Fluctuating boundaries; The fish struck by lightning

小学生の頃、姉ちゃんがバレンタインでチョコを溶かしたり固めたりしているのを隣で見ていて、俺も真似して一緒になって作って、隣の家に住む、姉ちゃんの友達に作ったチョコをあげた。そしたら彼女はそれをすっごく喜んでくれて、美味しい美味しいと褒めてくれた。だからホワイトデーの時、本来ならお返しをもらうべき俺は、そうとも知らずに、今度はチョコにクッキーを砕いて混ぜたものを作って、それを姉ちゃんの友達に渡したら、彼女は目をまん丸くして驚いて、ニコッと笑って、ほんとにすごいと喜んだ。

それから俺は、来年はもっと姉ちゃんの友達に褒めてもらいたくて、クッキーを焼いたり、プリンを固めたりするようになった。そしてキッチンに長居するようになった俺は、母さんの料理する姿を見て、だんだん料理自体に興味を持つようになり、肉じゃが、ソテー、茶わん蒸し、パスタ、ハンバーグオムライス麻婆豆腐ボルシチ餃子etcなんでも作れるようになった。

自分の誕生日には一流シェフの店へ無理言って連れて行ってもらい、そこでプロの味を勉強した。そうこうするなかで、俺はあるフランス料理人の創る、彩り、そして香り豊かで、それでいて深く、複雑な味わいのコースの数々に、電気の走るような感動を覚え、絶対いつかこのレストランで働くと誓った。

学校近くのレストランでバイトをしながら料理の専門学校を卒業して、やっと憧れのシェフのもとで修業させてもらえるようになったのに、そのシェフがあろうことか俺のあこがれの人と不倫をしていた。そう、俺が初めて作った食べ物を、美味しい美味しいと言って食べてくれた、姉ちゃんの友達と。

姉ちゃんの友達は、大学を卒業後、たまたま近くのビルでOLをしており、俺がこの店に就職したと聞いて、ランチタイムなどに時々顔をみせてくれるようになっていた。俺は姉ちゃんの友達に、シェフは既婚だと進言したが、彼女はそれを知っていた。俺はシェフに、奥さんに言います、と言ったが、激高されてその場でクビを言い渡された。俺は、彼女の心が自分にはこれっぽっちも向いていなかったこと、やっと就職できた憧れのレストランを、料理の腕前以外の理由でクビになったこと、そしてなにより、憧れの二人が、シェフの奥さんを裏切るような、道を外れたことをしていたと知ったショックで、部屋から出られなくなった。

その後二人は、シェフが結構な有名人だったこともあって、不倫を週刊誌にすっぱ抜かれ、彼女は仕事を辞め、レストランは休業に追い込まれ、奥様に慰謝料を請求されるなど、結構悲惨なことになっていると姉ちゃんから聞いた。自業自得とはいえ、なんだか自分のせいのように感じ、二人に恨まれてそうだなと想像して、さらに鬱屈とした気持ちになりかけたとき、姉ちゃんは、俺に一枚のカードを差し出した。そこには英数字の羅列が記されており、なんかこれね、今秘かにブームの兆しのあるゲームなんだってさ、と言った。

姉ちゃんによると、それは完全没入型のゲームであり、特に攻略対象やゴールがあるわけではないらしく、多くの人がこの中で第二の生活を送っているらしいとのことだった。

「取引先の人にもらったんだけど、この中で、料理もできるんだって。あんた最近、台所にも立ってないでしょ、ゲームから始めるっていうのはどう?」

姉ちゃんは姉ちゃんなりに、俺のことを心配して、励ましてくれているようだ。

仕事も辞めて、半分引きこもっている俺には、時間だけはあったから、VR機器を取り寄せて、さっそくプレイすることにした。


ゆっくり目を開けると、そこは草原の真ん中だった。芝のにおいや、肌をなでる風も感じ、最近のゲームってこんなに進んでいるのかと驚いた。姉ちゃん曰く、料理もできるということだったが、ナイフも何も持ってない。とりあえず潮のにおいを頼りに、俺は海沿いの街を目指した。到着してレストランをまず探した。俺にできることは料理くらいだから、そこで働かせてもらおうと思った。やっと見つけた店はまだ開店前のようだったが、中を覗くと人がいたので、声をかけてみた。すると、シェフ兼店長は今外出中とのことだったが、働きたい旨を話すと、釣竿を渡された。図鑑を見せられ、この魚は今晩のメインになる予定なんだが、足りなくて今店長が釣りに行っている、手伝ったらどうか?とのことだった。食材の調達はしたことがなかったので、心が躍った。こんなにワクワクする気持ちは、しばらく忘れていた。

教わった通りに海岸まで来て、あたりを見渡したが、シェフらしき人物は見つからなかった。でもせっかく釣竿を持って海まで来たのだからと、試しに釣り糸を垂らしてみた。ぼーっと潮風にさらされながら水平線を見るのは気持ちが良かった。そうこうしているうちに釣り糸が引いたので、焦りながらも思い切り釣竿を引いた。思っていたより大きな魚が釣り針にひっかかっていて、初めてながらすごい!と喜んだのも束の間、大きな影が海底より現れて、釣った魚に食いついた。ざばあっと大きな音を立てながら水しぶきが上がり、太陽光に照らされてきらきら光るその向こうに、その巨大魚にがっしりとまたがる女性の姿を見た。

魚が一番高いところまで跳ねた時、またがった女性が銛を掲げると、その瞬間、銛にものすごい音の雷が落ちた。巨大魚は海にぶつかって派手に飛沫を上げた後、プカーと浮かび、それをその女性が回収した。

そして俺に向かって「君の魚をエサにしちゃってごめんね。でも助かったよ」と言った。

お礼に店でディナーを食べさせてくれるというので、働かせてほしい旨を説明すると歓迎された。

その後彼女の店で食べたディナーは信じられないほどおいしく、まさに雷が落ちるほどの衝撃を受けた。

美味しいですと震えながら感想を述べると、彼女は、美味しいって感じるのは元気な証拠だと笑った。

自分の中にどんどんエネルギーが溜まっていくのを感じた。

自然の中で体を動かして、空腹の中おいしい食事をとる。そういう健全な営みを、クビなってから、あるいはもっと前から忘れていた。

そうこうしているうちに、どんどん人が来て、店は満員になった。

俺も彼女に言われるまま、食材を切ったり、火を見たりして店を手伝った。

久しぶりにくたくたになって、それでも癖でシンクを磨いていたら、自然と泣いていた。

俺はレストランが本当に好きだと、心から思った。

次の日もレストランに来ると、今度はなぜか別の店になっていた。聞くと、この場所には店舗用のスペースがあるだけで、空いているときには誰でも、好きなように使っていい、ということになっているらしい。俺は来る日も来る日も彼女がまたここでレストランを開店する日を待ったが、一か月たっても二か月たっても、彼女はやってこなかった。考えてみれば社会人が毎日ゲームにログインできるわけもなく、彼女の提供する食事は本当に美味しかったから、きっと夜となく昼となく働いているのだろう。

俺はついに部屋を出た。現実世界で彼女の店を探すために。

しかしいくら探しても彼女の店はみつからなかった。そもそも日本だけで、どれだけ飲食店があると思っているのか、きっとその数は途方もなく、まして日本で働いているかどうかさえ、そういえばわからないじゃないかと思い至った。

もう足で探すのは無理だ、やはりゲームの世界で待っていた方が確実かと考えながら歩いているうちに、気が付くと以前働いていた店の前まで来ていた。見ると新しい店舗が入っていて、もう15時だというのにそこそこ賑わっているようだった。まさかと思いながらも店に入り注文をする。一口食べて分かった。ここだ。

会計の時、ワンオペ気味のシェフ兼店長に、働かせてくれないか聞いてみた。

「向こうの世界で、私の料理を食べた時、あの時も、雷に打たれたみたいな顔をしてたよね」

彼女は、待ってたよ、と笑った。

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Fluctuating boundaries めとろ @nomemetronome

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