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 見慣れた顔が並んでいるというのに、彼女の口調は硬く露骨な緊張が感じられる。それは恐らく、彼女が今身に纏っている服装にある。

 紺をベースにした、白のフリル付きエプロンドレス。それは他の給仕役も着ている服なのだが、それと比べて決定的な違いが一つ。


「く、く、楠瀬! なななんだそのスカートは! 短過ぎないか!? 風邪引くぞ!!!?」


 玲芽が珍しく声を荒げ、言葉を詰まらせながらそう指摘する。彼が慌てているのはその服装が未梨に似合う似合わないだとかそういう理由ではなく、彼女の過去にある傷を心配しての事だろう。

 他のウェイトレスが着ている制服と比べ、未梨のそれは圧倒的にスカートの丈が短い。裾は膝から十センチ程度上にあり、白いニーハイソックスとガーターベルトが僅かに見えた肌色をより強く強調している。


「祖母か」

「風紀委員か」


 珍しい玲芽の困惑ぶりにニヤつきながら、甘音と結璃が嬉しそうにツッコミを入れる。


「いや、で、でも。この子は……その」


 恐らくここにいる人間の中で、未梨が過去にどういった仕打ちを受けたのかを知る者は本人と玲芽の二人だけ。未梨の同意もなくそれを打ち明けるわけにもいかないし、しかし彼女が結璃に無理矢理このような服装をさせられているのであれば、止めなければならない。


「ナイトか」

「忠犬か」


 あわあわといつになくハイテンションで捲し立てる玲芽に対し、甘音も結璃も至って冷静にニヤつくだけだ。


「錐川くん」


 そして玲芽の背後から、当の未梨の声が聞こえてくる。

 玲芽がくるりと回って彼女の様子を窺うと、先程の顔面でお茶を沸かせそうな緊張ぶりはすっかり冷めていた。あまりに玲芽が騒ぎ立てるので、返って冷静になってしまったのだろうか。


「この服は確かに新人がスカートの裾を踏まないようにって意図でデザインされたものだけど、私がちゃんと同意の上で着た服だから、大丈夫だよ」

「あ、ああ……ごめん。なんか俺だけ騒いでしまった」


 ヤンチャな仔犬を嗜める様な声色で未梨が言うので、玲芽はシュンと大人しくなって謝罪する。


「ううん、謝らないでよ。その気遣いはとっても嬉しいし、何よりこの服を着てお仕事しよう! って思ったのは、錐川くんのお陰だもん」

「俺の……?」


 玲芽が首を傾げると、未梨が満面の笑みと共に「うん!」と元気よく肯定する。


「私のお家に来てくれた時、錐川くんが何か変わろうとしているのが判ったんだ。それで結璃さんにここで働かないかって言われた時、自分を変えるチャンスだって思ってね。いざこの制服を見せられると躊躇っちゃったけど……、その後錐川くんが前に進もうとしているのを見ていたら、私も頑張らなきゃ! ってなったんだよ。だから、錐川くんのお陰で、私は大丈夫だよ!」

「そ、そうだったのか……」


 晴れ渡る様な未梨の表情と感謝を一身に受けて、玲芽は少し鼻が高くなる。


(俺が一人の人間を変えた……。良いな、悪くない)


 自分が変わろうとして、周囲もそれに呼応──‬共感して変わろうとする。肩を並べて歩く者がいるという事は、時として重荷に感じる事はあっても、一人でないという充実感も伴う。

 そう考え、玲芽は自然と微笑みを浮かべる。


「それと……ねえ、錐川くん。スカートの丈がどうこうって言ってたけど」


 未梨がまた少し恥ずかしそうに切り出し、きらきらとした瞳で玲芽の顔を上目遣いで見上げる。

 そして一歩下がり、玲芽の目に全身が写るようにしてゆったりと一周身体を回転させる。


「似合う……かな?」


 改めて未梨の姿を目に焼きつける。

 少し広がり気味の袖に、ウェストを細める背中のリボン。いつもの様に胸を小さく見せる工夫はしておらず、そこからも彼女の勇気が窺える。

 エプロンに合わせた白いカチューシャから目を落とすと、その場に相応しく在ろうとしたのか薄く化粧をしているのが判った。少し自信のなさそうな琥珀色の潤んだ瞳が、左右へと泳いでいる。


「に、似合う……と思う。すごく、とても」


 服装の可愛らしさも勿論あったが、玲芽は節々に見える努力の証左に身悶えする程の魅力を感じてしまう。


「判るよー。楠瀬ちゃん超可愛い!」


 甘音が突然やって来て、未梨に抱きつく。


「あ、立華先輩。立華先輩もありがとうございます。先輩が可愛い格好しないと勿体ない、って言ってくれたので、私もがんばろーってなったんですよ!」

「あーもう! 見た目も可愛いけどそういうところが可愛い! 食べていい?」


 甘音が未梨に頬擦りしつつ、何か物騒な提案をする。

「もー。それはダメですよお」と未梨は軽く受け流しつつ、今の今まで沈黙を貫いている勇武の様子がおかしい事に気付く。


「ど、どうしたの九澄くん。ずっと黙ったままぷるぷるしてるけど……」

「ね、ねえ皆さん? 俺だけかな、なんかこう違和感あるの」


 勇武が珍しく言葉を濁らせて、周囲の四人を忙しなく見回す。


「なんだよらしくない。言いたい事があれば言え」


 玲芽がそう煮え切らない勇武に続きを促す。


「い、いやね? 楠瀬とはクラスメイトでそれなりに知り合った仲だと思ってたんすけど……。その、こう体格的な違和感がね? ありましてね?」


 そう勇武が発した瞬間。甘音と玲芽が素速く動き出し、未梨と勇武の間に入る。


「勇武。これから楠瀬にはそれ以上近寄るな」

「はあ!?」


 玲芽は冷たい視線と共に勝手なルールを勇武に押しつける。無論それに不満を抱いた勇武が抗議の声を上げる。


「異議を却下します。楠瀬ちゃんをエロい目で見た勇武くんが悪い」

「見て、見てないっすよ!!」


 頬を赤くしながら反論を続ける勇武。いつも通り──‬よりも少し明るい三人の雰囲気に、未梨は楽しいやら困るやらで苦笑せざるを得ない。


「はいはい。ワンニャン騎士団も発情ハリネズミも、お姫様が困ってるからそこまでにして」


 見守るのにも飽きたのか、結璃が小ボケ混じりのストップをかける。


「ワンニャン要素はどこだ……?」

「ニャーニャー。私猫で玲芽くんが犬だニャー」

「発情してねえよ!!」

「服装は従者ですけどねっ」


 四人はそれぞれのリアクションをしながら結璃の方に注目する。勇武は未だ不満そうに、未梨は上手い事言ってやったと微小に眉を釣り上げながら。


「取り敢えずミノちゃんは今日からよろしくって事で。あとは、玲芽。アンタに訊く番ね」


 結璃達四人の視線が集まり、玲芽はギョッと肩を強張らせる。

 ‬訊かれる内容は──‬玲芽自身もなんとなく察していた。だからこそ呼ばれた時に突き刺さる様な感覚が身体に走ったのだろう。


「アンタはこれから、どうしたい? 今まで同様MAOで魔術士として働くか、魔術を棄ててウチで従者として働いても良いわよ。学業に専念したいって思うんなら、それでも良い」


 結璃も甘音も勇武も、玲芽が戦いに向かない性格である事は知っているのだろう。

 だからこそ複数の選択肢を玲芽へとぶつけた。例え身体に多量の魔力を持っていても、それを使わない選択肢もあるのだと可能性を提示した。

 そして結璃は恐らく、玲芽が復讐を辞めた事による目的の喪失を危惧している。宙釣りになった心のまま戦場に出れば、怪我や死に繋がりかねない。

 そしてその危惧は──‬少なからず当たっていた。

 玲芽の心には今小さな穴が穿たれており、自分がどこへ向かえばいいか判らなくなっている。


「錐川くん……」


 自分を呼ぶか弱い声に、玲芽は未梨の方をチラリと見る。

 玲芽は自分を変える切欠をくれた少女の姿を色違いの目に写し、つい先程の彼女が言った言葉を思い出す。


「まあ、今すぐ決めろとは言わないわよ。何日かじっくりと考えて、答を出せば──‬「結璃」


 そう答を先送りにしようとした結璃を遮り、玲芽が強い視線でもう一人の親であり姉であり師である彼女を見つめる。


「俺、決めたよ。俺は──‬──‬」

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