epilogue
国営病院の中は静かであった。今日が平日というのもあるし、いまが外来受付の時間外だから、というのもあるだろう。
エレベーターのドアが開き、廊下に出ると、忙しそうに銀色のワゴンを手押しする看護婦とすれ違った。
「セリカがホールで待っているはずだ」ソクラが言った。「すでに、マーカスが迎えに行っているから、もう来ている頃だろう」
「うん……」
どういうわけか、タイガは緊張を覚えた。
「どうした。なにか思うのか?」
廊下を歩きながら、ソクラが尋ねる。その手にはタイガの荷物が。何日の入院になるか、
「どんな顔で会えばいいのかな……」
「なんだったら、変顔はどうだ?」
「それは……」タイガはくすりと笑って、「お父上がどうぞ」
「うむ……」ソクラは真面目に思案して、「こんな顔でどうだ?」
変顔を見せつけた。ひどい。とてもひどい顔だ。
「やめてください」
「
「ある意味傑作でした」
「お、では……」
「やらないでください」
しばらく廊下を歩いて、L字の曲がり角にさしかかった。
「ここを曲がれば、ホールだ」ソクラは歩速をゆるめて、「タイガ、おまえがさきに行きなさい」
「……うん」
最後に見たセリカの顔。どうしても頭によぎる。
タイガは廊下を曲がり、ホールを見た。
ピンク色のスウェットを着ている、セリカがいた。
その後ろ姿が遠くから見えた。
左腕には、まだギプスが。
肩からのアームホルダーに腕を吊られ、しっかりと固定されている。
ボブの髪がすこし伸びているような。
そんな気がした。
「セリカ」
タイガは声を投げる。
しかし、セリカは振り向かない。
声は届いているはずだ。
「セリカ……!」
タイガは走りだした。
佇むセリカを抱きしめると、腕に熱を感じた。
それは、セリカが流した涙の熱であった。
「ごめん、本当に、ごめん」
「どうして……。謝るのですか」
「僕の無力のせいだ。僕のせいで。セリカを狂わせてしまった」
「狂ってなんかいません。ただ、あなたを助けたかった。それだけです」
そう言ってセリカは、タイガの
「もしかして……。イヴァンツデールから出ていくとか。考えていないよね?」
タイガの言葉で時間が止まったかのような、深い沈黙が流れる。
「わたくしは人間ではないのです。きっと」
「それでもいいじゃないか。セリカはセリカだ」
そうだ。セリカがどう思っているか、ではない。
僕自身がどうしたいか、だ。
タイガは拳を握りしめた。
話す言葉。話すべき言葉を決めて。
「セリカがなんだっていい。人間じゃなくったっていい。これからもメイドとして、ずっとイヴァンツデールにいてほしい。だから、セリカがすこしでも、戦わなくて済むように僕が強くなる! そう……、したい……、と……、思って……、いる……、けど……」
やっぱり、タイガのなよなよが顔を出した。
くす、とセリカの笑い声が聞こえた。
「いいところだったのに」ソクラはにこやかに笑って、「やっぱりタイガ、だな」
「やっぱりタイガさま、ですね」
やっとセリカがこっちを向いた。
「だめだぁ……、僕やっぱりタイガだよ」そう言った本人は膝から崩れてしまう。「でもよかった。セリカ。生きていてくれて本当によかったよ……」
「また、拐われたら助けに行きます。ご安心ください。タイガさま」
よし! とソクラは気合を入れた。
「さぁ、家に帰ろう!」
三人は病院の玄関に向かった。
執事らしく、マーカスが車をつけて待っていてくれた。
「おかえりなさいませ。ご主人さま。タイガさま」
白光りする車のドアを開けながら、マーカスは非の打ちどころのない姿勢でお辞儀をした。
「そしてセリカ。がんばったね。おかえり」
「ああぁん!」イヴァンツデール家の玄関前で、ドリシラは右往左往している。「本当に今日帰ってくるのよね、ねぇ、ねぇ!」
「ちょっと落ち着いてよ」
この時間のために学校を早退をしたサクラが、口をつく。
「歩くたびにどすん、どすん、って地面が揺れている気がするんだけど」
「そんな、そんなことないわよ! わたくし、アイリーシャよりも体重が軽いんだから」
「ぜったいにないです」アイリーシャは怪訝な顔で、「せいぜい城ノ藤とどっこいくらいの体重かと思います。ねぇ? クルーゲンさん」
「見た感じ、五キログラムくらい上ですかねぇ。ドリシラさんの方がぁ」
この体重計算は明らかな冗談である。
「あら、わたくしでも勝てるかしら、城ノ藤に」
ドリシラはまんざらでもない様子だ。
「スープパスタの早食いなら。ドリシラさんの圧勝です」と、アイリーシャ。
「あら! 嬉しい!」
「喜ぶな!」すかさずのサクラである。
聞き覚えのあるエンジン音が近づいてきた。敷地内に白の高級車が入ると四人は駆けだした。車から降りたのは、タイガとソクラ。マーカス。そして骨折の治療具が痛々しい、セリカ。
「セリカ!」ドリシラは抱きつこうとする。「ああぁん! おかえりぃぃ!」
「ドリシラさん、いまはまじでだめ!」アイリーシャが全力で止めた。「その豊満な肉体で抱きついたら、セリカの骨が潰れる!」
「ただいま……、みんな、休んじゃってごめんなさい」
申し訳なさそうにセリカは頭を下げた。
「もう、本当に」サクラはわざとらしく、「お風呂掃除なんか、初めての経験だったわよ。今日からタイガがやれ」
「ええー、僕もまだ完璧じゃないよぉ……」
いつものやりとりに、笑い声が揃った。
「セリカ」ソクラの声で空気が引き締まる。「しばらくは家でゆっくりしていなさい。家事のことはなにも考えなくてもいいから」
そうだよ、そうして、そうしなさい、と全員がセリカの躰を
「いえ。できることはやります。片手でも家事はできますから」
「そうは言っても……」ソクラはまだ納得できず。「こちらが心配になってしまう。どうか……、うむ。せめて二週間くらいは……」
しかしセリカは、気にしないでください、と微笑んだ。
その笑みをみなが見つめた。
嬉しさに満ちている、心からの笑みであった。
「本当に、本当にありがとう。ちゃんと日々のお掃除。お料理。お洗濯。お着替えの準備。庭のお手入れ。こんな腕ですが、しっかりと。こなしてみせます」
ありがとう。
これからも、この家に住める幸せを。
こんなにも噛み締められるわたくしは、幸せ者です。
「メイド、なめんなよ。です」
〈第一巻 稿了〉
メイドなめんなよ 燈羽美空 @CooToumi
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