第6話 兆し
俺は彼女の発言に困惑し、頭の整理もつかないまま言葉を発する。
「な、なに言ってんだよ。夢見てるって」
詰め寄る僕にりっこちゃんは道路の方を指さした。
「周りをよく見てみて」
「周りって……ッ!」
周囲を見た瞬間俺は愕然とした。ここは休日は人や車が絶え間なく往来する大通りのはずだ。レストランやデパートも付近にあって人がいなくなるなんてことはあり得ない。
そんな場所に今いるのは、僕達だけだった。辺りはしーんと静まり返って、街が丸々空っぽだ。ビルや交差点はどこか存在感がなく、空は青色のペンキを塗っただけのように見える。
「誰もいないでしょ。それに、ここの外には何もない。ここも、かずくんが見て来た子達もいない」
「なんだよ、これ」
「君は、誰も知らない。ここで出会った女の子達の性格や過去までは分からない。ただその人達の持つ要素しか理解できてない。だからここでは長くいたであろう幼馴染も、妹も、友達も、君は知らない」
刹那、頭を撃ち抜かれたような痛みと共に記憶が駆け巡った。それは高校での記憶、男子しかいない教室の中でポツンと座って机に突っ伏している時の風景。
その記憶が蘇ったことで俺は、やっとこの夢に気が付いた。
「俺は……そうだ。こんなに女子からモテているはずがない。そりゃそうだ。だって俺は、普通の高校生どころかただの引きこもりで、友達はもういないんだ」
まだ思考は完全にクリアになった訳じゃない。けれど声を発するにつれて少しづつ映像が沸き上がってくる。
「そうだよな。だって、たかが第一希望の高校に落ちただけで落ち込んで。別にあいつらとの縁が切れるわけでもねえのに、この世の終わりみたいに思ってよ」
自分の愚かさをようやく理解した。
「高校で新しい友達を作る努力もしないでウジウジして、人と関わる機会を逃して。そんでもって学校から逃げて」
自分の過ちをようやく理解した。
「男だから恋愛してえよ、憧れるよ、彼女欲しいよ。でもそんなことよりもっと大事なことはあったんだ。男でも女でも良いから俺は、友達が欲しかった。俺は弱い人間だから、誰か近くに俺を支えてくれる人がいないと寂しくて怖くなる」
自分の弱さを、ようやく理解した。
「モテなくたって良い、こんなハーレム作れなくて良い。俺は誰か、俺を必要としてくれる人を! 俺といて楽しいと思ってくれる人が欲しいだけだったんだ!」
真実はそれだけだ。たとえどんな状況になったとしても、喜びを分かち合える友がいれば最高の青春だったと胸を張れただろうに。
だから俺はハーレムなんて空虚な妄想では退屈で、ずっと満たされることはなかったんだ。
「でも、もう駄目だよなぁ。こんな妄想の世界に引きこもって現実から逃げた俺なんか……」
「大丈夫だよ、かずくん」
顔をあげた時、りっこちゃんの姿は幼い頃の彼女に戻っていた。白いワンピースと麦わら帽子の、虫取り籠を肩にかけた少女が目の前に立っている。
「ここはかずくんの夢の中。そしてウチはかずくんの深層心理の表れ。つまりね」
「っ……」
「君はやるべきことを、ちゃんと分かってるよ」
気付けば既に号泣していた。これまでの胸の苦しさが一気に痛み始めて、耐えられず小さな女の子の服の端を掴んだ。膝から崩れて、しがみつくようにりっこちゃんの手を握る。
「だって世界はこーんなに広いんだからさ、自分と心から合う人に出会えるのって難しいことだと思うんだ」
りっこちゃんが手を広げると周囲の景色はぽうっと溶けて、上も下も快晴の青空が広がった。これは地面ではなく海なのか。水面がわずかに揺れている。
「でも世界と同じぐらい人もいっぱいいるじゃん。少し場所を変えたら、全然違う人に会えるんだよ」
遠くの方でカモメが鳴く声がした。船の音もだ。誰かいるのか、見えないところから音が次々に聞こえ始める。
「一人ぼっちだって思ったら、同じような人と仲良くなろうよ。そうしたらその人も寂しくなくなるし、ちょっとづつ広がれば大きい輪になる」
りっこちゃんは小さい手で優しく、俺の頭を撫でた。小さい子供を落ち着かせるように。
それもその筈だ、今の俺の姿は十年前の小僧の姿になっているのだから。
「だからね、かずくん。ずーっと一人ぼっちなんてことは、ないんだよ」
「ああ、そうだよね」
自分で涙を拭い、彼女の服を放して立つと俺は元の高校生の姿に戻った。きっとこの面はひどく不細工になっていることだろう。
りっこちゃんは俺の顔を見上げると、笑みを浮かべて問いかける。
「やらなきゃいけないこと、分かった?」
「うん、分かったよ。ありがとう……りっこちゃん」
「どういたしまして。またね、かずくん」
そう言い残してりっこちゃんは微笑み、俺の視界は白い光に包まれた。
※※※
「やっぱり、見立ては間違っていなかった!」
検査結果の書類に目を通し、私は自身の推察が的中したことに歓喜した。するとはしゃいでいる私の横に一人の看護師がやってきて、首を傾げながら私の推察について尋ねる。
「先生、その見立てというのは?」
「彼の奇怪な行動と幻覚、ご家族から聞いた彼の生活パターンから思い当たるものが一つあったんだ」
俺は何枚もの資料の中から二枚の書類をデスクの上に並べた。その紙は二枚ともギザギザ波打つ一本線が記されている。
「これは?」
「左は今の彼の脳波だ。そして右の資料は、レム睡眠の際の人間の脳波だ」
「脳波……どちらも非常に似たような波打ち方ですね」
その通り、今の起きている彼とレム睡眠時の人間の脳波は特徴がほとんど同じなのだ。
「霜崎君は学校での人間関係や孤独感、理想と異なる現実を受け止めきれずストレスを抱えて精神的に追い詰められた。だがそれは幻覚症状が発症したきっかけに過ぎない」
「まさか」
「彼のお父さん曰く、霜崎君は引きこもっている間も不規則な時間に睡眠を取っていたらしい。そこで気になって血液検査をしてみたところ、彼の血液中から
オレキシン。本来であれば人間が活動している間に脳内から安定的に分泌され、集中力を向上させる等の効果をもたらす脳内物質だ。
しかし極度のストレス状に陥り睡眠時間さえ狂った彼の脳はこのオレキシンの過剰分泌を始めたのだ。
「今の彼はオレキシンが異常なまで過剰分泌されることによって脳が常時覚醒状態にあり、起きている間もレム睡眠と似た状態に陥っているということだ」
「ならつまり霜崎君は……!」
「重度のストレス性睡眠障害、ということになる」
この状態に陥った患者は睡眠時も脳を休息させる睡眠を摂ることが出来ず、脳はエラーを起こし幻覚症状を見続けることになる。
これで完全に霜崎君の幻覚の原因を突き止めた。あとはそれに対処するのみ。
「急いで睡眠導入剤を彼に服用させるんだ。それと掛け布団をもう一枚増やして、体を温かくさせるんだ」
「本当にこれで彼の症状は治るんですか?」
「断定はできない。だが過去に約三週間の不眠実験を行い精神に異常をきたした患者が、十五時間の睡眠を得て万全の体調で目を覚ました事例もある。信じてみよう!」
頼む、霜崎君。目覚めるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます