黒竜の血の杖
東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。
『魔法屋』
そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。
「ねえ聞いた? 窃盗団が現れたんですって」
常連の占い師が噂話を持ってきた。この店は主に占いグッズなどを売るオカルトショップだ。この占い師は近所に店を構える人気の占い師で、よくテレビにも出演している。彼女はよくこの店の商品を買っていってくれる上得意だが、それ以上に私はこうやって彼女が話す噂で外の情報を得ることでお世話になっている。
「窃盗団ですか。それは穏やかではないですね。どこに現れたんですか? 宝石店とか?」
「それが、新宿にある博物館だそうよ。美術品狙いかしらね」
新宿にある博物館と聞いて、私の魔法屋店主としての勘が騒ぎ出した。
「あそこの博物館ですか……色々と歴史的価値のあるものがありますからね。被害が少ないといいのですが」
本心から心配の言葉を述べる。あそこには、一般人が見ることのできない場所にいくつもの魔法道具が保管されていたはずだ。その中でも特に重要なアイテムがある。
――黒竜の血の杖。
その名の通り、黒竜の血で錬成された魔法杖だと言われている。遥か昔に作られたものらしく、その出自も定かではないが、分かっていることは強力な黒魔術の媒体になるということだ。
「ほんとねえ、窃盗団なんて迷惑だから早く捕まって欲しいわ」
そんな会話を交わし、いつものようにいくらかの占いグッズを購入した常連客が店を出ると、少し物思いに耽る。
黒魔術といえば、以前厄介な黒魔術師が疫病を流行らせようとしていた。この店の客である魔法使いが退治したと思われるが、実際にどんな結末になったのかは知らない。
この店には二つの顔がある。占いグッズを売るオカルトショップとしての顔と、本物の魔法使いに魔法を売る店としての顔だ。そしてここで魔法を買う魔法使いには、国の組織に雇われて反社会的な組織の悪事を防ぐ仕事をする者もいるのだ。だが魔法屋は客の事情に立ち入らない。向こうから話してこない限り、彼等がどんな活動をして何を成したかを知ることはないのだ。だから、ここで魔法を買った彼が黒魔術師を倒したというのも、あくまで私がここで聞いた情報から推測した結末に過ぎない。
「黒魔術か」
かの黒魔術師か、それとも別の者か。少なくとも私の勘は今回の窃盗団が闇の世界に関わっていると告げていた。
午後になり、一般客が多くやってくる前の、客がほとんど来ない時間帯に予想していた人物がやってきた。黒いスーツに身を包んだ若い男性は真剣な表情をして店の扉をくぐる。何度も見た〝仕事〟に行く前の表情だ。
「よく来たな。今日はどんな魔法を覚えたいんだ?」
魔法使いを相手にする時は愛想よく応対したりはしない。立場上魔法を伝授する師としての扱いになるためだ。やってくる魔法使いもこちらが偉そうにしていないと任せても大丈夫かと不安になるので、変に気遣うような態度を見せてはいけないのだ。
「以前戦った黒魔術師がまたやってきたんです。私はあの時に勝利し、奴の身柄を当局に引き渡したのですが……」
なるほど。確かに魔法使いは命のやり取りをするとはいえ、依頼主は可能であれば犯人の拘束を求めるだろう。捕まえておいた黒魔術師が逃げ出したというわけか。
となれば、そいつは魔力を持つ本物の黒魔術師で……おそらく、黒竜の血の杖を手にしている。
「逃げ出してまた疫病をばら撒いているというわけか。いつの世も疫病の蔓延は人の営みを阻害する。最近は情報社会になって人々に誤った情報を流すのも楽になっているしな。正しい方法で疫病を抑え込もうとする国家の政策を、偽情報によって邪魔する連中が少なくないという」
きっと奴等は前の失敗を教訓にして、より巧妙な手段で人間社会に疫病を蔓延させようとしてきただろう。知識のない人間は断定的な語りを好む。愚か者を装って悪意ある偽情報を流し、ただの一般人が無自覚なままに自分達の手助けをするように誘導することぐらいたやすいものだ。
「そうなんです、最近はSNSを利用して人心を乱す活動をして、それも奴等が直接嘘をばら撒くのではなく、各地で噂を流し一般人がそれをSNSで広めるようにするので、なかなか尻尾を掴めなくて」
困ったものだ。私も常連のおじさんにネットのことを教えてもらっていなかったら奴等の動きを予想するのは難しかっただろう。
「奴等の尻尾を掴むのは君が既に覚えている『
黒竜の血の杖を持った黒魔術師は、究極の黒魔術が使えるだろう。それはすなわち、望む相手を確実に死に至らしめる黒魔術であり、つまりそれは我々もよく知る最強の攻撃魔法――『
魔法使いはこの魔法を覚えると他の魔法が使えなくなる。一度に覚えていられる魔法の量には限りがあり、この魔法はその容量を目一杯使うためだ。私のような魔法マスターは特別な手段であらゆる魔法を覚えていられるが、ほとんどの魔法使いには不可能なことだ。
だが、黒竜の血の杖を手にした黒魔術師は違う。杖の力で『破滅』の魔法を使うので、元々使える黒魔術は当然そのまま使えるのだ。極めて危険な相手と言えよう。
「……そうだな。お前は体術にも覚えがあるだろう。『
私の言葉に、男は表情をいっそう硬くする。黒魔術師が剣で斬りつければ、たとえかすり傷でも魔術をかけて死に至らしめることができる。一度のささいなミスも許されないということだ。
彼の容量には余裕がある。『障壁』と『反射』両方の防御魔法を覚えることは可能だろう。だが、私はその状態で『破滅』の魔法を使う相手と対峙し、命を落とした人物を知っている。
『破滅』の魔法は『障壁』では防げない。だが、『障壁』の魔法は多くの魔法と物理的な攻撃を防いでくれるため、安心感が段違いだ。覚えていればこちらばかりを使いたくなるだろう。だからこそ、少しでもこの男が生還する可能性を高めるために『破滅』の魔法を跳ね返すことができる唯一の魔法である『反射』のみを覚えていくことを提案したのだった。
「分かりました。これまで何度も的確な教えをくださった先生の判断に従います」
若きエリート魔法使いは、私の言う通りにして店を後にした。彼はこれより邪悪な黒魔術師を擁する闇の組織との戦いに赴くのだ。
私はその背中を見つめ、自分の判断が間違っていないことを祈るのだった。
数日後、店を開けるとすぐに常連の占い師がやってきた。
「この前の窃盗団、捕まったそうよ!」
「それは良かったです!」
私は自分でも驚くほどに満面の笑みを浮かべて彼女の報告を喜んだ。あまりの喜びように占い師も少し驚いたようだ。
「そうね、この店も魔法の道具を扱っているから、博物館を狙うような窃盗団がやってきてもおかしくないものね」
そういう理由ではないが、彼女は私の反応に理解を示し、いくらかの雑談と商品の購入をしていくのだった。
窃盗団が捕まっても、その後ろにある組織や例の黒魔術師が敗北したとは限らない。だが私の勘は心配いらないと告げているのだ。彼は任務が成功してもお礼を言いに来たりはしない。生存が確認できるのは、彼が次の任務に必要な魔法を買いに来た時だけだろう。それでも、世の中が疫病を克服した空気で包まれたままであるなら、確認するまでもないことだ。
「おや、今日はいつになく機嫌が良さそうですね!」
午後になって、別の常連客がやってきた。常連客と言ってもこいつは何も買わない常連冷やかし客だが。
「ああ、仕事が上手くいったからな」
私に感化されたのか嬉しそうな笑顔を見せる若い女の客に、もう一度あの質問をしてみようかと考え、やめた。
――その身に宿す『破滅』の魔法を忘れてはどうか?
商談の一環としてならともかく、今の私はそういう気持ちで質問をしようとしたわけではない。ゆえに思いとどまった。
魔法屋は客の事情に立ち入らず、ただ、客が必要とする魔法を売るだけなのだから。
魔法屋 寿甘 @aderans
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