食材の贖罪
森林公園
食材の贖罪
冷たい電子音がする。
朝、ここに来たのと同時に自我が覚醒した。私は、何か透明な密封袋に入れられて、新聞紙を巻きつけられた挙げ句、再びビニールに包まれている。
私は『肉』だ。
『生き物』だったものの肉である。少し黒がかった赤味の、白い脂肪をたっぷりと蓄えた肉だ。気づいたら冷凍されていて、今ここにいる。
普通、自分が何者でどこから来たのか忘れている売り物が多い中、私はありがたいことにそれをしっかりと覚えている。少し前まで野山を駆け巡り、木の実や魚を腹一杯『食べて』いた。それが、今度は『食べられる』立場になるだなんて、何だか笑える。
『素材』や『材料』の記憶が薄れてしまっていたとしても、ここがどこで自分たちがどんな立場であるか。そんな世の中のことが大体分かるのは、不思議とみんなも同じみたい。
ズシンズシンと目の前を通り過ぎる影は『人間』で『お客さん』と言う奴だ。その人たちに選ばれて家に連れて行ってもらうのを、みんな息を潜めてドキドキしながら待っていた。
ここは『みちのえき』と言うところらしい。土産物や食品加工物なんかを取り扱っている(私はあまり、加工されてはいないが……)。月曜日なのに人がそこそこいるのは、『大型連休』と言うやつらしかった。
自分たちが居る冷凍ボックスの周りに人はいないが、竹でできた工芸品や三角形のタペストリー、小さい提灯のところになんかは人影が割かし見えて羨ましい。
「あー、暇ねぇー」
そう声を出したのは、私と同じ梱包をされた『肉』だ。私と同じ身体から切り落とされた彼女は、私より少し身軽で値段も少しお買い得だ。『妹』のように感じている。私はお姉さんぶって相槌を打つ。
「そうね」
「こんなカチコチにされてるから、私たち。売れないのかしら?」
「カチコチにされているのは鮮度を保つためよ、私たちを美味しく食べてもらうためだわ」
私はねぇ、私のことを良く分かってるつもり。確かに私たちの特長として、煮ると赤味が凝固して酷く硬くなる。けれども長時間日本酒で煮込んでしぶとく灰汁を取れば、そこそこ食べられる柔らかさになるのだと思う。
匂いが気になるなら臭みを取る薬味を入れれば良いし、味噌や醤油などで煮込めば独特の味わいが楽しめる。だから騙されたと思って、取りあえず手に取るところからはじめて欲しいと思う。
ふと、冷凍ボックスの前で立ち止まる人影があった。私たちが目線を上げると、一人の女性がこちらを覗き込んでいる。そこには、三十代半ばくらいだろうか。『休日の良いお母さん』っと言った雰囲気の女性が、ハッとこちらを見下ろして、動けなくなっている姿があった。薄化粧の中、そこだけはっきりと赤く塗られた唇が動く。
「にく……」
その旅行途中の主婦は、まるで惚けるようにそう言って、私たち肉の包みを見つめてその場に立ち尽くしている。そうですよ! にく、肉ですよ!! 奥様!!!
「おかぁさーん、どうしたの?」
元気一杯の声が辺りに響いて、小さい女の子がこちらに向かって走って来る。女性のお尻の辺りに抱きついて「何か良いのがあったぁ?」と屈託なく尋ねた。
「まどかちゃん……」
すぐにしゃがみ込んだ彼女の背中に抱きつき直すと、少女は笑顔を炸裂させた。か、可愛い。私は是非この子にこそ私を食べてもらいたいと思う。
母親は神妙な顔をして、子どもの両肩を掴むと「お母さんね、ずっと怖いものがあるの」と唐突に吐露した。下ろした髪に二本の三つ編みを混ぜ込んだ少女が、不思議そうに小首を傾げる姿が可愛らしい。
「怖い? 何が? パパがぁ?」
ちらりと少女が後方を振り返ると、斜め掛けバックを背中に回した、少しずんぐりむっくりした父親が、伝統工芸品の
母親はなおも真剣な顔で、少女の瞳を覗き込む。両肩を掴んでいるので、少女の肩の幅がより華奢に見える。それでも母親は真顔は崩さずに首をゆっくり横に振った。
「いいえ違うの、お母さんが怖いのは『熊』よ」
「くまさん?」
女の子が自分が肩に掛けていた小さなポーチに視線を下ろす。それを持ち上げてくれたので私たちにもよく見えた。そこにはピンクの『くまさん』の可愛いワッペンがついていた。
「そういう風に可愛らしくデフォルメされがちだけど、熊はねー怖い動物なのよ?」
「デフォルメってなぁに?」
「簡単に描かれてるってこと、本当の熊と言ったら恐ろしいこと山の
「そうなの?!」
「毎年熊の被害があるわ、ニュースで見る
ほぅっと女性は憂いに満ちた目で私たちを見やる。そのあと、勢い良く立ち上がって拳を握った。「でも今日でそれともオサラバよ! まどかちゃん!!」と息巻いている。
「お母さん熊を食ってやるわ! 美味しく食べて、恐怖を克服よ!!」
「わーお母さん! 格好良い!!!」
「……何騒いでるの?」
『まどかちゃん』が両手でテチテチと可愛らしく拍手していると、小太りの男が二人の間にぬぅっと現れて、怪訝そうにぼりぼりと腹を掻いた。
「それ、欲しいの?」
そう言って無遠慮に、太く毛深い腕を私たちの冷凍ボックスに突っ込むと、私ではなく妹の方を持ち上げ、さっさとレジに向かってしまう。奥様は惚けたようにそれを見送っている。
「いいの? あなた……」
「良かったね! おかーさん!!」
私は、わたしの方が選ばれなかったことで、妹を一瞬恨みかけた。それぐらい非常に残念だったのだ。嗚呼でも、そんな気持ちになってしまったことを、神様私は謝罪します。これから、どんな相手が私を選ぼうと、文句を言わず相手の血肉となることを誓います。
私が贖罪を誓ったのは、つべこべ言わず、奥様のために妹を連れ去った旦那さんに、とてもとても感動していたからだ。同じ血肉が流れているのだ、どうか美味しく食べて欲しい……っ!
……でも。
「百グラム千円?! バカ言ってんじゃないよ!!!」
と言う旦那さんの怒鳴り声が、レジのところからこちらまで響き渡って、私は即座にガッカリしてしまった。
<了>
食材の贖罪 森林公園 @kimizono_moribayashi
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