魔力なしの最下層民が魔術学園でトップを目指す話
奥屋未完
episode Rio
冬が去って、家の入口前にあった雪がすっかり溶ける。この冬、隣の家のおばさんが飢えと寒さで死んで、向かいの家の子供が空腹の獣に襲われて死んだ。オレの家族だった人は、何年も前の冬に凍った崖から落ちて跡形もなくなった。
「なんとか生き延びたな」
しかしうかうかしてはいられない。オレは今から、全速力で走ってくる夏に備えなければならんのだ。勘弁してくれよって、大声で叫びたくなるけど、この冬に人が死んだ分食料の確保がしやすくなる。『上』の奴らにはうす汚いって罵られるけど、過酷な季節しかないこのキールで生き抜くためには、ヒトであることをやめねばならんのだから。
「……お、なんだリオ。お前生きてたのか」
「あ?あー、おっさんこそ」
「フン、くたばっちまえばよかったんだ」
「ハイハイ」
キールに住む者の生物的価値は、この国の最下層に位置する。オレは生まれたときからここにいんだし、今更くたばれとか言われてもって感じだけど。そもそも歳的にあのおっさんのが先にくたばるだろ。
「クソジジイが。……ま、でも」
オレには『これ』がある。いつ誰に貰ったかも覚えていないけど、なんか妙に綺麗な石のペンダント。この石は不思議なもんで、オレが極限状態になると獲物の位置を教えてくれたり、温かくなったりしてオレを助けてくれる。多分、『上』の奴らが使える『魔術』ってやつだ。
「これさえありゃオレは生き抜ける」
他の誰も持っていない、これさえあれば。オレには魔力がないから、自分で魔術なんて使えやしないけど、この石があれば魔術を使っているような効果を得ることができる。死ぬほどの飢えも寒さも、耐え凌ぐことができる。
「……あ」
空の向こうが、薄暗くなりはじめる。オレは慌てて扉のない家に入ると、じっと空の向こうを見つめた。ちくしょう、モタモタしている間に夏がきちまった。
「うっ……!」
思わず耳を塞ぎたくなる羽音が、空を通過していく。巨大な、……なんて言うんだ、あの生き物。……が、オレの家を飛び越えた。その瞬間、あっちこっちから悲鳴が聞こえてきて、ああ、夏が来た。
「あーあ、川行きたかったのによ」
家から出て、降り注ぐ血に顔をしかめる。だから夏が来る前に川に行きたかったんだ。この血を洗い流す水がいるから。
「……ふう」
夏が空を通り過ぎたら、『夏』が始まる。毎年のことだ。冬で半分、夏で半分の半分人が死ぬ。油断してるやつから、弱いやつから。
「……うわ、夏の野郎派手にやりやがったな」
そこら中に落ちている人間の手足だとか、臓物だとか。そういうものをなるべく避けながら、オレはやっぱり人の欠片だらけの川へと向かって、水を汲もうとした。
「君は生き残りか?」
「……あ?」
妙に上等そうな服を着た、偉そうなやつに阻まれたが。
「誰だ、あんた」
「突然すまない。僕はアルバン・フスキーという」
アルバン・フスキー。ファミリーネームがあるってことは、上流階級でまず間違いない。オレがアルバン・フスキーを睨んでいると、次々に人がやって来た。どいつもこいつもアルバン・フスキーと同じ服を着ていて、妙な威圧感があった。
「……なんか用かよ、ここにはなんにもねえぞ」
『上』から誰か来てもろくなことにならないっておっさんが言ってたのを思い出す。『上』から誰か来たときは、おっさんは決まってオレを森に隠した。オレが後退りしたとき、突然アルバン・フスキーが手を掲げた。
「エターニム。……ああ、君たちは手出ししなくて結構」
「ぐっ……!?」
光の輪っかみたいな、稲妻みたいなやつがオレの手足を拘束する。『魔術』だ。アルバン・フスキーは後ろの奴らを制止して、笑顔を浮かべた。手足と臓物だらけの地面に転がったオレに一歩ずつ、一歩ずつ近付いてくる。オレはこの笑顔をよく知ってる。これは、搾取する奴の笑顔だ。一方的にオレたちみたいな、なんにも持ってねえ人間を虐めて、踏みにじっていく奴らの笑顔だ。
「君は礼儀を知らないようだね。相手が僕じゃなかったら君は死んでたよ」
後ろに控えている奴らをちらりと見て、またアルバン・フスキーは笑う。オレが黙って歯を食いしばっていると、アルバン・フスキーは困ったように眉を下げた。
「すまないね。こちらにも遂行しなくてはならない任務がある」
「……任務?」
アルバン・フスキーの綺麗なブロンドの髪が、オレの視界には鬱陶しい。アルバン・フスキーはまた笑顔を貼り付けると、オレの前にしゃがんだ。
「君はこれを知っているかな?」
アルバン・フスキーの手のひらから、ふっと絵が浮かび上がる。ほぼ反射的に知らないと言おうとしたオレは、思わず口を閉じた。
「知っているのかな?」
アルバン・フスキーの手のひらにある絵は、まさに今オレの首にある、服の下に隠れたペンダントなんだから。
「……君?」
「し、知らねえよそんな、上等そうなもん……!」
知っていると言ったら、確実に持っていかれる。こいつはそういう目をしてる。いや、こいつの後ろにいる奴ら全員。
「そうか。残念だな」
アルバン・フスキーがそう言って立ち上がる。よかった、これでオレは明日も生きていける。オレがそう思ったとき、アルバン・フスキーは冷酷な青い色の瞳でオレを見下ろした。
「素直に答えていれば、多少の恩赦はしてあげたものを」
「……は?」
「エターニム」
アルバン・フスキーがパチンと指を鳴らした瞬間、オレを拘束する輪っかがキツくなる。そして、身体中に電流が流れたような痛みが走った。
「うああぁあぁぁあ!?」
アルバン・フスキーがオレの首元に指を近づけて、ペンダントのチェーンをすいっと掬う。生かさず殺さずの痛みに絶叫するしかないオレを、アルバン・フスキーは侮辱するみてえな瞳で見ていた。
「なんの情報もなく来たとでも?……ああ、これだね。全く、マルベール家には困ったものだ」
オレの首から、ペンダントを引きちぎろうとする。ああ、オレは知ってる。こうやって全部全部奪われて、結局なんにも残りやしない。必死に生きてるだけなのに、キールの人間は人間とも思われない。虐めてもよくて、搾取してもよくて、踏んづけてもいいと思われてんだ。
「く、っそ」
オレはまた歯を食いしばる。こうやって我慢することしか、オレにはできん。オレはこいつらみたいに、『魔術』が使えないから。
「ライシット!」
突然、オレの拘束が解かれる。転がったままのオレの横に、アルバン・フスキーと同じ服を着た女がやって来た。
「見つけたわ。アンタがリオ?」
「……は……?」
女は膝をついて、オレの身体を起こす。オレは正直ビビった。血と手足と臓物が散乱した地面に、しかもキールに住む奴の為に膝をつくなんて。女はそんなこと気にもしていないのか、すぐにアルバン・フスキーを睨んだ。
「一人に寄って集って、こんな強奪みたいなやり方……。盗賊と変わらないわ」
女の言葉に、アルバン・フスキーがピクリと眉を動かす。アルバン・フスキーは不快感を滲ませた声で、女に言った。
「相変わらずお気楽な考え方だね、レフィリア嬢。マルベールの下にいるからかな?」
「……」
レフィリアと呼ばれた女が、ぐっと唇を噛み締める。アルバン・フスキーは大袈裟にため息をついて見せた。
「はあ……。僕は君を傷つけたいわけじゃないのだけれどね。仕方ない、それを庇うのだから」
またアルバン・フスキーが手を掲げる。レフィリアはオレを自分の方に抱き寄せると、小さな声で言った。
「あたしじゃあの人に勝てない。……アンタ走れる?」
「あ、ああ」
「じゃ、合図したら走りなさい。なるべく遠くに」
レフィリアは勝気に笑う。銀色の真っ直ぐな髪がサラサラ揺れて、場違いにも綺麗だと思った。
「作戦会議は終わったかな?」
「……ええ。十分よ」
レフィリアがオレを引っ張りながら立ち上がる。そして、大きく息を吸って叫んだ。
「走って!」
反射でオレの脚が勝手に駆け出す。それと同時に爆風が襲ってきて、オレは『冬』が戻ってきたのかと、一瞬思った。
「ライシット!」
「エターニム」
あいつらが一体何者なのかも分からんまんま、オレは走る。なんでこのペンダントを狙っているのかも、なんで突然キールにやって来たのかも分からんまま。
「なんでっ、」
なんにも分からんまま、オレはなんにも知らん奴に守られている。勝てないことを分かっているのに、強者に挑んだ奴を置いて逃げている。オレが『冬』と『夏』に挑んでるみたいなもんだろう。
「ああっ、クソ!」
胸元のペンダントを握りしめて、オレは脚を止める。そして、凄まじい轟音がぶつかり合う後ろをゆっくり振り返った。
「バカだろ、あの女ッ……!」
オレの脚は再び駆け出していた。元いた場所の方へ。レフィリアの方へ。こういうのは絶対戻らん方がいい。分かってる。それでも、オレの脚は動いていた。
「っ……おい!」
「アンタ、」
荒く息を吐くレフィリアがぎょっとした顔になる。まん丸に見開かれた目は濁りのないオレンジ色で、いつか見た夕焼けを思い出した。
「何で戻ってきたの!?」
「はは、レフィリア嬢の言う通りだ。わざわざ死にに来たのかい?それとも、ペンダントを渡す気になった?」
アルバン・フスキーの瞳孔がきゅうっと開く。オレは震える手でペンダントを首から外した。
「……」
「ちょっと!」
「素直になるのが少し遅かったけど……、まあ許してあげようじゃないか。そこのお前、それを回収して」
「はっ」
アルバン・フスキーが後ろに控えている奴らの中から適当に一人指名する。そいつはオレの前まで来ると、ペンダントを奪おうとした。
「ダメよ!」
その手をレフィリアが止める。レフィリアには小さな傷や所々出血に至る大きな傷がついていて、オレは何故か胸がギリっと痛んだ。
「うるせえ。これが欲しいんだろ。くれてやるよ」
「リオ!」
「あんただってボロボロじゃねえか!」
オレはこの女に助けられる義理はない。キールでは弱い奴から死んでく。油断した奴から奪われてく。それが今回たまたまオレだった。オレが弱くて、キールに『魔術使い』なんて来ないだろうと油断した。
「ここはキールだ!誰かに守られるなんて、そんなこと今までなかった!」
『冬』が来るときも、『夏』が来るときも。オレの家族だった人が死んだときも、隣のおばさんが死んだときも、向かいの子供が死んだときも。誰も、誰のことも守れやしない。
「あんたらはキールの人間じゃねえ。とっとと出てけよ」
「リオ、」
レフィリアが唇を噛み締める。アルバン・フスキーにペンダントを受け取るよう言われた奴は、オレの手からペンダントをぶんどった。
「アルバン様」
「ああ」
アルバン・フスキーがペンダントに手を触れようとする。しかし、ペンダントはその直前にふっと消えた。
「な、」
「来るのが遅くなってすまなかったね」
オレとレフィリアの背後から、落ち着いた女の声がする。オレはその女の放つ妙な緊張感で身体を動かせなくなって、女が正面に来るまでそいつを視認することができなかった。
「だめじゃないか。これはキミの物なんだから、簡単に手放したりしちゃ」
「は……?」
女がオレの首にペンダントをかけ直す。そして、にっこりと笑った。
「うん、キミによく似合っているよ」
「寮長!」
レフィリアが安心したような声を出す。リョウチョウと呼ばれた女は、レフィリアに優しく笑いかけた。
「ここまで頑張ってくれてありがとう。……さて、うちの寮生を傷つけたのは貴方かな?アルバン殿」
「……これはこれは、カナリア殿。すまなかったね」
さっきまでとは違う、緊迫した雰囲気になる。オレが思わず固唾を呑んだとき、アルバン・フスキーはニッコリと笑った。
「いやいや、大変失礼した!君まで出てくるとは予想外だ。僕たちは大人しく引くとしよう。……ペンダントはそちらの手に戻ってしまったようだしね」
アルバン・フスキーがオレの首をちらりと見る。しかしすぐに踵を返すと、後ろの奴らごと光を放って姿を消した。
「……」
オレが黙っていると、突然レフィリアがその場にへたり込む。そして、大きく息を吐き出した。
「……こ、怖かったあ……」
「は?」
さっきまでの勝気な態度はどこへ行ったのか、レフィリアの肩は震えている。カナリアだとかリョウチョウだとか呼ばれてた女は、ふっと笑ってオレを見た。
「キミがリオだね。ふふ、彼女に手を貸してやってくれ」
「あ、ああ……」
困惑しながらレフィリアに手を差し出す。レフィリアはオレの手を握ると、にこりと控えめな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、リオ。あたしはシエル・レフィリアよ。シエルでいいわ」
レフィリアはファミリーネームだったらしい。シエルが立ち上がると、リョウチョウが口を開いた。
「リオ。シエルの為に戻ってくれてありがとう。私はカナリア・マルベールだ。キミを探していた」
マルベール。さっきアルバン・フスキーが言っていたやつだ。カナリアはオレの首元を見つめると、懐かしむような顔をした。
「キミのペンダント、それはマルベール家の家宝だったものなんだ」
「……は?」
「すまないが、説明は後で。まず先に、キミの家の方に戻ろう。リオ、キミを心配している人がいるから」
オレを心配している人?そんな奴はいないはずだ。オレは疑問に思いながら、シエルとカナリアの後ろを着いて行った。川から戻ると、いつもの光景ではなくて、知らない奴が五人いる。その誰もが同じ服を着ていて、オレを見ていた。
「リオ!」
「おっさん」
川に行く前に会ったおっさん。この人はずっと昔からキールにいて、オレの一番古い記憶の中にもいた。おっさんはオレの家の、死んだおばさんとは逆の隣の家に住んでいる。
「お前を探してるってヤツらが来たから驚いたぞ。リオお前、なんか仕出かしたのか」
「は?仕出かしてねえ。オレが一番聞きてえっつーの」
「リオ」
カナリアがオレの名を呼ぶ。カナリアはオレの右肩に優しく手を置くと、おっさんとオレを交互に見つめた。
「どうして私とシエルがキミの名を知っていたと思う?」
「は?……これ探してたからじゃねえの」
「違うよ。こちらの殿方に言われたんだ。リオを助けてくれって」
おっさんがきまり悪そうに目線をウロウロさせる。おっさんはいつもの半分くらいの声量で言った。
「ま、隣のよしみだ」
その言葉にカナリアが笑う。そして、かんかんに晴れた空を見上げた。
「さて、リオ。キミには選んでもらわないといけないことがある」
カナリアがオレの肩から手を離して正面に立つ。そして、アルバン・フスキーがやったように手のひらから絵を浮かび上がらせた。
「私たちと一緒に来るか、ここに留まるか。好きな方を選びなさい」
カナリアの手のひらには、文字が書かれたものが浮かんでいる。オレは文字が読めん。が、選ばねばならんらしい。
「この者を学園に迎え入れることを許可する。サラマンダー寮寮長、カナリア・マルベール。……そう書いてあるわ」
シエルがオレにそう言って、遠慮がちに微笑む。ガクエン、キョカ、リョウチョウ。完全に困惑しているオレに、シエルはさらに付け足した。
「リオを私たちが通っている学園……勉強をするところに受け入れるってことよ」
「なんでそんな、」
「キミが持っているそのペンダント。少しばかり貴重なものでね。うちの学園長殿が、それを持ってきた人の願いを何でも叶えてくれるって言うんだ」
それなら、オレからペンダントを受け取って持ち帰ればいいだけの話だ。何か裏があるのかもしれない。オレがそう思って警戒心を出したとき、おっさんが鼻で笑った。
「いい話じゃねえか。行っちまえ、リオ。厄介事引っ張ってきやがって、お前の顔なんかもう見たくもないね。こんなに『上』の連中がいたんじゃおちおち眠れもしねえよ」
「なっ」
おっさんはオレから背を向ける。そして、遠くに見える『上』の方を見上げた。
「とっとと出ていけ、リオ。お前みたいな食べ盛りがいると、こっちの取り分が減るんだ」
「……」
それが本心じゃないことがすぐに分かる。オレは一人だった。だけど、独りじゃなかった。キールは残酷で過酷な場所だ。だけど、決して冷たい場所じゃない。誰のことも守れないけど、誰のことも見捨てない。そういう場所だ。
「分かったよ。出て行く。……オレだって、こんな場所もう沢山だからな」
「生意気な」
おっさんがそう言って、ふんと笑う。オレはシエルとカナリアに向き直った。
「あんたたちと行くよ。よく分かんねえけど、このペンダントがいるんだろ」
「ああ。それじゃあ、キミの用意ができたらここを出よう。本当はもう少し別れの時間をと思ったのだけれど……、必要ないみたいだね」
「まあ、出て行くだけだからな」
荷物という荷物もない。オレはこのペンダント以外何も持っていないから。
「おっさん。オレが使ってた場所、誰か来たら譲ってくれよ。あんたの隣なら新顔も安心だろ」
「……ああ」
後ろ姿のおっさんが頷いたのを見て、オレも頷く。そして、最後にキールを見渡した。
「なあ、シエル。『上』ってどんな場所なんだ」
「それは、アンタがアンタの目で見て知った方がいいわよ」
「そういうもんか」
「そうよ。その方がきっと、何倍も楽しいわ」
シエルがオレの横に立って、オレの手を握る。オレは驚いて、思わず手を振りほどいた。
「何よ、失礼ね!」
「いや、な、なんだよそっちこそ!急に!」
「今から移動するのよ。アンタは魔術が使えないから、こうやってあたしが魔術をかけてあげてるんでしょ!?」
「……すまん」
必要な行為だったらしい。上流階級の奴らはオレたち最下層民に触れるときは大抵靴で触れるか、棒で殴るかだからびっくりした。そういえばシエルは、最初も躊躇わないでオレに触ってたな。
「二人とも、仲がいいのはいいことだね。でも皆見てるから、そろそろ帰るよ。寮で待ってる皆も心配する頃だ」
「す、すみません寮長」
「スミマセン」
他の、シエルとカナリアの仲間と思われる奴らが集まってくる。でも人数が少ないからなのか、それともこいつらの雰囲気なのか、アルバン・フスキーのときみてえな威圧感はなくて、何となく穏やかな感じがした。
「さあ、行くよ」
おっさんがカナリアの言葉で振り返る。そして、最後にオレを見た。
「元気でやれ、リオ!」
「……!あんたも、くたばんなよ!」
オレの声が届いたかは分からない。強い風に目を閉じて、もう一度開けたときにはもう、知らない場所にいたから。
「ここは……、」
「ようこそ、リオ」
カナリアがそう言って笑う。目の前にあるでかい建物はきちんと扉がついていて、石でできた柱もある。オレが住んでたボロ屋とは大違いだった。
「ここが我らがサラマンダー寮。さあ、中に入って。まずはキミのお披露目会をしよう」
重々しい扉をカナリアが開く。するとすぐに、中から何かが飛び出してきた。
「おかえりなさい、カナリアちゃん!」
「おっと。ただいま、グレース」
随分小柄な女だ。グレースとかいう女はオレをじっと見ると、不思議そうな顔をした。
「新入生の時期は終わったよね?」
「ああ。グレース、彼は編入生のリオ。皆に紹介するから、部屋にいる子たちを談話室に集めてくれるかい?」
「はーい!」
グレースがうさぎみてえに廊下を走って行く。それを他の奴らは微笑ましそうに見ながら、カナリアに続いてどんどん中に入って行った。
「ちょっとリオ?なにぼーっとしてんのよ」
いつまでも中に入らんオレを、不思議そうにシエルが振り返る。オレは正直ビビっていた。こんなに大きな建物の中に入ったことなんてなかったから。しかも、どこもかしこも上等そうな造りをしてやがる。そんなオレの心を見透かしたのか、シエルはオレの手を握った。
「大丈夫よ。これからはここに、毎日帰ってくるんだから。そのうち慣れるわ」
そして、オレを優しい力でくいっと引っ張る。オレはその力に導かれるみたいに、ようやく中に入った。
「カナリアちゃーん、呼んできたよ!」
談話室ってところにグレースが戻ってくる。その後ろには三人いて、そいつらもやっぱり同じ服を着ていた。
「全員揃ったか。それじゃあ、皆に紹介するよ」
全員がオレを見ている。オレはごくりと唾を飲み込んだ。
「彼はリオ。十二人目の寮生だ」
カナリアの言葉に、思い思いの反応をしている奴らを見て、毒気を抜かれたような気分になる。他の奴らにオレへの敵意なんてもんは微塵もなくて、警戒したオレがバカみたいだった。
「ほら、留守番していた皆から、順番に自己紹介して」
カナリアにそう促されて、他の奴らが顔を見合わせる。一番最初に口を開いたのは、グレースだった。
「はーい!私グレース!グレース・バセット!四年生!」
四年生、とは。オレが首を傾げたとき、カナリアが苦笑いした。
「ああ、学園の仕組みをまだ教えてなかったね。この学園には一から四年生まで、学年があるんだ。学年が上に上がるにつれて、実力が上がっていく」
「へえ……」
グレースがニコニコと、ガキみてえな笑顔でオレを見てる。そして、隣にいた奴をぐいっと引っ張った。
「ヘンリー!ヘンリーもお兄さんなんだから挨拶しなきゃ!」
「はいはい……。初めまして、リオ。ボクはヘンリー・シュセット。三年生だよ」
「ハジメマシテ……」
ヘンリーもグレースに負けないくらい幼い顔立ちをしていて、下手したら十四、五に見える。金髪に水色の瞳の人畜無害そうな顔をしたヘンリーは、薄紫色の長い髪の毛先をペシペシとヘンリーに当てるグレースを宥めながらにこにこしていた。
「ほら、おチビちゃんズ大人しくしてな。四年のクロエ・ローズ。よろしくな、リオ坊」
「ヨロシク……」
リオ坊ってなんだ。いや、リオ坊ってなんだ。呼ばれたことねえぞ。『坊』ってどこからきたんだ。オレがぐるぐる考えていると、クロエがずっと黙っていた男を前に出した。
「挨拶しなギル。あんたが面倒見てやることになるだろうし」
「……四年のギルバート・ドラグニル」
「ヨ、ヨロシク」
黒髪で赤い目の、細身の男。深い緑色の髪をしてるクロエの横に立つと、その黒さは一際分かりやすい。クロエも大分黒に近い髪色だけど、それよりももっと黒いから。
「うん、よしよし。それじゃあ、次はこの子達だ。キールにも着いてきてもらったから、さっき会ってるけれどね」
「あ、ああ」
正直もう既に覚えきれん。ファミリーネームまであるやつなんてキールにはいなかったし、何よりこいつら全員同じ服着てるから。
「俺はレオ・クラーク。三年な。でもま、レオでいーよ。リオは敬語とか知らないっぽいし、俺そういうの気にしないからさ。名前もちょっと似てるし仲良くしよーぜ」
「ケイゴ……?分かった」
顔が綺麗で話しやすい奴だ。こういう奴は街に出たらいつも金稼いで帰って来てた。綺麗な顔で口が回る奴は女にモテるんだ。
「わ、私はミモザ……。ミモザ・ライト、だよ。三年生……。よ、よろしく……。わ、わた、私も……その、…………」
ミモザが急に黙る。どんどん顔が赤くなっていって、そんで俯いた。オレはどうすればいいんだ、これ。
「ミモザは照れ屋なんだ。ミモザも敬語使われるの苦手なんだよな。だからそのままのリオでいいってさ」
「わ、分かった」
レオが横からそう口を挟む。こいつらはお互いをよく知ってるらしい。ミモザはほっとしたように息を吐いて、すぐにレオ……じゃなくて、クロエの影に隠れた。
「レベッカ・デイビス」
「レイ・デイビス」
「「二年生。ご機嫌麗しゅう」」
女と男の、そっくりな顔した奴らがオレの両脇に現れる。無表情とは裏腹に、声は楽しそうだ。
「レベッカはおれの姉です」
「レイはわたくしの弟ですわ」
なんでこいつらずっと無表情なのに楽しそうなんだ。オレが若干ビビっていると、二人はすぐに顔を見合せた。
「レヴィ。顔がついてきてませんよ」
「レイこそ。困りましたわね」
互いの顔をむにむに触り始める。すると段々口角が上がって、声に釣り合った表情になった。
「これでよろしくてよ」
「すみません、おれたちいつもこうなのです」
「あ、ああ……」
キールより、遥かに変な奴が集まってる。でも、新鮮で面白い。……かもしれない。
「さあ、キミも前においで。……とはいえ少し気まずいかな?」
「……?」
カナリアに前に連れてこられたやつは、綺麗なブロンドの髪をしている。瞳は薄い薄い水色。ヘンリーよりずっと頼りねえ水色だ。
「……俺は一年のトリスタン。トリスタン・フスキー」
「フスキー……って、アルバンと同じ……」
シエルが腕を組んでトリスタンを見てる。なにか言いたげだ。
「兄がお前に手荒な真似をした。……」
「いや、まあ……」
「……ごめん」
トリスタンはぎゅっと眉間に皺を寄せている。オレを視界に入れるのが怖いのか、俯いていた。
「別に、あんたに謝られることじゃねえよ」
「でも」
顔を上げたトリスタンと目が合う。トリスタンはまたすぐに俯いた。
「あんたはあいつの弟かもしんねえけど、オレがいたキールじゃ家族なんてあってないようなもんだった。だから、オレには血の繋がりとか……なんかそういう因縁?みてえなもんは分かんねえ」
オレの言葉にまた、トリスタンが顔を上げる。グラグラした瞳は、不安とかそういうもんを必死に堪えてる奴の目だった。
「だから別に、気にすんなよ。あんたの兄貴がどういう奴か大体分かったけど、あんたのことはオレまだ知らねえし」
「……うん」
シエルが満足そうにしてる。……気がする。明らかにほっとした顔になったトリスタンを見て、シエルが口を開いた。
「ねえ、もうあたし喋っていい?」
「あ、ああ。ごめんシエル、待たせたね」
「構わないわ」
シエルの銀髪がさらりと揺れる。やっぱり綺麗だ。シエルはオレを真っ直ぐ見つめると、オレンジ色の夕焼けみたいな目を輝かせた。
「二回目になるけど……、あたしはシエル・レフィリア。ここの一年生。これからよろしく、リオ!」
「ああ……。よろしく」
シエルがオレに手を伸ばす。握手を求めているのだろう。オレはシエルの手を握ると、なるべく弱い力で握り返した。
「さあ、皆の紹介はこれで済んだね」
穏やかに見守っていたカナリアがそう言う。オレとシエルの手は自然と離れて、カナリアの方に身体を向けた。
「改めて、私は四年生のカナリア・マルベール。このサラマンダー寮の寮長を務めている。これからよろしく頼むよ」
「世話になる。……と、思う。よろしく」
「うん、キミは素直だな。ヘンリー、リオの身支度を整えてあげてくれるかな?キミが一番得意だろう」
突然の指名に、ヘンリーがえ!?と声を上げる。が、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべた。
「もちろん、ボクで良ければ。行こうか、リオ」
「あ、ああ」
ヘンリーに連れられて、廊下の奥へと進む。後ろを振り返ると、他の連中はひらひら手を振っていた。
「まずはシャワーを浴びようか。こっちだよ」
「シャワー……」
キールでは川に入って身体を洗ってた。そうしないと、疫病にかかりやすくなるっておっさんが言ってたから。
「毎日ここで身体を綺麗にするんだよ。ここを押すとお湯が出てくるから」
ヘンリーが一通り風呂場ってところの使い方を教えてくれる。泡が出るやつで頭を洗うらしい。変な習慣だ。
「じゃあ、ボクは新しい着替えを用意してくるね。ゆっくり入ってて」
「わ、分かった」
ヘンリーがいなくなってから、何年着回したか分からないボロ着を脱ぐ。そのまま言われた通りお湯を出して、頭を洗って、身体を洗った。お湯は温かくて、清潔で、身体がふわふわした。キールの水は雪解け水だったから、清潔ではあったけど冷たかった。
「……」
なんか落ち着かなくてすぐに出る。既に着替えが置いてあって、身体を拭いてからオレはそれに着替えた。
「ヘンリー」
風呂場の外にいたヘンリーに声をかける。ヘンリーはオレの方を見ると、ぱっと笑顔になった。
「わあ、リオ制服似合うね!」
「セイフク?」
「この服のことだよ。皆同じの着てるでしょ?これは制服って言って、この学園の生徒であることを証明する服なんだ」
「へえ……。だから全員同じの着てんのか」
男と女でちょっと形が違うけど、それはまあ普通の服と同じ仕様だろう。ヘンリーはにこにこしながら、オレの首元を見た。
「あ、ネクタイ」
「ネクタイ?これのことか?」
「そうそう、それ。結び方分からなかったよね」
ヘンリーがそう言いながら結んでくれる。ちょっと首が窮屈だけど、悪くない。
「うん、完璧!その制服はギルさんのお下がりなんだよ」
「ギル……ギルバートか」
「あはは、呼び捨てなんてやるなあ」
「すごい奴なのか?ギルバートって」
ヘンリーが次の場所へ行くからと歩き出す。ヘンリーは相変わらずにこにこしながら、ギルバートについて話し始めた。
「ギルさんはすごい人……どころじゃないんだ。多分、この学園でトップレベルで強い人」
「トップレベルで?」
「うん。正確な強さはあんまり測れないけど、魔術の技術だったら寮長よりも上なんじゃないかな」
あの細身の男が?魔術ってなんかこう、もっとムキムキの奴が強いんじゃないのか。いや、カナリアもアルバンも強そうだったけど、別にムキムキじゃなかったな。
「ギルさんはすっごく強いけど、すっごく仲間思いで優しいんだ。ボクたち下級生のことをいつも気にかけてくれてる」
「……あいつが?」
どちらかと言うと、他人に興味が無さそうな奴に見えたが。半信半疑のオレに、ヘンリーは笑いながら目の前の扉を開けた。
「そのうちきっと分かるよ。……ほら、リオ。ここがリオの部屋だよ」
「……オレの部屋?」
開かれた部屋は、オレが住んでたボロ屋の三倍くらいある。ヘンリーはオレに部屋の物を一通り紹介してくれた。
「この鏡で毎日身だしなみをチェックするんだよ」
ヘンリーが引き出しからゴソゴソ何かを出す。そして、オレにじっとして目を閉じるように言った。
「……?……!?」
しょきしょき、変な音がする。段々髪が軽くなって、不思議な感覚だ。
「よし。オッケー、もういいよ」
目を開けると、自分の金色の目と目が合った。足元には深い青色の髪が散乱してる。
「クリーテ」
ヘンリーがそう唱えると、髪の毛がパッと消える。魔術ってのはつくづく便利そうだ。
「毎朝この状態にして、談話室に来るんだよ。とはいえ、顔洗ってくしで軽く髪を整えたらこうなるから簡単だけどね」
ヘンリーがそう言って微笑む。そして、オレの手を引っ張って部屋から出た。
「皆に見せに行こう。きっと喜んでくれるよ」
「な……なんで喜ぶんだよ」
「え?」
ヘンリーが不思議そうな顔をする。そして、すぐに前を向いて言った。
「そんなの、リオが仲間になって嬉しいからだよ。新しい仲間ができて嬉しくない人なんて、サラマンダーにはいないよ」
「……ふーん……」
オレは気恥ずかしくて、くすぐったくて、なんとなく下を向いて歩いた。ヘンリーはその間も上機嫌だった。
「皆お待たせ」
「……」
ヘンリーがオレをグイグイ押して前に出す。そして、オレの背中をぽんと叩いた。
「ほら、背筋伸ばして。自信持って、リオ」
「……う……」
「へえ、リオ坊化けたな」
クロエがニヤッと笑う。そしてすいっと指で空中に何かを描いた。
「これは私からの入学祝い。受け取っときな、リオ坊。……イベンシオ」
キラキラした粉みたいなのがオレに降りかかる。粉はすぐにオレに馴染んで、ふっと消えた。
「じゃあ私も!フローレス!」
また粉がかかる。レオはケラケラ笑ってオレを見ると、ぽんぽん肩を叩いた。
「これは祝福の魔術だよ。リオを災いから守ってくれるようにさ。俺とミモザからも贈るよ。……グリフォン」
「……ピッツィーリア」
代わる代わるオレの前に来て、祝福の魔術をかける奴らは、ヘンリーが言った通り嬉しそうだった。変な連中だ。赤の他人の為に、魔術を使うなんて。
「ではわたくしたちからも。」
「そうですね。折角ですから」
「「ジマイニ」」
段々身体がポカポカしてくる。風呂に入ったときとは違う、もっと胸の辺りだけが。オレが戸惑っていると、ヘンリーは嬉しそうに言った。
「リオ、笑ってる。ボクからも祝福するよ。クリーテ」
「……あ、ありがとう」
ぽそりと言うと、奴らはニヤニヤして顔を見合わせる。なんだよ、ちくしょう。
「シャフリヤル」
突然ギルバートが口を開く。そして、それだけ言ってまた口を閉じた。
「え……!い、いいな、ギルさんからの祝福っ……!」
「今の祝福なのか」
ずっとおどおどしてたミモザが、キラキラ目を輝かせてオレを見る。レオはそんなミモザを見ながら言った。
「ギルさんからの祝福はレアなんだよ。ギルさんは滅多に人に魔術かけないから」
ミモザがレオを見上げて、ハッとした顔ですぐクロエの後ろに隠れる。……なんだこいつら、お互いのこと分かってんのに変な距離感だ。
「はは、リオ。今思ったことは胸の内に秘めておいてくれよ」
カナリアが笑ってそう言う。どうもその距離感が二人の正解らしい。カナリアはオレをまじまじと見ると、急に噴き出した。
「ははっ、上級生全員から祝福貰ったのか!ラッキーだな、リオは。私はサラマンダー寮生全員に祝福をあげているから、もちろんあげるつもりだったけれどね」
カナリアがそう言ってオレの頭を撫でる。カナリアはオレよりも背が高かった。
「……キミのこれからに、幸多からんことを。ディフェイト」
かけられた魔術は、重みもなければ感触もない。あるのは、胸の奥にある温かさ。
「……ありがとう」
もう一度同じ言葉を口にすると、やっぱりニヤニヤされた。嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ち。きっとこいつらは、他の連中にも好かれてるんだろう。オレがそう思ったとき、カナリアがニコニコして言った。
「いや、よかった。はぐれ者の集まりって言われてしまううちに、無事に馴染んでくれそうで」
「……は?」
今なんて?オレが聞き返そうとするも、他の奴らが口々に同意を唱え始めた。
「リオ」
「シエル!はぐれ者って……」
「そのままよ?何よ、アンタ気づいてなかったの?」
シエルが呆れたように腕を組む。そして、サラマンダー寮生たちを見つめた。
「先輩たちは皆素敵な人よ。もちろん先輩だけじゃなくて、トリスタンもね。でも、うちの寮はアンタ含めて十二人。他の寮はうちの倍以上いるわよ。……あたしたちは、他の寮の人達に受け入れてもらえなかった、所謂厄介者の集まりなのよ」
「……な、なんだそれ……」
今のところ、厄介者っぽさはない。オレが呆然としていると、トリスタンが寄ってきた。
「明日学園に行ったら分かると思う。でも、俺は……俺達は皆、ここが好きだよ」
「みてえだな」
こいつらは全員キラキラしてる。『上』の奴らだからかと思ったが、違う。こいつらはここが好きだからキラキラしてるんだ。
「学園の詳しいことは明日教えてあげるわ」
「分かった」
厄介者が集まった寮、サラマンダー寮。明日からの学園生活に若干の不安を抱きつつ、オレはペンダントをシャツの上からぎゅっと握った。このペンダントがあれば、そして祝福してくれたこいつらがいれば、きっと大丈夫だと信じて。
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