第10話 神々、還る。

 神になったとしても、万能ではない。

 通力を使い果たせば回復するまで動けなくなる。


 信仰が及んでいない地で、無理を通して小国ひとつを覆う招魂陣しょうこんじん及び魂送たまおくりを展開した鵲梁じゃくりょうが倒れるのはある意味当然至極だった。


 大カササギ、夜果よかが独立した力を持った眷族でなかったら、一行は少なくとも一晩亡国の側にて夜を明かすことになっていただろう。

 

 鵲梁は央山に辿り着くより前、夜果の背中の上で目覚めて一同に一先ず詫びた。


「いや済まなんだ。あそこまで力を使うとは思わなかった」

「……お前一人で赴いてあそこで力尽きていたならば、妖魔鬼怪が現れて体を喰われていたところだ。通力の配分程度、心得ておけ」


 海玄かいげんに説教され、鵲梁はその通りだと謝る。

 自分の限界を見誤って倒れるのは相応に恥ずかしい。


「まぁまぁ、白兄さんは央山の周りからほとんど出ない神だったんだろ?だったら力加減を間違えても仕方ないんじゃないかな。……二度目は、しないでしょ?」

「しないしない。絶対せん」


 釘を刺すような歌雲かうんの言葉に大きく頷き、鵲梁は背後に小さく黒い染みのようになった亡国をふり返った。

 星繍国は遥か彼方になり、あの国で少女となった剣は元の形となって鵲梁の膝の上にあった。

 静かな剣を指でコツコツと叩き、鵲梁は話しかける。


「無丈、大丈夫か?」

『私に異常はありません。白公子こそ、お体の具合はどうなのでしょうか?』

「俺は平気だ。阿丈はどうだ?」


 無丈と繋がりこちらの様子を見ていた阿丈は、だという記憶を取り戻したらしい。

 彼女と繋がっていた無丈が受けた衝撃を目の当たりにすれば、嘘とは到底思えなかった。それに、鵲梁は神になってからずっと阿丈の側にいる。彼女が嘘をつくとは思えなかった。


 龍神の中の魂が、人間だった。

 そして薛不寒とは、その人間の許嫁だった。


 正直、薛不寒を探すどころではなくなっていた。確かに、この天地において人は神になる。

 だが、龍と龍以外の生き物の間には決定的な差がある。生まれがそもそも違うのだ。


『阿丈様は未だ閉じこもっておいでです。ですが少なくとも、央山から火を噴いたりと言ったことはされておりませぬ。ご自分を抑えておられます』

「そうか。だが速く帰らねばならんよな。夜果、もう少し急げるか?」


 既に全速力で飛ばしていると抗議の鳴き声が帰って来て、鵲梁はすまんと手を合わせた。その様子を、歌雲は黙して見守る。

 大カササギの翼は彼らをあっという間に央山まで運び、地面に着くや夜果は小さくなってくたりと鵲梁の手の中に降りた。


「すまぬ、ありがとう、夜果!」


 小さな本性に戻ったカササギを懐に入れて、鵲梁は海玄と歌雲と共に央山へ踏み入る。阿丈が住まう山の底へ通じる洞窟───というよりは深い縦穴の縁に立ち、鵲梁は大丈夫かと後ろの二人をふり返る。

 海玄は深く頷き、歌雲は軽く気さくに頷く。

 半鬼半人だった少年の気配は、再び人間としか思えない平凡な気配へ変わっていた。彼曰く、冥王が何か手を貸しているらしいが今は追及している時間がない。

 星繍国での立ち回りを見るに、彼に阿丈を害する気はないだろう。

 彼らの反応を確かめて、鵲梁は一歩前へと踏み出した。

 

 耳の側で風が鳴る音が響き、一直線に彼らは下へと落ちる。

 落ちて落ちて、どこまで落ちるのか不安になりかかったところで彼らは足の下に硬い地面を感じた。

 降り立ったのは、瑠璃瓦を頂く宮殿。

 見事な龍の彫刻が施された回廊を駆けて、鵲梁は阿丈の姿を探した。


「阿丈!無丈を連れて帰ったぞ!大丈夫か?」


 どう考えたところで大丈夫であるわけがないが、他にふさわしい言葉が見つからなかった。


「……あたしならここよ。そんな大声出さなくたって聞こえているわ」


 黄色く塗られた柱の陰から、緋色と白の衣に金色の髪飾りを身に着けた純白の髪の少女が現れる。央山龍公女・阿丈であった。

 海玄が身構えるのが背後でわかっていたが、鵲梁は敢えて考えないようにした。地下の宮殿はすべて阿丈のためにあり、この中で阿丈に何かをすることは不可能だった。

 髪飾りの鎖をしゃらりと鳴らし、阿丈は柱から離れて鵲梁たちに近寄った。

 彼女が手を動かすと鵲梁の帯から無丈が動いて抜け、再び少女の姿となる。

 阿丈と瓜二つの顔立ちだったが、並ぶと表情の造りがまったく違うことがよくわかる。

 無丈は一歩下がり、阿丈の脇へ控えた。


「ありがとう。よく戻って来てくれて。あたしの故郷の人々の魂を救ってくれて。本当に礼を言うわ。鵲梁と……ええと、歌雲と言ったかしら。あなた、冥府の者よね?」

「そう。僕は冥府から来た者だ。ちなみに言えば、白兄さんは確かに魂を解き放ったけど、僕は掬い取って巻物に封じただけだから」

「知っているわよ。その上で礼を言っているの。あとそれからお前、龍殺しの陸将軍のところの眷族、陸海玄ね。お前もありがとう。よく戦ってくれたわ」


 鵲梁は阿丈をじっと見る。

 我がままで癇癪持ちだが、誇り高くて芯の強い龍の公女の様子は、夢で見たときと変わりないようで、それが却って不自然だった。

 

「阿丈、お前の名は実丈か?六百年前の星繡国で生まれた人間の娘、実丈であったのか?」

そうよ・・・


 躊躇いも見せずに少女は肯定し、挑むように腕を組んだ。


「あたしは人間。人間だった。六百年前を知ってる皆はもういないから、証明なんてできっこないけれど。でも、あたしはあそこで生きていた。無丈が母上に触れたときにはっきりわかったのよ」

「……お前が妙に人間の少女に馴染んでいたのは、そう言うわけか。生まれたときからの龍にしては、お前はかわいげがあり過ぎたからな」

「そうよね。あんたが妹に重ねるぐらいあたしは人間に近かった。あたしもそれを不思議に思ってたけど、今回でようやく謎が解けたわ」


 あたしは人間だった、と彼女は言い切った。

 宮殿に、その言葉は良く響く。


「……阿丈龍公女、貴女が正しいとすれば、本来の黒龍の魂はどこへ行ったのだ?」

「そうだね。あなたは冥府の記録では死んだことになっている。実丈と言う名前の娘はいたが、あの国で死んでいるんだよ」

「話すわよ。尤も、あたしにも起こったことの全部はわかってない。わかっているのはね、あたしの魂と龍の魂が入れ替えられたってこと」

「黒龍は、お前の体を奪ったと言うのか?」


 魂と肉体を入れ替える術は、事実存在している。

 しているが、龍と人の魂が入れ替わるなど聞いたことがなかった。

 だが、既に聞いたことがない事態にはいくつも遭遇している。

 だとすれば、その入れ替わりの術を行使したのは黒龍のほうだろうと鵲梁は予想した。ただの人間の娘だった実丈にはしようがない。第一、国が滅びた日彼女もまた死に瀕していたと言うのだから。


「ええ。鵲梁の言う通りよ。黒龍はあたしと自分の魂を入れ替えた。入れ替えて、自分が人間になってあたしを龍にした」

「……何故だ?何故そのようなことを?」

「あたしはね、自分が死ぬってわかってから黒龍を散々に罵ってやった。お前がいくら暴れ回ろうが、お前のその孤独を埋めるものなんていない。己を鎮めようと努めもせず、ありのままの己を叩きつけられる都合の良い相手を見つけることなんて、絶対にできない。だって、お前は龍なのだから・・・・・・・・・と」

龍だから・・・・否定されると感じたから、人間になればよい・・・・・・・・と考え、お前の体を奪ったのか。完全に、龍の力を捨て去るために」

「そ。龍の力は、捨てようと思って捨てられるものじゃない。天地の均衡を崩すから。でも、押しつけはできる。きっとあたしの言葉は逆鱗に触れちゃったの。結果、あたしは体を入れ替えられた衝撃で自分が人間だった記憶をすべて飛ばして、気がついたら神仙によって央山に封じられていたってわけ。それから数百年して、この鵲梁が神にされて……まぁ、そうやって今に繋がったのよ。おわかり?」

「いやお前、薛公子とのくだりはどうした。あやつはどこで出てくるのだ?」


 ぐ、と阿丈が目に見えて怯んだ。

 

「鵲梁、あなた遠慮ってものがないのかしら?」

「してる余裕があるならばするのだが、すまんな。此度はできぬ。薛不寒は死者とされていた。が、彼は生きて龍となったお前の前に現れた。これはどういうことだ?」

「……あいつにはね、仙人になる素質があったの。国に来た道士に弟子にならないかって誘われていたわ。このままここにいるよりも、俗世を離れ修行をすべきだって。あたしがいるから行けないって不寒は断っていたけど、あとからあの国に起きたことを考えるなら道士は慧眼だったのよ」

「国が滅びたのちにその才を修行によって伸ばし、龍になって人間の記憶を失くしていたお前の前に現れたと?」

「だと思うわ。あたしから見て、あのときの不寒が仙の道に踏み込んでいたのは間違いないから」


 薛不寒が央山を訪れたのは、鵲梁がここに居着くより前のことだから二百年より前のことだ。

 だが、星繡国の滅びは六百年前。

 薛不寒なる青年は、どう数えても百年以上を修行に費やしたことになる。

 そこまでして再会した恋人は仇であるはずの龍に変えられ、しかも彼との記憶はおろか己が人間だったことも忘れていた。

 彼はそのとき何を想ったのか。そして、何故阿丈の下から姿を消したのか。

 阿丈は、そのときドン、と床を踏みしめた。

 柱が揺れ、天井が軋んだ。


「馬鹿よ。馬鹿じゃないの。あいつ、何で諦めてなかったのよ。何で、あたしの前に現れたのよ。愛をまた見つけられたなんて言ったのよ。あたし、意味がわからないって言っちゃったじゃない!」

「……」


 長い髪を振り乱して、阿丈は吠えた。

 びりびりと空気を震わせるその声はまさに龍の咆哮だったが、鵲梁には恐ろしいのではなく哀しいものと聞こえた。

 失った者への想いが、ほぼすべて復讐へ向けられている。

 薛不寒を失ってできた孤独の穴が、復讐と寂寥という二つで埋められてしまったのだ。

 無丈が阿丈を背後から支え、それで落ちついたのか龍の少女は荒い息を吐きながら咆哮を止める。


「鵲梁、あたしは決めたわ。不寒は見つける。絶対に見つける。生きていようが死んでいようが、どこにいても見つけてやる。そして、龍には復讐する」


 あの黒龍を引き裂いて、背骨を引き抜いて晒して魂は砕いてやると、阿丈は宣言した。

 

「あたしの体はここに在る。ここから動けない。でも、絶対にあの龍を見つける。見つけてやるわよ。あたしは、央山龍公女・阿丈なのだから」


 静かながら破裂しそうな激情をはらんだ声に鵲梁は気圧されていた。

 海玄や歌雲もそれは同じく、口を出すどころではない。

 それでも、鵲梁が最も早く己を取り戻すことができた。


「鵲梁、ならばお前は、天界へ訴えるべきではないか?」

「どうやってよ。あたしをここへ封じたの、天界の神と仙人なのよ。信じられるの?」


 天界に、あたしを知る神などいないと阿丈は言い切る。

 だが鵲梁はかぶりを振った。


「確かにこれまではいなかった。俺も天界へ赴いたことはなかった。だが、今はいるだろうが」


 ここにな、と鵲梁は気軽に指で海玄を示す。

 いきなり水を向けられた青年神は驚いて口と目を大きく開けていた。


「天界を守る屠龍将軍の眷族だ。今回の星繡国での一件もつぶさに見ている。証人としてこれ以上の者はいまい?」

「なっ、私は……!」

「龍を助けることはできぬ、とでも言うか?だが、阿丈は人であった。人を護るために、知力を尽くして龍を屠ったのがお前の主たる陸大将軍だろう。それでもお前は阿丈を屠るのが正しいと思うか?」

「そもそも、あなたはこの一件をどう上に報告するのかなと僕は思うよ」

「当然、見たものをそのままに話すのだろうな?」

「あ、当たり前だっ!私はあるがままを見よと言われて降りたのだ!すべてをお伝えするとも!」

「……とまぁ、阿丈よ。天界にはこのような者もいる。それに、俺が知り合いになっている李林器りりんきもいるからな。あやつは天界の文神筆頭だ」


 だから、くれぐれもひとりで飛び出したりしないでほしいのだと鵲梁はかき口説く。

 無丈がそっと袖に手を添え続けていたのもあったのだろう。

 今にも目から火を噴きそうだった阿丈は、いくらか落ち着きを取り戻した。

 そのときを見計らって、海玄は天界へ帰ることを決める。彼に、鵲梁は林器宛ての手紙を託すことにした。


 必ず伝えると請け負った海玄を見送り、少し宮殿で眠るという阿丈と彼女を支える無丈を見送り、鵲梁は残った少年に向き直った。


「歌雲よ。それでお前は、これから冥府へ戻るのか?」

「うん。巻物に封じた魂たちを解き放ってやらなくちゃね」


 黒衣の少年は、半鬼半人の正体を明かして再び元の調子を取り戻していた。


「歌雲よ。お前は冥王によって地上へ送られたと言っていたが、何故俺だったのだ?俺は何か冥府の境に触れただろうか?」

「……それは、あなたが一番よくわかっているんじゃないかな。鬼から神になった、あなたならば」


 この言葉に、鵲梁は口を閉ざした。一言で応えられなかったからだ。

 少年は立て板に水とばかりに語りだした。

 

「あなたは生前、本当に平凡なただの道士だった。あなたを神にしているのは、この土地に伝わる伝説だ。その言い伝えは、あなたは山の揺れを止めるために地割れに自ら身を沈め、贄になって人々を救ったと語る。でも、真実はどう?あなたは本当に、自らの遺志でこの土地のために命を捧げたのか?ただの旅の道士だったあなたが?」

「……」

「あなたが生贄となってから大地の揺れは収まり、生贄の風習は廃れていった。けれど、あなたより以前に生贄にされていたのはもっと幼い子どもだった。生贄をやめた人々は唐突に彼らの祟りが怖くなった。あなたが子をあやす神になったのも、彼らが祟らないように鎮めるためだ。人々は、霊たちを鎮める役を最後の生贄になったあなたにあてがった。だからあなたは、子どもたちの神なんだ」

「……冥府の死者の記録は、本当に正確なのだな」


 そのいきさつは、真実だった。

 もう少し複雑な話もあるが、概ねは合っている。

 鵲梁は生贄となり神となったが────どちらも、なりたくてなったわけではないのだ。

 青義道人は本来、どうか祟らないでくれ、子の霊を鎮めてくれと祈られる鎮魂と荒神の面を持っている。

 当人にとっては遠い過去になっていても、貼られた神の名は剝がれない。


「だから僕が、冥王から力を少し借りて様子を見に来たんだよ。あなたは本来なら、祟り神になってもおかしくはないから」

「二百年以上前だぞ。今更己が鬼神に逆戻りすると思うか?」

「あなたは、神にされてからの二百年の多くをほぼ眠りながら過ごしていた。外を歩き、力を振るうようになったのは最近だ。神としては若い。」

「あー……まぁな。だからお前が来て、俺がどのような神かと確かめに来たわけか」

「そういうこと。僕があなたの信者なのは本当だけどね。ずっと昔から」


 茶目っ気を感じさせるように片目を瞑った歌雲は、靴の爪先で地面を蹴る。

 その動作だけで、地面には門が現れた。

 くろがねの、冥府と繋がる門である。


「僕はもう去るよ。魂たちを冥府に返さなきゃ。星繍国の顛末は冥界でも騒がれていたんだ。思わぬ成果だった」


 でもね、と少年は門の前で言った。


「阿丈龍公女を取り巻く流れは、これから大きく動き出すだろう。あなたは彼女の手足だから、きっとこれから巻き込まれていくよ。それでもここに留まるのかい?」

「承知の上さ」


 阿丈と龍の魂は入れ替わった。

 ならば、龍は今どこにいる?

 薛不寒は何故姿を消し、今どこにいる?

 星繍国の民は、あれで本当に助けられたのか?


 疑問は尽きず、鵲梁にもこのままでは済まないだろうことはわかる。

 そして自分は、阿丈の復讐の中に飛び込んでいくであろうことも。


「俺は、大層なことなど考えていない。だが、俺は阿丈や無丈が好きだ。妹のように、友のように、あいつらが大事だ。その彼らが苦しむのは見たくないし、心からの望みがあるなら手を貸す。そうしていたら、またお前とも会うかもな」

「僕と?」

「そうではないのか?龍と阿丈の魂が入れ替わったなら、龍の魂が入ったあいつの体はどうなった?何故、阿丈の前世である実丈は死人とされた?生死は冥府の領域だろう?ならば、またお前とも会う機会はあると思っている。お前と話すのは、楽しかったからな」


 歌雲はそれを聞いて、薄くほほ笑んだ。

 

「じゃあその前に忠告だよ。あなたはかなり無茶をし過ぎる。手を伸ばす範囲を、考えていたほうがいい」

「まー、善処しておく。ではな、蕭歌雲」

「ああ、またね。白の兄さん」


 言って、少年は門を手で押し開けてその中へと飛び込んで姿を消した。

 それを見送り、鵲梁はひとりになって空を見上げる。


 天の星々は、未来を描くと言う。道士は修行を積み、無数の星々を読み解くと言う。


 けれど、鵲梁には何も読み取れなかった。

 それでも、読み取れぬままに進むしかないだろうと、鵲梁は龍の公女が住まう山へ爪先を向けて歩き出すのだった。

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縁結び神、龍の恋路を探すのこと はたけのなすび @hatakenonasubi

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