おーきに

東 里胡

おーきに

おーきに

「おーきに」


 欠けた歯を見せるようにしてニイと笑ったら、おっちゃんは寂しそうな顔をしてウチの頭を撫でた。

 なんでそないな顔するん?

 こっちが笑うたら、笑て欲しわあ。


「食べてもええ?」

「ええよ、一個しかうて堪忍な」

「なんでぇな、一個言うたかて、白い握り飯やで? こんなんもうずっと食べたことないわあ」

 おっちゃんの隣に並んで座り、すぐに齧りつく。

 塩のしょっぱさと甘いお米の味が口中に広がって、ほんまにおいしい。一気に頬張ろうとしたら喉につっかえた。


「誰も取らへんから、ゆっくり食べや?」


 おっちゃんがウチの背中をトントンと叩いてくれて、水筒の水も分けてくれた。


「おーきに。死ぬかと思たわ」

「おっちゃんのおにぎりで死なれたらかなんで」


 困ったやっちゃな、とまた頭をグリグリと撫でられる。


「幾つや?」

「三歳、……わからん。四歳かもしれん」

「どっちにしても口の達者なやっちゃな、ホレ。これもやるわ」


 手渡されたのはやった。

 ウチ、まだ一回しか食うたことあらへんやつや!

 あまあくて、口の中でとろおっと溶けて。

 何や太陽お日さんみたいなあったかあい気持ちになるやつやんな。


「ええの? 高いのとちゃうん?」

「かまへん、おっちゃん、甘いの苦手やねん」

「ほなら、遠慮なくもろとく! おーきに」


 おっちゃんは疲れた顔しとった。

 きっと戦地から戻ってきたとこなんやろな。


「おっちゃん、誰か探しとんのやろ?」

「なんでわかるん?」

「おっちゃんみたいな、兵隊さんの恰好した人は大体皆そうやで? 生き別れた家族を探しとる人ばーっかりや。お礼や、ウチ案内したんで」

「ほな、お言葉に甘えるわ、頼んます。お嬢ちゃん」


 おっちゃんがやっとニッコリとしてくれたから、ウチも嬉しなる。


「誰さがしとんの?」

「おっちゃんの奥さんや」

「ほうか、どんな人?」

美人べっぴんやで! 美人べっぴんで優しい人やで」

「なんや、ウチのお母ちゃんみたいやな」


 おっちゃんはじっとウチを見て。


「母ちゃんはどないしたんや?」

「空襲でなあ。家もお母ちゃんも焼けてしもてん」


 真っ赤な夜やった。全部が真っ赤やった。


「そうかぁ」


 おっちゃんの顔がまた寂しそうになった。


「おっちゃんの家もな、焼けてしもたらしい」

「ホンマか……やな、おっちゃんも」

「難しい言葉よう知っとるな」


 おっちゃんはふっと鼻から笑うたけど、本当は寂しいんやろな。

 家族がどこにおるかわからんもんな。


「奥さんの名前とかわかるん? 住所とか」

「平山や、平山ユウや。三宮のな、駅前に写真館があってな」


 なんで?


「おっちゃん、ウチのお母ちゃん探しとるん?」


 ひらやまゆう、お母ちゃんの名前と同じや。

 ウチとこも、お父ちゃんが写真屋さん営んどった、って。

 お母ちゃんが、そう言うとって、ほんで。

 ポカンと口を開けて、おっちゃんの顔を見上げたら。

 おっちゃんも穴が開くほどウチの顔を覗き込んで、ほんでな。


「サチ、か?」


 せや、ウチの名前はサチって言うんよ?


「幸せって書いてサチって言うんやろ、お前」


 ウチの名前を付けてくれたのは。

 あったかくて大きくて優しくてかっこええ人やで、って母ちゃんがいつも言うとった。


「……お父ちゃん?」


 そやで、と小さな声が聞こえた後で。

 くしゃくしゃな顔したが泣きながら、ウチを抱きしめるから。

 ウチもついついつられて、ワンワン泣いてしもうた。


「生きとってくれて、おーきに! おーきに、サチ!!」


 帰り道、繋いだ手。

 お父ちゃんの手は、お母ちゃんみたいに白くて細くて優しい手やなくて。

 おっきくてゴツゴツして。

 ほんで、太陽お日さんみたいなあったかあい気持ちになった。


「お父ちゃん」

「うん?」

「帰ってきてくれて、おーきに」


――おーきに。


【完】

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おーきに 東 里胡 @azumarico

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