cinq -サンク-
リオートが見回りの初任務を行う日の前日。
夕食をカリマと共に剣士団食堂で取っていたリオートの元に金色のバッジを胸元に付けた、階級の高そうな人がやって来た。
「お前、リオートだな?」
一見山賊の様に見えた彼は細長い瞳をじっとリオートに向けて低い声で唸る様に言う。
「ええ、そうですが」
ステーキをナイフとフォークで器用に切り分けながら食べていたリオートはそれらを音を立てずに置き、怪訝そうに眉を顰めた。
「何か、問題でもありましたか」
貴族の様な振る舞いに不気味そうな視線を寄越した。
「シュティレ大佐が夕食後に執務室に来る様に言っていた。それだけだ。チッ。俺は伝書鳩か?」
「まあ、そんなにイライラすんな」
ステーキにフォークをぶっ刺して歯で引きちぎるかの様に食べていたカリマが可笑しそうに左手でその人をバシバシ叩いた。
「おい、汚れた手で叩くな……執務室の場所は分かるか」
リオートが分からないという前にカリマが「連れて行くから安心しろ」と言った為、彼はフンと鼻を鳴らしながら去っていった。
「あの人は?」
ステーキを食べ終えたカリマが口の周りを舌で舐め取りながら教えた。
「少尉のギガース。ぶっきらぼうで誤解されがちだけど、良い奴だ……さて」
丁度リオートも食べ終えたのを確認したカリマは席を立ち、ぐるりと首を巡らせた。
「さて、ここで残念なお知らせだ。さっき、執務室の場所が分かると言ったが……」
カリマは探していた人物を見つけた様でホッとした様に息を吐いた。
「それは嘘だ」
「本当に、大アホとしか言いようがないわね。貴方自身の身が被害を被るだけならどうでも良いけれど、リオートにもシュティレ大佐にも迷惑がかかるって事分かってたの?」
フォーゲルがぶつくさと文句を言いながらも案内を引き受けてくれた。
「ここよ、きっとあれね。階級バッジを渡す為に呼んだのよ。リオート、貴方あれでしょ。明日初任務なんでしょ」
どうして知っているのかが少し不気味ではあったけれども事実であったのでリオートは頷いた。
「懐かしいわね。私がバッジを貰ったのは随分前のことになるわ」
「それから何年も経って喧しい今の姿が形成されたんだな。そう、若さが抜けきった──イッタ」
フォーゲルはヒールでカリマの足を見事踏み抜き、黙らせた。
「終わるまでここで待っているから、行ってらっしゃい」
リオートはカリマの方へは目を向けずに──自業自得だと思ったのだ──執務室のドアをノックした。母に「二回はトイレ、三回がその他」とノックの回数を何度も教え込まれていたのできちんと三回行う。
少し後ろに下がっているとドアが開き、シュティレ大佐が顔を出す。
「良かった。連絡はきちんと言っていたみたいで安心した。どうぞ」
リオートを中に招き入れたシュティレ大佐はふと廊下でカリマとフォーゲルが会話をしながら待っているのに気付く。
「良い友人を見つけたみたいだね。楽しそうだ」
リオートはちらりと二人を見て、苦笑した。
「良かったよ」
シュティレ大佐はそう言って少し遠い目をした。しかし、それは一瞬でリオートが瞬きを一度する間には元の優しい笑みを浮かべたシュティレ大佐の顔があった。
「二人を待たせてはいけないから、すぐに終わらせるよ」
そう言って、部屋の隅にあるガラスの扉付きの棚から木の箱を取り出した。
「リオート」
名を呼ばれ、リオートは自然と背筋が伸びた。
「このバッジは昇格する若しくは剣士として居られなくなるまで君のものになる。決して無くしてはいけないし、汚してもいけないよ」
そっと蓋を開き、リオートへと見せたシュティレ大佐は、リオートの瞳がぐっと大きくなるのを見てくすくす笑った。
「きっと直ぐに必要になるだろうから」
シュティレ大佐はそっとリオートの肩を叩いた。
「明日の朝は早いから、もう帰って寝なさい」
蓋を閉じ、リオートは執務室を後にした。
翌日。
まだ月が空に鎮座している様な真夜中と早朝の間くらいの時間にリオートは目を覚ました。
やはりというべきか、カリマはベッドから片足を出しながらいびきをかいていた。
この数日でカリマの起こし方を完全にマスターしたリオートは耳元でそっとある単語を囁く。
「フォーゲ……」
「うわああ!」
フォーゲルとの間に何があったのやら、彼女の名を口に出すだけでこの叫び様だ。
「ようやく起きましたね。このまま起きずにぐうたらして居たらどうしてやろうかと思っていましたよ」
「ほんと、性格悪いよな」
寝癖であちこちに髪が跳ねたカリマが嫌そうな目でリオートを見るが、リオートはそれをさらりと流す。
そもそも、先輩であるカリマがリオートよりもしっかりしているべきなのに後輩に起こされている時点でおかしいのだ。
「あまり時間がないので、早く着替えて下さい」
既に剣士団の正装を着て襟に昨夜貰ったバッジを付けていたリオートは部屋の外、扉の前に置かれた椅子の上にある食事を持ってきてテーブルに乗せた。
カリマが夜に酒を飲んだ様で空の酒瓶が二つ置かれていた。
「どうして次の日に任務があると分かっていながら酒を飲むのでしょうね。どうせなら今日の夜に飲んで下さい」
テキパキと食事の乗ったトレイをテーブルに置き、酒瓶を手に持って部屋の外の椅子に乗せた。
「何か、母さんみたいな事を言うなあ」
カリマはノロノロと服を着替えながらそう呟いた。リオートは自身の母を思い出し、カリマの言葉に首を傾げる。
「母はこう言ったことは全く言わなかったですね。どちらかと言えばカリマと同じ様な感じでした」
「じゃあ、よっぽどお茶目な人だったんだろうな」
「……そうですね」
木の蓋のされた食事の中身はサンドウィッチだった。カリマの分は肉が沢山挟まったチキンサンド、リオートはあまりお腹が強くないと言うことで軽めのタマゴサンドと食べる人の事をきちんと考えたものだった。
「食堂の方々に感謝ですね」
「そうだな」
黙々と食べ、空になった皿を椅子の上に戻す。
「じゃあ、行こうか」
カリマはベッド脇に置いていた自身の武器を手に取って何とも気怠げな欠伸をしながらドアを開け、押さえた。
リオートはそんなやる気のなさそうな態度のカリマに少々不安を感じつつも、部屋を後にした。
氷が舞う時 東雲 蒼凰 @myut_cat
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