第2話 高三のバレンタインデー

 瞬く間に白の世界から色のある世界へ。俺は無事タイムワープに成功した。そういえば場所指定を忘れてしまったが、ここは……見覚えがあるぞ。


「間桐商店だよな?」


 前後左右を何度見回しても、さっきまでいた古びた店内と景色はほぼ一致する。


 ただ、陳列棚に置かれてある週刊の漫画雑誌の表紙のキャラに違和感が。七年前は連載されていたが、現在は連載終了の作品のキャラなのだ。この点だけでも、ここが過去の世界である証左(しょうさ)だろう。



 ――表紙が現在も連載中の作品だと、ごっちゃになりそうな判断基準だが。


 さて、これから俺はどうしようか。このまま涼子が来るのを店内で待っているべきか、それとも鴎山高校まで行って様子を見に行くべきか。


「お兄さん」


「うわっ!」


 突然の背後からの声に、俺は慌てて後ろを振り返った。やはりなのか間桐商店の店主がいた。


 気配を消すのが上手すぎるだろ……いや、もっと驚くべきなのは、七年前も今と見た目が殆ど変わっていない点だ。意外とアンチエイジングとかに金をかけているタイプだろうか。


「お兄さん、未来から来たんだね。――目的は?」


 流石、このお店の店主だ。俺が未来から来た人間だと一瞬で御見通(おみとお)しとは。なら話が早い。


「実は知り合いが『間桐商店に来て』といった文面の魔法の手紙を、僕に送っていたのですが、僕、七年もの間手紙の存在に気付かなくて。どんな要件だったのか本人に確認するために、未来から来たのですが……」


「なるほど。それなら、知り合いが来るまで、店の中で待機しておく?」


「はい。そうします」


 店主から了承をもらったとはいえ、流石にタダで店の中に居座り続けるのは気が引ける。なので、俺は場所代の代わりに五百円分の駄菓子を買い込んだ。少額で待ち時間における空腹も凌げるので、一石二鳥のアイデアだ。



 ――成人した男が子供向けの食べ物に舌鼓(したつづみ)を打つ姿は、俯瞰(ふかん)的に見れば相当滑稽(こっけい)なものに違いないが。




 間桐商店に待機すること、一時間。涼子はまだやってこない。というか、お客が誰一人やってこない。平日の午前中とはいえ、寂しい客入りだ。こんな様子でお店はやっていけるのだろうか。


「ゴホン!」


 店主が俺の心を読んだかのように、急にわざとらしい咳払いをした。


「……暇ですね」


 何となく気まずいので、俺はその場しのぎの言葉をポツリと呟いた。


「……放課後には子供達が集まって賑わうから。心配しなくても大丈夫だよ」


 俺への当てつけからか、店主の口調は刺々(とげとげ)しい。視線を合わせづらいので、俺は店主の表情をチラリと伺う。



――明らかにムッとしている。


 俺は「ハハハ」と乾いた愛想笑いをする。だが、頗(すこぶ)る悪い場の空気に少しも変化は見受けられない。


 あー、胃がキリキリしてきた。早く店に誰か来てください!


「ガラガラガラ」


 おお、助かった。グッドタイミングにも誰かが店に……涼子だ。黒髪ストレートのロングヘア、鼻筋がピンと通ったシャープな顔立ち、パッチリな二重(ふたえ)瞼(まぶた)、総合的に少しだけ小悪魔的な顔をした涼子が、学生服を纏(まと)って現れた。


「あのう」


 涼子が怪訝(けげん)そうな顔を浮かべ、俺に声をかけてきた。

しまった。こっちの事情も説明せずに、つい懐かしさのあまり、涼子の顔をマジマジと見つめていた。この涼子からしたら、今の俺はどこの馬の骨か分からない怪しいオッサンと捉(とら)えられても仕方ないのに。


「いや、その……」


「もしかして」

 涼子はウーンと首を横に傾げた。

「陽向(ようこう)さん?」


 ニアピンだけど違う。陽向は俺の兄貴だ。確かに今の俺は大学生くらいの頃の兄貴にソックリだけど。兄貴は俺より三つ年上だが、それ以上にませていたというか、大人びていたからなあ。


「いや、俺は翔平(しょうへい)なんだ」


「ええ、嘘だ!」


 涼子はハハハとえくぼを作りながら笑った。まあ予想通りの反応だ。普通は信じないよな。


「実は手紙の返事を届けに来たんだ。……七年後から」


「えっ……私が出した手紙って、本当に魔法の手紙だったんだ。封をしたら、突然、目の前から消えたし。でも、七年後ってどういうこと?」


「実は七年後になって、漸く手紙の存在に気付いてね。俺、机の引き出しって鍵かけっぱなしで、基本使ってなかったんだよ」


「ああ、そうなんだ……。机の引き出しに入れて、『何で、こんな所に手紙が⁉』って驚かせようとしたのが、却(かえ)って仇(あだ)となったみたいだね」


 涼子はアッチャーと額を手でポンッと軽く叩いた。


「うん。そういう訳で、七年後の未来から返事の手紙を届けにやってきたんだ」


「へえ、やっぱり魔法の力で?」


「うん、そうだよ」


 近くにいた店主が急に話に割り込んできた。顔はエヘンと得意げだ。


「すっごーい!」


 涼子がパチパチと拍手をした。


「いやあ、それほどでも……あるけど」


 店主はエヘンを加速させた。俺はそんな店主の鼻高々な顔を見て、「ウザいな、この爺さん……」と失礼ながらも思った。


「それで涼子。手紙の用は?」


 脱線した会話の流れを切るように、俺はスパッと勢いよく言った。


「あっ……」

 涼子は何かを思い出したのか、スクールバッグをゴソゴソと漁(あさ)った。

「はい、これ」


 そう言って、俺に可愛らしいハート型の小箱を差し出した。


「これって……あれだよな?」


「うん、あれだよ」


 あれ――バレンタインチョコに他ならない。手紙はこれを渡すためだったのか……。



 ――そうだ、思い返してみれば、毎年涼子からチョコを貰っていた筈なのに、この年だけは貰っていなかったな。


 俺は思わず拍子抜けして、ガックリと両肩を落とした。


 なんでこんな面倒な方法でチョコを渡す選択を取ったのか。受験勉強で追い込みをかけていた俺への彼女なりの気遣いだろうか。もしそうなら、俺が浪人せず、無事に第一志望の都内の大学に受かることができたのは、実は彼女の見守り効果だったのかも。


 涼子も無事に地元の大学に進学できた。この時、俺は初めて涼子と物理的な距離ができてしまった。なのに、当時の俺に焦(あせ)りはなく、「いつかは伝えよう」と悠長(ゆうちょう)に構えていた。



 ――先延ばしにしていたのが敗因だな。


「はい……これ」


 俺は別れを惜しみながらも、手紙を涼子に差し出した。


 涼子もどこか寂しげに、その手紙を受け取った。


 途端に俺の体は光の粒に包まれた。


「またね」


「ああ、またな」



 ――桃井涼子、お別れだ。

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