間話3

第60話 水の底

あの日からワタシの日常は変わってしまった。

音がズレた映画のように、少しずつブレたガラス越しの世界には色がない。

誰にも気づかれてはならない。

学校でも他の子と同じように振る舞い、塾にも行って、前と変わりないふりをする。

普通に笑って、話して、自分は大丈夫なんだと思わせなければならない。

でないとバケモノに飲み込まれちゃう。



学校が終わると、塾がない日は時々足が向いてしまう所がある。

近づくにつれ足は竦むが、行かずにはいられない。

音をたてて走り去る車の向こうに、あの人がいないだろうか。

恐ろしく速い鼓動を感じながら、人影がないのを確認する。

ああ、今日は居なかった。

居なければ居ないで、失望にも似た気持ちを何処かで感じている。


あの日から半月ほどたったその日、ワタシはあの現場に行ってしまった。

まだふと涙が出てしまうから、あの子の顔も思い出さないようにしていたのに。

だけど、その日は何故か足が向いた。

するとあの時の歩道に、立ち尽くすあの人がいた。

何も見ていないような顔を車の群れに向けて。

ワタシが近づいて声を掛けようとした時、あの人は道路に向かってぐらりと傾いた。

「おばさん、だめえ! 危ないよ! 危ないよ!」

ワタシは必死であの人の手を引っ張った。

本能的にあの人が何をしようとしていたか分かっていた。


くず折れるようにそこに座り込んだあの人の手を握りながら、ワタシは叫んだ。

「おばさん、もうしないで、もうしないで!」

ワタシは泣けてしまったが、ゆっくり上を向いたあの人の目を見て凍りついた。

この世のものでない常闇のような目。氷漬けのような目。

感情のない人外の目がワタシを見つめる。

思わず引き抜こうとしたワタシの手を恐ろしい力で握り締め囁く。


「あなたは何故生きているの?」


ひゅうっと凍りつくような何かがワタシの体を震わせる。

その時から、逃げたくても逃げられず、何回もあの人を家に送り届けた。

今は頻繁ではないが、その頃あの人は本当に危なかった。



あれからあの人はワタシに呪いをかけた。

ワタシの世界は変わってしまった。

何もかもが別の世界を覗いているかのように、水の底にいるかのように遠かった。

もう元には戻れないんだろうか、、

ワタシは心の中であの子に呼びかける。




………ちゃん! 助けて!


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座敷童子のサヤちゃん @youjiali

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