天女のふるさと

みよしじゅんいち

天女のふるさと

 三方を山で囲まれた静かな山間やまあいの湖。火をおこし、弥彦は父親の言いつけで鉄砲を洗っていた。水に触れると体の芯まで震えが走った。銃身は尾栓を付けたまま桶に立てて、洗い矢を突っ込んで腔内を洗う。鉄砲鍛冶の家になんぞ生まれたくなかったなと思いながら、黒色火薬の煤を落とす。

 辺りが暗くなる。日暮れには早いので、雲が天道を隠したのだろう。銃身を逆さまにし、火皿と火蓋を藁束でこすって汚れを落とす。辺りが少し明るくなる。風がないで、鏡のようになった湖面に何かぼんやりと光るものが映っていた。天を仰ぐと、頭上から何かが光りながら降りてくるようだった。陽は雲に隠れたままだった。

 尋常ならざる様子に呆然としているとそれは少しずつ大きくなり、羽衣をまとった少女の形を取り始めた。これが話に聞く天女というものだろうか。髪の長い少女は弥彦の目の前の岩場で一瞬静止したかと思うと、光を失い姿勢を崩して倒れた。水しぶきの音で我に返り、弥彦は鉄砲を放り出して湖に入る。少女を助け起こす。

「おい、大丈夫か」

 美しい目を開いて、少女は弥彦を見つめる。背格好からすると、十六、七というところか。俯き、羽衣を引き寄せて震える。

「寒いのか。待ってろ」

 弥彦は火のそばまで少女を連れて行き、暖を取らせる。顔色に血の気が戻る。転倒したとき岩で切ったのだろうか。額に血を流していた。

「見せてみろ」水で洗い、鉄砲を拭うための布を当てる。

「これでいい。——それで一体、お前さん、どういう訳で天から降って来たんだ?」

 少女は弥彦を見て、きょとんとしている。

「言葉が分からねえのかな。——腹は減ってないか?」竹包みを開いてむすびを見せると、弥彦の手から奪い取って豪快に食らいつく。

「ふふ。うめえだろう」ふたつめのむすびを平らげると、少女は火のそばで寝息を立て始めた。何だか知らないが、疲れていたんだなと空を見ると、太陽が大きく西に傾いていた。こうしてはいられない。日暮れまでに油を塗って鉄砲を仕上げる必要があった。弥彦は二本目の銃身を手に取った。

 予定の半分まで油を塗ったところで日が暮れてしまった。残りは明日やるしかない。火の始末をしようと見れば、いつの間にか少女はいなくなっていた。


 翌朝「もうちっとマシな言い訳はなかったのか」と父親に言われながら、弥彦は鍛冶場を後にした。あれは夢だったのだろうか。湖に着いたが、昨日置いて行ったはずの道具がない。水を汲みに来ていた百姓の吾作に聞くが、知らないという。

 辺りを見渡していると、冬枯れの木立の奥から「しゅるるるる」という音のするのが聞こえた。弥彦は木立の奥に目を凝らした。また「しゅるるるる」と音がする。音の方へ行ってみると、はたして昨日の少女がいて何かの作業をしているようだった。おーい、と声を掛けようとしたとき、また「しゅるる」という音がして、少女の口から糸が吐き出されるのが見えた。やはりあれは人間ではなかったのか。弥彦は息をのんだ。「しゅるるるる」木立の間に糸が張り巡らされ、綿菓子のような巣が作られようとしていた。まだ天女は弥彦に気づいていないようだった。

 絶句していると、辺りが暗くなり、それから湖の方が明るくなった。嫌な予感がして踵を返すと、ちょうど天からふたり目の天女が湖に舞い降りるところだった。辺りの様子に気付いたのだろう、背後から昨日の少女、ひとり目の天女がやってきた。

「よ、寄るな。こっちに来るな、バケモノ」腰を抜かした吾作はわめきながら石を投げる。どちらの天女にも当たらない。

 弥彦は吾作を羽交い締めにして「落ち着け」と言う。ふたり目の天女は落水せずに地上に降り立ち、ひとり目と連れ立って木立の奥へと消えていく。見ると木の陰に鉄砲が立てかけてあった。よく仕上げられている。おそらく昨日の礼に天女が、見よう見まねで磨いてくれたのだろう。

「な、なんだ、なんだよ、あれは」吾作がわめく。

「さあな。だが、悪い者じゃないと思う」弥彦が言う。


 しばらくして、村の作物が何かに荒らされるようになった。折からの不作に駄目押しの食害。村の打撃は大きかった。策を講ずる必要があると、和尚の呼びかけで寄り合いが開かれた。弥彦とその父親も寺の本堂に集まった。

「不審な女を見かけたという者が多くいる」

「薄絹を着て大根をかじっておったらしいぞ」

「知らんのか、山に巣があるのを。あれはヒトじゃねえというではないか」

 みな口々に、天女のことを非難していた。あれからというもの弥彦は湖に行ってはいなかったが、ときどき山の方が光っていたので、天女がかなりの数に増えていても不思議はなかった。困ったことになったなと思った。

「ゆうべ、おらが一匹退治してやった」吾作が言うので、みなが黙った。「夜中に畑から音がするでよ。鍬を持ってそーっと近寄って行ったんだ」腰抜けの吾作が何を言うのかと思ったが、弥彦は黙っていた。「敵もさるもの。口から糸を吐いて噛みついてきやがったから、鍬を振り回して突き飛ばしてやったら、それっきりよ」

「やったのか」

「ああ、ぶち殺してやった」下品に笑う吾作を殴ってやろうと弥彦が立ち上がる。父親に足をすくわれて転倒する。

「それで死体はどうした」

「それが朝になったら消えておったのよ」

「なんだ。また吾作のほら話か」

「何を。嘘じゃねえぞ。この傷をみやがれってんだ」吾作が腕をまくる。みながガヤガヤと勝手なことを言い始める。

「騒々しい」和尚が一喝する。「とにかく、このままでは村が立ち行かぬ。年貢が取れんでは領主も困るじゃろう。——それで、じつはの、すでに領主のところへ行き、ご家老に化生けしょうの成敗を願い出たところなのじゃ。快く引き受けて頂いたぞ。さすがはご家老、糸を吐くというところからして、おそらくは絡新婦じょろうぐもという名の妖怪であろうと――」

「——あれは」弥彦が震えながら口を挟む。「あれは、悪い者ではありません」

「何を言うか、たわけ」父親が弥彦をたしなめる。

「一飯の礼に、わたしの仕事を手伝ってくれたのです。妖怪だなんて、そんな。あれはきっと天女に違いありません」

「たぶらかされるでない。絡新婦じょろうぐもがなにゆえ、美しい女の姿に化けると思うておるのじゃ」

「そうじゃ、糸を吐く天女なんざ聞いたことがねえや」吾作がまた笑う。「ご領主さまに化物退治をしてもらえるなら、ありがたいことです」


 山の巣へ向かい、弥彦は夜道を駆けあがる。木立を抜けると月明かりに白い繭状の巣が繋がり合って、大きな群落ができていた。弥彦は空砲を撃ち鳴らす。

「おおい。聞こえるか。みな、逃げるんだ。ここにいたらやられるぞ」大声を出す。天女たちがひとりふたりと巣から顔を出し、辺りが明るくなる。奥から額に傷のある天女がやってくる。

「お前か。あのときは助かった。みなに言ってくれ。ここにいたら危ないんだ。領主が武器を持ってくる。早く逃げるんだよ。ご領主のところには鉄砲もあれば、大筒もあるんだ」天女は首をかしげている。「ちくしょう。やっぱり、言葉が通じねえか。こんな巣なんか、すぐに吹き飛ばされちまうっていうのに——」弥彦は鉄砲を取り出して威嚇する。木の枝が弾け飛ぶ。「みんなこうなっちまうんだぞ」天女はきょとんとするばかりで逃げ出す様子はない。——お前たち、どこから来たんだよ。ここにいちゃだめだ。そこに帰るんだよ。唇を噛みしめ、泣きそうになりながら弥彦は家に戻っていく。


 その翌日弥彦は、鉄砲の納品で領主の城を訪ねる父親に同行した。身体を検められた上で、大天守の武具庫に通される。重い頭で弥彦は火縄銃を武具掛けに並べる。冬というのに扇子を開いて家老が欠伸する。

「どうじゃ、国友殿。村は糸を吐く女の化物に往生していると聞くが」

「はい。みな、田畑を荒らされて苦心しております」

「そうか。何でも妖艶なる女子おなごの化生だそうじゃの」

「はあ。それにたぶらかされる者もおるようで。なんとも情けないことで」父親が弥彦を見る。弥彦の眉間に皺が寄る。

「まあ、近々退治してくれるで安心せい。——そうじゃ、せっかく来てもらったのじゃ。城の守りについておぬしの意見を聞かせてもらえんか」

「喜んで」

「おお、よかった。いや、なに。ご領主が鉄砲狭間の設計に腐心しておってな。佐吉に城内を案内させよう」家老が扇子を畳んでポンと音を立てる。「よいな、佐吉」佐吉と呼ばれた小姓がうなずく。

「——弥彦、後は頼んだ」弥彦の父親が言う。「くれぐれも、ばかなまねはするなよ」父親は鉄砲を一丁手に取ると、佐吉について部屋を出る。


「はてな。ばかなまねとは」家老が扇子を開いて口元に当てる。

「恐れながら、ご家老様」弥彦の額に汗が浮かぶ。「化物の退治をやめて貰う訳には参りませぬか」

「なんと」

「あれは悪い者ではないのです」

「ほうほう。そうか。そうであったか」喜色満面の家老が弥彦に顔を近づける。「ぷっ、くくく。たぶらかされておったのが国友殿のお子であったとはな」

 話しても無駄か。弥彦が心を閉ざそうとしたとき、連子窓が激しく光った。一瞬ののち、西の丸から轟くような爆音と衝撃が走り、天守が激しく揺さぶられた。泡を食って家老が尻もちをつく。黒い硝煙の匂いと熱風が押し寄せる。弥彦も身を低くして、咳き込みながら、にじるように避難する。焔硝蔵(火薬庫)に火でも入ったのだろうか。いくさ支度の音に「敵襲」の声。風が吹き、煙が切れたすきを見て、通路の鉄砲狭間から外を覗く。辺り一面火の海になっていた。切り石造りの焔硝蔵が吹き飛び、跡形もない。あれが爆心に違いなかった。

「女だ。女がいるぞ」

「それじゃ、それが絡新婦じょろうぐもじゃ」息も絶え絶えに家老の声がする。「焔硝蔵に火を入れよったのじゃ」

灼熱の中、弥彦の背筋に冷たいものが走る。まさか本当に天女の仕業なのか。崩れた壁を見る。人がその下敷きになっていた。「おい、しっかりしろ、親父!」弥彦は父親を抱き起そうとするが、すでにその息はなかった。


そこへ羽衣の女が現れる。この地獄には似つかわしくない、きれいな顔をしていた。額に傷痕があった。弥彦の心臓が軋む。「お前か。——お前がやったのか」相変わらず天女はきょとんとしている。「どうして俺についてきた」怒りが弥彦の目の前を真っ暗にする。「くそっ。何とか言えよ」天女は首を傾げ、困ったような顔をする。「ひとつだけ、分かった。これは俺のせいだ」弥彦は死んだ父親の手から鉄砲を奪う。「ここじゃ、お前たちは生きられない」天女の頭へと鉄砲を振り下ろす。鮮血が飛び散り、天女は城の裂け目から転落する。


戸を叩く音に、ひどい汗をかいて弥彦は目を覚ます。髭だらけの顔で水を飲む。何の夢を見ていたのか思い出せない。戸を開くと和尚が立っている。

「一緒に来てくれ。吾作が倒れた。糸を吐いておるらしい」

「糸?」

絡新婦じょろうぐもの祟りではないかという噂じゃ」

「どうして私が?」

「おぬしも殺したのじゃろう、その絡新婦じょろうぐもを」


吾作の家の寝床には米俵程の大きさの繭が雲のように横たわっていた。さわると羽衣のようにつややかだった。繭を撫でる。と、和尚が裁ちばさみをもってくる。

「どうするつもりですか」

「もう手遅れじゃ。虫の繭ならば中におるのはさなぎであろうが、ことによるとこれは——。今のうちに殺してやった方が村のためになるかもしれん」

「やめてください。和尚の理屈が正しいならば、殺した和尚も糸を吐くようになるのではありませんか」

「いまさら何を言う。このまま蜘蛛がのさばれば、どの道ひとは生きてはいけぬ」

「わたしがあれを殺したのは間違いでした」

「何?」

「領主の城の爆発にあの者どもは関係なかったのです」

「まだそんなことを」

「それにこれは蜘蛛の祟りではありません。この地獄から天に昇るため、御仏の遣わされた蜘蛛の糸なのです。どうか断ち切らないでください」

「何だと?」

「あの日以来、私にはあの者どもの言葉が分かるようになりました。あの爆発は領主を暗殺しようとする家老の陰謀だったのです。天女は濡れ衣を着せられただけです」

「ええい。次から次とおかしなことを申すな」

「和尚。これは私が預かって行きます。いずれ天女のふるさとでお会いしましょう」弥彦は吾作の繭を抱えると、障子戸を開け、そこから天へと飛び立った。

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