第105話 自由の国⑤

 初夏の煌めく陽光が降り注ぐ、気持ちの良い長閑な街道を、一台の馬車がガタゴトとゆっくり走っていく。

 ベテランの老御者が操るその馬車の中――むむむ……とむくれながら唸る美少女がいた。


「ニア様……そんなに眉間に皺を寄せていると、消えなくなってしまいますよ」


「だって、レティ!酷いと思わない!?」


 ガバッと顔を上げて、ミレニアは友人でもある菫色の瞳を持った少女へ訴えかける。


「ロロったら、あんなに渋っていたくせに、ちょっと目を離した隙に、手のひらを返したようにいきなり、結婚するなんて言い出したのよ!?何があったか、こっちはてんでわからないんだから!」


「は、はぁ……私もまだ、俄かには信じられませんが……」


「でしょう!!?それなのに――それなのにっ……!」


 ふるふると震えながら、ビシッと馬車の中から窓の外を指さす。

 いつもロロがミレニアを護衛するときと同様、馬車の左後ろにぴったりと愛馬を付けて護衛をする黒装束の美青年が、いつも通りの涼しい顔で任務にあたっていた。


「あの男の、あの無表情は何なの!!!?本当に私と結婚するつもりがあるの!!?」


「まぁ……いきなりあの人が顔をデレデレにして浮かれてても気味が悪いけどな……」


 ぽつり、と呟くのは、馬車に同乗するネロだ。ひくり、と頬を引きつらせて、苦笑している。


 東の魔物の討伐が完了した後、一行は王都へ戻り、後処理に追われた。クルサール達が森へ進軍していた隙を狙って、再び闇の魔法使いが暗躍したらしいが、ネロの活躍ですぐに捕らえられたらしい。

 ネロのような人物を出さぬようにと、クルサールは魔物と契約することを聖典の中で何より忌むべきことだと記していたため、捕らえられた魔法使いは信者たちの手ですぐに処刑された。おそらく、その後に森の中で隻眼の兵士が唆されてしまったのだろう。

 混乱の元凶だった闇の魔法使いが排除されていても、一行が帰還した王都の混乱は凄まじいものだった。すぐにクルサールは目まぐるしい後処理に追われ、ミレニアも怪我人を治癒する手伝いをして回り、こうしてファムーラへの帰路に付けるまで、予想以上に時間がかかってしまった。


 その間、散々時間があったというのに――ロロは、全くいつも通りの調子で、淡々とミレニアの職務について回っていた。

 まるで、森の中での一件など何もなかった――とでも言いたげな、涼し気な無表情のままで。


「わ、私ばかりが意識して、恥をかいてばかりなんだもの!悔しいわ!」


 わなわな、とミレニアは両手を震わせて訴える。

 討伐から帰ってきてからというもの、森の中でロロに口付けられたことを思い出しては、ぼふん、と顔から湯気を出して周囲が訝しむこと、数回。就寝前に思い出して、ベッドの中でごろごろと転がりながらじたばたと暴れて奇声を上げたのを部屋の前を行く人間に聞きとがめられ、何事かと問われて気まずい思いをすること数回。ロロから甘い言葉をもらえるかもしれないと期待して、思わせぶりな行動をしてみては、見事に空ぶって塩対応をされること数回。苛立ちのあまり、ロロ本人に八つ当たりをしてしまったのに、いつものように堪えた素振りの一つも見せない青年を前に、後から子供じみた行いを反省して自己嫌悪に陥ること数回。


 ミレニアのことを、世界中のどの男がそうするより一番深く、強く愛しているのは自分だと豪語して見せた男は、公衆の面前で大胆な行動をしてみせたくせに、日常に戻ってからは、なぜか全くその片鱗すら見せようとしないのだ。


「もっ……もしかして、非常事態の雰囲気に呑まれて――というやつなのかしら……!?」


 蒼い顔でミレニアはハッ……!と口を押え、絶望的な声を出す。


「九死に一生を得て、アドレナリンもたくさん出ていたでしょうし――気持ちが大きくなって、その場の勢いで、思わず口付けてしまったとか、そういうことかしら!?」


「んなわけねぇじゃん……」


 ネロが呆れてつぶやく。ロロの普段の筋金入りの奴隷根性を思えば、いくら気持ちが大きくなったからと言って、『その場の勢い』などというものでミレニアに口付けるなど、あるはずがない。

 

「だ、だって――ほら、旧帝国でも、長期の遠征には慰安目的の娼婦を連れて行くのは常識だったし……と、殿方は、命の危機が迫ると、子孫を残すための生存本能で、そういう欲が強くなるとも聞くし――しょ、衝動的に口付けてしまったのかも――!」


「いや、それこそありえないでしょう……第一、ロロさんですよ……?」


 蒼い顔で何やらネガティブな方向に妄想を突っ走らせるミレニアに、レティが呆れて半眼で返す。

 性的なことに疎いミレニアは、口付けすら性欲解消になると思っているのかもしれないが、かつて奴隷小屋で性奴隷として従事させられた経験もあるレティに言わせれば、戦場でムラムラした衝動に任せた男特有の行動の結果だというなら、口付け一つで終わるはずがない。それも、触れたかどうかすらわからないくらいのあっさりとした口付けごときで、男の欲が満足するはずがないのだ。

 そもそも、奴隷の身であった自分を穢れた存在として位置づけ、爛れた関係を持っていたラウラに対しても"同じ穴の貉"と形容していたような男だ。彼にとって、ミレニアを性的な対象として扱うことは、清廉潔白な女神を穢すに等しい行為に他ならないだろう。

 それを、命の危機を感じた末の性衝動の果て――などという、これ以上なく女神に相応しくない経緯で口付けるなどとは考えにくい。


「で、でもじゃあ、なんで口付けたの!?挙句、どうしてそのあと一回もそんな素振りを見せないの!?」


「ぅ――うぅん……流石にそればっかりは、ご本人に聞いてみないと……」


 真っ赤な顔で真剣に尋ねるミレニアを前に、困った顔で視線を逸らすと、ギッ……と音を立てて馬車が停車した。


「ニア様。ラムダ湖の傍に到着しました。予定通り、馬に水をやり、少しばかり休憩をしてもよろしいですかな?」


 御者台からファボットのしゃがれた声が響く。

 わかった、と中から答えると、見計らった様にがちゃりと外から扉が開けられ、褐色の美青年がエスコートするように手を差し伸べてきた。


「……何か?」


 恨めし気に不機嫌な翡翠の瞳で睨みつける少女に、ロロは静かに疑問符を返す。

 相変わらずどこまでも涼しい顔は、ため息が出るほどに完璧な造形だ。


「っ、何でもないわっ!」


 悔しそうにぷぃっとむくれながら差し出された手を取ると、軽く眉を顰めて訝し気な空気を出しつつも、しっかりミレニアをエスコートしてくれる。

 束の間、不意に触れあう掌にさえドキドキしているミレニアのことなど、全く意識しているそぶりはない。


(くっ……これが、大人の余裕ってやつなの――!?)


 ロロの年齢は不詳だが、ミレニアよりも色事に詳しいことは紛れもない事実だ。

 ロロの女慣れした様子に悔しそうに歯噛みして、ミレニアは美しい湖が待つ外の世界へと降り立つのだった。


 ◆◆◆


 カチコチと全身が氷のように固まっているのを自覚しながら、ぎゅっと膝の上で掌を握り締める。


「あの……姫……」


「ひゃぃっ……」


 困惑するような呼びかけに、思わず声が裏返ってしまい、恥ずかしさに俯いた。

 綺麗な湖での休憩が終わった後――ミレニアはロロに、ほんのり赤らむ顔を隠すように堂々と告げた。

 次の休憩まで、ロロの馬に相乗りをさせろ――と。


「そのように硬直されていては、バランスを崩し落馬する危険があります。……失礼します」


「きゃ――」


 横座りのまま馬上で緊張に固まっていたミレニアの身体を、優しくそっと腰を抱くようにして引き寄せられれば、自分で言い出したこととはいえ、不意の接近に心臓が暴れ出す。


「……馬車に戻りますか?」


「こっ……このままで、良いわ……!」


 少し呆れたような声で問われても、ぶんぶん、と紅い顔のまま頭を振って拒否をした。


(少しくらい強引でも、ロロにはこれくらいしないと――!)


 ドキドキと走り出す心臓を必死になだめながら、ミレニアは決意する。

 あの日以降、何事もなかったかのような素振りで振舞う男だ。あの日と同じように相乗りをすれば、嫌でも自分がしたことを思い出すだろう――と考えてのことだったが、諸刃の剣になるとは思っていなかった。

 あの日と同じ状況に晒されれば、ミレニアもまた、この美しい青年に口付けをされのだとありありと思い出してしまい、顔から火が出そうになってしまう。

 だが、少しくらい動揺してくれるかと期待したすぐ傍の騎士の顔は、いつも通りピクリとも動かず冷静極まりない。どうやら、作戦は成功とは言い難いようだ。


「……何か、俺に言いたいことでもあるのですか」


「ぅっ……」


 挙句、一つ小さく嘆息した後、相手から切り出されてしまってはばつの悪さもひとしおだ。もぞ、と尻を動かしてミレニアは視線を咄嗟に逸らす。

 促されてもすぐには口を開けない少女を、急かすことも責めることもせずじっと辛抱強く待つ余裕の態度は、ロロが大人の男であることを余計に印象付けて、ミレニアは悔しい気持ちになった。

 自分が酷く子供じみているようで――そんな自分を、ロロの方から伴侶に選んでくれるなど、あり得ないことなのではないかと思えてくる。

 一つ咳払いをしてから、ぐっと一つ息を飲みこんで、意を決して口を開く。


「お前……あの森で、け、結婚と言ったのは――どういう意味だったの?」


 単刀直入に切り出すと、チラリ、と紅い瞳が視線だけで腕の中の少女を見下ろす。

 白い肌を耳まで赤く染めたミレニアは、ロロを見上げることが出来ず、瞼を伏せたままだ。


「どういう意味――とは?」


「そ、そのっ……け、結婚式、と言っていたけれど――お前、ちゃんと、結婚式がどんなものか、わかっているの!?」


 もしかして、自分が認識している『結婚式』という単語と、ロロが使うそれが同じ意味ではないのではないか――などという突拍子もない不安を抱えて尋ねると、いつもの無表情のまま軽く首を傾げて、ロロは口を開く。


「勿論、俺はそれを実際に見たことはないですが――貴女が、ことあるごとに読み返している創作物語の中に出て来るようなものを指すのではないのですか?」


「に゛ゃぁああああっ!!?」


 思ってもみなかった返答が返ってきて、ミレニアは思わず顔から火を出しながら奇声を上げた。


「ど、どどどうしてお前、そんなことを知っているの!?」


「一時期、紅玉宮から俺以外の従者がいなくなったとき、暇を持て余した貴方がよく読んでいらっしゃったので。部屋で読書をされているまま寝落ちたときは、貴女は本を開いたままなので、片付けるときに嫌でも中身が目に入ります」


「きゃああ!!!忘れて!忘れなさい!」


 ミレニアの皇女時代の愛読書は、いわば、皇女の身分では逆立ちしても叶わないような世界が広がる物語ばかりだった。

 同年代の友人もいなかった思春期、恋に恋するミレニアは、まさか従者に相談するわけにもいかない恋愛の悩みと願望を、それらの物語の中に求めた。

 故に、ラインナップはとんでもなく偏っている。

 具体的に言えば――愛し合う男女が、身分の違いを超えて結ばれ、幸せになるような話ばかりなのだ。

 当然、何を想ってそんな偏った話ばかりを読み漁っていたのかなど、火を見るより明らかだ。

 それを――よりにもよって、願望を叶えてほしかった張本人に見られていたなんて。


「わざわざファムーラまで持ってきた蔵書もあるでしょう。どれもこれも、本の後半――その”結婚式”の場面は、何度も読み返されているのか、何もせずとも自然に開きやすくなっているほどだったので、よほど好まれているのか、憧れていらっしゃるのだと――」


「もももうやめてっ!」


 ミレニアのライフはゼロだ。真っ赤に染まった顔を両手で隠すように覆ってぶんぶんと頭を振る。舌戦には自信があったはずなのに、無表情でとんでもない爆弾を投下してきた男に、何一つ言い返すことが出来ない。

 言われるまでもなく、心の底から憧れていた。身分など関係ないと情熱的に愛を囁き合って数々の障害を乗り越え、人々に祝福される形で結ばれるそのシーンを、何度も何度も飽きるくらいに読み返しては、今目の前にいる美青年とそんな風になる未来を、馬鹿みたいに妄想していたのだ。

 だが、それを妄想対象の本人から告げられる羞恥は想像を絶する。今すぐ逃げたい。


「結婚をする男女はああいう儀式をするのでしょう。あれが貴女の憧れで、あの通りのことをしたいとおっしゃるなら――と思って言っただけなのですが。違うのですか?」


「ぅぅぅ……ち、違わないけれど……」


 どこまでも冷静に、素朴な疑問、とでも言いたげに尋ねてくる青年に恨めしい気持ちを抱きながら口の中でぼそぼそと返事をする。


「で、でででも!お前、ずっと結婚なんてしないと言っていたじゃない!きゅ、急にどうして――」


「急……でしょうか」


「急でしょう!!?二年間もずっと、私の求婚をすげなく突っぱね続けて来たくせに!」


 思わず可愛くない口調で、責めるような物言いになってしまうが、仕方ない。とぼけた返答を返してくるこの男が悪い。

 ミレニアの剣幕に、ロロは少し居心地悪そうに片眼を眇めた後、小さく嘆息する。


「確かに、貴女が戯れのように『結婚』などと言うたび、俺なんぞ相応しくないと断ってきたのは事実ですし、今でもそういった気持ちがないとは言えませんが――」


「なっ――!?」


 昔のような奴隷根性を垣間見せたロロに焦って声を上げるが、ロロは苦い表情で言葉を続けた。


「俺も男です。――惚れた女に、何度もまっすぐに好意をぶつけられて、浮かれないわけがない」


「……へ――?」


 ぽかん……

 思わず口を開いて固まったミレニアに、ロロはばつが悪そうに頬を軽く顰めた。


「どうせこれは夢みたいなもので、まやかしに過ぎないのだから決して浮かれるなと、いつも理性で自分自身を律していただけです。最初に貴女にそう言われた日からずっと、都合のいい幻覚でも見ているんじゃないかと疑って――何年経っても覚めない夢に、いつも内心では浮かれていた」


 ぱちぱち、と翡翠の瞳が何度も信じられないものを見る目でロロを見上げる。

 いつもの整った顔は、苦虫をかみつぶしたような表情をしてはいるが、とても嘘を言っているようには思えない。

 ミレニアは考えたこともなかった。――ミレニアが戯れに愛を囁くたび、ロロがどれほど灼熱に身を焦がしていたか。

 どれだけ少女に触れたいと――何もかも忘れて、その身を引き寄せ口付けて抱きしめたいと思っていたか。


「ただ、貴女はお優しいので、決して無理強いしたりしないことはわかっていました。俺が言葉の上だけでも断り続ければ、いつかは呆れて飽きてくれるだろうと思っていました。――そうなればいい、と思っていました」


「ロロ――……」


 ふ、とシルバーグレーの睫毛が伏せられ、褐色の肌に影を作る。


「ですが、それはあくまで、いつまでも埒が明かない俺に愛想を尽かして、心から俺に失望する、という前提です。――貴女が本心を無理やり押し殺して隠して、”我儘”を堪えて日々を過ごさせるようなことは、俺の本意じゃない」


「!」


 きゅ……とロロの眉間に微かに皺が寄る。


「……アンタは、俺を死の縁から呼び戻そうと『二度と我儘なんて言わない』と言った。もしもこのまま何事もなくファムーラに帰ったら、きっとアンタは、有言実行と言わんばかりに、俺に一切の”我儘”を言わなくなるだろうと思った」


 その面に痛ましげな色を滲ませて、ぽつり、ぽつりと吐露されるロロの心情をミレニアは驚きと共に聞く。

 ロロは、ミレニアよりもミレニアのことをよく理解している。――何十年分ものミレニアと過ごした記憶があるからだ。

 あの時、ロロの目が覚めた後、何も言わず今まで通りの関係に戻ってしまったら、きっと、ミレニアは生涯ロロの前で聞き分けの良い女として振舞い続けただろう。

 悩みを打ち明けることもない。涙を見せることもない。

 ロロに愛を囁くことは永遠にない。ロロを愛しているという素振りすら見せなくなるはずだ。

 その身に触れるなど烏滸がましい、視界に入ることすら憚られる、とロロが言えば「そう」と見慣れた女帝の顔で微笑み、心の底に浮かんだ寂しさを押し殺して、快く受け入れてくれるはずだ。

 いつぞやの――”最初”に出逢ったころの、ミレニアのように。


「そう思ったら、やっと覚悟が決まった。俺は――生涯ずっと、アンタに”我儘”を言ってほしい。やりたいことをやって、言いたいことを言って、幸せそうに笑っていてほしい。辛いことがあったときは、誰より真っ先に『助けて』と言って縋ってほしい。――俺は生涯、どんな時でも、アンタを何より優先して助けると誓うから」


「――ロロ……」


 トクン……と心臓が幸せな音を奏でる。

 ロロは静かに嘆息して、言葉を続けた。


「どんな小さなことでもいい。俺には”我儘”を言ってくれ。――全部叶えると約束する。泣いてもいい。八つ当たりしてもいい。……結婚してくれと言うなら、する。「家族」になれと言うなら、なる。建国と同時に結婚式だ、と言ったのはアンタだろう」


 じんわりと、ロロらしい不器用な優しさを感じて、胸が温まっていく。

 やっとミレニアは身体から緊張を解いて、等身大の自分でぽすっと逞しい胸に頭を預けた。


「では、これからは、もっと愛情表現をしてと頼んだら、叶えてくれるのかしら」


「……努力はする」


「ふふ。ちゃんと私のことは、名前で呼んでね?敬語も禁止よ」


「……職務中以外であれば」


 苦い顔で返ってくる返事は、少し前のロロを思えば随分な進歩だろう。

 ほこほこと胸の中が温まっていくのを感じながら、ミレニアはそっと左手を目の前に翳して、歌うように口を開く。


「帰ったら、すぐに結婚の証を作りましょう。建国に間に合うように」


「そんなに時間がかかるものなのか?」


「この世にたった一つしかない、唯一無二の物を作るんだもの。それに、一生、ずーっと、毎日欠かさず身に着けるものなのよ?拘った物を作りたいじゃない?」


「そういうものか……?」


 いつも通りの無表情は、どうやらあまりピンと来ていないらしい。

 ミレニアは軽く口をとがらせて、ロロを見上げる。


「お前の首飾りと一緒よ。毎日毎日、決して外さないものなの。寝る時も、お風呂に入る時も、ずっと、ずーっとよ?」


「結婚の証、というのは、指輪のことだろう?……剣の握り具合に違和感が出ないか心配だ。必ず身に付けなければならないのか?」


 手綱から手を離して、左手を眺めながらぐっぐっと握るロロに、ミレニアはぷくっと頬を膨らませる。


「駄目よ。これは虫よけにもなるのだから」


「虫……?」


「結婚の証は、自分には正式な伴侶がいるという対外的なアピールでもあるのよ。帝国ならば、正妻がいる、という証になるわ。一夫一妻制の国家において、それを身に着けているというだけで、不用意にちょっかいを掛けるような女を牽制できるのよ!」


「はぁ……」


 そんな女がいたところでロロが興味を示すなどあろうはずもないが、何やら鼻息荒く息まいているミレニアに水を差さず呆れた顔で頷く。


「そうだわ!――結婚の証には、宝石を入れましょう!」


「宝石……?」


 過去、結婚の証を身に着けていた旧帝国時代の人間は皆、シンプルな銀の指輪が多かった。

 記憶をたどりながらロロが疑問符を上げると、ミレニアは良い思い付きだと言わんばかりに顔を輝かせる。


「お前の証には翡翠を――私の証には紅玉を入れるの!これなら、お前が証を身に着けていても、ただ『妻がいる』というだけではなく『相手はミレニア』だとすぐにわかってもらえるでしょう?逆もしかり、よ」


 ロロの首飾りと同じだ、という自分の言葉に発想を得ての発言だったが、ミレニアはわくわくと瞳をロロへと向ける。


「建国と同時に――というのなら、ファムーラ建国後初の結婚は私たちになるわ。その私たちが始めた宝石の入った指輪を贈りあうという風習が、宝石が豊富に採れる我が国ならではの新しい結婚の形として定着したら、とても面白いと思わない?ねぇ、ルロシーク!」


 まだ見ぬ未来へと期待を募らせ輝く翡翠の瞳は、相変わらず吸い込まれるように美しい。

 活き活きとして溌溂と顔を輝かせるミレニアに、ロロはふ、と口の端に微かに笑みを刻む。

 灼熱を宿した紅玉が、ふわりと優しく緩んだ。


「はい、姫。――全て、貴女の仰せのままに」


 サワサワと心地よい初夏の風が頬を撫でる、のどかな昼下がりの街道――

 馬上で寄り添う『自由の国』の最初の夫婦となる二人は、蹄の音を響かせながら、”幸せ”に向けて一歩を踏み出したのだった。

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【番外編】ファムーラ建国物語~お姫様が従者の奴隷根性を叩き直すまでの二年間~ 神崎右京 @Ukyo_Kanzaki

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