31. 音楽は、続く。
ソフィアは怒り心頭だった。
「あたしが告白したときにはもう自覚していたはずなのに、思わせぶりに保留してくれちゃって。ルイのああいう優柔不断なところが嫌なのよ!」
馬車のワゴン内で足を組み、“不機嫌”を体現する彼女の隣に座るレオナルドは、呆れた声で応える。
「とか言って、彼のそういう優しさが好きなんだろ」
「まあそうなんだけどね⁉︎」
「はあ、許婚の前で他の男の好きなところなんか言うなよなー」
「家が決めた許婚だから、お互い誰が好きだろうと自由でしょう。レオも好きに恋愛しなさいよ」
何気ない言葉に、レオナルドは心を抉られる思いだった。はあ、とため息をつき、髪をくしゃくしゃと乱す。
あのさ、と切り出した彼の顔は真っ赤だ。
「僕はソフィーのこと好きなんだけど。想ってるのは自由なんだよね?」
勢い良く彼のほうを向いて目を合わせたソフィアの顔もじわじわ赤くなる。口を開いたり閉じたりして、ようやく出た声は、
「ほぇ……?」
というなんとも間抜けなものだった。
彼女の照れにつられるようにして、レオナルドの顔もさらに赤みを増した。ワゴンの中が暑くなった気がする。
なんで、と繰り返す彼女に、不貞腐れた口調で言う。
「別にソフィーが執事のことを好きなのは分かってたけどさ。一途に執事を想ってるソフィーも結構好きだったというか」
「お、おかしいわよ。振られることが分かってて想いを寄せるなんて!」
「どの口が言うんだよ。お前だって、執事はユスティーナさまが好きだって分かっていながら恋をしていただろ。告白までしちゃってさあ」
「なっ……!」
鼻で笑うレオナルドに、ソフィアの照れは怒りに変わった。肩を叩きながら、とは言ってもぺしぺしと音を立てる程度の優しいものだが、彼女は冷たく言い放った。
「ふん、せめてあたしの身長を超えてからにしてよね!」
「僕が身長気にしてるの知ってるくせに……!」
言い合いをする声がワゴンの外まで漏れる。御者が「ん?」と怪訝な顔をして後ろを振り返り、
「お二人は本当に仲がよろしいようで」
と嬉しそうに呟いた。
******
城内を、ユスティーナとルイは並んで歩く。
「どうしよう。つい頬が緩んでしまうわ」
「僕たちのことは秘密にすると約束したでしょう。執事として僕の立場がなくなってしまいますから」
「ルイだって、なんだか最近気が抜けているわよ?」
「……すみません」
顔を何度も叩いてみるも、ルイの表情は変わらない。廊下を掃除している執事たちがこちらを見ている気がする。
執事が仕えている主人と恋愛関係にある、だなんて、通常あり得ないことだ。
ベンジャミンが娘たちをどれほど愛しているか知っているからこそ、彼には打ち明けられない。ゲンコツさえ受け入れる覚悟を決めなければならないな、と思いつつも、決心がつかないでいた。
応接室に到着し、ノックをした。元気の良い声に迎えられて入室する。
長いソファに並んで座るジェイクとケイトが、二人に大きく手を振った。ケイトがつまんでいたクッキーを口に放り込み、
「やっほー。どうしたの二人とも気まずそうにして。付き合いたてみたいな雰囲気だよ」
と何気なく言った。揶揄ったつもりだったのに、二人は顔を赤くして支離滅裂な言葉を並べる。その慌てぶりで、兄妹はすべてを察する。
「……まじ?」
「俺らはずっとお似合いじゃんって揶揄ってきたけど、本当に付き合うと驚くわ」
「うんうん。どっちも片想いだなっていうのは見え見えだったけど、お堅い二人のことだから進展はないのかなって思ってた。でも大丈夫なの、執事と王女って。禁断の恋じゃない?」
ケイトの笑い声だけが応接室に響く。雰囲気が沈んだ室内で、再び察することとなった。
「……禁断なんだ?」
頷いたルイを、兄妹は手招きして向かいのソファに座らせた。ここは城内であるはずなのに、すっかり二人の恋愛相談室になってしまった。
「俺は、どうせ二人のことはばれてると思うぜ。だから堂々としちゃえよ。堂々と『俺の女だ』って言えるようなやつに任せたいって王族も思うはず」
「俺の女だなんて言えません。僕はユスティーナさまのために生き、ユスティーナさまによって生かされているのですから。むしろ僕はユスティーナさまのものです」
「ちょ、ちょっとルイ、お二人にそんなこと語らないで……。それに、私だってルイの存在あってこそだわ。今の私は音楽で生きてる。その音楽をくれたのはあなただもの」
「ひゅー!」
互いにぽっと頬を染める二人を見ている兄妹が冷やかす。けれどもユスティーナとルイの耳に冷やかしが入っている様子もなく、あなたのおかげで、という話を延々続けている。なんだかんだ言って、二人は浮かれていた。
ユスティーナが、
「今日ご兄妹に渡す音楽だって、ルイのおかげで」
と言いかけたところで、はっと気が付いた。そういえば今日は、新曲を聴いてもらうために呼んだのだったと思い出したのだ。
「すみません、新曲でしたね。聴いていただきましょう」
応接室にあるピアノをルイが弾き、ユスティーナがその伴奏に合わせて歌う。本来は楽器数も多く、音に厚みを出した楽曲だが、まずは曲の雰囲気を伝えるためいつもこの形式を取っている。
今回は初めてのジャズ調の楽曲。ピアノが跳ね、歌声が舞い、軽快なリズムが刻まれる。
弾き終えると兄妹は立ち上がって褒め称えた。
「やっぱりあんたらは天才だな! 良いメロディに引き出されるみたいに、書きたい歌詞が次々と浮かんでくるぜ!」
「ユスティーナサマに会えて良かったよ。曲を作ってもらえたのはあたしらだけでしょ? 幸運だね」
「いえ、実はご兄妹よりも前に、僕たちで曲を贈った方がいらっしゃいまして……」
言いかけたところで応接室がノックされた。何か大事な用事だろうかと思いながらルイが出ると、そこには見覚えのある少女が立っていた。執事に付き添われ、緊張した表情をしている。
「お久しぶりですね、ビアンカさま」
「急にごめんなさい。お礼を言いたくて来たの」
突然訪問なさいまして、とだけ説明すると、付き添いの執事が会釈をして離れる。
彼女は小さな手で、いつの日か見た、柔らかい白色のワンピースの裾を握っている。慣れない城内の雰囲気に怯えているのだろう。
なにか言おうとする彼女を一度制止して、
「ちょうど良いところにいらっしゃいました。どうぞ、中へお入りください」
と応接室に通した。
「ん、誰その小さい子」
「ビアンカさま! お久しぶりですね!」
睨んでいるように見える兄妹の視線に萎縮したが、嬉しそうなユスティーナの顔を見るなり和らいだ。
言われるがままソファに腰を下ろすと、ルイが兄妹に話し始める。
「僕たちが誰かのために曲を作ったのは、こちらのビアンカさまが初めてでした。その経験から、ユスティーナさまは曲作りに夢中になられたのですよ」
ジェイクとケイトは顔を見合わせた。そしてひとりちょこんと座るビアンカをじっと見る。
「じゃあ、俺たちはこの子のおかげで曲を作ってもらえることになったのかあ」
「ありがとうね!」
「は、はい」
訳もわからぬまま握手をする三人を微笑んで見ていたユスティーナが、用件を尋ねる。するとビアンカは嬉しさを満面に表して言った。
「ママの体調が良くなってきたんです! 私たちが歌を歌ったあたりからだと思います。たぶんそろそろ退院出来るって、看護師さんが言ってました」
ユスティーナとルイの頭に、あの穏やかな母親の顔が浮かぶ。続けざまに、弟妹たちのにこやかな顔も浮かぶ。
何かが込み上げるような感覚がして、ユスティーナはビアンカに抱きつき、ルイはビアンカの手を取った。
震えている二人を見て、
「私のママを元気にしてくれて、ありがとうございました!」
と、ビアンカまで涙ぐんで言った。
******
玄関で兄妹とビアンカを見送った後、夕食のため二人でダイニングルームへと歩く。
「ユスティーナさま、嬉しいですね」
つい溢れたようなその言葉を受けて、ユスティーナの足取りは軽くなった。半ばスキップのような足取りで言う。
「ええ。音楽ってまだこの国では軽視されがちだけれど、人生さえ左右する力がある。ルイといくつか曲を作って、それを強く感じたわ」
「ともに曲を作ることが出来て、幸せですよ」
「ふふふ、私もよ。曲作りを提案してくれてありがとう」
ダイニングルームに着くと、椅子に座っていたはずのベンジャミンが二人に近付いてきた。ルイの頭に手を置き、耳元で低く言う。
「まさかルイに娘を託すことになるとは思わなかったがな。まあお前なら文句は言わん。ユスティーナを頼んだぞ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で彼を見上げたルイは、ダイニングテーブルにいるミシェルが微笑んでいることに気が付いた。会話がそこまで聞こえているはずがない。
「ミ、ミシェルさま……!」
ミシェルはお茶目にピースサインまでして見せている。
ベンジャミンは自らの椅子へと戻る前に、一言付け足した。
「娘を泣かせるようなことをしたら、許さないからな?」
肝が冷える。ルイは姿勢を正して、
「心得ております!」
と答えた。
一連のやり取りを見ていたユスティーナは、厨房へ入ろうとするルイを引き止めて、食器棚に隠れて頬にキスをした。
真っ赤な顔で頬を押さえるルイに、ユスティーナはミシェルそっくりのお茶目な笑みを見せる。
「お父さまにも許していただけたようだし、私たちは敵なしよ」
「ユスティーナさま、僕の心臓が保ちませんから突然はやめてください!」
逃げるように厨房へ入ったルイを見送りながら、ユスティーナの脳内にはまた新たな音楽が鳴り始めていた。
ユスティーナ王女、音楽プロデューサー(P)の才がございます! 梅屋さくら @465054
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