第40話 牛鬼と濡女〈六〉

 三浦半島南端の沖合いに、城ヶ島という名前の小さな島が存在する。周囲が4kmほどしかない本当に小さな島だが、首都圏からのアクセスが良好ということもあり、海浜植物や野鳥のいる自然海岸、太平洋の雄大な景色などを目当てに訪れる観光客が年中絶えない。

 九鬼龍蔵と野分のわきの激しい戦いから3日目の朝。海洋怪異対策室の一同は、城ヶ島を代表する景勝地である馬の背洞門を訪れていた。といっても、目的はこの奇怪な海蝕洞穴の観光などではなく、城ヶ島の海に沈んでいるはずの濡女ぬれおんなを見つけ出すことである。

「よっしゃあ! 久々に、〈異形〉たる俺の本領を発揮する時がやってきたぜ!」

 朝から容赦無く照りつける太陽の下、砕け散る波飛沫が常に足元を濡らす磯場にて、伊良部梗子いらべきょうこがやる気に満ち溢れた声で城ヶ島の海に向かって叫んだ。

 あやかしの血を引く〈異形〉である梗子の外見は、それなりに人間寄りである。くっきりとした顔立ちに、真夏の太陽にキラキラと青く輝く黒褐色のショートヘア。頬骨や首筋、肘や手の甲、くるぶしなどの皮膚の一部が青色と黒褐色をした爬虫類の鱗となっており、口内には2本の鋭い牙が生えている。

「伊良部。繰り返すが、濡女を見つけ出すことは必須条件ではない。お前が人間よりも身体が丈夫な〈異形〉だろうと、決して無茶はするな」

 喜び勇んで海スレスレの磯場に立っている梗子の背中に向かって忠告するのは、海洋怪異対策室室長であり、梗子の体術の特訓相手でもある九鬼龍蔵である。

「少しでも判断に迷ったら、すぐに戻ってきて皆を頼ってほしい。やむを得ず伊良部さん1人に捜索を任せてしまうけれど、それでもチームで動いていることに変わりはないんだからさ」

 村上かけるが、振り向いた梗子に頷きかけながら遠回しにやんわりと諭した。

「陸地側で何か異常を感知した場合は、すぐに水晶を向かわせますから。伊良部さんも、何かあったらすぐに水晶を呼んでください」

「梗子様! 例え火の中水の中、この水晶、お呼びとあらば速やかに馳せ参じます!」

 菊池あきらと水晶が、それぞれに真摯さを込めて梗子に訴えかける。

 そして最後に、榊原楓が至ってシンプルなひと言を口にした。

「気いつけてな、梗子 」

「……心配すんなよ、楓」

 梗子が、安心させるように楓に笑いかけた。その上で、他の4人にはニカッと不敵な笑みを投げかけると、靴のままバシャバシャと海水をかき分けて磯場を進み、ザブンと気持ちの良い水音を立てて海中に潜ってしまった。



 当初、消えた濡女についての手がかりを得る作戦は、難航すると思われていた。怪異や妖といった化外けがいの存在と日常的に関わっている5人にとって、人間ではなく、人間社会に潜む妖たちから情報を得ようと考えるのは、それ自体はごく自然な発想だった。ただ、ここで問題となるのが、妖たちから正確な話を聞き出すのは大抵の場合は非常に骨が折れるということである。

 質問をして全く関係の無い答えが返ってくる程度ならマシな方で、一方的な長話に付き合わされた挙句に何も手がかりを得られなかったり、場合によっては巧妙な嘘を吹き込まれて命の危険に晒されることすら起こりうる。防波堤灯台の付喪神である北斗や昴のように、人間に対するのと同じ感覚で意思疎通コミュニケーションを取れてしまう方が珍しいのだ。

 しかし、こうした5人の「常識」は、式神の少女・水晶の存在によっていとも簡単にひっくり返ることとなった。

『そういうことでしたら、このわたくしにお任せ下さい!』

 元気な声で宣言するや否や、明が止める間もなく、翼を広げて意気揚々と横須賀の街へと飛び出してしまった。予定外の待ちぼうけを食らうこととなった5人の元へ水晶が舞い戻ってきたのは、それから2時間ほど後のことである。

『古いビルの天井裏に住んでいる鼠のおじいさんが、件の濡女について色々と教えてくれました。ある時期までは確かに、牛鬼と共に過ごしていたそうです』

 水晶の聞き取り調査によると、横須賀の街に住む妖や動物たちにとって、牛鬼と濡女が人間に擬態して生活していたことは周知の事実であるとのことだった。そして、鷹取会の事務所周辺をねぐらとする妖たちの間では、牛鬼の不気味な変化や濡女の消失という事実もそれなりに共有されているとのことである。

『――あれは、紫陽花が咲き始める少ーし前の、とある黄昏時だったかのう。牛鬼と濡女がふたりっきりで黒い車に乗って、どこぞへ行きよったんじゃがのう。日がすっかり沈んだ後に戻ってきたかと思えば、牛鬼しかおらんかったわい。あれ以来、濡女の姿はいっぺんたりとも見ておらんのう』

 これは、古鼠などと呼ばれることもある、怪異化して久しい歳経たクマネズミの証言である。他にも、霊力が強いカラスやハトなどの野生動物、それから街中をフラフラしている人間の幽霊からも、牛鬼と濡女が鷹取会の事務所で共に過ごしていたという「証言」を引き出すことに成功していた。

『小さな妖や怪異化した動物たちには、霊力を使った思念のやり取りの方が、言葉よりもずっと伝わりやすいのです。それに、思念の同調が上手くいけば、記憶の断片をそのまま受け取ることもできます』

 つまり水晶は、人間に擬態していた濡女の外見を把握することにも成功していた。もっとも、水晶が他の5人にそれを伝えるには、結局は言葉で表現する必要があったのだが。

 とにかく、朧気ながらも濡女についての情報が得られたことにより、調査は次の段階へと移った。濡女の居場所を掴むべく、横須賀海上保安部の空き部屋へと場所を移して厳重な人払いをした上で、魔術師・村上翔による、地図と振り子ペンジュラムを使ったダウジングが行われることとなったのだ。

『こんな、霊力があれば誰でもできるような単純作業じゃなくて、いかにも魔術師ってところをもっと見せたいと思ってるんだけどね』

 そんなことを言っていた村上だったが、霊力と集中力の限りを尽くした村上の精確なダウジングは、一朝一夕で真似できるような技術では無かった。

『俺には絶対ぜってえ無理だわ』

 長時間に及ぶダウジングを終えて疲労困憊となった村上を見て、梗子が漏らしたひと言である。

 こうして調査を終えた5人は、菊池明が運転する公用車のミニバンにて横須賀の街を後にすると、三浦半島最南端の地を目指したのだった。

 


 磯場で砕け散った波が白く泡立つのを眺めながら、村上が隣に立つ九鬼に話しかける。

「結局、濡女と入れ替わったという人間の女のことは、何も分からずじまいでしたね」

「濡女についての情報が分かっただけで充分だ」

 腕を組んで眉間に皺を寄せながら、九鬼が強めの口調で言い返した。

「牛鬼を排除して捜査員たちの安全を確保することが、俺たちの目的だ。深入りする必要は無い」

「それは確かにそうですけど――」

 その一方、村上と九鬼から少し離れた岩場にて、水晶が不思議そうな顔をしてこんなことを呟いていた。

「梗子様、変化へんげは海の中でされるのですね」

 すると、スポーツドリンクで水分補給をしていた楓が、梗子が消えた海面を見やりながら水晶の疑問に答えてやる。

「前に、変化するところを見られるのが恥ずかしいとか言っとったわ。変化した後の姿を見られるのは、何ともないらしいんやけど」

「そうなのですね。ありがとうございます、楓様」

「ええって」

 律儀に礼を述べる水晶に対して、楓はひどくあっさりとした態度をとっている。とはいえ、そこに冷淡さのようなものは感じられない。

(式神とは馴れ合わない主義なのかと思ってたけど、このくらいの会話ならしてくれるんだな)

 少なくとも、水晶の存在を疎ましく思っているわけではないのだろう。すぐそばで2人のやり取りを眺めていた明は、ホッと胸を撫で下ろした。

 それから、何の気はなしに視線を馬の背洞門へと転じてみる。

(どうせなら、仕事じゃなくて観光で来たかったな)

 そこでふと、春に訪れたばかりの犬吠埼灯台のことを思い出した。

(ルミエールたち、最近どうしてるんだろうな。巡視船や商船からはトラブルの報告は無いから、約束は守ってるんだろうけど)

 明は、大量の料理を前にして大はしゃぎだった犬吠埼灯台の付喪神たちの顔を思い返す。それから、犬吠埼からの絶景や巨大なフレネルレンズに目を輝かせる水晶の姿を想像してみた。

(……近いうちに、行ってみるか)

 梗子が海から上がってくるのを待つ間、そんなことを考えていた明であった。




 青く透き通った海の中を、伊良部梗子は沈んでいく。

(この海、色んな潮が混じってるな……それに、幽世かくりよとの距離もかなり近いぞ) 

 東京湾と相模湾、そして黒潮という3つの潮が混じり合う城ヶ島の海が、現世うつしよと幽世のをたゆたう梗子の身体に、スウッと気持ちよく馴染んでいく。

 潮の流れに、制服の裾がゆるりとはためいた。膝上までのワンピースのような形状をした梗子の制服は、〈異形〉としての特異体質に合わせて作られた特注品である。もちろんスラックスは履いていないし、体術の邪魔になるため式典時以外はマントを着用しないことにしていた。

(この海に潜るのは初めてだし、まずは準備体操ウォームアップも兼ねて島の周りをひと泳ぎしてみるか)

 梗子の全身が、淡い光を帯びた。皮膚の一部を覆う青色と黒褐色の鱗が、青い海の中にあってより鮮明に浮き上がっていく。

 そして、梗子の脚が青く強く発光すると、ぐにゃんと変形してひとつにまとまり、帯を広げるようにして一気に後方へと伸びていった。 


「『蛇身変化ダシンヘンゲ』!」


 青い光が消失し、梗子のもうひとつの姿がつまびらかとなる。

 制服の裾から何メートルにも渡って伸びるのは、青色と黒褐色の縞模様が目にも美しい、堂々とした蛇の胴体だった。ただし、普通の蛇と大きく異なるのは、尻尾が泳ぎに特化したヒレのような形になっていることである。

 エラブウミヘビ――それが、伊良部梗子の祖母の正体だった。

(やっぱり海で泳ぐ時は、この姿に限るな!)

 変化へんげを終えた梗子は、下半身を軽くクネクネと動かしながら満足げに頷いた。そして、ギュルルンッとヒレ状の尻尾で海水を叩いて見事なスタートダッシュを決めると、海水の抵抗などものともせず、猛スピードで城ヶ島の周囲を巡り始めた。

(ふうん……なかなか泳ぎ甲斐がある海じゃねえか)

 城ヶ島の海は、ダイビングスポットとしても有名だった。多種多様な海洋生物に、起伏の激しいダイナミックな海底地形。海洋生物に関して言えば、海の宝石と称されるウミウシや、体長が数cmしかないカラフルなダンゴウオなどがダイバーたちを虜にしてやまないという。

(おっ、ユキウサギじゃん)

 例に漏れず梗子も、通りがかった岩の上に発見したユキウサギウミウシの可愛らしい姿を、ついつい泳ぎを止めて楽しんでしまう。

(これぞ、役得ってやつだな)

 普通の人間が長時間潜水するとなると、酸素ボンベやレギュレーターなどの機材を揃えた上で、水圧に適応するための訓練を何度も受ける必要がある。しかし、海洋生物の〈異形〉である梗子は、余計な金をかける必要もなく、身ひとつでダイビングを楽しめてしまうのだ。

「おっと、いけねえ……仕事に戻るか」

 久々の海にはしゃいでしまった事を軽く反省しつつ、出発地点を目指して再び猛スピードで泳ぎ始めた。

(怪異化したサメとかタコとかいねえかな。何か知ってるかもしれねえ)

 いくら小さな島とはいえ、岩棚やクレバスといった複雑な海底地形の隅々に至るまでを調べるとなると、梗子ひとりでは何日もかかってしまう。城ヶ島の海を縄張りとするヌシのような存在がいるなら、まずはその主に助言を仰ぐのが効率的である。

 というわけで出発地点に戻ってきた梗子は、手始めに近くの岩場にいたカエルアンコウに声をかけてみたのだが。

「なあ、お前さ」

「っ!!」

 鮮やかなオレンジ色をしたカエルアンコウは、梗子の姿を見た途端に脱兎のごとく泳ぎ去ってしまった。

「……ちぇっ」

 梗子は、つまらなさそうに唇を尖らせた。

 ウミヘビという生物に馴染みが無いからか、関東の海では、小さな怪異や妖、それに普通の動物たちも、梗子を避ける傾向にある。実際のところは、梗子の〈異形〉としての実力を敏感に察知しているからでもあるのだが、本人にはあまり自覚が無い。

(さっさと幽世に入って強い妖を探すか? でも、この海の幽世の地形が現世こっちの地形と違ってたら面倒なんだよな)

 梗子とて、知らない海の知らない幽世で何不自由なく行動できるというわけではない。闇雲に突入した場合、現世には存在しない地形に迷い込んで無駄に妖力を消耗する可能性もある。

 梗子は頭を悩ませながら、ゆったりと蛇身を波打たせて急峻な岩棚の横を通り過ぎていく。斜め前方から何かが接近してきたのは、そんな時だった。

(あれは、アオリイカだな。俺に用があるみてえだ)

 そこそこ怪異化が進んでいるらしいそのアオリイカは、梗子の目と鼻の先で一旦動きを止めると、梗子を導こうとするように触腕をワサワサと動かしてから再び泳ぎ出した。梗子は一瞬だけ逡巡すると、少し距離を空けた上で注意深くアオリイカについていく。

 しばらくすると、岩盤に複数の水路が走ったような奇怪な景観が広がる海底へとたどり着いた。絶景に感心する梗子をよそに、アオリイカは大きな岩場と岩場の隙間まで泳いでいくと、一度だけ振り返ってから姿

(幽世への入口……自然にできた〈門〉みたいなものか)

 既に、梗子の覚悟は決まっていた。岩場から漂う幽世特有の甘くてしょっぱい濃厚な匂いを2つに割れた蛇の舌でペロリと味わうと、蛇身をうねらせて一直線に〈門〉の内側へと飛び込んだ。

「……おう、いきなりのお出ましときたか」

 〈門〉を抜けた先は、怪異化した数多の海洋生物達が息づく、現世よりも鮮やかで美しい、けれど妖しさも感じさせる城ヶ島の幽世の海だった。

 そして、目の前の岩場に腰かけて梗子を待ち受けていたのは。

「ごきげんよう、蛇のお嬢さん。乾いた大地からはるばる深い海の底まで、よくぞいらしたことね」

「よう、イカのねえちゃん。あんた、城ヶ島の海の主か? 探してる妖がいるんだけどさ」

 それは、怪異化した女のイカだった。一応は人の形をしているが、その外見にはイカの要素がかなり色濃く残っている。また、梗子を案内してきたアオリイカや魚、エビなどの小さな生き物たちが、イカの女の周りでのんびりと漂っていた。

「お待ちなさいな、せっかちなお嬢さん。まずは、名乗り合うのが人間たちのお作法と聞き及んでいたのだけど、違ったかしら?」

 女はやんわりと梗子の言葉を遮ると、エメラルドグリーンに縁取られた目を細めて微笑んだ。

(俺のこと、おかの生き物だと思って完全に舐めてやがるな)

 梗子は、一度だけ深呼吸をして苛立ちを抑えると、イカの女の指摘を素直に受け入れ、自己紹介からやり直すことにした。

「俺の名前は、梗子だ。あと、知らないのも無理ねえけど、俺のばあちゃんはエラブウミヘビっつう、れっきとした海洋生物なんだぜ」

 梗子は、ヒレの形をした尻尾をむんずと掴んで前に突き出すと、エラブウミヘビの生態について説明してみせた。

 その内容に驚いたのか、女はイカそのままの目を大きく見開く。

「そうなの……遙か南の海には、海で生きる蛇さんがいるのね。これは、とんだ失礼をしたわ」

 どうやら、梗子への見方が変わったらしい。女は自らの胸に手らしき器官を当てると、さっきよりも真剣さを帯びた声で梗子に語りかけた。

「あたしはね、この城ヶ島の南側の海を見守っている存在よ。名前というのは特に無いけど、みんなは姉御って呼んでくれてるわ。よろしくね、梗子」

「よろしくな、姉御」

 そうして張り詰めた空気が緩んだところで、梗子は改めて濡女を探し求めていることを説明した。イカの女も、今度は梗子の話を遮ることなく、じっと耳を傾けてくれている。

「……どうやら、あたしの勘が当たってたみたいね」

「へ?」

「ついてきて」

 イカの女がスっと岩場を離れて、数メートル下方の海底へと梗子を導いた。

「月がひと巡りするよりも、もう少し前くらいの事だったと思うわ。これがね、海の中に落ちてきたのよ」

 イカの女が、手なのか触腕なのかよく分からない部分で、海底に置かれている物体を指す。

 途端、梗子の目つきが鋭くなった。

「こりゃ、一斗缶だな。つうか、思いっきり蛇の気配がするじゃねえか」

「でしょ? だから、さっきあなたがやってきたとき、ちょっと似てるなって思ったのよ」

 梗子は、一斗缶に手を伸ばした。長期間海中にあったそれはかなり錆びついており、しかも針金が何重にも巻かれている。

「妖が閉じ込められていることは、あたしにもすぐに分かった。でも、いくら呼びかけても返事は無いし、開けて大丈夫なのかも分からないし……とりあえずここに運んだはいいけれど、次はどうしようかなってずっと悩んでいてね。そうしたら、あなたがやってきたのよ」

 妖が閉じ込められた一斗缶を1ヶ月以上にも渡ってそのまま放置していたというのは、人間側からするといささか呑気過ぎるようにも思える。

 しかし、梗子は特に驚かなかった。妖というのは、大抵はこんなものである。

「それじゃあ、このまま俺が引き取っちまっても良いのか?」

「そうしてくれると助かるわ! むしろ、あたしから頼もうと思ってたくらいよ」

 イカの女の快諾を受けた梗子は、やけに重量感のある一斗缶を軽々と脇に抱えると、ヒレ状の尻尾をギュルンと動かして〈門〉の前まで浮上した。

「恩に着るぜ、姉御」

「またいつでも遊びに来てね、梗子」

 こうして、〈異形〉としての特質を存分に発揮した梗子の探索任務は、想定を上回る大成功を収めたのだった。




 海から上がってすぐに、九鬼の許可の下、梗子は一斗缶の蓋を開ける作業を開始した。

「でもさ、なんで一斗缶なんだろうな。ドラム缶だと大きすぎたとか?」

「梗子、全然笑えへん」

 海中散歩を楽しんだ後の爽快感そのままに軽口を叩きながら、錆びついた針金を一斗缶から引き剥がし、同じく錆びついた蓋に手をかける。

「蛇身のお姿、とても堂々とされていますね。青色の鱗もすごく綺麗です」

 後方で作業を見守りながら、水晶が小声で明に話しかけた。本人に伝えるのはきっと恥ずかしいのだろうと、そんな水晶に明は微笑ましさを感じる。

「ちなみに、エラブウミヘビは半陸棲だから岩場でも移動できるけど、他のウミヘビ類には海の中だけで一生を過ごす種類もいるらしいぞ」

「そうなのですね」

「よし、開いたぞ!」

 梗子の歓声に、一同の視線が錆びついた一斗缶に集まった。

「……は?」

 中を覗き込んだ梗子の表情が、凍りついた。

 包帯でグルグル巻きにされた輪っかのような物体が小さな一斗缶の中に重石と共に押し込められているのが、鮮烈な日差しの下にまざまざと晒されている。

「――ッ!」

 梗子が、実年齢よりも幼いその顔に怒気を滲ませた。躊躇いなくを掴んで一斗缶の中から出してやると、に巻かれた包帯を素早く丁寧に解いていく。

 最後に、の目を塞ぐ形で巻かれた御札を剥がそうと手を伸ばした。

「待ち。うちがやったる」

「……」

 伸ばした手を楓に抑えられた梗子は、素直に楓と場所を交代した。

 楓は、まずは指先で御札に軽く触れた。どうやら害は無さそうなのを確認して、ゆっくりと御札を剥がしていく。無事に剥がし終えると、再び梗子に場所を譲った。

「なんつうことしやがるんだ……」

 梗子が、丁寧な手つきでの身体を伸ばしてやる。そして、頭部と胴体をそっと両手に乗せて支えると、一同に掲げて見せた。



 一斗缶の中に閉じ込められていたのは、体長3メートルにも及ぶ、1匹の歳経たアオダイショウだった。




―― ―― ――

※参考資料 エラブウミヘビについて

https://kakuyomu.jp/users/umikoto/news/16817330659282592305

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