第2話

大人になった黒崎由奈は、中学の頃とはまったく変わっていた。性格ではない。

主に見た目が。

中学生の頃は正直、どこにでもいるような黒髪の女の子だったが、ボランティア団体サイトに掲載された写真の中の黒崎由奈は違った。化粧というマジックにより、格段に綺麗になり、髪色も明るい茶髪で鮮やかだ。そら分からない。うっすら面影はあるものの、正直同一人物には思えない。

写真の中の黒崎由奈は笑顔だった。楽しそうに笑い、途上国に住む黒人の男の子を抱きしめている様子が映されている。

黒崎由奈は、こちら側の人間だった。

筈だった。

でも彼女はアイツと出会って変わった。

友達と恋バナしたり、たまに教師の陰口を言ったりするような、そんなどこにでもいるような普通の奴だったのに、いつの間にか変わってしまった。

黒崎はアイツの死をどう思っているのだろう。

もう会うことはないと思っていた。

もうアイツを知ることはないと思っていた。

興味なんてないと思っていた。

ただ、脳というものは不思議なモノだ。

自分の意識の先を行くかのように、僕の指はその団体の連絡先をタップしていた。


6年ぶりに出会った黒崎は一言で言うなら美人だった。こう考えてしまうのは男の性なので許してほしい。

パッと見たところ、黒崎は僕のことを拒絶することは無かったが肯定することもなかった。

僕が団体に連絡し、黒崎に会いたい旨を伝えたときも、彼女は断ることなく空いている日時を淡々と教えてくれた。大人になり、感情のコントロールが出来る様になった今、彼女が心の内で何を思っているのかは計り知れないが。

そして、再会したときも、黒崎は淡々と振る舞っていた。ただ、根っこの黒崎は変わっていない、そんな印象だった。

「話って?」

ボランティア団体の事務所の一角にある面談スペースに僕を誘導するや、開口一番に彼女はそう言った。

彼女の淡い紺色の瞳に見つめられながら、どう答えようかと思ったが、思ったままを口にすることにした。

「渡邊のことについて知りたいんだ」

黒崎は表情ひとつ変えなかった。予想していたのだろう。紺色の瞳を見つめていられず目を逸らす。

「.....って、本当は俺とかの顔見るのも嫌だよな。中学の時、見捨ててたのに。えっと、あの.....ご、ごめん」

黒崎は何も言わない。

間を埋めたくて、普段は出ない言葉がボツボツと頭に浮かぶ。

「えっと、あ、む、虫がいいのは分かってるつもりなんだけど、な、何て言ったら良いか分からないんだけど、ほんと自己満足なんだけど、ただ謝りたくて。とにかくゴメン。本当にゴメン。でも黒崎しかいなくて、その、ほかに心当たりがなくて、それで.....」

僕が内心慌てていると、ふと黒崎がぷっと吹き出した。

「へ?」

ポカンとする僕を尻目に黒崎は大きく口を開けて笑い出した。

「あははは、いやゴメン。こっちこそなんかゴメン、緊張させちゃって。怒ってないし、嫌じゃないよ。むしろ嬉しい。ありがとね、来てくれて」

黒崎の笑顔を見て、拍子抜けしてしまう。

「ナベショーのこと忘れてないんだって思ったら嬉しくて。それに中学のことも気にしてないよ。むしろアレがあったからナベショーとも仲良くなれたし、人生が楽しくなったっていうか」

黒崎は楽しそうに話を続ける。

「あ、私は渡邊のことナベショーって呼んでたんだけど」

思い出したかのように黒崎が補足する。

「中学のときのことを恨んでないって言ったら嘘になるけどさ。靴に画鋲入れられるわ、鞄隠されるわ、水ぶっ掛けられるわ、プールの授業終わったら制服取られてるわ。しかも誰も助けてくれないし」

「.....ゴメン」

素直に頭を下げる。

「うんうん、全然良いよ、そんなの。みんな未熟だったんだって思うから。学校っていう限られた空間の中だから、考えが歪んじゃうのも今は分かるから。きっと誰が悪いなんてない。虐める奴は嫌いだし早く死ねって思うけど、そんな奴を生み出してる社会の構造の方が問題だって思うしね、今は」

「なんか.....大人だな」

自分のことしか考えられない自分が恥ずかしくなった。

「いやいや、そんな大それたもんじゃないよ。ずっと子供のままだし。イライラしたり他人に当たってばっかりだし。落ち込んだり逃げ出したりもするし。でも最近はさ、それで良いかもって思う自分もいるんだよね」

「.....?」

僕の困惑した表情を察してか、黒崎は話をつけ加える。

「あ、えっとね、これはナベショー.....渡邊が言ってたことなんだけど。ほらアイツ、小学生の頃から世界を平和にする!とかアホなこと言ってたじゃん?なんだけど、大人になってからも、まだそんなこと言ってて。現実見えてないのかって話だったんだけど、でも一緒にいる時間が長くなってから、ふと思うんだよ。もしかして、私の方が現実を見ていなかったんじゃないかって」

黒崎はどこか遠くを見るように視線を向ける。



「夢を見ないことが現実を見ることじゃなくて、夢を見て叶えようと努力することが本当の意味で現実を見ているんじゃないかって思うんだよ」



夢を見ることが現実を見る....か。

黒崎の言葉を反芻する。

「私はずっと自分の感情を見ないようにしてた。虐められたときも、傷ついてないフリして、明るく振る舞ってた。それが悪い訳じゃないし、もしかしたら強さのいることなのかもしれない。でも、それで自分の人生が好転することはないんだよね。どんな感情だろうと、自分の本当の気持ちに向き合って、現実見ていかないと、どうしても本当の自分とのギャップで苦しくなる」

黒崎の言葉は、普段は触れられることのない心の部分にチクチクと痛みを与えてくる。

本当の気持ちと向き合う。

普通の自分とは違う。普通の下に隠れた自分の気持ち。

僕が黙り込んでいると、黒崎はふと我に返ったのか、急に顔を真っ赤にした。

「って、あははは。なんか、あの、語りすぎたよね私!ゴメンね偉そうに!そんな言える立場でもないんだけど、ついついナベショーの影響っていうか。別にマウント取ろうとか、ホントそんなんじゃなくて.....」

「ぷっ....」

焦る黒崎が面白くて、つい笑ってしまう。

心の内から笑いが込み上げてくる。

「あはは」

「ちょ、笑うことなくない!?さっき私が笑ったこと根に持ってる!?」

オーバーリアクションをする黒崎がやはり面白くて笑ってしまう。

なんとなく久々の感覚だった。

しょうもないことで笑い合う感覚。なのに相手と心の深いところで繋がってるような感覚。

心なんてありもしないのに、どこか心があったかくなるような、そんな感覚。

高校生の頃、アイツと最後に話した日のことを思い出す。

アイツはきっと、相手が誰であろうとこの感覚を共有したかったのではないだろうか。だから繋がりの薄くなっていた僕にでも、分け隔てなく話しかけていた。



アイツは世界を平和にしようとしていたから。



誰かと一緒の時間を過ごすことの大切さを誰よりも知っていたのだ。だからこそ、クラスでイジメがあったとき、ひどく激昂していた。

右にならえという価値観では、絶対に知ることのできない感覚だった。みんなに合わせようと仮面を被っていたままじゃ、分からない感覚だった。本当の自分を晒して、初めて相手の心に辿り着ける。

生きた時間は短くとも、誰よりも深く広く、アイツは誰かの心で生き続けるのかもしれない。

それもまた、1つの生き方、幸せのカタチかもしれない。

大人になってから、ようやく、そんなことに気付けた。

少しでも自分を曝け出したことで、口も軽くなっていたようで、ふと思ったことを口に出していた。

「そーいえば、サキって呼ばれてたんだな」

「急にどーしたの?そーだよ」

「それって、その、やっぱ昔の自分を思い出したくないからとか、そーいう感じ?」

黒崎は中学時代、苗字か名前でしか呼ばれていなかった。そのせいもあって、高校時代にサキという名前を聞いても、黒崎とは連想できなかった。

僕の発言に対して、黒崎はかぶりを振った。

「いやいや、違うよ。私は別に昔のことを黒歴史だと思ってないしね。ただ、あの、なんていうか」

黒崎が口ごもる。言いづらいことなのだろうか。

「黒崎由奈はさ、周りに合わせちゃって、自分を曝け出さない奴なんだけどさ、アイツが作ってくれたサキなら、なんか何でも出来る気がするんだよね。それこそ、夢は世界平和ってアホみたいに叫べるくらい」

照れているのか、黒崎は少し顔が赤くなり、目が泳いでいる。

サキになっても、堂々と大きな夢を語ることはやはり難しいらしい。いや、もしかしたら、それ以外の感情もあるのかもしれないけど。

ただ、その気持ちは痛いほどよく分かった。

僕も夢をバカにしていた奴だったから。

いや、黒崎の話を聞いた今でも半分バカにしている。

でも、夢を語りたくなる気持ちも分かる。

夢なんて、バカにされるくらいが丁度良いのかもしれない。

だからこそ夢であり、現実にしたいのだから。

僕は未だに目が泳いだままの黒崎を見ながら言った。

「あの.....もし良かったらで良いし、何言ってんだと思うと思うし、聞き流してくれて全然良いんだけどさ」

「ま、前置き長いね。どーしたの?」

汗ばんだ拳を握りしめ、紺色の瞳を見つめる。

「その夢、俺も手伝って良い?」



それから季節は流れた。

僕は平日は派遣の仕事をこなしつつ、休日はサキが所属するボランティア団体で手伝いをする様になっていた。

活動を始める際に、アンケートのようなもので将来の"ゆめ"について聞かれたのだけど、もう迷うことはなかった。

いや、迷ってないのは今だけで、明日にはまた、元の普通であろうとする自分に戻っているのかもしれないけど。

とにかく、今の僕の夢は変わらない。

「ミヤッチらしいね」

僕の書いた夢を見たサキはそう言っていた。

あだ名を付けないと気が済まない性格なのだろうか。

自分らしさ。

そんな実体のないものに、振り回される気は、もうない。

自分で道を選んで、自分で歩きさえすれば、きっとそこに、自分と同じ想いの仲間に会える。そこに、自分らしさはある。

団体の事務所で今日必要な書類をまとめて、外に出る。日差しが強い。

「さて.....今日も楽しむか」

アイツの、分まで。



人は間違える。

でも失敗から学ぶことができる。

過去の捉え方を変えることができる。

夢を見ることができる。

夢から逃げることもできる。


正解なんて、どこにもなくて、常に変化を続けるしかない。でも、根っこの好きじゃない自分を変えることはできない。常に、その好きじゃない自分と向き合い戦っていくしかない。でも、それで良いのだ。

現実をしっかり見て、ホントの自分を貫いて生きるしかないのだ。



普通の自分に別れを告げて。



あの日書いたアンケートを思い出す。




Q.あなたの夢は何ですか?




A.友達の夢を応援すること。




おわり。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サヨナラをキミに あめいろ @kou0251

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ