『女王のついた嘘』

翡翠

「女王」のついた嘘

 とても気の強い子だった。中学3年の途中で転校した、同じクラスの女の子。勉強も運動もできて、いつも教室の真ん中にいるような子だった。容姿も整っていてスタイルも良く、定期テストも体育祭も、常に1番だった。我儘で、癇癪持ちで。気に入らないことがあれば人に当たった。人を使うことを厭わなかった。そんな彼女についたあだ名は、「女王」。プライドの高い彼女のことを、誰もが恐れ、嫌っていた。

 彼女が転校した時、クラス全員が安堵した。担任の先生ですら、これで肩の荷が下りた、とでも言わんばかりの表情をしていた。彼女にとっての最後の登校日、担任も副担任も巻き込んで、放課後の教室で形だけのお別れ会をした。主催したのは私だ。別に仲が良かったからではない。ただ、じゃんけんに負けて学級委員だっただけ。それだけ。パパが海外に転勤になったんだ、と笑う彼女の顔を、ぼんやりと覚えている。クラスメイトと同じくらい、彼女にもまた、転校を残念に思っている様子はなかった。むしろ、目に余るほどテンションが高かった気がする。不思議には思ったけれど、訊かなかった。私たちは、ただ同じ教室にいただけだったから。


 私がこんな風に昔を思い出したきっかけは、中学の同窓会開催を知らせに来た1枚の葉書にある。いつもの通り仕事を終え、コンビニで夕飯を買って、いつもの通りアパートに帰った。郵便受けに差し込まれた葉書を、捨てる前に見ようと思ったのは偶然だ。普段なら、大事な書類かそうじゃないかが振り分けの全てだから。水道代や光熱費、家賃なんかの請求書は大事な書類。選挙の時の投票用紙も大事な書類。勧誘とか宣伝とかは見ないで捨てる。同窓会のお知らせも見ないで捨てていた気がする。でもあれは確か、高校の同窓会だ。それが誰から来たものだったかすら記憶に無い。可もなく不可もなく、それなりに楽しくて、それなりに苦痛だった私の学生時代。今でも仲が良い人はいるけれど、その子たちとは個人的に連絡を取り合っているし、お互い同窓会に顔を出すようなタイプではない。他の誰から連絡が来ても思い入れはないし、正直興味もない。手の中の葉書には、『第6回』の文字。中学の同窓会なんて、今まで開催されてたんだ。

 見てしまった以上は、返事を出した方が良いのだろうか。既に5回は無視しているわけだから、関係無いような気もする。そもそも中学の時って、誰と同じクラスだったっけ。なんて、そんなことを考えているうちに思い出したのが女王の存在だった。名前は確か……

「柚姫。春川柚姫さんだ。ん? 春……いや、秋だっけ」

 名字は怪しいけれど、名前は合っているはずだ。彼女はよく「姫」の字を周囲に自慢していたから。高貴な女性を表すその1字は、彼女にとって自分を高める1つのステータスになっていたのだと思う。

 ぐぅ、と鳴ったお腹の音で、夕飯をまだ食べていないことを思い出した。せっかく温めてもらったお弁当が、もうすっかり冷えてしまった。容器を袋から取り出して、そのままレンジに入れる。スタートボタンを押して、葉書の『不参加』に丸を付けた。



 翌日の朝、私は投函しようと用意した葉書を、うっかり忘れて家を出た。締め切りまではまだ何日かあったし、明日で良いや。なんて考えながら仕事をしている、午後3時過ぎ。まとめているのは、この後予定されている会議の書類。印刷前の最終確認中だ。……うん、大丈夫。誤字脱字も無いし、文章が捻れたりもしていない。

 部数を8部に設定して、印刷ボタンをクリックする。抜けているページが無いことを確認したら準備完了。それまで忙しなく聞こえていた足音が、近くまで来て止まった。

「堀野、悪い。何回やってもプロジェクター上手く繋がらなくてさ。2階から違うやつ持ってきてくれるか?」

「分かりました」

 堀野は私の名字だ。堀野、ほり……

「冬川だ」

 思い出した。柚姫さんの名字。冬川と堀野。そういえばクラス替え当初、席が前後だった。

 階段を上りながら、彼女の名前を口にする。名前を思い出した途端、靄がかかったように曖昧だった記憶の中の彼女が、多少鮮明に思い出せるようになってきた。猫を彷彿とさせるような吊り目や、口元の黒子、パーマでうねった栗色の髪。少し幼い印象の丸い筆跡に、「ゆず」という1人称。気に入らない生徒を見下ろす、冷ややかな視線。

 それだけじゃない。意外にも掃除が丁寧だったこと。係や委員会の仕事は絶対に忘れなかったこと。いつも図書館で遅くまで勉強していたこと。少しずつ解像度が上がっていく度、当時抱いていた恐怖や嫌悪が溶けていく。今なら、たとえ彼女から怒気を孕んだ目で見られたところで、何とも思わないのだろうなと思う。

「先輩、プロジェクター持ってきました」

「おう、ありがとう」

 あれから10年。なんだかんだ、自分も成長しているのだろうか。彼女の掃除が丁寧なことも、仕事に対しての責任感があったことも、勤勉な人であったことも当時から知っていた。分かっていた。けれど当時の私にとっては、目の前で癇癪を起こす姿が彼女の全てだった。

「よし、映った」

 先輩の声で我に返って、腕時計に目を落とす。3時17分。会議開始まで、あと13分だ。



 帰路についたのは、定時を大幅に過ぎてからだった。実家にいた頃の父も定時に会社を出て帰って来たことなんて殆どなかったし、そんなものなのだろうな、と思う。思いはするが、じゃあそれで文句がないかと言えば、それはまた別の話だ。バスに乗っている時から頭の中は堂々巡りで、同じことばかり考えている。どうして1時間で終わるはずの会議に、2時間強もかかるのか。

「あのおじさん話長すぎ……」

 駅からコンビニまでの道を歩きながら、思わず本音が漏れる。頼むからもう少し簡潔にしてほしい。今に始まったことではないけれど、それでも普段なら30分程度の延長で済むのにな。目的地までの15分間、頭の中は愚痴だらけだった。因みに駅構内にあるのは自販機だけで、売店は無い。都会で育った私としては、せめてもう少し駅の近くで売ってくれないものかと思う。地元出身者に言うと「コンビニがあるだけありがたい」と返されるけれど。

「それにしたって15分は長いよなぁ」

 地元で就活をするも一向に内定がもらえず、不安と焦りが心の中を支配した頃、私は都会が嫌になってしまった。真っ暗な空間に1人置いていかれたような孤独感。うずくまる自分を取り囲むように並んだ、背の高い何かに見下ろされているような居心地の悪さ。そんな感覚から逃れるために、今の会社に履歴書を送った。田舎の人は、のんびりおっとりしていて温かい、なんて勝手なイメージで。


 無事に就職してから、今年で3年目。通い慣れたコンビニに漸く着いて、ドアを押し開ける。今日は珍しく、知らない声の「いらっしゃいませ」で迎えられた。つい昨日までは、目の下にクマを作った不健康そうなお兄さんだったのだけれど。チラリとレジを見やると、そこに立っているのはどうやら女性らしい。

 特に悩むことなくお弁当を手に取って、飲み物コーナーを覗く。久々に、何か水でもお茶でもないものが飲みたい気がする。けれど、そそられるものが無くて結局はお茶に手を伸ばす。昨日はほうじ茶だったから、今日はむぎ茶にしよう。飲み物がダメなら、何か夕飯の後にも食べられそうな美味しいものはないかな。色々探して店内を歩いてみる。あ、アイスなんてどうだろう。普段は見向きもしないから、ここにどんなものが売っているのか全然知らないけれど。

 5分ほど悩んだ末に、レジまで持っていったのは夕飯のお弁当とむぎ茶だけ。色々な食べ物を見ているうちに、なんとなく食べたい気が失せてしまったからだ。

「合計で244円になります」

 昼間、柚姫さんのことを思い出していたからだろうか。その声がどことなく懐かしい気がして、思わず財布から顔を上げる。


 猫みたいな吊り目、口元の黒子。ストレートだけれど、栗色の髪。


 胸元のネームプレートに目を落とすと、そこには「冬川」の文字。

「柚姫さん?」

 つい口に出してから、しまったと思った。間違いだったらどうしよう。知らない人から知らない名前で呼び掛けられるなんて、自分なら怖い。というか、当たっていたとして、声をかけてどうするつもりだったのか。前にも言ったけれど、さして仲が良かったわけではないのだ。

 驚いたように目を見開いて、店員さんは私の顔を凝視している。どうやら間違っていたみたいだ。それもそうか。なんせここは、地元から遠く離れた田舎町なのだ。

「あの、すみませ──」

「もしかして、美久ちゃん?」

「え……」

 けれど、予想に反して店員さんの口から返ってきたのは、紛れもなく私の名前で。

「じゃあ、やっぱり──」

「うん。柚姫で合ってるよ。久しぶり」

 そう言って柚姫さんは、曖昧に笑った。



 ちょうど柚姫さんが休憩に入ると言うので、コンビニの裏で少し話をしようということになった。

「そっか……じゃあ、あの後から柚姫さんはずっとこの町にいるんだ」

 こちらからは何も訊かなかったが、柚姫さんは当時のことを訥々と話してくれた。小学校中学年の頃から両親の喧嘩が絶えず、家に居場所が無かったこと。母方の祖父母が事故で突然亡くなったこと。それがきっかけで両親が離婚したこと。母親の地元に帰るための転校だったこと。誰にも弱みを見せたくなくて、「外国へ行く」と嘘をついたこと。

 もしかしたら彼女はずっと、こうして誰かに打ち明けたかったのかもしれない、なんて。

「寂しかったんだろうなって、今なら思うんだ。必死に勉強したのも親に認めてほしかったからで、別に夢があったわけでも、真面目だったわけでもないし」

 ただ綺麗な方が好きだからきちんと掃除をしただけ。係や委員会の仕事は、たまたま忘れなかっただけ。柚姫さんはそう言って、呆れたように笑う。

「高圧的な態度取ってないと、学校での居場所まで無くなっちゃうかもって、怖かったんだよね」

 他人を傷付けることでしか自分を守る術を知らなかった少女の目に、「女王」というあだ名はどう映っていたのだろう。ふぅと吐き出した彼女の息が震える。きっと泣いている。

「馬鹿だなぁ。そんなことしない方が皆と仲良くなれたのにね」

 何も返せなかった。柚姫さんの顔すら見られなかった。暗いせいで殆ど見えなくなったアスファルトを凝視して、ただ耳だけは柚姫さんの声を追っていた。

「ごめんね、こんな昔の話」

「ううん。話してくれてありがとう」

 これだけは目を見て言わなきゃ、と思った。こちらまで泣きそうなところをぐっと堪えて、右隣に顔を向ける。けれど、目に飛び込んで来た彼女の顔にあったのは、後悔でも、自嘲でもなかった。

「再会したのが美久ちゃんで良かった」

 ふわりと笑う柚姫さんを見て思い出した。中学2年の時、学校祭の実行委員で一緒だったこと。まだ違うクラスだったし、初めは「冬川さん」「堀野さん」と呼び合っていたこと。クラスで思うように仕事ができなくて、彼女が1人で泣いていたこと。私の方から声をかけたこと。数日後の片付け作業で、晴れたような笑顔を見せてくれたこと。

 あぁ、そうか。だから私は「柚姫さん」で、柚姫さんが「美久ちゃん」なんだ。ただ同じ教室にいただけじゃ、なかったんだ。



 同窓会の葉書は結局、欠席のまま投函した。会いたい人がいなかったから、というより、普通に出勤日になったから。悩んでいた当初は休日だったはずなのにな、なんて、この場に誰かいれば口に出していたかもしれない。まったく、何が悲しくて土曜にまでスーツを着ているのやら。

 ピコン、とスマホに通知が届く。どうやらこの時間で決まりみたいだ。少し急だったけれど、予定が合って良かった。

 ちょうど到着したバスの扉が開く。狭い箱から人が流れ出る。今度は自分がその箱に押し込められる番だ。けれど、先ほどまでの憂鬱は不思議といなくなっていた。明日の今頃を想像して、私は1人笑みを溢した。

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『女王のついた嘘』 翡翠 @Hisui__

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