画面の中の君

きと

画面の中の君

 雪が積もっている街中を転ばないように、でも早く歩いて行く男がいた。

「ったく、課長め。定時直前になって、書類の山をこっちに渡してくるなよな……」

 愚痴ぐちをこぼしながら歩いている今は、もうすぐに23時を回りそうだった。

 早足で歩くのには、ある理由があった。

 日課でいやしでもある時間を早く味わう。そのために、男は落ちそうになっていたマフラーの端を巻きなおすと、さらに速度を上げて家路を急いだ。


 帰宅した男は、とりあえず着替えを済ませてパソコンの電源を入れる。最近新調したパソコンは、起動する時間が短く、ストレスも少なかった。パスワードをささっと入力して、デスクトップが表示されると、迷うことなく通話ソフトを起動する。通話ソフトには、ゲームをプレイする時に話す友人たちのアイコンが表示されるが、それらは無視して猫のアイコンをクリックする。相手が応答するのに、1分もかからなかった。

ひかる君、お疲れ様~。今日は遅かったね』

「お疲れ様、流歌るか。こんな時間にごめんな」

『ううん、全然大丈夫だよー』

 挨拶あいさつもそこそこに、ふたりは会話を始める。といっても、何気ない日常の会話だ。特別なことはない。それでも、光はこの時間が愛おしかった。まぁ、相手に恋ごころを抱いているのであれば、どんな会話でも貴重な時間になるのかもしれない。

 会話が始まって20分ほど経った時、光のお腹が鳴った。

『ふふ、ご飯食べてきていいよ?』

「い、いや、流歌と話してたいからあとでいいよ」

『それだと、寝るのさらに遅くなるでしょ? 睡眠は大切なんだから』

「……じゃあ、話しながら食べたらダメか」

『あ、それいいね。と言っても私は、もう食べちゃったけど』

 ちょっと待ってて、と言うと光は離席する。晩ご飯の用意なので、そこそこ時間がかかるかと思ったが、光は5分程度で戻ってきた。

 光が用意した食事を見て、流歌は眉をひそめる。

『……光君。タッパーからお皿に移して食べようよ。なんか見た目が……』

「い、いいだろ。どうせ俺しか食べないんだし」

『いや、そうだけどさぁ。何というか、わびしいというかもやもやするというか。うまく言えないんだけど、う~んって感じ』

 とりあえず、あまり見て気分のいいものではなかったらしい。光としては何にも感じないし、洗い物も少なくなるしでいいことづくめなのだが。

 ご飯を食べる光を流歌は、じーとながめていた。

「……どうした?」

『いや、茶色いなって』

 光は一瞬何のことか分からなかったが、すぐに気付く。

 どうやら、タッパーの中のことを言ってるらしい。

「生姜焼きなんてそんなもんだろ? 豚肉がメインだし、野菜を入れるとしても玉ねぎだから、たれと合わさったら肉を同じ色合いになるし」

『だから、皿に移して隣にキャベツの千切りとか乗せるんだよ。その晩ご飯、インスタントお味噌汁のネギくらいしか野菜がないんじゃない? ……はぁ~、私が作ってあげられたらな~』

「………………ああ、そうだな」

 流歌の手料理は、かつて食べたことはある。非常に美味しかったのを覚えているので、できることならまた食べたい。

 でも、それは叶うことのない夢だ。

 そう思うと、涙が瞳から落ちた。

『……光君』

「分かっているんだ。もうどうしようもないことで、誰かを恨んでも仕方ないって。それに、こうして話せているだけで、めぐまれているんだって」

『…………』

「なぁ、俺はいつまで続けるんだろうな」

 涙を指でぬぐうが、それで視界がもとに戻らない。ぼやけた視界のまま、光は流歌に問いかける。

「死んでしまった恋人のAIと話すのをさ」

 AIの技術が急激に進んだ先にあったのは、高度な分析だけではなかった。実在する人間の再現や創作物の中のキャラクターの思考の創造も可能になった。そして、既に亡くなった人格の再生も。

 流歌は、病気で亡くなった。病院の先生も流歌の家族も、もちろん光もみんな最善を尽くした。でも、助からなかった。祈りは届くことなく、はかなく命の火が消えた。だから、光は誰も恨むことはしない。

 でも、さびしさは取り除くことができなかった。だから、流歌のAIを作った。作り物でも、君と話したかったから。

『私は、いつまででも付き合うよ。だから、無理だけはしないでね』

「流歌……」

『きっと、本物の私ならこういうかなって』

 画面の中の流歌は、本物そっくりだ。だから、しばられてしまう。

 それでも、いつかこの鎖から解き放たれる日は来るのだろうか?

 そんな“いつか”を夢見ながら、光は縛られ続けている。

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画面の中の君 きと @kito72

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