気臓

@MIO_na

第1話

 私は、新聞を開き、眼鏡をかけ、いつもの紙面に目を通す。先端医療の特集記事だ。


《心という臓器》

【近年、再生医療のめざましい発展で、ほとんどの疾病が治療可能となった。一方、AI技術による失業増加や、長寿ゆえの行き先不安で、ストレスは増加し、医療のターゲットは、心の病気へと移っていった。

 心とは何か?心はどこにあるのか?人類が長きに渡り探求してきた問いである。そして最近まで、心は脳の産物であるという説が信じられてきた。

 しかし、2030年、その問いには一つの終止符が打たれた。心臓の裏側に位置する、小さな内分泌系の臓器が発見され、それは心の機能を有していることが突き止められた。その臓器(以下、気臓)は、気分をつかさどるホルモン様物質を分泌し、血液を介して全身に送り届けていた。そして、様々な外的、内的要因でダメージを受けた時、心は傷つき、病になるのだという。

 この発見により、気臓にメスを入れ、心の病を外科的に治療することができるようになった。

 今回の特集「先端医療を知る」は、心の外科手術という、新たな治療に挑戦する若きドクターに話を聞く。】


 タイトルの横には、私の写真とプロフィール、そして先日院内でおこなわれたインタビューが、記事として掲載されている。


【気臓は、これまで存在を見逃されていたほど、小さい臓器でした。しかしこの小さな臓器が心身的ダメージを一手に受け止めていることは、無数についた傷痕が証明しています。

 心にメスを入れるとも思われる行為に対しての恐れは、むろん想像に難くありません。しかし、一方では、気臓の手術により、薬による治療が難しいうつ病や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を治療することができるのです。そして現段階では試験的に、希死念慮を持つうつ病患者にのみ、手術が適応されることになっています。

 気臓の手術には多くの壁がありました。やわらかい粘膜を傷つけずに切除する方法、ミクロの傷をどのように縫合するか、術式を検討し、道具の開発から始まりました。……】


 記事には続きがあったが、私は眼鏡をはずして大きく伸びをした。さて、そろそろ行かねばならない。患者が目を覚ます頃だ。


「お目覚めはいかがですか?」

 私はベッドで目を覚ました患者に声をかけた。患者の顔色は良く、良好な術後を思わせた。

「死にたい、死にたいと思っていた昨日までが、まるで嘘のようです。どんな気持ちだったか、まったく思い出せないくらいに。」

 患者は、満面の笑顔で饒舌にしゃべり始めた。

 同じだ。

 気臓の手術はもう三十六例目だが、術後にはすべての人が、口達者で魅力的な、明るい性格になっていた。


 分かっている。

 私は、形ばかりの回診を済ませ、先ほどの記事の続きを思い出しながら、廊下を歩いた。


 【気臓の手術において、予期せぬ困難だったのは、麻酔です。気臓に対して、従来の麻酔は効果がなかったからです。まさに、心を切り裂く痛みには、身体とは全く別の機序を持った麻酔が必要とされました。そして、この特殊な麻酔を開発し、気臓の手術を可能にしてくれたのが、同僚の高橋教授でした。……】  


 高橋…陰気な男だった。

 彼のことは、学生時代から知ってはいたが、接点はほとんどなかった。また、彼が友人と談笑しているところも、一度も見たことがなかった。

 ただ一度だけ、私から彼に話しかけたことがある。レポートのために希少な疾患の症例をリサーチする必要があり、たまたまオンラインブースに高橋が居合わせたからだった。彼のリサーチ力には目を見張った。特殊なデータベースのログイン方法から、ちょっとした検索のコツまで、プロのリサーチャーに負けず劣らずの力があった。

 聞くと、彼はある世界中のある症例を、片っ端から調べているという。


“手術後の性格変容について”

 高橋は言う。

 手術後、人が変わってしまったように性格が変容する事例がある。多くは手術が成功し、未来に見通しが出た為、明るい性格になると思われているようだが、僕はそうは思わない。

 麻酔から覚めて多くの障害が残る体になっていたとしても、すぐに気持ちを切り替えてポジティブに生きていく患者もたくさんいるからな。中でも注目しているのは、心臓移植をした後の性格変容の例なんだが…

 高橋が唱える突拍子もない話に、私は興味を持った。

 だが、これが新しい医療の扉を開くとは、当時は想像だにしていなかった。 

 

 私が気臓を発見し、麻酔方法について検討を重ねていた頃だった。受信ボックスに並んだメールの中に、身に覚えのない差出人を見つけた。また論文に対する問い合わせだろうと読み飛ばそうとしたが、本文を見て思い出した。あの陰気な高橋だ。

 「自分は現在麻酔専門医としてN病院で働いている。ぜひ自分を使ってほしい」

 そのメールの内容には、学生時代のあのリサーチの続きが紐解かれていた。

 

 私はすぐに彼を呼び出し、内容のレクチャーを受けた。

 彼が開発した麻酔の方法は、私の求めていたのものだった。

 この方法なら、心の痛みを完全に麻痺させ、気臓のオペを遂行し、決して失敗しない。

 私と彼は取り引きをし、高橋は、気臓手術専門の麻酔科医となった。


「ハハハハハ」

 廊下の向こうから聞こえてくる、明るい笑い声が、思考をさえぎった。高橋教授の声だ。持ち前のユーモアで看護師たちを、どっと沸かせているところだ。

 持ち前の…ユーモア…

 彼はこちらに気づき、軽く会釈をした。あの特有の満面な笑顔で。


 そう、彼は気臓手術の第一番目の事例。

 いや、正確に言えば手術、ではない。

 ただ、彼のメソッド通りに麻酔をかけただけだ。


 以後の三十六例のオペは、ダミーだ。偽りだ。

 麻酔をかけて、開胸し、何もせずに縫合するだけ。

 言わばこれは麻酔でもない。気臓の痛点を麻痺させる薬剤だ。目覚めても気臓の機能は回復することはない。


 高橋の笑い声が耳に押し寄せ、動悸がとまらない。

 利用しているのか、されているのか。

 心に痛みのない人間がこれから私に何を仕掛けてくるのか。


 笑い声の向こうから、高橋の声が聞こえる気がした。

「気に病むことがあるならば、お前も麻酔してやろうか」


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