 巨大なモニュメントと祭壇。彼の骨は確かにそこにあるのだが、いつ行っても参拝者がいるあの場所は、どうにも落ち着かない。

 おまけに、私の顔は全世界に知られていた。当局の規制やマスコミの配慮、そして世間に余裕がないこともあって、私が追い掛け回されることはなかったが、あそこに行けば誰かに声を掛けられるのは間違いなかった。


「そう言えば、先生は今日もお仕事ですか?」

「そうよ。あの人、面倒見がいいから、患者さんを放っておけないみたい」


 いつも表情を変えない医師の顔を思い出して、私は小さく笑う。


「先生によろしくお伝えください」

「伝えておくわ。彼も気にしていたから」


 試練の後、あの医師にはとても世話になった。私がこうして元気でいられるのは、あの医師と、目の前にいる彼女のおかげと言っていい。


「時々は連絡をちょうだいね」


 彼女が私の腕を掴む。


「困ったことがあったらすぐに言うのよ」


 母親みたいなことを言う。

 真剣な彼女を見て、私は思わず笑った。


「何かあれば、遠慮なく頼らせていただきます。私の体は、もう私だけのものではありませんから」


 目を細めて、私は自分のお腹に触れた。


「じゃあ、いってきます」


 微笑んで私は歩き出す。

 手を振る彼女に見送られながら、改札を抜けて、ゆっくりと階段を上っていった。


 私は、母と和解していた。冷え切った親子関係からは脱却しつつある。その母を頼って、私は実家に戻ることにしたのだ。

 実家と言っても、私が育ったボロアパートではない。母はすでに引っ越していて、仕事も昼間のものに変わっていた。親子関係の変化は、母の気持ちにも変化を与えたようだった。


 私も、仕事は少し前に辞めていた。

 辞意を伝えた時、上司は沈痛な面持ちをしていたが、私は笑って言った。


「あの仕事を与えて下さったことに、私は心から感謝をしています」


 その意味が、上司にきちんと伝わったかどうかは分からない。それでも上司は、最後は笑って私を送り出してくれた。

 その上司が掛け合ってくれたのか、私の銀行口座には、規定ではあり得ない金額の退職金が振り込まれている。おかげでしばらく生活に困ることはなさそうだ。


 あれからいろいろなことがあった。

 彼を育てた親戚にご挨拶に行ったり、ご両親のお墓に報告に行ったり。

 大学時代の”友人”たちと会うようになったり、あの辛口栄養士から料理を習ったり。

 周りの環境が変わっていった。

 私の気持ちも大きく変わっていった。

 

 電車の到着を待ちながら、私は目を閉じる。

 そして、愛しい人の姿を思い浮かべた。


 あなたは、また大きなミスをしたのよ


 瞼の裏で、彼が目を見開く。


 でも、許してあげるわ。そのミスが、私に希望をくれたから


 戸惑う彼に、私が笑ってみせる。


 私はあなたを忘れない。絶対に忘れてなんかあげないわ


 驚く彼の頬を、両手で包む。


 私は、これからもあなたと一緒にいる。だから、あなたも私を見ていてね


 彼が、強く頷いた。

 私が、彼を引き寄せた。


 ホームに流れるアナウンスで私は目を開く。

 電車が到着して、ドアが開いた。キャリーケースを持ち上げて、私が前に進む。

 すると、後ろにいた男の人が私に声を掛けてきた。


「お荷物、席までお持ちしましょうか?」


 一瞬驚き、だが、私は微笑みながら答える。


「すみません、お願いします」


 その男性は、親切に席まで荷物を運んでくれた。


「ありがとうございました」

「いえいえ。どうぞお気を付けて」


 去って行く背中を見送りながら、私は思う。

 この世界にはイヤなことがたくさんある。

 だけど、たくさんの優しさも溢れている。

 それに気付かせてくれたのは、彼だった。

 たった十日で、彼は私を変えてくれた。


 流れ出した景色を見ながら、私は未来を描く。


 学歴なんてどうでもいい。

 仕事だって何でもいい。


 お腹をさすりながら、私は思う。


 誠実で真っ直ぐで、呆れるくらいに優しい人。

 そんな人に、私はこの子を育ててみせる。

 そして、いつか彼と同じ場所に行ったら、彼に言うのだ。


 あなたの願い通り、私はちゃんと幸せになったわよ


 明るい日差しが窓から差し込んだ。

 思わず目を細めたその先で、彼が笑ったような、そんな気がした。




 英雄と過ごした十日間 完

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英雄と過ごした十日間 来栖薫人 @crescunt

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