試練
テントの外に出た私は、誰よりも前に立って見ていた。
彼が不気味な装置に向かっていく。
その彼を、無数のカメラが追い始めた。同時に、無数のマイクが騒ぎ始める。
あの表情を、メディアはどう伝えているのだろうか
そんなことを考えながら、私も彼を目で追った。
真っすぐに彼は歩く。その彼を、ふいに強い風が襲った。
彼が顔をそらす。その目が私を見付ける。
一瞬目を見開き、わずかに微笑み、そして、彼が小さく頷いた。
決意を込めて、私も頷き返す。
絶対にあなたから目をそらしません
再び歩き出したその姿を、瞬き一つすることなく私は見つめていた。
やがて、彼が装置の前に到着する。
それを待っていたように、上空の宇宙船から声が聞こえてきた。
「ようこそ、試練の場へ」
流ちょうな日本語だが、何度聞いてもこの声は癇に障る。
「君は、選ばれし者としてこれから試練を受けることになります。覚悟はできていますか?」
表情を変えることなく、上空に向かって彼が頷いた。
「結構です。では、装置の中心に立ってください。円の中に矢印があるので、その方向に向かって立ってくださいね」
トレーニングマシーンのような装置の中心に、彼が立った。
彼の頭上には、バーベルが吊り下げられている。シャフトの重さは二十キロ、両サイドのプレートはそれぞれ四十キロ、合計百キロだ。
彼の両側には、太いポールが二本ずつ立っている。二本のポールの間隔は十センチで、その間にバーベルのシャフトが通されていた。ポールに挟まれているため、シャフトの前後の動きは制限されている。
装置の横には、陸上競技会で使われるようなタイマーがあった。試練開始と同時にそれが動き出すはずだ。
どうしてそんなに細かいことが分かるのかと言えば、侵略者によってあらかじめ装置の詳細が伝えられていたからだった。
「両手を挙げてください。今から”デッドライン”を決めますので」
彼が、両足を少し広げた。
肩を上げて下ろして、大きく息を吐き出してから、両手を掲げる。
その手に向かってバーベルが降りてきた。
「握って」
彼がシャフトを握る。
「そこでいいですか?」
彼が頷く。
「では、ここが人類のデッドラインです」
彼の両サイドにあるポールの一部が赤く光った。
それは、シャフトからちょうど二十センチ下に位置している。
「シャフトがこの赤いラインに少しでも触れれば、そこで終わりです。その時は、すべての地球人が我々の奴隷になってもらいます」
軽い調子で声が言う。
「ですが、シャフトがラインに一度も触れることなく試練を終えることができれば、人類は自由となります。単純明快ですよね!」
「何が単純明快だ!」
レスキュー隊員の一人が怒りを吐き出した。
「改めて言っておきますが、観客の皆さんは、試練が終わるまで装置に近付いてはいけません。今いる場所から動かないこと。動いたら、地球人の反則負けになってしまいます」
「相変わらずふざけてやがる!」
「落ち着け」
「……すみません」
苛立つ声を、聞き覚えのある声がたしなめた。
「さあ、時間です」
そこにいる全員が、いや、地球上の全人類が息を呑む。
声が、高らかに宣言した。
「試練、スタート!」
タイマーが動き出した。
バーベルの支えが外されて、重量百キロが彼にのし掛かる。
人類の運命を賭けた試練が始まった。
試練の内容が伝えられた時、同僚の一人が言っていた。
「百キロを持ち上げるのは難しいけど、支えるだけならできると思うよ」
確かにそうなのかもしれない。しかも、シャフトは二本のポールに挟まれて、前後にはそれほど動かない。落ちないように支えるだけなら可能に思えた。
だが。
「一つ目、いってみよう!」
悪魔の掛け声がした。
最初は何の変化も感じない。しかし、徐々に彼の顔が歪んでいく。
「熱いですか? 熱いですよね? でも、耐えなきゃだめですよ」
一つ目の試練。それは、熱せられたシャフトを握ったまま一分間耐えることだった。
「筋肉が溶けるような温度には設定していません。頑張って耐えてください!」
ふざけた言葉に私は唇を噛む。
ここから見ていても分かった。彼の額には玉の汗が浮かんでいる。
肉が焼ける音。肉が焼ける匂い。
見ていられなかった。顔を背けたかった。
それでも、歯を食いしばりながら私は前を見続けた。
タイマーの進みが異様に遅く感じる。
彼とタイマーを交互に見ながら、私は早く進めと何度もつぶやいた。
やがて、ようやく一分が経過した。
「よく頑張りましたねぇ。でも、ここからが本番です!」
声を合図に、次の装置が動き出す。それが、彼の正面で止まった。
「五秒に一回の痛みに耐え切ってください!」
直後、シュッと音を立てて、装置から矢が飛び出した。
それが、彼の太ももに突き刺さる。
「うっ!」
彼が呻き声を上げた。
足が崩れて、シャフトがガクンと落ちる。
「あっ!」
あちこちから悲鳴が上がった。
だが、彼は耐えた。シャフトはデッドラインに触れていない。
「残念。じゃあ次!」
体勢を立て直した彼に、再び矢が襲い掛かる。反対の太ももに矢が突き刺さった。
彼が歯を食いしばる。
「次!」
装置が反対側へと移動して、今度は後ろから矢が放たれた。
三本目は右肩。
彼の体が反射的に跳ねる。
バーベルが揺らぐ。
彼が、耐える。
「次!」
ふとももの裏側を矢が襲った。
それにも彼は耐えていた。
五秒に一本。一分間で十二本。
足、腕、腹、そして。
「最後の一本!」
矢が、彼の右胸を貫いた。
肋骨を打ち砕き、肺を突き破った血まみれの矢の先端が、背中から顔を出す。
「かはっ!」
彼の上半身がぐらりと揺れた。
バーベルが大きく揺れる。
「工藤さん!」
思わず私が叫んだ。
声に反応して、彼が私を見る。
「うおぉっ!」
強靭な精神力で、彼がシャフトを持ち上げた。
デッドラインぎりぎりで彼は耐えた。
「すごいすごい!」
気違いじみた声が響く。
「今ので終わると思っていたのに、すごいですね、君! じゃあ、最後の試練、始めましょうか!」
射出装置にかわって、また別の装置が現れた。それが彼の正面に移動して止まる。
ウィィン
気持ちの悪い音がした。
「さあ、やっちゃって!」
彼に向かって、金属の槍が進み始めた。
直径三センチの槍が、彼の腹部目指して伸びていく。
自分に向かってくる槍を、彼が睨み付けた。
槍の進む速度は遅い。避けようと思えば避けられる。だが、避ければ体勢が崩れてシャフトが落ちる。落ちれば試練は終わる。
腹に槍が突き刺さる痛みは耐えがたいものに違いない。
槍が迫ってくる恐怖は、想像を絶するものに違いない。
それでも、彼は動かなかった。
やがて、先端が彼に触れる。
小さな抵抗、そして。
ズブ
槍が、彼の体内に侵入した。
「ぐあっ!」
彼が呻き声を上げた。
矢とは比較にならない太さ。それが、体内をゆっくり進んでいく。
「もう止めて!」
看護師が叫んだ。
「くそっ、くそっー!」
レスキュー隊員が何かを叩いた。
それらすべてを背中で受け止めて、私は彼を見ていた。
大きな動脈が破られれば、人は失血で意識を失う。だが、彼はまだ意識を保っている。
侵略者は、腹立たしいほど正確に彼の体を把握していた。
やがて、ついに、槍が彼を貫いた。鋭い穂先が背中に姿を現す。
「フィナーレです!」
甲高い声を合図に、今度は槍が引いていく。
背中に開いた穴から鮮血が吹き出した。
彼の顔が蒼白になっていく。
腕が震え始める。
槍が、ゆっくりと引き続ける。
血液が脳に届かなくなれば、そこで終わる。気合いも決意も意味はないのだ。
槍が、ついに彼の腹から抜け出した。腹からも血が噴き出した。
「あと十秒!」
楽しげに声が言う。
「あと九秒!」
血が流れ続ける。
「あと八秒!」
血が、止まった。
「あと七秒!」
彼の目が閉じていく。
「六秒!」
彼の首が、落ちた。
「五秒!」
勝ち誇った声がした。
その時。
「工藤さん!」
私が叫んだ。
彼が、目を開く。
顔を上げて、何かを探し始める。
「何してるの!」
私の声を、彼が捉えた。
口からも鼻からも血が流れ出している。正視に耐えないその顔は、まるで幽鬼。あるいは地獄の亡者。
その彼に向かって、私が怒鳴った。
「これで終わりなんて許さない!」
全身全霊、心の底から声を上げた。
「私に格好いいところを見せなさいよ!」
泣きながら私が叫んだ。
彼が私を見た。
彼が、笑った。
そして彼は前を向く。
そして彼は、雄叫びを上げた。
「うおぉぉぉぉっ!」
命の炎が燃え上がる。
下がり始めていたシャフトが上がり始める。
「バカなっ!」
驚愕の声がした。
タイマーが進んでいく。
三秒、二秒、一秒、そして。
……ゼロ。
タイマーが止まった。
誰も何も言わなかった。
シャフトは、デッドラインの上にあった。
「工藤さん!」
人類の未来も、試練の結果もどうでもよかった。
私は走った。彼のもとへと全力で走った。
「慎二さん!」
彼にしがみついて呼び掛ける。
「お願い、返事をして!」
目は開いていた。
でも、その目は私を見ていない。
そこに大勢の足音がした。
「離れて!」
「いやよ!」
「いいから離れろ!」
私は強引に彼から引き剥がされた。
「後は俺たちがやる。お前はそこで見てろ!」
あの医師が、私に向かって怒鳴った。
これまで感情を見せなかった医師が、鬼気迫る表情で私を突き飛ばす。
よろけた私を、カウンセラーが受け止めた。
目の前で救助が始まった。レスキュー隊員がシャフトを支え、彼の手をそこから剥がそうとする。
「早く手を下ろさせろ!」
「皮膚が張り付いて……」
「破れても構わん!」
レスキュー隊員に医師が怒鳴る。
「矢を全部切断しろ! 絶対に抜くなよ、出血が増える」
腹と背中を押さえながら指示を飛ばす。
彼の腕がようやく解放された。
看護師が持ってきたストレッチャーに彼を横たえる。
彼はピクリとも動かなかった。呼吸の気配がない。拍動すら感じない。
「先生、彼はもう……」
「黙れ!」
医師が看護師を一喝した。
「病院に運んでいる時間はない。ここでオペをする。器具を持ってこい!」
周りが目を見開く中で、医師が叫んだ。
それまでの印象とはまるで違う、鬼のような男がそこにいた。
「死ぬなよ! 絶対に助けるからな!」
別の医師たちも彼の周りに集まってきた。
「死なせはしない。絶対に君を死なせはしない!」
広場の中央で、緊急手術が始まった。
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