INITIAL

陰陽由実

INITIAL

夜7時。私はアパートの階段を登っていた。

春が近づいてきたとはいえ、この時間になると暗く肌寒い。

ガチャッと音を立てて自分の部屋の扉を開く。

「ただい…キャッ!?」

パァン! という音と、舞う紙テープに紙吹雪。

そして満面の笑みの愛しい人。

「あーちゃんおかえり!」

「りょーちゃん!? あーびっくりしたぁ」

現在彼とは同棲1年目。高校卒業から付き合い始め、そろそろ5年になる。

普段なら彼の方が仕事が終わるのが遅く、私が家で迎える側なのだが、今日は私の用事が長引いてしまい、こんな時間になってしまった。

「どしたの、クラッカーなんて出してきて」

「え? 心当たりないの?」

「え?」

私はブーツを脱いでキョトンと、いや、少し困惑気味な彼を見やった。

クラッカーが鳴ると言うことは少なくとも悲しい話ではないだろう。

「何? 何かあるの?」

「まぁ部屋入りなよ」

「?」

言われるがままにリビングの扉を開けた。

いつもの風景……ではなく、飾り付けがなされ、机の上にはいつもよりも豪華な夕食が並んでいる。

「あーちゃん、今日誕生日でしょ? 忘れてたの?」

「忘れてたぁ……めっちゃ嬉しい」

驚きのあとから嬉しさがじわじわと溢れ出てくる。

「りょーちゃんありがと! 大好き!」

「俺も好き。ほら、コートとか片付けておいで。早く食べよ」

「うん!」


  ◇◇◇


「じゃあ、あーちゃんの誕生日を祝って」

「乾杯!」

チンッ、とグラスを軽く当てる音が響く。

「なんか今日は至れり尽くせりだなぁ、全部用意してくれてありがとね」

「いいのいいの、俺は祝う側だもん」

「確かに」

えへへ、と自然に笑みが溢れた。彼も笑ってる。

楽しいなぁ。

大体が買ってきたご飯だけど、美味しくて、一緒に食べる人がいる。

談笑が尽きなくて、いつまでも飽きない。

私、幸せ者だな。こんなに幸せでいいのかなってくらい幸せだな。


「あーちゃん、はいこれ」

夕食を一通り食べ終えてから、彼は部屋の隅から小さめの紙袋を引っ張ってきた。

「誕生日プレゼント」

「わぁい! 待ってました!」

受け取った紙袋の中には、小さめの箱がひとつ入っていた。

「何だろう? 開けていい?」

「いいよ」

彼に促されて、私はリボンをほどいて蓋を開けた。

「え……めっちゃかわいい……」

中にあったのはペンダントだった。

ハートの形に雪の結晶が添えられ、小さなダイヤがいくつかはめられている。

「これ絶対高かったでしょ」

「そうでもないよ? 普通くらい」

「またそんな謙遜しちゃって! でもありがと! このデザイン好き!」

彼は照れたように笑ってる。少し頬が赤い。

「よかった。……ね、裏側にさ、イニシャル彫ってもらったんだ」

「そうなの?」

くるりと飾りをひっくり返してみると、たしかにA.Kと筆記体で掘られていた。

そこで私は首を傾げる。

私のフルネームは風呂橋ふろはしあやだ。だからイニシャルはA.Hになる。

彼が何か間違えたのだろうか。

ざわりとしたものが心を撫でる感覚がした。

「……ねぇ、りょーちゃん、これ……」

「実はもうひとつプレゼントがあるんだ」

「え……?」

そう言って、今度はポケットから手に収まりそうなほど小さな箱を取り出した。

ひゅっ、と息が詰まって、鼻の奥がツンとする。

「……綾」

彼はそれを私に手渡すのではなく、中が私に見えるように、それを開いた。

「俺と、結婚してくれませんか」

ひとつの指輪が、マリッジリングケースに収まっていた。

彼のフルネームは菊地原きくちはらりょう。その名前を私が名乗ることができたなら、私のイニシャルはA.Kになる。

「あれ……」

視界がぼやける。目を拭うと指先が濡れた。

止まらない。

「あーちゃ…わっ、と」

思わず彼に抱きついた。彼は驚いていたけれど、ちゃんと受け止めてくれた。

「りょーちゃ、わたしね」

「うん」

「すごくね、うれしいの」

「うん」

「ほんとにね、もらって、ばっかりで」

「うん」

たまにしゃくり上げてしまって途切れ途切れなになってしまうが、ゆっくりと聞いてくれる。

背中に回された手が、ぽんぽんと優しく叩いてくれる。

「わたしもね、りょーちゃん好き」

「うん、知ってる」

「だからね、えっと」

少し腕を緩め、彼の目を見て言う。

「よろしくお願いします……!」

瞬間、顔が近づき唇に温かなものが押し当てられた。

「俺、離す気なんてないからね?」

「離れないもん」

「知ってる」


額をくっつけて、私達は笑い合った。

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INITIAL 陰陽由実 @tukisizukusakura

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