第5話 さあ、デートに繰り出そう!
土曜朝の7時、何年も待ちわびた日がついぞ訪れた。俺は初恋の人とこれから、デートするんだ。
集合時間一時間前に待ち合わせ場所の広場で待っているほど今は緊張している。気持ちがソワソワして落ち着かぬまま、待ち人はやって来た。
「よっ」
「お、おう」
目の前の少女を一目見ただけで俺の胸は高鳴った。成長したりっこちゃんはいつも髪を結っていて黒縁のメガネをかけていたが、今はメガネではなくコンタクトを付けて髪も下ろしている。そして白いワンピースを身に纏っていた。
その姿は記憶の中のりっこちゃんと同じだった。ただ今は成長して、当時よりも美人になっている。
「りっこちゃん、可愛いね」
「そんなこと高校入ってから一度も言ってくれなかったくせに」
「いや本当だって! お世辞とかじゃなく、真面目に」
顔が整っている人は何人も見て来た。しかしこれほど愛おしく思えた相手は他といなかった。それは長年の想いゆえか、それとも
「どこから行く?」
「そうだな、腹は空いてない?」
「あー確かに減ってるかも。じゃあご飯先に行こ」
レストランのエスコート、ここで男の技量が問われると聞く。慎重に答えなければ。
「どこにする……じゃなくて、食べたいジャンルや希望あるかな? 中華とかガッツリとか。色々候補があるから、りっこちゃんの好みでどこでも!」
「気を遣ってくれてありがと。でもそんなことでイチイチ文句言わないから緊張しないで」
りっこちゃんはそう言うと笑って俺の緊張を解してくれた。逆に気を遣わせてしまった。
「そうだ、あそこ入ろうよ」
挽回しようと次のセリフを考えていると、りっこちゃんは一つの店を指さした。そこのレストランに入ることが決まった。
「りっこちゃん、本当にここで良かったの?」
やってきたのはごく一般的なファミレスだ。小遣いの少ない高校生とはいえ、本当に初デートで入る店がここで良いのだろうか。女子はもっとおしゃれな店を選ぶと思っていた。
「良いじゃんファミレス~! リーズナブルで沢山食べれて、絶対に外れない最強の店」
無邪気に喜んで運ばれてきたハンバーグセットを頬張るりっこちゃんは、昔の彼女と変わっていなかった。
「なんで今まで、言ってくれなかったの? りっこちゃんだってことも、りっこちゃんのお母さんが再婚して苗字変わったことも」
「……だって、言う機会なかったから」
「顔で気付けなかったのはごめん。昔は眼鏡してなかったし、髪も短かったから」
「それより、良かったの? 他の可愛い子達じゃなくて、ウチなんかと二人っきりで飯なんて」
俺にりっこちゃん以上の人なんていない。他の人と比べられるような存在じゃないんだ。
「俺、この夏はりっこちゃんに会いに行こうと思ってたんだ。あの村に」
「……」
「つい昨日、村がなくなったって聞いてショックだった。あの夏の記憶に縋って生きて来たから。それぐらい俺は、ずっと会いたくて堪らなかった」
俺の心はずっと、あの夏に取り残されている。犯し難いほど清く穢れのなかった思い出の中に。
「俺には、あの頃の思い出しかもう残ってないから」
そう言って俯くと、俺の注文したカルボナーラがテーブルに運ばれてきた。
「ほら、食べちゃいなよ。パスタ冷めちゃう」
「あ、ああ。そうだな」
気持ちを紛らわすようにクリームソースの絡まったどっしり麺を口に運んで流し込む
んだ。他のことを考える隙を自分に与えないように。
その後はなんとか楽しい話題に切り替えて食事をし、二人で店を後にした。人の往来が少ない大通りを歩く俺達には気まずい空気が漂っていた。
すると急にりっこちゃんが口を開く。
「さっきの言葉、嬉しかったよ。かずくん」
「っ……」
「でも、なんで他の子より私だったの?」
だって俺が好きなのはりっこちゃんだけだ。そもそも他の人なんて……あれ、他の人?
俺は色んな女子に囲まれていた、筈だ。なのになぜ、りっこちゃんのことしか分からないんだ? 俺はあの状況が鬱陶しく、いや楽しんでいたのか。分からない、思考が全くまとまらない。
まず彼女達はなんで俺にあそこまで執着していたんだ。俺が何をしたのか覚えていない。それ以前に俺は彼女達のことを何も知らない。なんでだ。
俺はどうしたいんだ。
俺が望んでいることは、なんだ……?
「かずくん」
抱き締めるようにそっと俺の名を呼ぶと、りっこちゃんは唐突にある質問を尋ねてきた。
「いつまでこんな夢を見てるの?」
りっこちゃんのその言葉に俺はえっ、と間抜けな声を漏らして固まった。
※※※
問診の時間はもう終わっていたが、診察室を急遽開いて私は二人の中年夫婦と対面した。
「初めまして。霜崎和紀君の、ご両親ですね」
二人は疲れ切った姿で、頭を深々と下げた。その目には涙が浮かんでいる。
「はい。息子が大変お世話になっております」
挨拶を終えて早々、私は霜崎君の主治医として彼の現状をありのままを伝えた。彼らを傷つけぬよう細心の注意を払って説明を進めた。
「……と、いった状況です」
「そんな。幻覚症状だなんて」
「まだ現時点で治せるか、の確証はありません。ですが彼が入院する前の状態を知ることが出来れば、治療の糸口は見えて来る筈です。お聞かせ願えないでしょうか」
お母さんはハンカチで顔を抑え、声を押し殺していた。それを見かねて霜崎君のお父さんが語り始める。
「息子は、明るく素直な良い子でした」
その声音は彼の実年齢よりも高い初老の男性のように聞こえた。皺の数も彼らは明らかに同年代の人々より多く刻まれ、憔悴していることがよく伝わってきた。
「小学校中学校共に楽しんで毎日通っては、休み時間から放課後まで友達とよく遊ぶほど活発で。私達もそんな息子の姿を微笑ましく見ていました」
お父さんは悔しそうに自身の両膝を強く握り、肩が小刻みに震えていた。
「ですがあの子は高校入試に失敗してしまって、希望してた高校には入れず滑り止めの学校へ入りました。共学で友達も多く進学すると言っていた希望校に落ちて、和紀は男子校に通うことになったんです」
挫折と環境の変化……か。
「昔からの友人達と離れ離れになってしまった寂しさと知り合いが誰もいないという孤独感。そして憧れていた青春とかけ離れた環境がストレスだったのでしょう。和紀は一年の夏から部屋に引きこもるようになりました」
「様子から察するに、入学時に上手く新しい友達を作れなかったみたいで」
異性との恋愛が出来ない男子校という理想と正反対の環境で、友人作りの失敗によって一層孤独感が増してしまったというわけか。
思春期のデリケートな精神状態と打ち砕かれた憧れ、環境に馴染めない不安とストレス。元々が明るい性格ゆえ、辛い出来事からの気持ちの切り替えが苦手なのかもしれない。
それが霜崎君の見ているハーレム幻覚症状を生み出している可能性が高い。これはかなり大きな収穫だ。
「明るかった息子が落ち込んでいる姿を見ることも辛くて、私達は不登校になってからも甘やかすしか出来ませんでした。もうどうすれば良いのか分からなくて……」
ここで霜崎君の母が口を開いた。それは自責の念ゆえの、弱弱しい声だった。
「和紀の背中を押すことも、寄り添ってフォローすることもせず、私達はきちんと息子に向き合えていませんでした。今回の件の元凶は私共の、親の怠慢でございます」
彼らは再び、私に向かって頭を下げた。それは自分たちを断罪してくれと懇願するように。
「一つ尋ねたいのですが、なぜ和紀君が家出した際にお二人はすぐ気付かなかったのですか?」
「息子は寝る時間帯が不規則だったので、起こしたらいけないと部屋にはあまり入らなかったんです」
「そして一週間前にどうしても外せない親戚の用事で数日、家を空けていたんです。6食分のご飯をタッパーに入れて出かけたのですが、帰宅したときに一つも減っていなかったことで昨日にやっと気付きました」
「本当に情けない。私たちのせいで、息子は……」
「お父さん、お母さん、そんな風に言わないで下さい。確かにもっとやり方はあったかもしれない。でも彼はまだ治らせる見込みがあります」
その言葉を告げられた二人は涙を流し、ハッとその面を上げた。
「なってしまったことは仕方ありません。だから今から変えていきましょう。彼にはまだ可能性が、未来がある。今の彼なら何もかも、まだやり直すことが出来ます」
その可能性を、私は肯定する。
「安心してください。私達の仕事はそんな人達の、きっと明るいこれからを作るお手伝いをする仕事です」
夫婦は涙を流していた。今までの感情が一気に溢れだしたのだろう。私はそんな彼らを落ち着かせつつ、看護師にある指示を送った。
「鈴木さん、彼の脳波や他の検査をもう一度行ってくれないかな。気になる事が出来た」
「え? あ、はい!」
「そしてお父さんとお母さんにもお願いしたいことがあります」
もし私の推測が正しければ、この方法で霜崎君を幻覚から呼び覚ませられる!
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