第8話 プーチンを知る
「コテンラジオ」で、まず言ってること。それはプーチンを知るには限界がある。ほとんどはプロパガンダで操作され、その他はエビデンスのないゴシップである。
(じゃあ調べても意味ないじゃん)なんて思いますが、そこは人間の想像力を駆使して考えていこうと思います。
○
ではまず。生まれについて
プーチンのルーツはプルギノ村という田舎の家に生まれたそうです。
「父」は工場勤務(後にKGB※国家保安委員会)
「母」は清掃業やパン屋の手伝い。
「兄」は戦争でなくなっていて
「祖父」はホテルのシェフ。
といった。
政治とは、ほとんど無関係。「権力がない状態」からのスタートだったようです。成り上がりモノのストーリーのようで、ちょっぴり作ってるような感じもしますが……
少年時代は田舎のヤンキーのような立ち振る舞うだったとか……。小柄で喧嘩っ早く。若い時に柔道とサンボを身につけます。
○
幼少期のプーチンは、父の背中を見てか(当時の映画の影響とも言われていますが)KGBに入りたいと思うようになります。スパイに対して憧れがあったと語っていたそうです。
そのためには大学に行かなければならない。そして、法律を学んだ方が良いと言われて大学に行くことを決めます。
レニングラード国立大学で法律を学び、大学卒業後KGBに入りソ連の衛星国、東ドイツのドレスデンに勤務します。「機密情報を盗む」「弱みにつけ込み情報を得る」といったスパイさながらの勤務内容だったとか!
この情報というのが「NATO」になります。「NATO」に恐怖を抱きながら、プーチンはソ連の崩壊を間近で見ることになりました。
共産主義というイデオロギーだけでは、ロシアをまとめる事ができない。ロシアが生き残るにはどうしたら良いのか……特定のイデオロギーや政界人に身を委ねてはいけない。
と、感じたそうです。
○
その後……
法学部時代の恩師サプチャークから連絡がきます。内容は「市長に立候補する自分の右腕として働いてほしい」。サプチャークが市長に、プーチンが「副市長」になり、ここでプーチンは1長年勤務したKGBに見切りをつけて、政界入りを果たすことになりました。
この先は謎に包まれていますが……
わずか三年で「ロシア連邦保安局」長官の座に着きます。政治の力で勤務していたKGBにあたる組織の頂点に立ちます。その後は、当時に大統領だったエリツィンの指名で首相に抜擢。
その中で起きたのが、10月政変。
モスクワ騒乱事件とも呼ばれている。1993年、10月政変とは、ロシアの新憲法制定をめぐって当時のエリツィン大統領と、ハズブラートフ最高会議議長とルツコイ副大統領を中心とする議会派勢力との間で起きた政治抗争です。
エリツィン大統領が権力闘争の末に最高議会のビルを戦車で砲撃。議会派は拘束され、ロシア連邦共産党に近い筋は2,000以上が死亡したとされています。問題の憲法は、国民投票でもって可決され、エリツィンら大統領派の勝利のうちに終結しました。
○
エリツィンが汚職で退き、とうとう、プーチンが大統領の座に着きます。
第二次チェチェン紛争で力のあるロシアを開示すると、財務記録を集め「武器と威嚇」という実力を持って、ロシア内の腐敗を正していったのでした。
ハガナイ随想録 ふぃふてぃ @about50percent
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ハガナイ随想録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます