Fluctuating boundaries; mask of the fox
おじいさんが、逝ってしまった。
昨日まで、やれ明日は何が食べたいだの、暖かかくなったらどこそこへ行こうだの、未来の話をしていたのに、
突然未亡人にされてしまった。
呆然自失の中、各方面に連絡したら、大学進学で都会に行ってからめっきり帰ってこなくなった、もう50にもなる息子が飛んできて、
葬儀の事や相続のことなど、てきぱきと進めてくれた。
そのおかげで、私は悲しむことに集中できた。
息子は、父親にあまり感謝を伝えられなかったと思ったのか、単に残された私が心配なのか、
以前より頻繁に我が家に顔をみせてくれるようになった。
亡き夫の遺品を息子と一緒に整理していたある日、突然チャイムが鳴って荷物が届いた。
何かしらと思ったら、それはおじいさん宛で、びっくりしつつも開けてみると、そこにはVR機器と、ゲームソフトのようなものが入っていた。息子にこれは何?どうやって使うの?と、聞いても、あまり分からないようで、次の週、今度は孫と一緒に来てくれた。
さすが20代の孫は最新のものに強く、あれよあれよという間に
おばあちゃん、できたよ
と教えてくれた。
「見たことないソフトだね。でもちょっと見てみた感じ、オープンワールドだね」
どういうこと?
「何をするのもどこに行くのも自由ってことだよ」
それを聞いて、ひらめくものがあった。
ここは中途半端に田舎で、車がなくても暮らせるけれど、街に行こうと思ったらバスを乗り継ぐしかないような場所だった。その結果、私たちは徒歩15分くらいの小さなスーパーにしか行かなくなってしまい、足腰もだいぶ弱ってしまっていたし、老夫婦二人で旅行なんて、考えるだけでも面倒に思うようになってしまっていた。
それでも旅番組を見ればいいなあと思うし、
おじいさんと二人、『若いうちにいろんなところに行っておけばよかったね』なんて言いあっていたのである。
「この機械があれば、色んな所へ行けるんだね」
きっと私に内緒で驚かそうとしていたんだ。これで家にいながら二人でいろんなところへ行こうと。
孫は難しいよと言ったけど、私はこうして『ぶいああるでびゅう』を果たしたのである。
孫は難しいと言ったけれど、操作は意外に簡単だった。
何より没入感がすごくて、操作していることなど忘れるほどであった。
VRの中で、私はひたすら歩いた。
現実にはないような場所も、逆に現実とそっくりな場所もあった。
主な観光地は、ほとんど回ったと言ってもいいだろう。
こんな素敵なものがあったなんて、長生きしてみるもんだねぇ。
でもおじいちゃん、私はあなたにもこの景色を見せたかったよ。
何処までもつづく地平線と、澄み渡った空、そして芝生の心地よいにおいに包まれて、
私は気が付くと眠ってしまっていた。
気が付くと、うっそうとした森の中にいた。どうやら、【歩く】のコマンドを押し続けて眠ってしまったようであった。
だんだん霧が立ち込め、視界が悪くなってきた。
元居た場所に帰りたかったが、どこをどう歩いてきたのかもわからず、とりあえず前進してみると、
急にあたりがまぶしいくらいの光に包まれた。
瞼に映る光が弱まってくると、喧騒と、祭囃子が聞こえた。
眼を開けると、そこはどこかの神社で、夏祭りが行われているらしく、だれもがお面を被っていた。
突然のことにあっけにとられていると、近くにいた男性がそっと私にお面を差し出した。
「ここはあなたの来るところではありませんよ。出口まで案内しましょう」
彼の顔はお面に隠れて見えなかったが、私はその声の主を知っていると思った。
「早くお面を被ってください」
「どうしてですか?」
「なぜって今日はお盆でしょう」
そう言われた瞬間、私は浴衣を着て、あの頃の姿になっていた。
そう、おじいさんと、出会った頃
私は本当は、すぐに気が付いていた。この声の持ち主に。
「さあ着きましたよ。この鳥居を過ぎたらまっすぐ進みなさい。森を抜けるまで振り返らないで」
むすめのわたしは、また来てもいい?と泣いたけど、それが無理だということは分かっていた。
次の日、近くの村からまた同じ森に入ってみたけど、結局二度とあの神社には行けなかった。
おじいちゃんは何も言わなかったけど、きっといつかまた出会えると信じている。
だから私は、土産話がいっぱいできるように、死ぬまで楽しんで生きるのだ。
VRもいいけれど、やっぱり足腰も鍛えないとだめね。
近くの神社に、久しぶりにお参りしてみようか。
田舎の神社は今、どうなっているのかねえ。
そうだ、今度は自分が、孫たちに会いに行こう。
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