30. ティーカップから零れた気持ち。

「ルアーナは、兄の目論みなんて当然知らなかった。王族関係者には彼女を咎める声もあったけれど、私たち王族は寛容な立場を取ったわ。……不思議に思う? 成人してからは家族と言えど他人。成人した兄が犯した罪を、妹が償う義務なんてないのよ」


 だから安心してちょうだい、と言われ、ルイはふと顔を上げる。


 短くなった前髪に手が移り、そのまま瞼のあたりまで撫でられる。目を瞑って撫でられているルイは、まるで犬のようだなとミシェルは思った。


「家族の罪を咎めることはしない。いい? ルアーナやムヒカのことで、あなたに対する態度を変えたりなんかしないの」


 ルイはさらに泣いた。養子といえども、このエングフェルト家の一員となれたことが誇らしい。


 優しい手のひらに甘えてしまいそうで、ルイは身体をミシェルから遠ざけた。するりと手が離れていき、彼女は淋しそうな表情をする。


「家族として、母のしたことを知らないままではいけないと思っています。僕ももう二十歳です。真実にきちんと向き合った上で生きていきたい」

「そうね、私もいつかは話さなければならないと思っていたの。ベンジャミンは反対するでしょうけど。ただひとつ約束してね。“真実を知っても、自分を責めたりしない”と」


 ルイが頷くと、ミシェルは少々考え込んだ。何からどの順で話したら良いのか、整理していた。


 二人掛けのソファに座る彼女は、ルイを隣の席に座らせた。そして彼の左手をそっと両手で包む。痩せ細った手に、時の流れを感じる。


「ルアーナはロマンを喪ったことで相当なダメージを受けていたの。さらに兄の罪を話したら、彼女は本当に狂ってしまう……そういう懸念から、彼女にムヒカのことは話さなかったわ。その甲斐あってか彼女は少しずつ戻っていった。あなたの父親と出会ってからはすごく楽しそうだったの」

「でも僕の父は病で亡くなってしまった、のですよね」

「ええ。時折彼女は私たちと会食していたのだけれど、彼が亡くなってからは酷い状態だった。それこそロマンを喪ったとき以上に憔悴していたわね。自分に関わると良いことない、ってうわ言のように繰り返してた。いつからなのかしらね、その自分への怒りが、ヘレンに向いたのは」

「どうしてヘレンさまに矛先が向いたのか分かりません。ユスティーナさまやソフィアさまはそんな理不尽な怒りでお母上を喪ったのですか」

「さあね。彼女は自立した女性で、プライドも高かったから、誰かのせいにしないと生きていけなかったのかもしれないわね。私たちもわけが分からないまま、相談したいことがあると言って呼び出されたヘレンは、ルアーナに刺殺されてしまったのよ」


 ミシェルがそこまで話したとき、ドアのほうで何かが崩れたような音がした。二人ではっとそちらを振り向くと、顔を床に打つ体勢でユスティーナが倒れていた。


 彼女の前には、ティーカップが二つ逆さまに転がっていて、ミルクティーが絨毯にシミを作る。


「ユスティーナさま! 大丈夫ですか⁉︎」


 ゆっくりと立ち上がった彼女の顔に赤い擦り傷がついていた。スカートがめくれ、膝まで擦りむいている。


 けれどもルイたちは、擦り傷以外のことに驚いた。顔を上げて二人のことを見たユスティーナの顔は涙でぐしゃぐしゃだったからだ。化粧が落ちて薄紫色の涙が頬を伝う。


「ううー、ルイー」


 スカートを直すこともなくルイに駆け寄ったユスティーナは、彼に飛び付いた。傍らで見ていたミシェルは笑う。


「まあ、ユスティーナ。さては私たちの会話を立ち聞きしていたのね?」

「ルイにミルクティーを淹れて来たのだけれど、つい気になる話が聞こえてきてしまって。おばあさま、ごめんなさい。ううっ」

「あなたが『ミルクティーを淹れたい』と言ったとき、執事たちはさぞ慌てたでしょうね。あまり執事たちを困らせてはだめよ」


 ミシェルが茶化す間も、ユスティーナはすすり泣いていた。ソファに座るルイの太ももを跨ぎ、背中にひっしとしがみ付く彼女の表情を、ルイだけが見ることが出来ない。耳元ではなを啜る音を聞くのみだ。


 顔色を窺う声色で、


「ユスティーナさま……?」


 と声を掛けても彼女は離れようとしない。


 抱きついたまま話し始めた彼女の柔らかい声が近く、不覚にもドキドキしてしまう。


「私たちは家族なのに、どうして悩み事を打ち明けてくれなかったの。私ずっと心配していたのよ。本当のことを話したら、ルイを見放すとでも思った?」

「すみません。ですが、ユスティーナさま……僕の母が……」

「全部聞いていたわ。色々な感情がないまぜになって涙が止まらない。当然、お母さまのことは許せない。でもね、私も王族の人間だから、お母さまのことでルイを責めるわけないでしょう」


 話しながら涙はさらに量を増し、彼女の背中が大きく動いているのがルイにも分かった。


 手を背中に伸ばそうかとして手を彷徨わせていると、彼女は言葉を継いだ。


「私はあなたのことを心の底から好いている。だからあなたを突き放すなんてもう出来ない」

「ありがとうございます。信頼していただけていること、執事として光栄です」

「そういう意味じゃない! 私はあなたに、恋や愛のような感情を抱いているの! 以前あなたに抱き締められたときも、もっと触れ合っていたいって思った」

「……それはそれで、光栄です。僕も、ですから」


 ルイの肩をぐいと押し、彼女はようやく顔を見せた。ぽかんとした表情のユスティーナと、口に手を当てて微笑むミシェル。ミシェルがいることに今さらながら気付いたルイは話を止めようとするも、ユスティーナは問い詰める。


「どういうこと⁉︎ ルイは、私に恋心を抱いていたの? 恋愛にはまったく興味がないと思っていたのだけど」

「ええと、以前に恋心を寄せていただいたことがありまして。恐らくそのときに僕はユスティーナさまを愛したいのだとふと気付いたのです。ユスティーナさま、ここではこのお話は止めませんか……」

「あらあら熱烈ね。私の執事には行き先を告げずにここへ来たから、きっと今頃私を探しているでしょう。あとはお二人でゆっくり話しなさい」


 ルイの気まずい視線を感じたのか、ミシェルはソファから立ち上がった。おちょくるような口調で二人に話す彼女は、結構お茶目だ。


 ルイの前を通るとき、彼の頭をもう一度撫でた。昔から変わらない、優しさに溢れた手。


 彼女は扉を開けて振り返った。


「零したミルクティーも、二人で拭いてきなさいよ」


 ウインクしてそう言うと、片手をひらりと振って、扉の向こう側へと行ってしまった。


 伝えるはずのなかった想いを、勢いのまま打ち明けてしまったルイの頬は真っ赤で、火を吹くように熱い。そんな顔を見られたくなくて、


「早く拭かないとシミになってしまいます。ユスティーナさまはもうお部屋に戻られてください。掃除は僕にお任せを」


 と早口で言い、掃除用具を取りに出た。

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