第19話 犬吠埼沖糧食盗難事件〈後編〉
「この旗を使って、船と連絡を取り合ってほしい」
付喪神たちは、長辺が90cmくらいの青と黄の2色の旗を、まじまじと見つめる。
「これは
「そして、そのひとつひとつのアルファベットには、それぞれ定型文が定められているのよ」
明が説明し、横からまりかが補足する。
国際信号旗は、船と船、船と陸上の間の通信に用いられる旗のことで、26の文字旗と10の数字旗、そして4つの特殊な旗の計40旗で構成されている。
明は、真ん中で黄色と青色に分かれた「K」の文字旗を見下ろしながら、その定型文を口にした。
「『私は、あなたと通信したい――I wish to communicate with you』」
そして、再び付喪神たちに目を戻す。
「それが、この旗が表す定型文だ。本当は食糧を要求するような定型文があれば良かったんだけど、残念ながらそういうものは無くてさ。それで、一番使えそうなものを選んでみたんだ」
明が考えた、船からの食糧盗難に対する解決策。それは、「付喪神たちが船で食事をすることを正式に認めてしまう」というものだった。
一度、人間の食べ物の味を覚えてしまった怪異や妖が、食べたいという欲求を抑えるのは非常に難しい。というより、基本的に彼らは人間が決めたルールなどお構い無しに自由気ままに振る舞う。禁止を言い渡したところで、すぐに我慢ができなくなることは目に見えていた。
それならばいっそのこと、人間側が船に招いて食事を振舞い、程よくガス抜きをさせてやればいいのではないかと考えたのだ。問題なのは予期しない事態によって船の食糧の消費計画が狂ってしまうことであり、事前に付喪神たちが来ることが分かっていれば、それを考慮に入れた上で食糧を消費していくだけの話である。
明は、リュックサックの中から旗をもう1枚取り出した。形は細長い台形で、赤と白の縞模様をしている。
「この旗が『回答旗』だ。犬吠埼灯台に『K』の旗が掲げられているのを見た船が、この『回答旗』を掲げることによって了承の意思を示す。そこで初めて、君たち付喪神は船に乗ることができるという流れになる」
明は、
「ここが、一番重要なところだ。もし、船に向かって旗を掲げても、船側から回答旗による返答が無かったら、その時は諦めてほしい。極力、君たちの要望に応えてあげたいとは思うけれど、人間側にも色々と事情があるんだ。この約束は、守れるか?」
厳しい響きを帯びた明の言葉に、ルミエールはギュッと口を結んで顔を俯かせる。
「ルミエール」
まりかが、穏やかな声で呼びかけた。
「あなた達は人間ではないけれど、人間の活動圏内で生きていく以上、多少は人間たちの事情についても知っておいてほしいの。そして、できれば協力してほしい。この当たり前の日常を、これからも当たり前に過ごしていけるように」
まりかは、おもむろに灯台を見た。釣られて、ルミエールも灯台に目を向ける。
抜けるような青い空を背景にそそり立つ、煉瓦造りの白亜の塔。安全な航海への願いを込めて、140年以上も前の人間たちが技術の
(そうだ)
ルミエールは思い出した。
他ならぬ人間の手によって造られたこの犬吠埼灯台が、自分は大好きであるということを。
「……『I wish to communicate with you』」
気がつくと、ルミエールはその定型文を呟いていた。
それから、自分を気遣わしげに見つめる人間たちを振り返り、切なそうに微笑む。
「『私は、あなたと通信したい』か。これを食糧の要求として使うって、結構こじつけなんじゃない?」
「うっ」
「いや、まあ、そこはね……」
見事に痛い所を突かれて、まりかも明もしどろもどろになってしまう。
「――でも、俺は良いと思う」
ルミエールが、両手を「K」旗に伸ばした。
明はハッとして、ルミエールの小さな手にそっと旗を渡す。
ルミエールは、真ん中で青と黄に分かれた大きな旗をしっかりと掴んで広げると、少しの間じっと見つめる。それから両手を降ろし、おずおずと呟いた。
「食い物盗って、悪かった。ごめんなさい」
「っ!」
まりかと明は驚いた。そもそも、今回の件について付喪神たちに謝罪を求めるつもりは全く無かったため、予想に反してルミエールがしおらしくなってしまったことを、2人は意外に感じている。
「わ、わたしも。ごめんなさい」
「あたしも、ちょっと食べちゃったから……ごめんなさいね」
続けて、あかりと響も2人に謝る。
まりかと明は、付喪神たちの真摯な態度にしばし胸を打たれていたが、やがて明が気を取り直すと、冷静な口調で話しかけた。
「それは俺たちじゃなくて、船の乗組員たちに直接言ってほしい」
そしてすぐに、こうつけ加える。
「でも、ありがとうな。気持ちは確かに、受け取っておく」
「私も。あなた達のその気持ちは、忘れないわ」
同じくまりかも、付喪神たちの言葉を受け入れる。
ルミエールと響、そしてあかりは、安堵の表情を浮かべて互いに顔を見合わせた。
「そういえば、あなた達のために持ってきた物があるの」
まりかはボストンバッグの中をゴソゴソ探ると、円筒型の物体を取り出した。
「これ、万華鏡っていうの。少しは暇潰しになるかと思って」
「万華鏡?」
「とりあえず、ここを覗いてみれば分かるから」
不審そうな顔をしつつも、ルミエールは教えられた通りに万華鏡の中を覗いて、少しずつ回してみる。
「――きれい」
ルミエールが驚嘆した。しばし見蕩れてから、万華鏡をあかりに渡して、覗いてみるように促す。
「良かった、気に入ってくれたみたい」
代わる代わる万華鏡を覗いて楽しむ3人を眺めながら、まりかは胸を撫で下ろした。
「そういえば、万華鏡を考案したのはイギリスの物理学者だったらしいな」
回答旗を丁寧に畳みながら、明がふと思い出したことを口にする。
「ええ。なんでも、灯台の光を遠くに届ける実験をしている時に発見したんですってね」
「ほほう。それはなんとも、不思議な巡り合わせじゃのう」
いたく万華鏡を気に入っていたカナは、その意外な繋がりに素直に感心の声を上げる。
その時、ふうわりとした優しい潮風が一同の間を通り抜けた。頬を撫でるその一瞬、不思議な温もりを残して去っていく。
それに後押しされるように、明が腕時計に目を落とした。
「もうすぐ開館時間だな」
「じゃあ、そろそろお開きにしなきゃね」
まりかと明は、浮かれてはしゃぎ合っている付喪神たちに声をかけると、お菓子のゴミを片付け始める。
遠くから、自動車の走行音が少しずつ近づいてくる。
いつもと同じ犬吠埼灯台の1日が、今日も始まろうとしていた。
犬吠埼灯台が立つ断崖絶壁のすぐ北に広がる砂浜に、幼い人魚の甲高い歓声が響き渡る。
「ひっさびさの海じゃーい!」
豪快な波飛沫を立てて海面から跳ね上がったのは、クジラの下半身を持った白髪の少女。その堂々たる尾びれを美しくしならせながら空中で見事に身を翻すと、今度は波音ひとつ立てずに
「あの子、人魚だったんだな」
遊泳禁止の海で気持ち良さそうに泳ぎ回るカナを眺めながら、明が納得したように呟いた。
「驚かないの?」
缶コーヒーで一息ついていたまりかが、斜め前に座る明に訊ねる。
「まあ、ひょっとして〈異形〉なのかな、くらいは思ってたから」
明は緑茶のペットボトルから口を離すと、少しだけ身体を捻ってまりかの方を向いて答える。
「やっぱり、それくらいは分かるものなのね」
「まあ、海異対に〈異形〉の人がいるってのもあるし」
「そう」
そこでしばし、会話は途切れた。太平洋の荒波が波打ち際で砕け散る音に、2人は思い思いに耳を傾けている。
(もう、今ここで話しちゃった方が良いよね)
まりかとしては、正直なところ海異対の話も気になってはいるのだが、それよりも今は別の事柄について、どう説明したものかと頭を悩ませている。
「……最初に、響が言ってた事なんだけど」
そして結局、真正面から核心に切り込むことにしたのだった。
「やっぱり、気になるよね?」
「……ああ、もしかしてあのこと?」
5秒ほど考え込んでから、明が怪訝そうにまりかを見た。
「気になるというか、
「……」
あっさりとした明の返答に、まりかは軽く言葉を失う。
「そ、そう……そうよね。普通、そう解釈するわよね」
完全に墓穴を掘った形となったまりかは、明から顔を背けて思わず苦笑してしまった。
客観的に考えれば確かに、響のあの言葉から、まりかが精霊と親子関係を結んでいるという発想に至る方が難しいと言える。
(とんだ自意識過剰だったわね)
そういうわけで二の句を継げずにいたまりかだったが、そこへ明が、躊躇いがちに声をかけてきた。
「もし嫌でなければで良いけど、どういう事情か聞かせてくれないか?」
まりかは顔を上げた。
明が、少し緊張したような面持ちでまりかを見つめている。
菊池明は、本来なら他人の事情に首を突っ込むようなことはしない。しかし、この時だけは何故か、むしろ首を突っ込んでやらねばならないと、直感的に思ったのだ。
「えっとね」
そしてまりかは、そんな明の想いやりに応えるべく、あっけらかんとエリカの正体を口にした。
「お母さんが
「え?でも」
すぐには言葉の意味が分からず、明はまりかのことをつい凝視してしまう。
どう見ても、精霊の血が混じっているようには見えない。
「あ、血は繋がってないわ。養子なの。ちなみに、お父さんは普通の人間よ」
まりかが補足し、明はさらに混乱する。
しかし、すぐにその意味を理解して驚愕すると、思い浮かんだ言葉をついそのまま口にしてしまった。
「それじゃあ、精霊がわざわざ、人間の子供を養子に取ったってことか?」
「うーん、やっぱり珍しいのかな」
「少なくとも俺は聞いたことがないな……というか、『わざわざ』なんて失礼だよな、ごめん」
「いいの、気にしないで」
まりかが軽く手を振った。家族の秘密を話せてスッキリしたのか、その顔には屈託のない笑顔が浮かんでいる。
(良かった。家族仲は良いみたいだな)
まりかの表情からそう判断した明は、心の底から安堵する。
「そういえば、明の出身ってどこなの?三管区勤務ってことは、やっぱり関東?」
まりかは今度は、明について訊ねてきた。知り合って数週間が経つのに、未だに出身地の1つも知らないままであることに気がついたのだ。
しかし、普通なら当たり障りの無いはずの話題に、明は言葉を濁した。
「ああ、出身……盛岡、岩手県の」
「岩手かあ。行ったことないなあ。でも、地元から離れた土地で働くなんて、大変じゃない?」
「そうでもねえよ」
「?」
まりかは、明の表情が曇ってきたことに気がつく。
(地元の話は止めておいた方が良さそう)
明の変化を敏感に察知したまりかは、すぐさま話題を変えることにした。
「そういえば、海異対ってどんな人がいるの?私、同業者みたいな人との繋がりが全然無いし、実は結構気になってるのよ」
「うーん、そうだな。まず、得意とする技が全員違う感じだな。例えば、榊原さんは――」
話題が逸れたことにホッとした明は、海異対のメンバーについて一通り説明する。まりかは興味津々な様子で、しきりにふむふむと頷く。
「――というわけだから、朝霧が杖道が得意ってことを伊良部さんが知ったら、手合わせしたいとか言い出すと思うぞ」
「あははっ、きっと私じゃ勝てないだろうなあ」
砂浜に敷いたレジャーシートの上で、飲み物片手に和やかに談笑する明とまりか。その様子は、さながらピクニックである。
そして、その平穏な時間は唐突に終わりを告げる。
「とりゃああ!」
「っ!?」
「きゃっ!?」
目にも留まらぬ速さで海から上がってきたカナが、2人の間に大量に何かをぶちまけた。
「ちょっと!可哀想だから早く海に戻してあげなさいよ!」
レジャーシートの上でグネグネと蠢いている大量のナマコを目にしたまりかが、鋭い目付きでカナを見下ろす。
「なんじゃあ、せっかく獲ってきてやったというに」
人魚姿のカナが、砂浜の上で腹ばいになり、頬杖をついて口を尖らせた。
見方によっては可愛らしいが、まりかは決して騙されない。
「ホテルじゃ調理できないし、というか食べきれないし、それ以前に私と明が密漁したみたいになっちゃうじゃない!」
「みつりょう?なんじゃあ、そりゃ」
カナが、薄い眉を顰めてコテンと首を傾げる。
まりかは、その愛くるしい仕草を完全にスルーして、明に密漁の説明を求めようとした。
「明、密漁についてカナに……って、あれ?」
ここでまりかは、明の様子がおかしい事に気がつく。
「ナ、ナマ……ナマコ……」
明が思い切り顔を引き攣らせて、全身を硬直させている。その片手には何故かナマコが握られ、膝の上にも更に数匹散らばっていた。
「うむ、ナイスキャッチじゃな!」
カナが愉快そうに、ビシッと親指を立ててみせる。
「ちょっと、大丈夫?」
まりかが、明の肩を揺らした。
明が、目だけを動かしてまりかを見る。
「ナマコ、だけは、ホ、ホント、ムリ……」
どうやら、極度のナマコ恐怖症らしい。だったらどうしてナマコを握ったままなのかと一瞬思ったが、ナマコがいきなり手の中に飛び込んでくるという事態に脳がフリーズしたのだろう。
可哀想になってきたので、まりかは明の手と膝からナマコを退かしてやることにした。
「ハハッ!こやつの弱点が分かったな!」
「だからってナマコを使って苛めたりなんかしないでよね」
「ちょいとおちょくるだけなら」
「ダメ」
まりかはカナをせっついて、ナマコたちを元の海底に戻させる。ナマコはそこまでヤワな生き物ではないので、すぐに元気を取り戻すだろう。
「この様子だと、ホヤとかも苦手かもしれないわね」
未だに放心状態の明の横で、最後に残ったナマコのイボをツンツンとつつきながら、帰りの電車で明の好きな食べ物くらいは聞き出してやろうと決めたのだった。
後日。
快晴の空の下、巡視船「あずま」の後部
国際信号旗による通信方法の練習も兼ねていたため、まずは予告していた時間に「あずま」が犬吠埼沖を訪れ、それを確認した付喪神たちが灯台のてっぺんで「
「よし、跳ぶぞ!」
「やっぱり私は……」
「心配すんなって! 俺がそばについていてやるからさ!」
本体から遠く離れることを渋る響に対し、普段滅多に見せない年上らしさを発揮するルミエール。
そんなこんなで、響とあかりを連れたルミエールが「あずま」に出現したことにより、国際信号旗による通信が有効であることが証明された。
そして。
「すげえ!」
目の前に広がる光景に、付喪神たちは目を見開く。
「あずま」後部甲板には、多種多様な食べ物がバイキング形式で並べられていた。
「今日は、好きなだけ食べてくれ」
付喪神たちと顔見知りである菊池明が主に進行役となり、「あずま」における歓迎会という名の付喪神限定食べ放題イベントは大成功裏に終わった。
さらに後日、再び犬吠埼灯台を訪れた明が聞き取り調査を行ったところ、「あずま」でたらふく食べて大満足したことにより、今後は2、3ヶ月に1度くらいの頻度で船に跳べば十分であるという感想を得ることができた。付喪神に限らず、怪異や妖は気紛れなのでこの感想を真に受けるわけにはいかないが、それでも以前よりは控えてくれるだろう。明は海異対の室長に対し、そのように報告したとのことである。
一方、内航海運業界においても、今井氏による各方面への働きかけにより、商船において犬吠埼灯台の付喪神たちを受け入れる態勢が整いつつある。
今井氏曰く、「航海の安全をお護りいただいた灯台の付喪神様たちにご馳走して差し上げる名誉な役割を、このまま海保に独占させるのは我慢がならない!」とのことである。
そして朝霧まりかは、犬吠埼から横浜の事務所に帰宅してすぐに、犬吠埼灯台の付喪神たち宛に宅配便を送った。
その中身は、追加の万華鏡が2本と、子供向けに書かれた船の本が数冊。そこには、船に乗ること自体も楽しんでいたらしいルミエールに向けて、船の事をもっと知って欲しいという、まりかのちょっぴり勝手な願いも込められている。
こうして、犬吠埼沖糧食盗難事件は、ひとまずの解決を見せたのだった。
「なるほどねえ。灯台そのものじゃなくて、レンズの付喪神かあ」
白灯台の付喪神・
昴に対して事件の顛末を語り終えたまりかは、僅かに残っていたウィスキーのロックを飲み干すと、今度はソフトドリンクを注文する。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「だから、キューを持つ手は力を入れすぎるなって、さっきから何度も言ってるだろ!」
「ええい! 分かっとるわい!」
その横では、赤灯台の付喪神・北斗が、カナを相手にビリヤードのルールや打ち方を根気よく指南している真っ最中である。
4人は今、横浜駅近くの大型ゲームセンターにて和気あいあいとビリヤードを楽しんでいた。といっても、到着早々カナがやってみたいと言い出したため、まりかと昴は北斗にカナの相手をお任せして、酒とスナックを口に運びながらゆったりと雑談しているという次第である。
なお、ゲーセンで遊ぶに際して、北斗も昴も一時的に実体を形成した上で、普通の人間と遜色ない振る舞いをしていた。服装についても、北斗はTシャツとジーパン、昴はポロシャツとチノパンという人間の街に馴染む格好をしている。
ちなみにまりかは、髪型を普段のハーフアップではなく、片側に流してまとめた上で豪華な飾り付けの簪と〈夕霧〉を挿している。加えて、カナとの同居が始まってからはなかなか楽しむ機会がなかったメイクについても、ここぞとばかりにバッチリとキメていた。
「そういえば、例の菊池君だけどさ。次は彼も誘ってみようよ。海異対の人間だなんて、余計に気になるし」
「良いですね! 人数多い方が楽しいですし」
昴の提案に、まりかは強く同意した。怪異や妖たちの集まりに自分以外の人間が加わるなど、これまで経験したことが無い。きっと、面白い化学反応が起きるだろう。
「そうだ、付喪神の外見年齢についてなんですけど」
注文したオレンジジュースが運ばれてきたところでまりかと昴は話を戻して、付喪神という存在についての考察を交わし始めた。
「3人とも子供の姿をしていたのが気になりましたね。やっぱり、人間との交流度合いが関係するんでしょうか」
「一概には言えないけど、付喪神の場合は割と当てはまる気がするな」
「うーん、これは他の歴史あるレンズたちも確認してみたいところです」
まりかは生ハムをごくりと飲み込むと、常々疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば、建物の付喪神って全然聞きませんよね。船や自動車みたいな乗り物は付喪神化するのに、どうしてでしょう」
「多分だけど、構成要素の多さが一因だと僕は思ってる」
昴は、カナの指南に励む北斗を穏やかに眺めながら、自身の考えを披露する。
「犬吠埼灯台の場合、十何万というレンガが使われてるんでしょ。そのレンガのひとつひとつが、付喪神と成るのに必要な妖力を奪い合っているんじゃないかな。仮に付喪神化するとしても、あと数百年はかかるんじゃないかという気がするね。それと、もう1つ重要なのが」
新たに運ばれてきた芋焼酎の水割りをひと口飲んで、そのまま話を続ける。
「人間たちの『物』に対する意識だ。乗り物のことを、まるで人格を持った生き物のように考えている人間がいるでしょ。意識的であれ無意識であれ、そういうのってかなり伝わるんだよ」
「それは確かに、納得です」
船を女性名詞で呼びかける慣習や、文字通りの意味で自動車を愛している人が存在するという話を思い出し、まりかはしみじみと感じ入る。
そんな感じで熱心に考察を交わしていたところ、カナが叫び声を上げながらテーブルに戻ってきた。
「フンッ! ビリヤードなどもう二度とやらんわいっ!」
プンスカ怒りながら、カルピスソーダを一気に飲み干す。
「初めてなんだから、上手くできなくたって仕方がないわよ」
まりかはメニュー表をカナに渡すと、「良識の範囲内で」好きな物を注文するように促した。
「いい加減、わしも酒が飲みたいんじゃが」
「少なくともここではダメよ」
2人がメニュー表を覗き込んでいる間に、カナと入れ替わる形で昴がキューを手に取り、ビリヤード台の前で北斗と向かい合う。
「それじゃあ、シンプルにナインボールでいこう」
「今日こそ
バチバチと火花を散らせた後、早速バンキングをして先攻と後攻を決め、先攻になった北斗が手早くラックを組んでいく。
「あやつら、本体の形も生まれた年も同じじゃというのに、まるで正反対な性格をしとるのう」
カナは注文したジンジャーエールをちびちびと舐めながら、ナインボールで真剣勝負をする2人の付喪神の手つきやボールの動きを目で追っている。
「でも、互いに互いのことを思いやってるところは、本当にそっくりよ」
「ふうん」
適当に返事をしたものの、感慨深そうに2人を眺めているまりかを見て、カナは突っ込んだ質問をしてみる事にする。
「まりかよ、あやつらとの付き合いは長いのか」
「そうね。初めて会った時から15年以上は経つから、人間にとってはそれなりの長さになるわね」
まりかはグラスを軽く揺らしながら、懐かしそうに目を細めた。
「北斗さん、顕現してからしばらくは、かなり荒れてたのよ。本人の口から直接聞いたわけじゃないけど、昴さんの本体が役目を終えて離れた場所に移設された事実が、受け入れられなかったんだと思う」
「荒れたというのは、もしやアレか?」
カナが、賽を振るような手つきをしてみせた。
まりかは首肯して、オレンジジュースを数口飲んでから話を続ける。
「一番酷かった時は、自分の妖力の大半を賭けたりしてたって聞いたわ。昴さんが何度注意しても全然止めなかったらしくって」
「今はかなり落ち着いとるようじゃが」
「ああ、それはね」
当時の様子を思い返し、知らず知らずのうちに微笑むまりか。
「昴さんと猩々のおじさんが中心になって、北斗さんを人間の街に連れ出したのよ。私も時々一緒になって、遊園地とか中華街にみんなで行ったりしたの」
最初は露骨に嫌がっていた北斗だったが、回数を重ねるうちに他の楽しみにも目を向けるようになり、傍目にも分かるほどの不安定さは、次第に影を潜めていった。
「なるほどのう」
話を聞き終えたカナが、じいっとまりかを見つめる。
「なによ?」
「なんでもないわい」
カナはまりかから視線を外すと、皿に残っていたポテトを全て口の中に流し込んだ。
(どうやら、本当に無自覚なようじゃな)
北斗が立ち直った一番の要因はまりかの存在であることを、すぐにカナは理解した。
怪異や妖はもちろんのこと、龍神すら惹き付けてしまうような不思議な魅力を持つ人間の少女が、甲斐甲斐しく付き添ってくれるのだ。北斗の荒んだ心を大いに癒したに違いない。
そしてカナは、まりかのこの無自覚さに、漠然とした不安を感じている。
(まあ、今日のところは黙っておくかのう)
この不安の理由が自分でもよく分からないのと、単に面倒くさいからという理由で、結局カナは問題を先送りにすることにした。
「それにしても、付喪神とは難儀な存在よのう」
カナは、あからさまに話を逸らした。
当然まりかは話を逸らされたことに気が付いたが、あえて追求するようなことでもないので、そのまま新たな話題に乗ることにする。
「そうね、そうなのよ。でも、本人たちに直接言うわけにはいかないでしょ」
そう言って、切なそうに小さく眉を寄せた。
「じゃが、あやつらも本心では理解しておるじゃろうな」
「むしろ、本人たちが一番理解しているはずよ」
まりかは、目の前の2人を見て、それから犬吠埼灯台の3人の顔も思い浮かべる。
あの日、ルミエールを説得する際、まりかはかなり柔らかい表現を使った。しかし、現実はもっと非情だ。
――付喪神は、人間の存在無くしては存在できない。
通常、役目を終えた道具は処分される。それを免れるためには、何か別の価値を人間に見出される必要がある。現に、昴やルミエールたちが今もなお生き長らえているのは、「歴史的価値がある」という判断を人間側が下したからに過ぎない。
付喪神たちの命運は、人間たちの胸先三寸で、いとも簡単に左右されてしまうのだ。
そして、北斗と昴はもちろんのこと、響やあかり、そしてルミエールも、まず間違いなくそれを理解しているはずである。
「むう? 勝負がついたようじゃぞ?」
カナの声で、まりかは我に返った。いつの間にか物思いに耽ってしまっていたらしい。
「チックショー! また負けた!」
「そりゃあ、僕の方がビリヤード歴が長いから」
「次だ! 次こそ勝つ!」
悔しそうに拳を振る北斗と、そんな北斗に得意気な顔を向ける昴。
顔立ちは全く同じなのに性格は正反対で、それでいてとても良く似た、まるで双子のような付喪神。
「なんというか、見ていて飽きない感じではあるのう」
「カナにも分かる? なんだか、見守ってあげたくなっちゃうのよね」
「それはよく分からん」
すっかり勝負に夢中になっている2人の充実した表情を見つめながら、まりかは密かに願う。
願わくば、北斗と昴、この2つの星が、いつまでも共に輝き続けんことを。
―― ―― ――
※参考資料:国際信号旗について
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