第104話 自由の国④
とにかく振り落とされないよう、握力を最大まで振り絞りながら必死にしがみついているうち、余計なことを考える余裕などすぐに無くなってしまった。
びゅんびゅんと音を立てて後ろに流れていく景色を見る余裕すらないまま、ぎゅっと瞳を閉じて身体を縮めていると、不意に――本当に唐突に、馬が急停止をする。
「ひゃ――」
「着きました」
停止したはずみで、ぐらりと身体が揺れて落ちそうになったところを、危なげなく鍛え抜かれた逞しい腕が支えてくれる。
そのまま、ミレニアを馬上に残し、するりとロロは自分だけ馬を降りた。
「ろ、ロロ……?」
「姫は、ここで結界を張って待っていてください。魔物が来ても、結界の中には入って来られないでしょうし――万が一、野生動物に襲われたとしても、馬にしがみついていれば、勝手にこいつが逃げます。大声を上げてくだされば、すぐに駆け付けます」
言いながら、腰に差した双剣を抜き放ち、背を向けて歩き出す。
時間との闘い、と言っていただけあって、かなり急いでいることが見て取れた。
「ぇ、ぁ、えぇ……わ、わかったわ。でも――ほ、本当にお前一人で、大丈夫なの……?」
敵は、何年も――旧イラグエナム帝国の時代からずっと、首都の人々を脅かしてきた強力な魔物だ。
そして何より、ロロにとっては、忘れられぬ因縁の相手でもある。
光魔法遣いであるミレニアが傍にいることで、何か力になれることがあるかもしれない――と、心配のあまりミレニアが声をかけると、ふるふる、とロロは首を振ってその申し出を拒否した。
「大丈夫です。敵は、身動きが取れない魔物。始末は一瞬で済みます」
「そ、そうなの……?」
「はい。それに――」
パキン……
足元で、乾いた小枝が一つ、折れる音がした。
「長く続いた、因縁だからこそ――最後は、俺の手で、終わらせたいのです」
「……そう……わかったわ」
青年の言葉に、こくり、とミレニアは頷く。
小さく深呼吸をしてから、ロロは意を決して足を踏み出す。
鬱蒼として薄暗く、寒々とした――慣れ親しんだ、洞窟の中へと。
◆◆◆
剣の先に炎を宿して、松明のように掲げながら洞窟の中へと歩みを進める。
日が差さないジメジメとした地面には、びっしりと苔が生えていて、気を抜くと足を取られて滑りそうなのも、何度来ても変わらない。
ここへ来るときは、日中だろうが夜中だろうが、いつだって絶望の真っ暗闇の中にいた。
予定調和のように繰り返される時間に焦れながら、ただ”やり直し”を切望して、暗闇の先にある一点の希望の光を目指すように、ここへ足を踏み入れた。
今は――初めて、こんなにも凪いだ気持ちで、ここを訪れる。
「ふん……流石に、瀕死の重傷とみえる。姫の光魔法は、強烈だったろう」
『貴様――!くっ……』
洞窟の先――窮屈そうにして、身動きが出来ないまま、闇より暗い漆黒を宿した生き物がいた。
炎から逃れるように身じろぎをするのは、慣れ親しんだ暗闇に戻りたいのか、風前の灯火のような生に最期まで醜く縋りたいのか。
『貴様……!一体、何者だ……!』
「お前が過去、戯れに契約を交わした相手だ。お前は忘れているだろうが、な」
軽く視線を伏せる。
訪れるたびにこの魔物が自分を覚えていないのは、いつも通りだ。
『なんだと――!?あり得ない!その、強靭な身体……莫大な魔力……!一度でも契約を交わせば、決して忘れるはずがない――!』
「この時間軸の話じゃない。――その昔、別の時間軸で、お前は俺を使って人間たちの”恐怖と絶望”を貪っていた。一度じゃない。何度も、何度も――気が遠くなるくらい何度も、俺はお前の契約に従い、世界を地獄絵図に塗り替えて、その代償として”やり直し”の機会を得た」
『な――ん、だと――!?』
「俺が、そのループから逃れること自体、お前にとっても計算外だったんだろう。だが、何の因果か、奇跡かは知らないが、無事にその悪夢のようなループから抜け出した」
淡々と説明してやりながら、すっと剣を前へ傾ける。
灯りとしての炎ではなく――攻撃するための炎として、この切っ先の紅蓮を使うために。
『そんな――馬鹿な――!』
「お前には、散々煮え湯を飲まされてきた。未だに、あの時犯した罪に苛まれ、死にたい気持ちになる時もある。だが――……一番最初の、あの運命の夜。あの日、姫の躯を抱えたまま、無力に蹲るしかできなかった俺にとって、お前の悪魔のような甘美な囁きは、終わらぬ絶望の始まりであり――確かに、唯一の、救いだった」
ごぉっ……
剣の先の灯りから、ひと際大きな紅い炎が立ち上り、洞窟の中を照らし出す。
『っ……!』
「最期の慈悲だ。――せめて、一瞬で終わらせてやる。塵一つ残すことなく、骨の髄まで焼き尽くしてやる。痛みはない。お前のせいで、命を落としていった数々の無辜の民の無念を胸に、死んで行け」
『まっ……待て――』
往生際の悪い言葉を無視して、ひたと漆黒を見据える。
これは、”決別”。
何度も孤独に突き進んだ、気が狂いそうだった『修羅の道』との決別の時。
「じゃあな。――もう二度と、お前のような存在が生まれ得ぬことを、心から願っている」
呟くように言って、静かに魔力を解き放つ。
一瞬で、地獄の業火が顕現し――
――その言葉通り、断末魔の悲鳴を上げることすらなく、都の民を恐怖へと陥れた東の魔物は、骨の髄まで焼き尽くされて、消滅していった――
◆◆◆
パキッ……と再び足元で小枝が音を立てた。
「ロロ!」
「お待たせしました」
煤のような何かで汚れた頬をぐいっと無造作に拭いながら出て来た青年の姿を認めて、ミレニアは馬上から声を上げる。
「ど、どうだったの……!?」
「はい。無事に、終わりました。――何もかも」
一瞬で、最大火力の業火を顕現させたせいだろう。いつもの無表情に疲労の色を滲ませたロロは、大きくため息をついてから愛馬へと近づく。
「本当?大丈夫?――お前にも、怪我はない?」
「はい。しばらくは、残った眷属の魔物たちが森をうろうろしているかもしれませんが、統率する存在が無くなれば、光魔法がある今、脅威ではないでしょう。無限に眷属の魔物を生み出されるわけでもない。時間をかけてゆっくりと討伐するくらいは、クルサール達にも出来るはずです」
言いながら、ひょいっと愛馬へと跨る。
ミレニアを抱えるように腕の中に閉じ込めて手綱を取りながら、ロロは静かに呟いた。
「これで――本当に、時を操る魔物は、消滅しました」
「え、えぇ……」
「もう――アンタを、二度と、失えない」
する……と漆黒の髪を撫でるようにして、昏い声が響く。
不安に揺れるその声に、ミレニアは軽く嘆息してから振り返る。
その顔に浮かんでいるのは、女神の微笑み。
「大丈夫よ。だって――お前が、守ってくれるのでしょう?」
「……はい。命に代えても」
苦笑と共に、何度目かの誓いの言葉を口にして、そっと手にした少女の黒髪に唇を付ける。
擽ったそうに軽やかな笑い声をあげたミレニアは、甘えるように青年の胸へと頭を預けた。
「早く帰りましょう、ロロ。私たちの、『自由の国』へ」
「……はい。仰せのままに」
ふ、と口の端に滅多に浮かばない笑みを刻んで、愛しい少女を腕の中に閉じ込めたまま、紅蓮の騎士は馬を帰路へと進ませるのだった。
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