最終話 覚醒

 何も見えない、真っ暗だ。体に力が入らなくて、水の中にいるように脱力している。でも体の疲れや息苦しさはどこかに消えて、体を包むような温もりがある。ふわっと体が浮いたような感覚を得た直後、白い光が瞼ごしに見えた。

 その眩しさをこらえながら、ずっと暗闇を見ていた目をゆっくり開く。


「……ここ、どこ?」


 照明の明るさに慣れた頃、清潔感のある部屋の景色が飛び込んで来た。自分の寝ているベットや脇に置かれた機械類から、ここは病院なんだとすぐに気が付く。

 そしてだるさの残る体を起こすと、廊下の方から白衣を来た男性と数人のナースが俺の部屋にやってきた。


「おお、霜崎君。ついに目が覚めたか!」


 二十代後半か三十路ぐらいの医師が俺の顔を拝んだ途端、声をあげて喜んでいた。


「誰、ですか?」


「そうか、君とこうして話すのは初めてだもんな。私は茅本、君の主治医だ」


「なんで俺、病院に?」


「まだ理解は追いつかないと思うが簡潔に言うと、君はストレスから睡眠不足になってずっと幻覚を見ていたんだ。自分がハーレム作品の主人公だという幻覚を見ながら君は隣県まで歩いて来て、街中で倒れてからうちの病院に運ばれてきたんだ」


 情報量が多すぎて脳がフリーズした。つまりあれはただの夢に留まらず、俺は口に出して今まで言ったセリフを周りに聞かせていたってことか。うっわ恥ずかし! 穴があったら籠りたい!!


「なんか、すっごいことになってたんですね」


「ちなみに君はここに来てからも幻覚症状に苦しんでいて、入院から今日で一週間弱だよ」


「あっ、俺病院に来てからもそんなだったんですか⁉」


「まあね~。何はともあれ、無事に幻覚からも覚めて良かったよ」


 結果的に目が覚めたことは喜ばしかった。だが俺はあの夢には感謝していた。あれのお陰で俺は目を覚ませたし、これから前に進む決意が出来たのだから。

 こうして今も覚えていられて良かった。


 心の中でひっそりとあの夢を振り返っていると、廊下から誰か音を立ててこっちに歩いてくるのが聞こえた。


「ちょっと待て母さん」


「和紀ッ!」


 姿を見たと思った瞬間、その人達は走り寄って俺を強く抱擁した。それは俺の両親だった。


「父さん、母さん」


「すまなかった、和紀。お前から目を背けていて、すまない」


 父が泣いている姿を俺は初めて見た。てっきりもう見放されているものだと思っていたのに。父さんは俺が小さかった時みたいに後ろから頭を撫でる。

 母さんは泣きながら俺に語り掛けた。


「このバカ息子はホント、心配させて……」


「お母さん、どうか彼を責めてあげないで」


「母さん……」


 茅本先生の言葉では止まらず、母は溢れ出す言葉を一気に吐き出した。


「いきなり行方不明になるもんだから、あんたの友達みーんな心配してあんたを探したのよ!」


「……みんなが?」


「そうよ! わざわざあんたの高校近くで聞き込みしたり、ネットで探してくれたり、ここにあんたがいるっていうの教えてくれたのもみんなあんたの元同級生なのよ」


 もう中学を卒業してから一年以上も経っているのに。ましてや不登校でひきこもりになった俺をみんな心配しててくれたなんて。


「みんな、俺のためにそこまでしてくれたんだ」


 涙が止まらなかった。勝手に見捨てられたような気分になっていたから、そんなこと夢にも思わなんだ。その事実だけで救われた。俺はこれから皆にちゃんと恩返ししなくちゃな。


「ちゃんと退院したら全員に頭下げて来なさいよ。りっこちゃんなんてあんたの事が心配で、今こっちに向かってるってさっき連絡きたんだから」


 母のその言葉を聞き、俺は耳を疑った。


「りっこ、ちゃんが……?」


 その時、思い出が色まで塗られて一気に呼び起こされた。

 あの夢の中で唯一、本物だったものがある。それはりっこちゃん、鉤宮律子の存在だ。

 夢で振り返ったあの夏の思い出、あの少女の姿は実在する本当の記憶だ。現実の俺はずっと気に掛けているどころかすっかり忘れてしまっていた。あの可愛らしい虫取り籠を抱えた少女を。


 けれど思い返してみればそうだった。俺はりっこちゃんと離れるのが寂しかったから、その寂しさを埋めるように地元で多くの友達を作ろうとするようになったんだ。


 俺の原点はりっこちゃんだ。だから俺の深層心理は、心の芯は彼女の姿を模して現れたんだ。俺のあまりに青過ぎる初恋が。


「高校上がったタイミングでうちの近くに越してきてたらしいのよ。それでさっき電話来た時『かずくんが心配だから、これから毎日お見舞いに行きます』って言ってくれて。ちゃんと感謝しなさいね」


 りっこちゃんもまだ俺を忘れてなかったんだ。どう変わってるんだろう。夢で見た時みたいに美人さんになってるのかな。


 ただ少なくとも、今の自分には到底釣り合うような女の子ではないだろう。だから


「先生ぇ……女の子と話す時、何を話せば良いのか教えて下さい。それと新しい友達の作り方も」


 茅本先生は一瞬驚いた顔を見せたが、フッと笑みをこぼして俺の肩に手を置いた。


「ああ、良いとも。主治医として、男として、相談に乗ろう」



 現実にはハーレムなんて見せかけの幸福はない。無条件の優しさも愛情も、存在しない。そんな甘い夢があったとしても、きっと俺の心は満たされない。甘い夢に背を向けてからが、本当の幸福の始まりなんだってやっと知った。

 だから俺はこれから、俺の力で人生を変えていくんだ。友との青春とラブコメを作れるような人生に。

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精神科医の私の元に、自分を『ハーレム主人公』だと思い込んでる患者が運び込まれてきました。 白神天稀 @Amaki666

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