宇宙波乗りロバートソン

神夏美樹

宇宙波乗りロバートソン


■宇宙波乗りロバートソン


 地球から一番離れた場所にある人工物は1977年9月5日に打ち上げられた無人宇宙探査船『ボイジャー1号』である。地球を離れること約230億キロメートル(2021年12月21日現在)を時速約六万キロメーで驀進中ばくしんちゅうだ。

 しかし、この時速と距離は絶望的遅く、絶望的に短い。なぜならば、光の速度の約十八万分の一、距離に至っては1光年の約430分の1でしかないからだ。44年の歳月をかけて何とか太陽系の外に達するも、オールトの雲すら遥か彼方だ。

 地球人は高速を超える技術を持たない。この技術を開発出来ない以上、宇宙は無限に広がる空間でしかないのだ。その大宇宙は未知でしかない、人類の手に余る謎を解くことが出来る日が来るのかどうかはつまびらかではないが、その謎について熱く語る女二人がいた。


★★★


「先生、ビッグバンは138億年前に起こったんですよね」

「ええ、そうですわ」

「じゃぁ、宇宙の大きさって、半径138億光年なんですか?」

「あら、実はそうではないんですわよ」

「……ちがうんですか」

「最新の説ですと、少なくとも半径490億光年は有ると言われてますの」

「なんか、勘定かんじょうが合わないような気がするんですけど」

「宇宙は光の速度で膨張してるのですから138億年前にビックバンが起こったとしたならその大きさの半径は138億光年と言いたいのですわよね」

「それ以外、考えられないじゃないですか」

「実はね、宇宙の膨張速度は光より速いんですのよ」

 瑛子は神夏の発言に不審な声色で反論する。

「そんな筈ないじゃないですか。アインシュタインさんは、この宇宙には光の速度より速い物はないって主張してるじゃないですか」

「そこなのよ瑛子ちゃん。アインシュタインさんは光の速度より速い『物質』はないって言ってるだけで、物質じゃない現象が起こす高速突破はあるっておっしゃってますわ、ご存じかしら?」

「なんですかそれ」

「空間の膨張速度ですわ」

「空間?」

「そうよ、空間は物質ではありませんわね、従って光よりも早くても何の矛盾もありませんわ」

「そんなぁ、それは単なる言葉遊びじゃないですか……」

「油断は禁物ですわ」

 今、先生と呼ばれた女性の名は『神夏美樹かんなみき』、妄想爆発、創作意欲暴走系のSF作家である。今も担当編集の『瑛子えいこ』と電話で打ち合わせの真っ最中だった。

「じゃぁ先生、人間は宇宙の果てにはたどり着けないということですね」

「と、言いますか、宇宙には果てが有るかどうかすら疑わしいそうでしてよ」

 その言葉に瑛子は眉間に皺を寄せながら首を傾げて見せる。

「物には終わりというか、果てが有るのが当たり前なんじゃないんですか?果てがない物なんて想像できないんですけど」

「さっきも言いましたとおり、空間は物ではありませんでしてよ。だから果てがなくても不思議ではありませんわ」

「ああ、なるほど……」

「じゃぁ、ちょっと考え方を変えて、地球の果てって、具体的にどこになりますの?」

「地球の果てですか、地球は丸いからぐるっと一周すると元の場所に戻ってきちゃいますよね。と、言うことは今、自分がいる場所が地球の果てって言うことになるんでしょうか」

「そう考えちゃうと禅問答ぜんもんどうに突入しちゃいますわね。この場合は正直に無いって答えるのが正しいんじゃないかしら。どんな場所でも住めば都、果てなんて考えちゃいけないのかもしれませんわね」

 神夏は3年B組の某有名教師の様に髪の毛を掻き上げると、どや顔で鋭い視線を決めて見せた。しかし、音声通話であるが故、それが瑛子に伝わったかと問われると正直肯定することは出来なかった。

「ところで先生、宇宙ってどういう形してるんでしょう?やっぱり打ち上げ花火みたく丸くなってるんでしょうか」

「そうですわね。宇宙の形については諸説あるんですのよ。瑛子ちゃんが今言ったように球形ですとか馬に乗せる鞍のような形ですとか、実は真っ平ですとか」

「真っ平?それはないんじゃないですか。だって、この世は縦・横・高さの三次元で表現されてるじゃないですか。これに時間軸を加える場合もあるみたいですけど」

「あら、実はそう見えてるだけなんじゃないかしら」

「は?」

「瑛子ちゃんはホログラムってご存じかしら?」

「はい、あの、きらきらしてて画像が立体的に見えるあれですよね。クレジットカードとか証券とかに偽造防止用に貼ってあるシールみたいなやつ」

「あれは画像が立体的に見えますわよね。でも、実際には平面に印刷された物でしょう。宇宙も実はそれと同じ原理でそういう見え方をしてるだけで本当は平面っていう説が有りますのよ、ご存じかしら?」

「……先生、私たち二次元なんですか、ぺらぺっらってことなんですか?」

「ふふふ、カリフォルニア大学の物理学者、ジェームズ・スカーギル博士は二次元宇宙でも重力は発生するし生命を支える事さえできるって言ってますわよ」

 瑛子は天井に視線を移しながら少しの間考え込んだ。そして、戦隊特撮ヒーロー物の決めポーズみたいな恰好をして見せる。

「先生、私たちはやっぱり二次元じゃあないと思います」

「あら、どうして?」

「だって、私たち必殺技がないじゃないですか」

「は?」

「二次元のヒーローには必殺技が必須なんです。それがないということは私たちは二次元の存在じゃないんです」

 神夏は瑛子の自分が知らない側面をなんとなく感じた。彼女は少し頼りなく感じたりすることもあるが優秀な編集者と感じていた。小説家や漫画家になりたいと思う人は日本国内にかなりの人数がいると思う。

 ただ、それが夢で終わってしまうことは多い、というか、そうなることの方が多いのではないか。

 そんな中、プロの編集者に作品を見て貰って感想やアドバイスを受けるというのは、その後の活動に対する力強い武器になる。正論で丸め込まれて凹むこともあるが、それが糧にならない訳ではない。極めて有難い言葉なのだ。

 作品が好評で運よく書籍化までこぎつけた時の儀式のようなものだが、原稿が有る程度発売されるべき文面の形に纏められた『ゲラ』と言う紙の束を渡されて、それに書き込まれた編集者のコメントを読みつつより良い方向に修正していくという作業が有る。

 それを見ると目にへばりついた頑固な鱗が物音を立ててばらばらと崩れ落ちていく感覚に襲われる。プロの編集者の指摘と言うのはそれくらい鋭いのだ。

 勿論、おいっ!!て思うようなすっとぼけた指摘もあるのだが、それは笑って無視すればいい、それは重要なことではない、単なる挨拶のようなものだ。

 そこまで考えた時、あの日のことがふわりと思い出された。八月真夏の昼下がり、冷房を止めて窓を開け放った部屋の中で、キンキンに冷えた氷と砂糖入りの甘い麦茶片手に初めての長編小説のゲラ修正をした真夏の日々。


 学生ではなかったが自分の記憶に残る限り極上の夏休みだったことは今も鮮明に覚えている。神夏にとって夏の思い出はゲラなのである。


 そして、本当の意味で大人になった季節なのだ。


 甘酸っぱい青春の季節と言ってよい初体験の思い出は、心の中でいつまでも輝き続けるのである。


「先生、先生、聞いてますか?どっか行っちゃってないですか」

「あ、ええ勿論聞いてましてよ。必殺技でしたわよね」

「そうです先生、二次元の存在は必殺技を持ってこその存在なんです。私たちの様にそれを持たないものが大手を振って何の罪の意識もなく闊歩かっぽするこの世界は三次元以外の何物でもないんです。この世界は絶対に二次元ではないのです」

 神夏は夏の香りから目覚めた。そして、著名な物理学者の理論を必殺技がないの一言で一蹴いっしゅうする瑛子の度胸に感嘆することしばし、だった。

「そもそも、宇宙は何で膨張してるんですか?ビッグバンの威力ってそんなに強力な物だったんですか」

「想像できないくらいの質量を今でも膨張させてるエネルーギー量ですからとてつもない威力なんでしょうね」

「非常識ですね、宇宙って」

「そもそも『無』から始まったのが宇宙ですわよね。そして、無の中に発生した質量が無限大、物理法則が完璧に破綻した点であるところの『特異点』が発生して爆発、ビッグバンが始まったわけですけど、だいたいにして無の中に無限大があるってこと自体、常人には理解できませんわ。常識で計り知れないのが宇宙と言う存在ですわ」

「まさに神秘ですね」

「もしもこのまま宇宙が膨張し続けたらどうなるかっていう議論は盛んに行われてて、それが宇宙の終焉しゅうえんの姿にもつながると言われてますのよ」

「宇宙の終焉?」

 瑛子は少し大げさじゃないと思えるくらいに驚いて見せた。終焉という言葉は特別な重みがあるような気がしたからだ。

「ええ、宇宙はどんな終わりを迎えるのかと言う議論ですわ」

「終わり方って、ぱっと消えてなくなって終わりなんじゃぁないんですか」

「さっきも言いましたとおり、宇宙は神秘の塊ですわ、そんな無粋な終わり方をするはずがないじゃありませんか」

「じゃぁ、どんな終わり方するんですか?」

「今、主に言われてるのは3パターン有りますのよ」

「へぇ、流石さすが宇宙」

 終わり方が何種類もあるのは人生に似ているなとも感じた瑛子は、自分の一生を思い浮かべてみた。しかし、あまり、その想像は膨らまず、何となく寂しさを感じた。

「まず一つ目は、ビックリップ」

「大口?」

「違いますわ、Lipじゃぁなくて、Ripですわ。引き裂く、破る、はぎ取る、とかいう意味です」

「物騒な意味ですね、激しく引き裂かれるとかいう意味になるんでしょうか」

「そのとおりですわ。発見されてはいませんが、宇宙を満たしている暗黒物質にはひょっとしたら宇宙を膨張させるためのアクセルである可能性が有りますの。それが宇宙全体の重力を振り払って斥力的重力がそう題しっぱなしになったとき、物質をまとめているすべての力に勝利し、いっさいをバラバラに引きちぎり、原子すら粉々になって宇宙が終わる、というのがビッグリップですわ」

「うわー、壮絶ですね」

 布切れがびりびりと引き裂かれる光景が想像できた。何に引き裂かれているのかまでは分からなかったが、結構派手な柄の布が引き裂かれる光景は少しだけだが芸術的にも感じられた。

「二つ目は膨張する力と重力が釣り合って、その後膨張が止まって再び収縮を始めるという説が有りますのよ。これをビッグクランチと言いますわ」

「クランチチョコ、美味しいですよね」

「膨張するエネルギーと重力はいずれ釣り合って、その後、伸び切ったゴムが縮むように・・・」

「わ~ん、先生、置いて行かないでくださ~い~」

「わかれば宜しい」

「反省しました」

 口では反省してると言っているが、そんな訳はなく、隙あらば突っ込んでやろうとかボケてやろうとか言う意欲が満々の瑛子である。

「そして、収縮を始めた宇宙はいずれ一点に集中することにより宇宙が終焉するというシナリオですわ」

「そこから実は再びビッグバンが起こって、宇宙が再起動するとか」

「いえ、たぶんそれはないと思いますわ。宇宙は無から始まらないといけませんの、特異点に戻ってしまうというのは無に戻るわけではありませんわ」

「はぁ、そうなんですか、残念です」

「それでね、最後、三番目の説が私の一押しで、これならすべてのつじつまが合うんじゃないかって思いますの」

「そのお勧め説とは?」

「宇宙の熱的死ですわ」

「これもまた壮絶そうですね」

 瑛子が想像したのは灼熱の炎に焼かれ、散り散りになる宇宙の姿だったが、実際の熱的死はそういうことではない。神夏はそれを察して、改めて説明を始めた。

「この場合の熱とはエントロピーのことを言いますのよ」

「エントロピー、あ~、高校の物理の授業かなんかでちらっと聞いたことがあるようなないような」

「エントロピー、つまり原子的排列および運動状態の混沌こんとん性・不規則性の程度を表す量で、どんな場合でも減少することはありませんの」

「ぐうぐうぐう……」

 物理の授業が始まったような気がした瞬間、瑛子は激しい眠気に襲われた。根っからの文系の彼女は理数系の話を体が受け付けないのだ。

「太陽のような恒星は常に生と死を繰り返していて、そのとき、エントロピーは増大していきますのよ……って、聞いてます?」

 神夏の鋭い言葉尻に、瑛子の眠気が吹っ飛んだ。

「うぐ、は、はい!!」

「つまり恒星が生と死を繰り返していくと、宇宙は次第に物質のガスや粒子だけの空間にぅってしまいますの。そして究極の姿は宇宙の中で最も長寿命のブラックホールだけが漂うだけの空間になってしまうのですわ」

「物凄く暗くなっちゃうんですね」

「そのブラックホールもホーキング放射により時間と共に蒸発し、宇宙は原子が漂うだけの空間になってしますのよ」

「ああ、あの、華々ヒーローたちが活躍した冒険の時代が懐かしいですね」

 瑛子の遠くを見つめる視線は宇宙に鋭く突き刺さる。しかし広大で果てしのない宇宙には、蚊に刺されたほどの感覚すらなかった。

「そして、陽子や中性子も寿命を迎え電磁波を放出、宇宙は何もなくなり無の空間となるのですわ。これを熱的死といいますの」

「ふーん、なんかこう、つわものどもが夢の跡って感じですね」

「ですわね。でも、ここで、わたくしがお勧めの説が登場しますのよ」

「ほうほう」

「もしここで、増大する一方のエントロピーが量子力学のトンネル効果の影響で減少を始めたとしたら」

 瑛子の心臓の鼓動がパワーアップしてドキドキと興奮が始まる。

「減少し始めたら?」

「ビッグバンが起こる可能性がありますの」

「おお、ビッグなバーン再び」

「そして宇宙は蘇り、またぞろあの輝かしい時代を取り戻すのですわ」

「うお~、スター・ウォーズー!!!」

 宇宙の再生に興奮の頂点に瑛子が達してそう叫んだ瞬間……


 ざっぱーん!!!


「きゃー、せんせーーー」

「ど、どうしたの瑛子ちゃん」

「と、突然、部屋の中に大量の水が発生しました」

「水?大量の?」

「はい、しかもしょっぱいです」

「しょっぱい?」


 神夏がそう聞き返したとき、電話の向こうから野太い男の高笑いが聞こえた。


「ハ~~ハッハッハァ、エッブリバディ、ナイストゥミーチュー、ワタシハ宇宙波乗りのロバートソンでーす」


 瑛子の部屋に現れた男、ロバートソンは上半身裸で短パン姿、そして、部屋中を暴れまわる津波の様なビッグウェーブをロングな金髪ヘア―をたなびかせ、サーフボードで器用に乗り越えつつ瑛子に向かってこう言った。

「ノーノーノー、ウォーズはイケマセーン。平和に過ごすのが一番デース。そうしないと楽しいこと体験デキマセーン」

「はぁ?」

 状況が呑み込めず、波にのまれながら困惑する瑛子を尻目に男は満面の笑顔を蓄えすいすいと波に乗りまくる。

「ウォーズなんてしてるより、私と一緒にサーフしょう、楽しーデースねー」

「うぎゃー、助けて―」

 水の底に引きずり込まれそうになって瑛子が叫ぶ。

「瑛子ちゃん、瑛子ちゃん、大丈夫?今、助けに行くからね」

「せんせー、今回はダメかもしれませーん」

「きゃ~~~なんてことに」

 慌てまくる女二人、しかし男は全く気にすることなく、輝くような笑顔で波に乗りまくった。


「ソレデハミナサーン、シーユーアゲーーーーン、ハブ・ア・ハッピーニューデーズ」


 ロバートソンが去った瞬間、部屋の中に渦巻いていた水は消え去り、バカ騒ぎの後に訪れた静寂に、瑛子は耳がキンとしたような気がした。


「先生……」

「無事?無事なの瑛子ちゃん?」

「はい、なんか助かったみたいです」

 瑛子はベランダに通じる窓に恐る々近づくと、おもむろに扉を開き、少し暮れ始めた空に目をやった。そこに、何となくだが、ロバートソンの笑顔が輝いたような気がした。

「先生、ウォーズはダメなんです。もっと楽しいこと、知的なことに力を入れないと人も宇宙も発展しないんだと思います」

「瑛子ちゃんどうしたの、頭打っちゃったの」

 瑛子の眼にはウォーズのない、楽しい宇宙が見えたような気がした。その空間をロバートソンはいつまでもサーフしてるのではないか。それはとても素敵なことではないかと思うことができた。


★★★


 ボイジャーミッションステータスホームページ(NASA):

 https://voyager.jpl.nasa.gov/mission/status/

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宇宙波乗りロバートソン 神夏美樹 @kannamiki

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