花と少女と止まない雨と

海条 海月

第1話

 梅雨は嫌いだ。

 雨が嫌いだ。傘をさすのが嫌いだ。そして何より──。

 

 大学からの帰宅途中、俺は空き地に一輪の花を見つけて足を止める。

「ノカンゾウ、ね──」

 この花を見ると、彼女のことを思い出してしまうから嫌いだ。

 あれは、今から三年前のこと。


 高校の昇降口を出ると、外は雨が降り出していた。

 六月の終わり。雨は静かに雨樋を伝って、傘立てを濡らしている。

「岡村君じゃない。こんな時間に会うなんて、珍しいわね」

 ふと後ろから、声がした。

「西条? お前も部活か」

 西条茉白。透き通るような白い肌をした、儚げな美少女で、俺のクラスメートである。

 クラスでは高嶺の花的な存在で、日頃誰かと話している印象がなかっただけに、俺は少し驚いて答える。

「まぁそんなところよ。あなたこそ、こんなところで何をしているの」

「傘を忘れてさ。まぁ、どうせ夕立だし、すぐに止むだろ」

「そう」

 暫くの間、会話が途切れる。

 土を弾く水の音だけが、しきりと耳についた。

「ノカンゾウが綺麗ね」

 不意に、ポツリと西条が呟く。

「ノカ......何だって?」

「ノカンゾウ。ほら、彼処に咲いているオレンジ色の花よ」

 見ると、校庭の片隅に数輪、橙色をした百合のような花が、雨に打たれてしぼみかけている。

「ねぇ岡村くん、知ってる? 実はあの花、一年のうちで咲くのは一日だけ。しかも夕方には枯れてしまうのよ」

「そう......なのか」

 日頃、花など気にもかけない俺は、西条の唐突な話に、そんな曖昧な答えしか、返すことができなかった。

 何とも後味の悪い沈黙が流れる。

「さようなら岡村くん、私もうそろそろ帰るわ。いきなり呼び止めて悪かったわね」

「あ、ああ。いや......別に──」

 折角話しかけてもらっておいて、気が利かないな、俺。はっきりしない自分の態度に、内心嫌気が差したそのときだった。

「私の傘、使っていいわよ」

 それは、一瞬とも言っていい出来事だった。

 突然、西条が俺の手に、持っていたビニール傘を押し付けると、土砂降りの校庭の中を走り出したのだ。

「え、ちょっ──」

 ことを飲み込めず、呆気にとられる俺。

 追いかけなければ、そう思ったときには既に、西条は校門の門を曲がって見えなくなっていた。

「何だったんだ、一体」

 だが、その後すぐに俺は、鈍感な自分を呪うことになる。


 六月末のあの日。

 クラスメート、西条茉白は川に身を投げて死んだ。

 死因は、頭部を強打したことによる脳浮腫。通行人が発見したときにはすでに、息を引き取ったあとだった。

 自殺の原因は、同じクラスの女子からの陰湿ないじめ。

 彼女は好んで一人でいたのではない。誰とも会話を交わすことができなかったのだ。

「花言葉は、苦しみからの解放、ね」

 もしも俺がもっと花を、そして彼女を気にかけていたのなら。そう思ってしまうのは、無粋な話かもしれない。

 でも、確かに俺はあの瞬間、彼女を助けられるチャンスがあった、そう思うと、何ともやりきれないのだ。

「早く雨が止んでくれればいいのに」

 俺は一言、そう呟くと幾分重い足取りで、空き地をあとにするのだった。

 

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花と少女と止まない雨と 海条 海月 @umi_kai0920

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