最終話 桜の花びら

「……こんな具合でいい?」


 俺はハアと溜息つきながら目を開けた。


 あー、ひたすら一人で喋りっぱなしだったから、えらく喉が渇いた。俺の右手が握っているハート型の小箱の中に、水でも入っていないかな。

 俺が目を瞑(つぶ)って喋っている最中、誰かが手紙を取り、代わりにこれを渡してきたのだ。


 間違いなく、中身は液体ではなく、ハートの形をした固体だな……。


「お兄さん、面白い話だったよ」


 店主はニヤニヤした顔しながら俺に言った。


「そうでしょ、即興にしては上手く……って、おだてても誤魔化(ごまか)されませんよ! 本当、何ですか、これは! いきなり、過去へ渡せるとかいって手渡されたレターの表面に、『桃井涼子へ感謝の気持ちをオリジナルストーリーに乗せて、口頭で伝えよう』『お題は高三のバレンタインデー』とか書かれているし」


「いやいや、申し訳ないね」


 口とは裏腹に、店主はゲラゲラ笑いが外に出ないように、必死になって喉元(のどもと)で堰(せ)き止めている。絶対、申し訳なく思ってないな、この人。


「ったく……ほら、久し振りの挨拶(あいさつ)もなしでバレンタインチョコを渡す小悪魔も早く出て来いよ」


「はーい」


 店の奥から返事をし、すぐさま声の主が俺の目の前にひょっこり現れた。


「久し振り」


 涼子が手を挙げて、笑顔で俺に挨拶をした。


「久し振り……いや、ちょっと待てよ、涼子。今日はバレンタインデーだから、チョコを渡すのは分かるけど、何だ、このくだらないイタズラは。『お題は高三のバレンタインデー』とか……」


 俺は呆れながら言葉を発した。


「いやー、高三の時、渡しそびれちゃったじゃない? だからね……」


 涼子の快晴の笑顔に雲が差し込んだ。



 ――やっぱり、気にしていたのだな……。


「……別にそんなこと気にしてないよ。今まで何だかんだ忙しかったから、実家の方に帰れなかっただけだよ」


 体裁だけの嘘だが。本当は実家に帰ると、どうしても涼子と顔を合わせないといけなくなりそうで、それが色々と気まずく、単に彼女から避けていただけなのだ。


「そう? もしかしたら、あの時、チョコを渡さなかったから、ビミョーな距離ができたのかなって……」


「ごめん、変な気を遣わせてしまって。……義姉(ねえ)さん」


「何度も言っているけど、義姉さん呼びはやめて。普通に涼子と呼んでよ。――それと、アンタの独演中、手紙の文面を読んだけど、『義姉さんへ愛をこめて』とか、文として短すぎるし、色々キモいって」


「ああ、ごめん。――涼子」


 何ともむずかゆい。涼子との距離感を見失い、それは未だに濃霧(のうむ)の中で彷徨(さまよ)っている。


 旧姓は桃井、今は朝日、俺と同じ姓を涼子は今、名乗っている。彼女は結婚したのだ。



 朝日陽向……俺の兄貴と。


 七年前、涼子が地元の大学に進学すると、その大学の四年生だった兄貴と偶然にも同じサクールに所属することになり、そしてあっという間に恋仲になったらしい。


 俺がそのことを知ったのは、大学二年生になる直前だった。突然、二人から結婚すると連絡が来た際のついでだった。


 結婚理由は単純明快。子供ができちゃったのだ。誰しも多かれ少なかれ人生でショックな出来事に遭遇するものだが、俺にとって一番は間違いなくこの瞬間だった。死角から強烈な一発を食らい、KOどころか再起不能になった気分だった。


 俺の両親も当然、寝耳に水な話で慌てふためいたそうだが、涼子の両親と比べればまだマシだったみたいだ。まあ、手塩に掛けた愛娘が大学生の最中で子供を作り、結婚だと言い出したのだ。例え、ブクブクと泡を吹いて、バタンと倒れたとしても仕方ないことだろう。


 結局、涼子は大学を中退して、地元で就職が決まっていた兄貴の下で専業主婦をする形になった。二人は籍だけ入れて結婚式は挙げなかったが、この先挙げる予定はあるのだろうか。もしあったら、俺はスピーチでまんざらなことを喋るハメに……まあどうでもいいか。


「涼子、兄貴は元気か?」


「ええ、元気よ。子供達もね。今日、子供達も連れていくから、ちゃんと挨拶してね。翔平叔父さん」


「叔父さんか……俺も年を取ったな」


「そうね。でも、お世辞にも陽向さんには似てないわね。悪いけど」


「俺の方がイケメン過ぎて、兄貴に悪いってことだな」


「勝手に言ってなさい。それと、アンタの作り話の私、凄くおバカキャラに感じたんだけど。……ふーん、翔平が抱く、私のイメージ像って、そんななんだ」


「い、いやー、即興だから……」


「そうだよ、ハタから聞いていると、儂と店のこともボロクソだったよね」

 店主が話に割り込んできた。

「弁明は?」


「そーよ、弁明!」


「弁明! 弁明! 弁明! ――」


 二人は息を合わせて、弁明コールを唱える。


「うるさいわ! 二人して俺をハメようとしたのが悪いんじゃ」


「ちょっとした遊びじゃん」


「言い訳無用。弁明はなしだ」


「えー」


 二人はほぼ同じタイミングで同じ声を発した。ムスッとした顔もほぼ一緒……この二人、仲良しにも程があるだろ……。



 ――そういえば、忘れていた。高校生の頃の涼子、俺以上にこのお店に通っていたのだ。涼子から持ち掛けたであろうこんなイタズラに、店主はOKサイン出したのだから、二人は打ち解けた仲に違いない。


「遊びは終わりにして、そろそろ帰るぞ」


「分かった。それじゃあ、歓迎会の買い出しに付き合って。主賓(しゅひん)に手伝わせるのは気が引けるけど」


「いいよ、そのくらい」


「そう、有難う。それじゃあ行きましょうか」


「ああ」

 俺は店主の方を向いた。

「今日は涼子の変な遊びに付き合わせてしまい、誠に申し訳ありません。今度は普通に遊びに来ますので」


「オジサン、またね!」


「二人共、また遊びに来てね」


 俺と涼子は店主と笑顔を交換し合い、店を後にした。


「そういえば、気になっていたんだけど、さっきの作り話で『いつかは伝えよう』や『先延ばしにしていたのが敗因』って、何のこと?」


「即興ならではのアレンジだよ。深い意味はナッシング。それよりもさ、涼子。コールセンターで働き始めたって、ちょっと前に電話で話したよね? 良かったら美人な同僚を紹介して。俺、半年前に彼女と別れてから、それっきりできてないんだよね」


「えー。久し振りに会ったのに、そんなこと頼むの?」


 俺達はクスクスと笑い合う。



だけど、俺の目の前だけで桜の花びらがヒュルリラと舞い、消えていった。

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ちょうど七年前の二月十四日、初恋の人に手紙を送りたいと思う。 酒絶 煙造 @ikousaa92

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