後編・後輩動く

「ふぃ〜歌った歌った。リクは歌も上手よねぇ、神は一人の人間に何物与えれば気が済むのかしら」

 入店してからほぼぶっ続けで交互に歌い続けているとあっという間に終了時間間際。

 ディスプレイには今注目のアーティストが映っていて、最新曲に込めた思いを語っている。

 室内に設置された分針が動くと同時に内線が鳴り、近くにいた私がそれを取ると、元気の良い店員さんが終了時間10分前を告げた。

「はい。ありがとうございます。あー延長は大丈夫で「すみません、1時間延長をお願いします」

「えっ?」

 いつの間にか後ろに立っていたリクが私から受話器を取り上げ、勝手にそう答えるとすぐに切電した。

「……まだ歌い足りなかった?」

 何の相談もなしに延長をしたリクに違和感を覚えつつも、とりあえず振り返ってソファに座り直そうとした私を――

「澪先輩」

 ――突然背中から、強く抱きしめたリク。その圧力が、体温が、感触が、芳香が――2時間前のやりとりを、思い出させる。

「い、いきなり何すんのよ。……離して?」

「……離しません」

 その行為はレクチャー通りに行われて、その効力は、想像を軽く上回っていて。

「ちょっともーからかってんの?」

 獣がゆったりと目覚めるように、心拍数が上昇していく。

「…………ずっと、先輩のことが好きでした」

「……えっと…………」

「なんでそんなに鈍感でいられるんですか」

「ちょ、ちょっと待って。一旦落ち着いて話し合いま、ひっ」

 私が離れようともがいた瞬間、左耳が生暖かい空間に包まれた。その生々しい感触から、彼女の美しい歯並びと蠱惑的な口元を想像しないわけにはいかず、途端につま先まで甘い痺れが駆け巡った。

「…………リ、ク……あのね、こういうのは……えと……」

「まだ足りませんか?」

 荒い呼吸音と共に彼女は顔を移動させ、今度は何度も何度も首筋に唇が押し付けられる。その間も彼女は両腕の力を一切弱めない。

「……」

 だんだん、妙な浮遊感のせいでくらくらしてきて……私とリクとの境界が、どんどん薄れていくような感覚に襲われる。

 やがてくすぐったさとは別種の刺激を受けて膝の力が抜けてしまうと、彼女はひょいと、軽々しく私を抱き上げた。

「澪先輩」

「なっなっ……なに?」

「これで澪先輩は、私のものですね」

 狙っているのか偶然なのか。

 見上げた先にある彼女の顔は、照明のせいで陰影がはっきりしていて、その整った顔立ちを一層際立出せている。

「っ」

 反射的に顔をそむけると、それを見越したかのように頬へと触れた彼女の唇。あと五センチ……いや三センチでもずれていたら、私のファーストキスは終わっていた。

 だのに。ファーストキスは許されたというのに、私の初恋は始まってしまったらしいことを、彼女の体にしがみつく両腕が教えていた。


×


「先輩、結局私は警察に出頭した方がいいですか?」

 私をお姫様抱っこしたままソファに座ったリクは、勝ち誇ったような顔で問う。

「……正直リクのことはずっと、可愛い後輩、って感じにしか思ってなかったんだけど……」

 私の方からはもう手を離しているけれど、リクは私を抱えたまま離す気はなさそうだ。手とか腕とか疲れないんだろうか。

「なかった、ということは?」

「……流石に……して欲しいこと全部されちゃったら……その……なんというか……策士策に溺れるというか……」

「じゃあ……いいんですか? 本当に、私、澪先輩の彼女になっていいんですか?」

「……とりあえず一回降ろして」

「逃げませんか?」

「にーげーまーせーんー」

「……まぁ、逃げたところで捕まえて、もう一回同じことをするまでです」

 少年漫画に出てくる嫌な敵キャラみたいな声音でそう言ったリクは、ようやく私を解放してくれて、なんだか久しぶりに地面に足がついた気がする。

「これからその、そういう仲になったとしても……先輩としての威厳があるの! 私が背伸びして目ぇ瞑ってキス待ち〜なんてのは無理! だから――」

 途中、何を恥ずかしいことをつらつら言ってやがるんだと思って俯いた私へ――

「っ」

「こういうこと、ですか?」

 ――座ったまま、覗き込むようにして、もう一度頬に口づけをくれたリク。

「~っ。………………やる、じゃん」

 言わずもがな、らしい。学習能力がお高いことでなによりです。

「もう私が教えられることはない! というわけで今日のところは「じゃあ次は――」

「わっ、ちょっと」

 鞄を持って部屋の外へ向かおうとした私は、逃すまいとしたリクに手を引かれて彼女に覆い被さるように倒れてしまった。掛け布団にでもなった気分だ。

「――私のしたいこととされたいこと、お教えしますね? 澪先輩」

 妖しく微笑みながらガッチリと両腕で私を抱きしめたリク。かろうじて眼球だけを動かして時計を見やると終了時間までまだ40分以上ある。冷や汗が首筋に伝った。

「その前に一つ、お伺いしますね。私の先輩にバックハグをかました不届き者、誰ですか?」

「あー……と、あのね、それは……」

 大丈夫かな、嘘だって言って信じてもらえるかな。解放してもらえるかなぁ!?

「先輩が教えてくれないなら……体に聞くしかなさそうですね」

 私の腰に置いてあったリクの右手が後頭部に、左手は背中に移動して、彼女との密着率が増していく。

 ――もう逃げられない。

 一方的に押し付けられる温もりと吐息は少し怖いけれど、逃げたいとは――思えない。

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