第8話

 可哀想な女の子は、昨日と変わらず焼け落ちた姿で火刑台の柱に縛り付けられていた。

 私は彼女と向き合うのがとても怖かった。今の私と同じ年頃、同じ背格好、そこにはまるで自分自身が殺されて晒されているみたい。誰にも弔われず、ここで朽ち果てるまで放っておかれている。

 神殿前の広場には、相変わらずたくさんの人が訪れていたけど、彼女の周りだけが、不吉な結界でもあるように遠巻きにされ、ひとけがなかった。

 私はエレノアが唇に塗ってくれていた口紅を、薬指でこすりとってみた。可愛らしいピンクがかった赤が、私の指を染めた。

 これならいけるんじゃないかな。

 鏡がないので、自分の額を上目遣いに見上げながら、私は赤い小さな点をそこに描いた。聖刻っていうんだっけ。神殿種のしるし。

 私の長い髪が、吹き始めた風にあおられ、ふわりとひろがった。時ならぬ強風に、人々の目が私のほうへ向けられた。うち捨てられた火刑台へと上がっていく、常識はずれの娘っこのほうへ。

「私は転生したわ!」

 喉のかぎりの声で、私は叫んだ。あらかじめ決められていた台詞のように、言葉は私の喉から自然と生まれ出た。

「私は本物の聖女だったわ!」

 声をききつけた人々は、動揺してざわめきはじめた。神殿の中に逃げるように走り込んでいく人たちも大勢いた。やがて白い衣をまとった神官らしい人々が、白大理石の建物の中から、駆けだしてきた。

「なにをしている。不敬罪で罰さねばならなくなるぞ」

 私の額にある赤い印を見とがめて、神官のひとりが叫んだ。彼らは街の人たちと変わらない褐色の肌をしていて、額に赤い点を持ってはいなかった。

「私は人の命を救っていただけよ。なぜ殺されなければいけなかったの」

 私の口を借りて、死んだ女の子が喋っているような気がした。本当は誰もがみんな分かっていることを。みんな彼女にひどいことをした。

「この世界はおかしいわ。人を救うための神様がなぜ人を殺すの。みんなおかしいと思わないの」

「娘、神殿種への畏れを知るがいい」

 握りしめていた杖をふりあげて、神官たちが私を取り押さえようとした。

 広場の入り口に蹄の音が響いたのは、ちょうどその頃だった。

 私は白大理石の石畳をかけてくる一騎を見つめた。起き抜けで悪かったけど、間に合ってよかった。

 着替えもせずにすっ飛んできたらしい、ぼさぼさ頭のイルスを見て、私は微笑んだ。突っ走ってきた馬は、きゅうに手綱をひかれて、びっくりして竿立ちになっていた。

 イルスは心臓が口から出そうな顔で、額に赤い点を描いて、神官たちともみあっている私を見つめた。イルス、私を助けに来て。心の中で、私はそう念じた。

 その願いが通じたみたいに、イルスが帯びていた剣の柄に手をかけるのが見えた。

 私には、それで十分だった。

「私に触らないで」

 肩をつかんで連れて行こうとする神官たちの手を、私は軽く振り払ったつもりだった。勢いを増した熱い風が、私を包み、彼らをはじき飛ばす。

 私の指も髪も、光り輝いて燃えるように熱かった。自分の背中を割って、なにかが現れるのを私は感じた。

 それは一対の白い翼だった。

 神殿の屋根を飾っている、天使たちの彫像を私は見上げた。なるほど。あれは神殿種の姿なんだ。

 広場に集まっていた人々は、低いどよめきの後、恐ろしいほどの沈黙の中に沈み込んでいった。皆が青い目で私をじっと見つめている。恐怖と、期待と、興奮のいりまじった顔で。

「どうか私をお墓に埋めて、弔ってください」

 そこにいた人々すべてに、私は頭をさげて頼んだ。

 私の時は、そこで尽きてしまった。旅立ちを急ぐ風が私の体を包み、巨大な鳥が舞い上がるように、私を空へと運んだ。私の体は空の青を空かし、光り輝く粒子になって、風に運ばれるたんぽぽの綿毛のように散り散りになっていく。

 空を舞いながら、私は私を見上げる人々の小さな顔と、まぶしさに細められた目を見下ろした。馬上から私を見上げるイルスは、奇跡におののき、ただ呆然とする群衆の中で、なぜかとても静かな強い目でこちらを見つめている。

 この沢山の人の中で、私を見送ってくれているのは、彼だけだった。

 さよならと、私は言った。

 しかしそれはもう声にはならず、夏の朝に吹く一陣の風となって、湾岸の街を吹き抜けてゆき、朝寝坊の男の髪を優しく撫でていくだけだった。



ー 完 ー

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湾岸の風〜テルの物語 椎堂かおる @zero

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