episode Rio lesson Chloe

 朝目が覚めて、起き上がる。大丈夫、今日も生きてる。


「……あ?」


 見慣れない光景、そうだここはキールじゃねえ。オレは慌てて起き上がると、壁にかかってる時計ってやつを見た。


「……まだ5か」


 昨日ヘンリーが、毎朝あの針が7になったら談話室に来てねって言ってた。ご丁寧に印までつけてあって、時計がない場所で過ごしてたオレにとってはまあ、ありがてえ。


「……」


 制服に着替えて、部屋をうろうろする。もう眠れそうにねえし、かと言ってやることもねえ。オレは窓の外を何となく見た。


「……トリスタン?……と、クロエ?」


 二人してなんかやってる。気になって、オレが窓を開けると、窓が開く音で二人はオレに気がついた。


「……」


 クロエが手招きをしてる。来いってことか。オレは窓から外に出て、二人がいる場所に向かった。


「おはよう、リオ坊。早いな」

「まあ……」

「お、おはようリオ」


 トリスタンが遠慮がちに微笑んでそう言う。兄貴のことまだ気にしてんのか、こいつ。気にすんなって言っても気にするのは、トリスタンの性格らしい。


「リオ坊、今度はあっちの扉から来な。リオ坊の部屋を出たらすぐ右の廊下にあるから。窓からも悪くないけど、急いでるときだけにしな」

「分かった」


 よし、とクロエが頷く。オレはトリスタンとクロエを改めて見比べた。


「朝から二人でなにしてたんだよ」

「ん?ああ」


 クロエがトリスタンの頭に手を乗せる。トリスタンの方が背が高いから、トリスタンが少し屈んでやってるけど。


「勉強だよ。勉強」

「勉強」


 トリスタンが恥ずかしそうにノートを出す。ノートはぼろぼろで、オレが昨日まで着てた服みてえだった。


「俺は魔術がそこまで上手くないから、師匠に座学の方を教えてもらってるんだ」

「魔術に上手いとか下手とかあんのか」

「うん。足が速い人と遅い人がいたり、手先が器用な人と不器用な人がいたり……、それと同じで魔術が上手い人と下手な人がいるんだよ」


 意外だ。魔術って、使える奴は皆上手く使えるもんだと思ってた。


「トリスタンは真面目だから、こっちの方が向いてるんだよ。この寮に来てからもう三ヶ月、欠かさずこうやって私と勉強してる」

「ふーん……。だからクロエのこと師匠って呼んでるのか」

「うん。師匠はすごく頭がいいから、お前も色々教えてもらうといいよ」


 クロエはトリスタンの頭をぐしゃぐしゃ撫でると、ベンチに座った。


「ほら、リオ坊。あんたも来な。トリスタン、続きを教えてやりたいとこだけど……先にリオに、ここのことを教えた方がいいな、こりゃ。なんも知らないんじゃ、この先を生きていけない」

「分かりました。俺も聞いてていいですか?」

「もちろん。この世界の授業を始めるぞ、リオ坊」


 オレを真ん中に座らせて、クロエがニヤッと笑う。トリスタンはなんか楽しそうで、オレもつられてそわそわした。


「いいか、リオ坊。まずは基礎だ。分かりやすい地理からいこうか。あんたがいたキールは、この国の一番下にある。この国はな、すり鉢みたいな形をしてんだ」

「すり鉢……」

「上に行けば行くほど、富裕層……金持ちが住んでる地区になってく」


 そう言いながら、地面につま先ですり鉢を横から見たみてえな絵を描き始める。クロエは線をいくつか引くと、一番下になんか書いた。


「ここがキール。……リオ坊、文字は読めるか?」

「読めないし書けない」

「そっか。ま、その辺は後だな。で、次がここ。ここは商人の街リズモニア。面白いものが山ほどあるから私は嫌いじゃないけど、割と頻繁に法破りが起きる治安悪めの場所だな。うちだとギルとミモザはここの出だよ」

「ふーん……」


 リズモニアはオレも何回か行ったことがある。珍しい生き物の毛皮を、おっさんに着いて売りに行った。キールの人間が行けるのは、いいとこリズモニアまで。つっても、年に一回行くか行かないかだし、キールから来たって分かったらすぐ追い出されるけど。


「次はここな。ここはちょうどこの国の真ん中に位置する、中流階級の街カルーア。この辺からは割と生活に余裕のある人が増える。好きな物がそれなりに好きなときに買えるような人がいっぱいいるんだ。法破りもほとんど起きない、平和なところだ」

「へえ……、いい場所なんだな」

「そうだな。誰もここでの生活は捨てたがらない。私とヘンリーはここの出身」


 そして、と言ってクロエが一本長い線を引く。明確に分けるみてえに。


「ここから上は、上流階級の地区。カルーアの上にあるのは、シルビア。シルビアにいるのは貴族だな。うちだとグレース、レオ、デイビス姉弟、シエルなんかがここ出身だ。シルビアは好きな物も、いらない物も、なんでも好きなときに好きなだけ買える人しかいない。この学園はシルビア出身者が多い」

「ふーん……。シルビアって夢みてえな場所だな。オレたちはキール以外のこと『上』って呼んでたけど、意外と分けられてんのか」


 オレからしたら、リズモニアも夢の都みてえなところだったけど、もっといいところがあるらしい。なんか想像つかねえ、本当に夢みてえな話だ。


「うん、いいところに気づいたな、リオ坊。この国はな、私たちが思ってるよりも細かく分けられてる。そして究極に排他的で、差別的で、封建的。自分と違うものは即排除して、支配するんだ」

「排除して、支配する……?」


 クロエが頷く。そして、一番上をつま先でとんとん叩いた。


「最後に、ここ。ここは上流階級の中でもさらに上の、王族かそれに近い立場の人間が集まってる地区……パラティナだ。カナリアやトリスタンはここの出身」

「お前王族なのか」

「違うよ!父上が王族にお仕えしてるんだ」

「ほぼ王族じゃねえか」


 オレの言葉に、トリスタンが複雑そうな顔をする。そして、首を横にふった。


「俺は好きじゃないんだよ」

「リオ坊、キールにいた人達はキールが好きな人しかいなかったか?」


 クロエがオレにそう聞く。オレはキールにいた奴らを思い出した。キールでの生活を気に入ってるおっさんみてえな奴、できることなら出ていきたいとぼやいてた奴。貧しいし全部奪われるけど、気楽でいいって奴。夏と冬が怖いから、リズモニアに逃げたいって奴。魔術が嫌いだから、キールから出たくないって奴。


「……キールが嫌だって奴は、好きって奴より少なかったよ。多分。オレとか隣の家のおっさんは、まあ……上手くやってたし、気に入ってたし。キールは誰のことも守れねえけど、誰のことも見捨てねえから、オレは結構好きだった」

「うん、故郷が好きなのはいいことだな。でもな、トリスタンやカナリア……うちにいるシルビア出身のやつらもそうだけど、こいつらは故郷が嫌いなんだよ」

「は?」


 トリスタンが俯いて、ボロボロのノートを抱きしめる。オレは不思議でたまらなかった。なんでだ?死ぬ危険なんてほとんどないはずだろ。空腹に耐えなきゃならんことも、危険を冒してまで食料を調達しなくちゃならんことも。寒さと暑さに苦しむことだってないはずだ。


「あんたはさっき、夢みたいな場所って言ったな。じゃあ、その夢を作ってるのは誰だと思う?」


 オレは質問の意味が分からなかった。夢を作ってるのが誰か?そんなのオレは知らない。夢を見れる場所にいなかったから。


「……答えはな、リオ坊。あんた達なんだよ」

「オレ達?」

「そうだ」


 クロエが明るくなってきた空を見上げる。今日はよく晴れてて、一個も雲がない。


「上流階級の人はお前達やリズモニアの人達から、色んなものを巻き上げて私腹を肥やすんだ。あんた達キールの人からは命を、リズモニアの人達からは税金という名の遊ぶ金をな」

「……カルーアの奴らは?」

「私たちも一応税金を払ってるけど、リズモニアの人に比べたらほとんど持ってかれないよ。そういうものだ」

「ふーん」

「俺は……」


 黙って聞いてたトリスタンが口を開く。トリスタンはぐっと眉間に皺を寄せていた。


「俺はそれを知ったとき、反吐が出そうだったよ。なんで大変な思いをしてる人がいるのに、誰も助けないんだろうって」

「そりゃ……オレたちキールの人間には魔術が使えねえし、いてもいなくても同じだからだろ。リズモニアの奴らは、よく分かんねえけど」

「そんなことない!いてもいなくても同じ人なんて、この世にいるはずないだろ!」

「うわっでかい声出すなよ」


 トリスタンが悲しそうな目をしてる。こいつ、昨日から変なやつだな。情緒不安定か?


「その通りだな、トリスタン。リオ坊、この国の人はほとんどがあんたと同じように思ってる。魔術が使えない人はいらなくて、使える人だけが必要だってな」

「……事実そうだろ。クロエの言う通りなら、お前だってそのおかげでいい暮らしできてんだし」


 トリスタンがますます泣きそうな顔になる。クロエはオレの頭に手を乗せると、少し微笑んだ。


「このサラマンダー寮にはな、リオ坊。誰かに辛い思いをさせることが嫌いな人間が集まってるんだ。でもこの考え方は、ほとんど受け入れられない。だから私たちは元いた寮から追い出されてここにいるんだよ」

「……なんでそれだけで追い出されるんだよ」

「言ったろ?排他的で、差別的で、封建的だって。異分子は排除して、支配したいんだ。その方が安心するだろ?助けることだって、損をすることだと思ってる。トリスタンやカナリアは、そういうのを覆したいんだよ。でも、敵が多いと中々上手くいかない」

「都合いいからだろ。皆で仲良しこよしなんてできるわけねえ。弱い奴は死んで、油断した奴は奪われる」


 だってそうだろ。だからなにも持ってないオレたちは奪われ続けて、虐められ続けてるんだから。


「……リオ坊。弱い人がいるなら、ギルみたいな強い人が助ければいい。油断した人がいるなら、カナリアみたいな視野の広い人が支えてやればいい」

「リオみたいに知らないことが多いなら、師匠みたいな知識のある人が教えてあげたらいい。……俺やこの寮の人がしたいのは、そういうことなんだよ」

「ふーん……?」


 そんなことができたら、苦労しないだろ。オレのそういう反発みたいなものを汲み取ったのか、クロエはニヤリとした。


「ま、リオ坊にも分かる日が来るさ。あんたが誰かを助けたい、力を貸してやりたいって思ったときがその時だ」

「……誰かを助けたい、力を貸してやりたい……、あんたらは、本当にいつもそう思ってんのか?」


 クロエとトリスタンが顔を見合わせる。トリスタンはこくりと頷いた。


「困ってる人がいたら助けたいし、力を貸したいよ。俺は昔、母上にそう教えてもらったから」

「私は特に特別な理由はないよ。これが持って生まれた性質なんだろ。異分子ってやつだ」


 昔おっさんが、無償の愛をくれる物好きが『上』にはいるって言ってた。それはこいつらのことなのかもしれない。


「もしオレが、誰かを助けたり、力を貸してやりたくなったらどうすればいいんだ?オレは魔術使えないだろ」


 キールを一歩でも出たら、魔術が使えんというのは最大の欠点になる。キールにはそういう奴しかいなかったけど、ここは違う。狼の群れで、うさぎは生きられない。


「そのときあんたが持ってる最大限のものを貸してやればいいよ。雨が降ってて、相手が傘を持ってないなら傘を貸してやればいい。相手が腹空かしてるなら、手持ちの食料を分けてやればいい」

「……相手が死にかけてたら?」

「祈ってやればいい。痛みがなくなるように。例え治癒してやれなくても、そいつが安らかに眠れるように祈ってやれば、そいつはきっとリオ坊のことを忘れない。死んでもだ。最期に寄り添ってくれたことに、心から感謝して息を引き取るだろう」


 クロエがふっと笑う。そして、ちらりと談話室の方を見た。


「地理から少し逸れたが、そろそろ皆が起き出す頃だな。リオ坊、トリスタン。なにか質問はあるか?なんでもいいぞ」

「俺は大丈夫です」

「……あ、ある」


 オレはふと、冬と夏のことを思い出す。こいつらはあの忌々しい奴らのことを知ってるのだろうか。


「なんだ?リオ坊」

「……あのさ、クロエとトリスタンは冬と夏、知ってるか?」

「冬と夏?えっと……季節のこと?」


 トリスタンがキョトンとする。クロエは少し考えてから、ああと頷いた。


「多分リオ坊が聞きたいのは、冬連れの魔虫と夏連れの魔虫のことだな」

「多分それだ」

「もちろん知ってるさ」

「なあ、あいつらって倒せないのか?」


 オレの質問に、クロエが腕を組んでまた少し考える。多分、どうやったらオレに伝わるか考えてるんだろ。オレには学がないから。


「そうだな……。多分、……いや、倒そうと思えば確実に倒せるよ」

「じゃあ、」

「でも倒せないようになってるんだ」

「……?」


 オレが首を傾げる。クロエはまたつま先で地面に何かを描き始めた。


「手から絵?出すやつ、あれはやんねえのか。カナリアとアルバンがやってたぞ」

「ああ、それは高等魔術だよ。絵じゃなくて投影魔術の一種で、イメージしたものを一時的に具現化させてるんだ。できる人は少ないよ」

「……?ふーん」

「はは、この辺もそのうち分かるよ。……よし、できた」


 地面には王冠と、それから人と、六個足がある虫が描いてある。虫は冬と夏によく似ていた。


「トリスタン、問題だ。この世界の季節はどうやって移り変わる?」

「えっと……一定の周期で、精霊たちが移動して移り変わる……でしたっけ」

「ああ、正解だな。だが三十点だ」

「え?」


 トリスタンが首を傾げる。クロエはつま先で虫をとんとん叩いた。


「本当は、この魔虫がやって来て季節が変わってるんだ」

「マムシ……?」

「オレたちは冬と夏ってそのまま呼んでたよ。こいつらが来ると、たくさん人が死んで季節が一気に変わるんだ」


 ずっと不思議だった。なんであいつらが来たら、すぐに季節が変わるんだろう、って。でもなんかもう、常識っていうか、今さら聞くもんでもないって思ってずっと聞けてなかった。


「この魔虫は、生命を贄に季節の精霊を動かす。正確には、追い出す、だな。精霊達は不浄を嫌う。色々な物を食べる人間の生命は、この世で最も不浄なものなんだよ。それはキールの人でも、パラティナの人でも変わらない。その不浄なものをたくさん食べたら、どうなると思う?」

「えっと……穢れが満ちる……でしょうか?」

「そうだ。キールの人達は抵抗する術を持たない。あいつらもそれを知ってるんだ。だからキールで散々食って、不浄のエネルギーを溜め込んで、精霊達を一気に追い出す」


 クロエが虫から人に矢印を引いて、人にバツをつける。そして、王冠と人の間に線を引いた。


「リオ坊が突然季節が変わると思ってたのは、精霊を認知する力を持たないからなんだ。魔術を使えるやつなら大抵は気づくさ」

「ふーん……。精霊なんて存在、知らなかった」

「だろうな。どうして知らなかったと思う?」

「は?えっと……オレに学がないから?」

「そうだ。でもそれは悪いことじゃない。……悪いのは、知らないことを利用する王族だからな」


 トリスタンがぎゅっと眉間に皺を寄せて、辛そうな顔をする。なんでこいつが辛そうなんだ。


「この世界は季節を巡らせないと、植物や作物、動物が育たない。が、精霊は魔術じゃ追い出せないし、かといって言って聞かせて巡ってもらうこともできない。言葉が通じないからな。そこではるか昔の王族は、人を食らう不浄の生き物、魔虫をぶつけることにしたんだ」

「魔虫を……ぶつける?」

「ああ。最初はな、魔虫もちっちゃな、ほんの小指くらいの大きさの生き物だったんだ。でも、罪人を少しずつ食わせたり、疫病患者を食わせたりしていくうちにどんどん大きくなった。そうしてある程度の大きさにしてから、キールの端に放った」

「……キールの、端に?あいつらずっとキールのどっかにいたのか!?」


 どこからともなく飛んでくる、気味の悪いものだと思っていた。が、キールにいたなんて初めて知った。


「そうだよ。でも、魔虫は一定量の不浄を抱えると段々小さくなって地面の中で蛹になるんだ。蛹になると、もう普通の虫と見分けがつかない。その間に、精霊達が戻ってくるんだ。魔虫は不浄を土の中で浄化して、また出てくる。これが冬と夏の循環だ」

「……なるほど」


 今まで不思議だったことが、少しずつ分かってくる。死ぬほど水が欲しいときに、水をくれたみたいな感覚だ。


「じゃあ、倒せるけど倒せないって?」

「法令だよ」

「法令……、あっ!」


 トリスタンがなにか正解を導き出したらしく、目を見開く。クロエはトリスタンを見ると、ニヤッと笑った。


「キールよりも上の位置にある地区では、精霊の巡りへの介入が禁止されている。冬連れの魔虫と夏連れの魔虫を倒す……殺すことは、精霊の巡りを止めることになるんだ。しかも王族は魔虫の存在を公には伏せてるからな。そのせいで多くの人は魔虫の存在を知らないから、そもそも倒そうっていう発想にはならないわけだ」

「……じゃあなんでクロエはここまで知ってるんだよ」

「うちは代々続く骨董品店なんだ。ちょっと珍しい本に、ちょっと珍しい道具が揃ってる。その中に禁書がうっかり混ざってたことがあって、ジジイ共に焼かれる前に拝借したんだよ。焼くってことは本物ってことだろ」


 クロエはそこまで話すと立ち上がって、地面に描いた絵を全部消した。


「さ、そろそろ7時だな。今日の授業はここまでにして、朝食に行こう」

「はい!」

「……おう」


 トリスタンは熱心にノートに今の話を記録していて、こいつのノートがボロボロなのも頷ける。本当に真面目な奴らしい。普通なら今の話だって、そんなはずないって思うところなのに。


「……な、なんだよリオ……」

「いや……。信じるんだなと思って」

「そりゃ、師匠は俺に嘘ついたことないから信じるよ。それに、リオだって知ってるんだろ」

「まあ」


 ずっと正しいと思い込んでいたものが、突然違ったと言われて受け入れられるなんて、こいつはやっぱり変だ。オレはさっき、誰も排除しないで生きていくって話のときにそんなのあるわけねえって反発を覚えたから。オレは、オレたちは、排除されていい、虐められていい、踏んづけられていい、そういう存在だって思ってきたから。


「知るって、怖いことだと思う。たまに自分が否定されてるって思うし。でも、知らないともっとたくさんの人を否定することになるだろ。例えば、お前のこととかも。師匠が教えてくれる勉強は、そういうことを少なくするための知識なんだよ」

「ふーん。……まあ、知るってのは、悪くなかった」

「そりゃよかった。明日も来るといいよ、リオ坊」


 さっき言われた扉から中に入る。その瞬間からなんか美味そうな、腹が勝手になるような匂いがした。


「おはよう、レオ。毎朝ありがとな」

「クロエさん。どういたしまして。もうできるから、三人とも座っててよ」


 レオに言われるがまま座る。席は特に決まっていないらしく、オレはトリスタンの横に座った。


「おはようございます。手伝いましょうか?」

「おはよう、シエル。いいよ、座ってな」

「お言葉に甘えて」


 シエルが来て、オレの横に座る。レオは何かを焼き終わったらしく、火を消した。


「グリフォン」


 目の前に皿が運ばれてくる。一つの皿に料理がいくつか乗っていて、どれも湯気が出ていた。


「おはようございます」

「おはよー!おはよー!いい朝だね!」

「「おはようございます、皆様」」

「……」

「おはよう、皆。レオ、朝食ありがとう」


 ぞろぞろ他の奴らがやって来て、席に座る。最後にミモザが来て、全員が揃った。


「今日も作ってくれたレオと、生き物たちに感謝して。ありがとう」


 ありがとう、と言ってから全員が食べ始める。オレも慌ててありがとうを言って、シエルとトリスタンを見た。


「これ……」

「好きなように食べたらいいわよ。順番なんて決まってないから」

「そうだよ。お前が美味しいって喜んだ方が、レオさんもきっと嬉しいよ」

「わ、分かった」


 恐る恐る、黄色いやつを食べてみる。レオはオレを見て、どう?と聞いた。


「う、美味い……!なんか、ふわふわしてて……、甘い?っていうか、なんか……とろとろ?で、美味い……!」

「あはは!気に入ったみたいでよかったよ。それはオムレツ。卵で作ってるんだ」

「卵?卵って高級品だろ?オレなんかに食わせていいのか?」

「高級品……ってわけでもないけど……。……うん、俺はお前に、皆に美味しいって食べてほしいからいいんだよ。トリスタンもさっき言ってたろ?」


 他の奴らが微笑ましそうにオレを見てる。ニコニコしてたり、ニヤニヤしてたり。こいつらはオレの反応を見てそういう顔をする。けど、嫌な感じじゃなくて、嬉しそうに見えた。


「レオくんの作るお料理は全部美味しいんだよ!リオくんもきっと、毎日美味しい!って言うよ!だって私も毎日言ってるもん!ね、ヘンリー!」

「そうだね。ボクも毎日レオさんが作ってくれるご飯を楽しみにしてるし、きっとリオにとっても楽しみになると思うよ」


 ヘンリーがグレースの口元を拭ってやりながらそう言う。オレは他の料理も食べた。


「食事が終わったら、自分の食器とカトラリーは自分で洗うのがここの食卓のルールですのよ」

「分かった」

「先程レオさんが使っていたシンクで洗うのです」

「わ、分かった」


 ちょうどオレの正面に、レベッカとレイが座ってて、ほとんど食べ終わったオレに教えてくれる。相変わらず声だけは軽快だ。


「ご馳走様でした。本日の朝食も大変美味しかったですわ」

「ええ。お陰様で今日も良い日になりそうです。ご馳走様でした、レオさん」

「はいはい、お粗末さま」


 レオが照れたように笑って二人にそう返す。オレも最後のひと口を食べ終わると、レオの方を見た。


「美味かったよ。こんなに美味いもん、生まれて初めて食った」

「生まれて初めてって……、熱烈だな」

「な、なんだよその顔……」


 レオが口角を上げて、でも眉は下げて笑う。それがどういう感情なのかオレには分からなかった。


「いや、嬉しいなと思って。これから毎日美味いもん食べさせてやるから、毎日ちゃーんと腹減らして帰ってこいよー?」

「ま、毎日!?」

「毎日」


 オレは毎日こんな贅沢をしていいのか。なんか感動する。オレは必死に頷いていると、レベッカとレイに呼ばれた。


「お皿を洗いますわよ」

「あんたらは魔術でやらねえのか?」

「日常魔術を使えば、もちろんできますよ。ですが、レオさんはいつも料理に魔術は使いません。使うのは配膳のときだけです」

「だからなんだよ……」


 レベッカの頬を、レイがむにむに触る。そして、レイの頬をレベッカがむいむい触る。二人はにっこりと笑うと、オレの左頬をレイが、右頬をレベッカがむにむに、むいむい触った。


「わたくし達もレオさんと同じように、魔術を使わないことで彼に敬意を表しているのですわ」

「手作り主義のレオさんに、お応えしているのです」

「ふーん……」


 ここに来てから、まだ一日。それでも知らねえことばっかりで、キールとは違うことばっかりだ。


「さあ、洗ってしまいましょう。リオさんの食器とカトラリーはここへ」

「分かった」


 言われた通りに食器とカトラリーを洗って、丁寧に拭く。なんか不思議な気分だ。


「これが、毎日……」

「あら、お気に召しませんでした?」

「いや……、オレ本当にここにいるんだな」

「そうですよ。これから先、卒業までずっとここにいるのです」


 レベッカとレイが笑う。オレもつられてちょっとだけ笑ったら、二人は目を見開いた。


「まあ。見ました、レイ?」

「ええ、レヴィ。笑いましたね」

「笑いましたわね。皆様!皆様ー!」


 突然レベッカが全員に呼びかける。まだ飯食ってるミモザはテーブルから、もう食い終わってた奴らはわらわら集まってきやがった。


「レヴィ、レイ。何かあったのかな」

「寮長!ありましたわ、ありましたわよ!」

「笑ったのです、寮長!今、リオが!控えめではありましたが、とても素晴らしい微笑みを見せてくれました!」


 レベッカとレイが興奮気味にカナリアに言う。……表情がまたついていってねえけど。カナリアは二人からの報告に、確認するようにオレの方を見た。


「なにか、素敵なことがあった?」

「別にそんなんじゃ……」

「嬉しいんだよ、リオ。キミがここを、安心できる場所だって思ってくれることがね。私だけじゃない、皆そう思ってる」


 やっぱりくすぐったい。オレは胸の奥がくしゃみの寸前みたいにムズムズした。


「はは、照れなくていいんだよ」

「照れてねえ!うるせえ!」

「はいはい。シエル、トリスタン」

「はい!」


 カナリアがシエルとトリスタンを振り返る。二人はピシッと背筋を伸ばした。


「本当は三人とも、私が見守っていたい。が、そうもいかない」

「大丈夫です。きっと大変なことは増えるけど、リオもトリスタンも頼もしいわ」

「はは、そうだね」

「俺も……、俺も頑張ります。なにかあったとき、二人を守れるように」


 もうすぐ学園に行くらしいのに、雰囲気がどうも壮大だな。学園って、クロエがさっきしてくれたみたいな、勉強するところじゃねえのか?実は危険な場所なのか?オレの疑問を察知したのか、クロエがオレの背中を軽く叩いた。


「さっき話したろ?もう忘れたか、リオ坊」

「いや……、でも学園って冬も夏もいないよな?なんで守るとかそういう話になるんだよ」

「その前の話の方だよ」

「……排除して、支配する?」

「そうだ。今日の授業はそこを覚えておけば上出来だな」


 どうやら学園にも、そういう奴らがいるらしい。勝手に地区に住んでる奴らだけの話だと思ってた。


「ほら、あんたらそろそろ時間だろう!早く準備して行きな!」


 クロエが、パンっと手を叩いてそう言う。そうすると四年生以外が動き出して、オレもカバンを取りに部屋に戻った。


「……学園、か」


 重たいカバンには、昨日の夜ヘンリーが用意してくれた教科書、ノート、それからペンが入ってる。カバンも含めて、全部年上達からのお下がりだって、ヘンリーが言ってた。重い物は今までも数え切れないくらい持ったことあるし、手が切れそうになるくらいの物だって運んだことがある。でも、今まで持ったどんな物より、ずっとずっと重たく感じた。


「リオ、用意できた?行くわよ」

「ああ」


 部屋の外にいたシエルとトリスタンと一緒に、玄関口に行く。上等な革の靴は、制服と同じギルバートからのお下がりだ。


「いってきます!」

「いってきます」

「イッテキマス……」


 レベッカとレイ、レオとミモザとヘンリーはまだもう少しあとで行くらしい。三人で玄関の扉を開けようとすると、ギルバートがふっと現れた。


「ギルさん」

「どうかしました?」


 シエルとトリスタンが首を傾げる。オレは突然現れたギルバートに死ぬほどビビってたけど。


「……気をつけて、行ってこい。何かあったら俺の名を呼べ。何時でも……、何処にでも行こう」


 ギルバートはそれだけ言ってまた消える。オレは昨日のヘンリーの、下級生のことを気にかけてくれる優しい人だという言葉を思い出した。


「……いってきます」


 ギルバートに聞こえてるか分からねえけど、もう一度どそう言う。他の奴らが行ってらっしゃいを口々に言って、オレたちは玄関を出た。


「ギルバートって普段からあんな感じなのか?」

「ギルバートさん、ね。そうよ。言いたいことだけ言ってすぐ消えちゃうか、黙っちゃうの。でも危ない目に遭ってたら本当にすぐ来てくれるし、すごく優しいわ」

「うん。特に俺達一年生のことを気にかけてくれてるから、俺達にとっては寡黙だけど頼りになる兄さんだよ」


 寮生たちからの評価はすげえ高いらしい。まあ、こんなにお下がりくれるし、いい奴ではありそうだよな。


「……リオ、これが学園の門よ。ここを潜ったら、あたしたちは一気に的になる」

「的?」

「ええ。好奇の目の的、いじめの的、他にも色々ね。とにかく嫌な思いをするわ。でも大丈夫」


 シエルがオレの手をぎゅっと握る。そして初めて会ったときみてえな、勝気な笑顔になった。


「あたし達、一人じゃないわ。三人でいればきっと平気。先輩達だっている」

「そうだね。お前の話はきっと知れ渡ってるし、俺達きっと……さらに有名人だよ」


 トリスタンもそう言って、少し不安が残った目で笑う。オレは二人に挟まれて、こくりと頷いた。


「行こう。オレだって、覚悟はできてる」


 三人で一緒に、めちゃくちゃでけえ門を潜る。オレの学園生活がいよいよ始まった。


 *****


「ギル、お前ちょっと過保護すぎないか?普段あんなこと言わないだろ」

「……クロエが言えたことじゃ」

「えー?でもでも、やっぱり心配だよね?カナリアちゃんもずーっと玄関見てるよ」

「いや、虐められて泣きながら帰ってきたらと思うと……」

「それはまあ……、私も心配だけどさ。トリスタンもシエルも、今まで大丈夫だって笑うばっかりで……」

「心配かけたくないんだよね、きっと。それが逆に心配しちゃうんだけど、ママとパパの心子知らず!だね」

「……やっぱり俺も今から」


「なんつーか、先輩らって……過保護だよなあ」

「うーん、あはは……。でもボクも気持ちは分かるかなあ。リオ、素直でいい子だから……、くだらない悪意で傷つけられないといいな」

「……だ、大丈夫……だと、思……」


「わたくしからしたら皆様同じくらい過保護でいらっしゃいますわ。ケンタウロスの子落としと言いますし、どんと構えているのが一番ですわ」

「おれもそう思いますよ。ですがレヴィ、今日は少し早く行きましょうか。一年生の校舎に顔を出しておきましょう」

「そ、そうですわね」


 サラマンダー寮は、全員過保護。

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魔力なしの最下層民が魔術学園でトップを目指す話 奥屋未完 @okuya_mikan

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