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 それから、二週間が経ちました。

 六月に入り、空が雲に覆われる事も多くなりがちな季節です。今もいつ雨が降り出すか判らなくて、ちょっと心配だったり。

 学校は制服の移行期間に入り、半袖のクラスメイトも徐々に増えています。私はちょっと寒がりだから、まだ長袖で良いかなあ。

 あっちゃんは相変わらず機嫌が悪そうだけど、それが通常運転。前よりも大声を出す事も減ったから、私はそれだけで充分です。


 私は今、高校生をしながらすっごく大きなお屋敷で働かせてもらっています。初対面の人達ばかりで緊張はしたけれど、優しい人や面白い人が多いので安心してね。

 あ、それでね。私ちょっと前にすっごくピンチだったの。でも、死んじゃうーと思った時、一人の男の子が助けてくれました。

 でもその子はとても繊細で、不安定で、苦しそうにしながら何かに怒っている人でした。ふふ、でしたっていうのはね、その子がもう苦しそうじゃないからです。

 その子は私を助けてくれたのに、私が自分を変えてくれたって感謝してきます。人の縁とか関係って、不思議だね。


 あ、その子の名前は──‬


「楠瀬」

「あ、錐川くん」


 目を開き、未梨は隣にいた玲芽に顔を向ける。


「もうすぐ雨が降る。今日は俺もキミも出勤の日だから、濡れるのはちょっとマズいだろう」

「う、うん。判ってる。でも、もうちょっとだけ」


 粘る未梨に、仕方ないと一つ溜息を吐いて玲芽は「手早く済ませろよ」と軽い口取りで微笑む。


「善処しますっ」


 ──‬えー、コホン。


 その子の名前は、錐川玲芽っていいます。身体にたくさんの魔力を持った、マガツメっていう子。

 あ、マガツメは『魔力が詰まった瞳』でマガツメだからね。はじめは錐川くんに鼻で笑われたけど、今では彼もそう言ってるんだよ。ふふん。

 今は錐川くんと同じクラスで、同じ場所で働いています。とてもとても大切な…………おともだち、です。


「ほら、降り出したからもう行こう」

「あ、ちょ、うん。判った」


 ──‬というわけで、急ですが今日はここまでにしておきます。

 また今度来ます。私は元気だから、安心してね。お母さん。


「ととと。錐川くん、足速いね」

「そうか?」


 墓地を抜け出した途端、玲芽は駆け足になる。

 亡き母に別れの挨拶をして、未梨は自分の腕を握って走る玲芽にそう声をかける。腕を握られている以上、未梨も走らざるを得ない。

 そうこう話しているうちに、自分達の職場である雨宮邸に到着する。そう離れていない位置にあったため、本降りになる前に辿り着けた。


「じゃ、また後で」

「うん、また」


 地下へ降り、それぞれ着替えるべく一旦別の更衣室へと移動する。

 高校の制服であるワイシャツを脱ぎ、サイズの小さい下着のホックを外す。流石に学校でもバストサイズの誤魔化しを辞めるのは辞めた。まだ見ず知らずの男性に見られるのは気が引けるし、いきなり胸の大きさが変わると妙な勘繰りをされかねない。


(一人で良かった。流石にブラまで外すのは、同性でも誰かに見られると恥ずかしいし)


 そう思いながら手早くエプロンドレスを身に纏い、白のソックスをピチッと膝上まで伸ばす。

 更衣室を出て、MAOの待機場に出る。同じ時間帯で働くウェイトレスの先輩に挨拶をして、まだ暇だから見てきていいよ、と許可を得る。

 そして未梨はスカートが捲りあがらないよう歩きつつ、しかし急ぎながら訓練場へと移動する。


「おー、楠瀬ちゃんよっす。今日も可愛いねー」

「こんにちは、立華先輩。先輩も超可愛いですよお」


 可愛い、と言われるのは少しずつ慣れてきたが、やはり今でも照れ臭い。それでも何の偽りもないと断言できるその甘音からの褒め言葉は、素直に受け取れるようになった。

 そして甘音との挨拶代わりの抱き合いを辞め、視線をキュッと床を鳴らす男性方へと向ける。


「また見に来たのか。飽きないな」


 アキレス腱を伸ばしながら、グレーのシャツと臙脂色のスキニーパンツというやや動き難そうな戦闘衣装に身を包んだ玲芽が声をかけてきた。


 ──‬玲芽は、結局今までと同じ学生と魔術士としての二重生活を継続していた。

 学生を続ける事にした理由は、単純に外へ出る機会が欲しいからだそうだ。玲芽が変わる切欠も学校に行く事によって手に入れたのだし、これからも見聞を広める可能性があると考えたようだ。

 魔術士を続ける理由は、何やら言い難そうにしていた。なので未梨は聞きたくはあったが引き下がろうとしたのだが、甘音が聞きたそうにしていたのでそれに混ざって玲芽を取り囲んで聞き出した。左右から二人で囁いたり擽ったりするのは、少し抵抗があったが。


 玲芽曰く。先の戦いで甘音に背中を任された事が、自分の中で物凄く『しっくり来た』そうだ。

 高揚や興奮でなくそう表現したのは、気分の高揚に対して頭が冷静に働いていたかららしい。

 その感覚をもっと味わいたい、掴みたい。そして大切な人達の背中を護りたい。玲芽はそう言っていた。

 そして、もう一つ理由があった。


 ──‬それは、他ならぬ未梨が関係していた。

 未梨は過去を拭い去ろうとする玲芽に影響を受け、自分もまた過去と決別しようと自分の身体付きを偽らないよう努力を始めた。

 そうやって自分の行いが他者に影響する事が──‬他者と共感を以って繋がる事が、彼にとって大きな出来事であったらしい。

 ならば、魔術士として戦いを続ければ、自分と同じ様に過去にしがらみを持つ誰かと出会い、救う切欠になれるのではないかと考えた。


(錐川くん……立派になって)


 付き合いを持ってそう時間が経っていないのにも関わらず、未梨はそんな親心の様な感情を抱えてほろりと心の内で涙を流す。


「何自分の世界に浸ってんだ?」

「あ、いやあ。錐川くん大きくなったなぁ……って思ってただけだよ」

「そうか? 前と身長変わってないと思うんだが」


(そういう『察し力』の低さはなんというか、相変わらずだよね。賢いのに)


 まだまだ子供ですなあ、と相変わらず一歩引いた視線で玲芽を見守る未梨。

 玲芽と甘音、途中から結璃も参加しての戦闘訓練が始まる。

 二人はMAOの中でも相当強い魔術士らしく、玲芽との力の差は歴然。模擬戦で甘音にボロ負けし、結璃作成の超絶ハードトレーニングで手脚を震わせ、待機任務中であるのにオーバーワークするのではないかと思わされるメニューをこなしていた。

 休憩時間になり、スポーツドリンクを差し出しながら汗だくの玲芽の顔を覗き込む。


「大丈夫?」

「……死ぬかも知れない」


 ここのところ毎度言っているその台詞に、遠慮気味の苦笑を浮かべる未梨。

 結璃や甘音曰く『ギリギリ死なないトレーニング量』なので、この感想は案外的を射ている可能性はある。

 休憩中、けたたましいサイレンの音が訓練場に響き渡る。魔獣か魔術犯罪の発生を報せる音だ。


「よし、行きますか」

「行きましょう」


 先程の疲労はどこへやら、甘音と玲芽は出動すべく待機場へと急ぐ。こういう切り替えをするのはプロらしさが垣間見えてカッコいいと未梨は思う。


「お気をつけて!」


 二人の後ろを追いかけながら、未梨が声をかける。


「はーい。今日も無傷で帰るよー」

「ですね。あ、楠瀬。帰ったら夕飯にすると思うから、また頼むよ」


 振り向いて頼み事をする玲芽に、未梨は「はーい」と元気よく手を挙げて了承する。

 本当に大きくなった気がするその背中を見送り、未梨は調理場へと移動する。

 そして未梨は魔術士達の帰還を待ちながら、二人を結んだおにぎりを作るという大切な作業を、幸せそうに微笑みながら始めるのであった。

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シンパティック・シンフォニア~新米魔術士の少年が様々な人と出逢い共感し、少しずつ強くなる物語~ 依静月恭介 @aslapis

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