俺は川向うにいる

モモザワシマ

俺は川向うにいる

 オレオレ詐欺を防ぐには留守番電話を使うと良いらしい。詐欺師は留守電にメッセージなど残さない。祖父はそれに加えて電話をかばんにしまう。診療かばんの中で電話はけなげに鳴り続けるが、くぐもってよく聞こえはしない。やがて案内とピーという発信音のあとに、男の話し声が流れてくる。

「開けなくていい」

 かばんを開けようとする僕を祖父は制止した。やがて話し声は止まる。

「留守電、聞かなくていいの?」

「どうせセールスだ」

 僕はなんとなく割りきれない気持ちで電話を、いや電話の入ったかばんを眺めた。居間に据えられた電話はありふれたプッシュホンだったが、黒いかばんに入れられたからか、黒電話のような印象を受けた。夜中に突然鳴ったりして、悪い報せを届ける電話のイメージだ。

「おじいちゃん家に緊急で電話しても絶対つながらないね」

「今はスマホがあるだろ」

 祖父はいち早くスマートフォンの使い方を覚えたのが自慢だった。僕はそれを良いことに祖父をソシャゲのフレンドにしてレアアイテムを交換したりしていたが……まあそれは別の話だ。

「お母さんケータイは起きっぱなしにしてるから、あまりLINE送らないでほしいって言ってたよ」

「ケータイは持ち歩くもんだ」

 また電話が鳴り、僕は『電話の入ったかばん』を凝視した。今度も発信音のあとに男の声が流れる。

『おれだよおれ、こまったことになって』

最初の一言だけ聞きとれた。オレオレ詐欺みたいな第一声だ。僕は耳をそばだてた。もし本当に詐欺なら、警察に通報した方がいいのだろうか? 正直わくわくしていた。

「聞かなくていい」

「オレオレ詐欺みたいだよ」

「無視しろ」

 いいのかなと思っているうちに通話は終わった。祖父は電話をかばんに入れたまま、慣れた様子で操作した。『留守番メッセージは2け……メッセージを消去しました』と電子音声はつっかえながら応える。

「夜かかってくる電話はとらんでいいからな」

「うん」

 仕事が減るには越したことないので、僕は素直にうなずいた。この三日間、僕は祖父の家に泊まりこむというミッションを受領していた。発注元は僕の母だ。祖母の死から半年、一人で暮らす祖父を母は心配していた。夏休みでぶらぶらしていた僕に白羽の矢が立ち、『ちょっとおじいちゃんの家に遊びに行く』ことになったのだ。面倒という気持ちもあったが、謝礼金や祖父からのおこづかいを目当てに受けたのだった。祖父は一見厳格だが孫には甘い老人だった。行ってみると、祖母がいなくなった家は急に広くなったようで寂しく、素直に『祖父を元気づけたい』と気持ちにもなった。

 

 祖父は診療所を営んでいたが、祖母の死後は閉めてしまっていた。いつも患者がすし詰めになっていた待合室ががらんとしているのは奇妙な感じだった。消毒液の匂いだけが根強く居座り、ここが自分の棲み家だと主張していた。また、電話の音だ。受付の電話が鳴っている。ここが閉まったということを知らない患者かも、と思わず受話器をとった。

『俺だよ俺、※※、今かわむこうにいる』

 電話の声は陽気だった。若干ろれつが回っていない感もあるしわがれた声だ。雑音で名前は聞きとれなかった。

「あの、間違いじゃないですか」

 僕はちょっと腹をたてていた。気負って出たら酔っぱらいの間違い電話だったからだ。

「Yさんだろう? あんた、お孫さん? Tちゃんだっけ?」

 Yは祖父の姓、Tは僕の名前だ。言い当てられて言葉につまる。

「大きくなったなあ、今高校生?」

「……大学1年です」

「そうそう、うちの孫の一つ下だって覚えてたんだよ」

「あの、祖父につなぎましょうか?」

 内線につなごうとして居間の電話はかばんの中だと思い出す。あの中では鳴っても気づかないだろう。

「Tちゃん覚えてないか? うちの孫のこと。むかしTちゃん、うちの子とけっこんする、って言ってたんだぜ」

「え、あ、すみません」

 全く覚えていない。子どものころの僕は『診療所の先生の孫』という特権を駆使して地元の年寄りにたかりまくっていた。全くいやなガキだ。

『うちの子さあ、今でもTちゃんのこと好きみたいなんだ』

「いやいや」

『会ってみない? うちの子きっと喜ぶよ。Tちゃんかパパみたいな人と結婚したいってずっと言ってたからねえ。パパは寂しいけどTちゃんならなあって』

 あれ、孫じゃなかったっけ? 疑問を感じたが男のしゃべりはなめらかで、口をはさめない。

『うちの子とTちゃん、河原で遊んだじゃない、ほら、花火のとき。花火売ってたおもちゃの『たぬき屋』、去年までやってたんだよ。もう閉まっちゃったけどねえ』

 アーケード街の一角にあったおもちゃ屋だ。今日はシャッターが閉まった店の前を通ってきた。

『二人とも花火をぐるぐるふりまわしてさ、目をつむっても光のぐるぐるがまぶたの裏にはりついて』

 僕は目を閉じた。光るうずまきがまぶたの裏に見える。

『でもあんまり振り回すから、Tちゃんの花火がうちの子の服についちゃってさ、あの白いワンピースに』

 ワンピースのすそが燃えあがり、悲鳴があがる。

『バケツで水でもかけりゃ消えるのに、子どもだからね。Tちゃん、うちの子を川につき落としちゃって』

 そうだ、温かな身体を突き落とした。あの子は水の中に落ちて

『川むこうで待ってるよ、来るよね、Tちゃん?』

 

 返事をしなければ、と息を吸いこんだとき、受話器を引ったくられた。

「そんなもの、うちにはおりません。間違いです」

 祖父はきっぱり言いきり、電話を切った。そのまま電話線を引き抜く。

「夜の電話には出るな」

 そう言い捨てて、居間に戻っていく。僕は幼いころ花火をしたのは祖父宅の庭で、河原ではなかったことを思い出した。一方で、白いワンピースの少女のことは全く思い出せなくなっていた。


 翌朝、祖父は電話をかばんから出し、操作ボタンをおした。

『留守電メッセージが33件……消去しました』と電話は応えた。


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