第12話:イリス竜院跡
バルト州の州都であるアンシアの第一印象は、南欧の街に似ている、だった。中央には大きな教会があり、北側にある小高い丘の上にリヨンの実家――このバルト州を治めるウィレーズ家の屋敷がある。
カラフルに塗られた建物の壁と飾られた花々が青空に映え、何とも言えない風景を生みだしていた。
俺達の住む王都は華やかさよりも実用性を重視したような造りの建物が多いので、余計にそう感じるのかもしれない。
屋敷にようやく辿り付いた俺達は休む暇もなく、荷下ろしを行い、その間にロゼはリヨンによって歓待を受けていた。使用人達も顔を真っ青にしてその対応にあたっている。
なんせウィレーズ家は王家に刃向かった反逆人という扱いになっている。ロゼがリヨンと夫人を許したとはいえ、一歩間違えれば、使用人含め一家もろとも処刑でもおかしくはない。
だが、そうではなく、ウィレーズ卿のみを断罪し、それ以外の者は全て許す……それをロゼがこの地で彼らに直接言う事が大事なんだそうだ。ゆえに今回の視察にはそういう意図が含まれている、そうロゼは言った。
「私が直接赴くことに意味があります。二度と――こちらに刃を向けることがないように。顔も見た事がない王女には何の感慨も抱かないでしょうが、自分達を断罪するかもしれない王女が直接やってきて、しかもその王女が慈悲深ければ……人の心は案外動くものです。それにウィレーズ卿の協力者もあぶり出せるでしょうし」
そんなことを笑顔を言うロゼに俺は苦笑するしかない。自分を撒き餌扱いである。
「でもロゼ様が来ると知って……使用人が何人も辞めてしまったから大変だよ」
リヨンがそう愚痴っていたのを聞いたので、俺とローヌは毒見もかねて早速手伝いを行っていた。
「辞めた使用人の中にはウィレーズ卿の計画に加担した者もいるでしょうね」
昼食前のお茶を飲みながら、ロゼが当然とばかりにそう告げる。その前に座るリヨンはというと、もうワインを飲んでやがる。くそ、俺にも飲ませろ。いや、さっき毒見で飲んだけどね。
「ですね。今、執事に行方を調査させています。無駄に終わる可能性も高いけども……」
「ありがとうございます。あまり期待せずに待ちましょう。それにこの視察の目的は、それだけではないのですからね。キリヤ、今後はどう動きますか? 祝福はまだ切れていないような感じなので、しばらくは何も起きないでしょう」
その言葉を受けて、俺は肩をすくめた。
「あんまりそれを信用したくないんですけどね……いずれにせよ、ウィレーズ家が管理しているブドウ畑もワイナリーもこのアンシアの郊外にあります。まずはそちらの視察ですが……今は春ですからね」
春はブドウ農家にとっては少しずつ畑仕事が増えていく時期だ。気候的にそろそろブドウの花が咲き始める時期なので、ブドウの結実を減らす為に余分な花穂を取り除く作業を行っているはずだ。
だが、ワイン造り自体に関してはこの時期にやることは少ない。
「設備や醸造所などは見るべきでしょうが……まあその程度です。一日あれば大体分かるかと」
味から推測するに、醸造技術的に色々と未発達なはずだ。その辺りは実際にワイナリーの者と話して、探っていくしかない。そこから改善点を上げて、この秋から始まるワイン造りに注力するような形だ。
「では、例の遺跡に?」
「はい。なぜ、ウィレーズ家のワインの技術が途絶えたのかは、あの古代文字を読み解けば分かるような気がします。その為にも、〝イリス竜院跡〟には一度行きたいですね」
「僕が案内しますよ。あそこは観光地になっていますが、遺跡のほんの一部しか見れません。あそこを管理する遺跡守とは知り合いなので、彼に聞けば色々教えてくれるはずです」
「分かりました。流石に私が行くわけにはいかないので、大人しくここでお待ちしております」
ロゼが微笑みながら、そう言ってお茶を啜る。
……おや? てっきりついてくるものだとばかり思っていたが。
その後ろに立っていたローヌが大きくため息をついたところを見るに……それはつまり――
☆☆☆
「さあ、もうすぐよ! キリヤ! ほら、リヨン様も早く!」
観光客らしき人々に混じって、黒髪眼鏡の少女が楽しそうにブドウ畑の間にある道を進んでいく。俺とリヨンはその後ろで力無く頷くしかない。
その少女の正体はもちろん――ロゼだ。
「なあ、キリヤ。本当に大丈夫なのか……? もし万が一ロゼ様に何かあれば、今度こそウィレーズ家はお終いなんだよ? なのに、護衛もなしで……」
「知るかよ……言ったって聞かないしな、あの人」
「こら、そこの二人! コソコソと話をしていないで、早く! それとリヨン様? ここでは様付けは駄目ですよ? 大丈夫! ロゼなんて名前の女の子、この国にはいっぱいいるから! 」
「だ、そうだ。行くぞリヨン。腹をくくれ」
俺がそう言って、前を行く。ちなみにローヌはロゼの影武者としてウィレーズ家の屋敷に閉じこもっている。非常に不服そうだったが、結局はロゼの言いなりになっていた。
気持ちのいい春の青空の下を歩きながら、俺は広大なブドウ畑を見渡した。風と共に運ばれてくるのは、咲き始めたばかりのブドウの小さな花の匂いだ。あまり知られていないが、ブドウの花はとても香りが強い。この世界でもそれは一緒なのだろう。
しかしここはそういう時代なのか、ブドウ畑の中は雑草も生え放題で、鶏や羊といった家畜が放し飼いにされている。ブルゴーニュでいつか見た、いっそ機械的と表現するほどに整然としたブドウ畑とはほど遠い光景だ。
「有機栽培か。まあそりゃあそうなるわな」
「……? 何が?」
「いや、ブドウの栽培方法だよ。化学肥料……なんて物はなさそうだし。害虫や疫病対策はどうしているんだ?」
「それぞれに対策はしているよ。代表的なのが、この土地の名前がついているバルト液だろうね。石灰がよく取れる土地だから、それを使った殺菌剤の製法が代々ウィレーズ家には伝わっている」
「なるほど」
面白い一致だが、地球でもボルドー液という名の殺菌剤が十八世紀頃からブドウ栽培に使われているという。あれも確か石灰と硫酸銅を使って作っていたはずだ。
なんて話をしていると、白い地面が露出した小高い丘へと辿り付いた。
「この上が入口です」
ようやくロゼに追い付いたリヨンがそう言って俺達を先導する。
「ふふふ、この遺跡、名前は知っているけど来るのは初めてなのよね。楽しみ」
「俺も興味あるよ」
昔から世界遺産とかそういうの好きだし。異世界の遺跡となれば余計にだ。
俺達は階段状になっている道を上がっていくと、丘の頂上へと辿り付いた。
「おー、絶景だな」
後ろを振り返ると、一面のブドウ畑に青空。丘にまばらに生えている林と、白いのっぽの風車がなんとも牧歌的だ。
「キリヤ、見て。凄い……」
さりげなくロゼに手を握られて、俺は慌てて前を向いた。
「おお……これは」
俺がそう言うのも無理はなかった。
その丘の頂上は、まるで火山の火口のように凹んでおり、向こう側まで目測でも五百メートル以上はありそうなほどのクレーターになっている。
だが、それよりももっと驚くべきは――そのクレーターの中央に、神殿が建っていることだろう。驚くほど精緻な装飾が施されたそれは、クレーターの中にすっぽりと収まっており、上からでも見ないかぎり、地上からその存在に気付くことは出来ないだろう。
「凄いな」
「だろ? 我がバルト州が誇る素晴らしき遺産だよ! 霊王歴以前に造られたと言われている。つまり〝竜建築〟なのさ」
「竜建築……?」
「知らないのか?」
知らないんだよなあ……キリヤ君、歴史とかそういうの一切勉強してないし。
「今でこそ、この大陸は人間が支配しているけど、大英雄である〝霊王アルフリード〟がいた時代よりも前は、竜がこの大陸を治めていたのよ。人は竜を恐れ、崇め、そして奉るしかなかった」
「だけども霊王アルフリードによって竜達は討伐され、大陸は彼によって統一されたのさ。そうして、我々の歴史である〝霊王歴〟が始まった。その大英雄の血を引くのが、ロゼ様……じゃなかったロゼの家柄であり、そしてウィレーズ家でもある」
リヨンが胸を張ってそう説明を終えた。なるほど、ロゼのクローシュ家とウィレーズ家は遠い親戚のようだ。
「で、この遺跡はそれ以前の時代の物だから、竜建築と」
「その通り! 当時、この地域は〝灰塵の竜イリス〟が支配していたらしいんだけど、彼女を奉る神殿だと言われているね。さあ近付いてみよう」
クレーターの内側にある階段状の道をリヨンを先頭に降りていく。底につくと、神殿の入口へと向かって参道が敷かれていた。崩れた石柱や砕けた石畳はそのままなので、歩きづらいのだが、慣れたものとばかりにリヨンもロゼもどんどん進んでいく。
周囲の観光客達も感嘆の声を上げ、その巨大な神殿を見上げていた。
地球では見た事ないような造りで、あえて言うならスペインのサクラダファミリアに近いだろうか?
「二人とも、こっちだ」
観光客達が、神殿の入口へと入っていくが、リヨンは神殿の右側へと向かっていく。
「あら、中に入らないの?」
ロゼが不思議に思ったのかそう聞くと、リヨンはにやりと笑うだけだった。
「ふふ、あの神殿は確かに立派だし見応えもあるけど……僕達が求める物はあそこにはないよ」
そう言ってリヨンが神殿の脇にある小さな小屋へと入っていく。
その中は雑然としており、小さなベッドが壁際に設置されている。中央にあるテーブルの上には発掘道具と発掘品らしき物が無造作に置かれていて、ここはおそらく遺跡調査の為のベースキャンプ的な場所なのだろうと察した。
「おーい、ラグ爺」
リヨンがそう声を上げると、部屋の一番奥にあった床が跳ね上がった。どうやらそれは隠し扉のようで、見れば地下へと続く階段が見えた。
そこから出てきたのは、ボサボサの白髪頭の老人だった。
「……誰だ? と思ったらウィレーズ家の息子じゃねえか」
「久しぶりだね、ラグ爺」
ラグ爺と呼ばれたその老人は、持っていた発掘道具を床へと投げると、椅子を引き寄せてそれに座った。
「久しぶりもクソもないがな……ふう、それで? そっちの二人は誰だ」
「僕の友人だよ、実は気になることがあって来たんだ」
「ロゼです。突然お邪魔してすみません」
「えっと、キリヤです」
「儂はラグランジュだ。そこのウィレーズ家の雇われ遺跡守で、この遺跡の調査を長年やっている」
ラグ爺――ラグランジュがぶっきらぼうにそう言い放った。なんとなくとっつきづらい印象だが、リヨンの感じからすると悪い人ではないのだろう。
「ラグ爺、実は見て欲しい物があって」
そう言って、リヨンが例のワインリストをラグランジュへと渡した。それを一瞥した彼が目を見開いた。その反応からして、どうやらあの古代文字について知っているようだ。
「これは……ふむ。だからここへ来たのか」
「そう。ラグ爺なら、この古代文字読めるんじゃない? だってこの遺跡の中に、これと似た文字があっただろ」
そのリヨンの言葉を聞いて、ラグランジュが目を細めた。
「古代文字……? これが?」
「違うのですか? 調べても分からなかったのでてっきりそうだと」
ロゼがそう言うと、ラグランジュは口角を上げた。
「かはは……そりゃあ調べても分からんわい。これは正確に言えば古代文字ではないからな」
「……どういうことです?」
「お前さんは利口そうだから、分かると思うが、この大陸の言語は霊王歴以前から統一されていたという事実は知っているな?」
ラグランジュの問いに、ロゼが答える。
「はい。この大陸の言語――アルト語は多少の変化や癖はあれど、どの国も同じであり、そしてそれは霊王歴以前からそうであると」
「だが例えば、ほとんど交流のない東の〝砂大陸〟の民からすれば、アルト語は未知の言語だろう。そしてもし、砂大陸の古代遺跡にアルト語が刻まれていれば――彼らはそれを何だと思う?」
「……古代文字だと思うでしょうね。この大陸と交流がないのなら、アルト語を知らない彼らにとって、それは古代遺跡に刻まれた未知の言語だから」
ロゼが答えると、ラグランジュが頷いた。
「その通り。だが、アルト語は儂らからすれば古代言語でもなんでもないだろ? もしかしたら、現代人がこっそり悪戯で刻んだものと勘違いするかもしれん」
「つまりどういうことだよ、ラグ爺」
リヨンがじれったそうにそう聞いた。
「これは古代から使われてはいるが、アルト語と同じで決して古代言語ではない」
「では、何の言語なのでしょうか?」
ロゼがそう聞くと――ラグランジュは薄く笑いながら、それにこう答えたのだった。
「何の言語だって? この遺跡にある事から分かるだろう? これは竜達の秘する言の葉――〝
毒殺無用の異世界ソムリエ ~異世界転生先は王宮の毒見役を行う下級貴族の放蕩息子でした。毒を飲むことで強くなる<変毒為薬>スキルとワインの知識で、気付けば騎士に認定され王女に寵愛される~ 虎戸リア @kcmoon1125
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