魔法のスプーン
東京・渋谷のとある路地に、妖しいフォントで書かれた表札がある。
『魔法屋』
そのシンプルかつ直球すぎる名称を見て、本当に魔法を売っていると思う客は果たしているのだろうか? もしいたとして、魔法の販売を期待して入って来られても困るのだが。
「魔法のスプーン……ですか?」
常連客の一人、サラリーマン風の中年男性から商品の取り寄せを依頼された。この男性は動画投稿サイトで『魔法少女ミラクル☆マジュラ』という少女のアバターを使った動画を投稿している、ネットで人気の『バ美肉おじさん(バーチャル美少女受肉おじさんの略)』だ。最近はこの呼び方もほとんど使われないらしいと当の本人から聞いた。なお魔法少女のファンは中身がおじさんだということは知っているそうだ。
「はい。森の魔法使いが錬成した幸せをすくう魔法のスプーンです」
「また配信で使うんですか?」
このおじさんは以前も動画配信で使うために特殊なグッズを購入していった。通常であれば問題はないのだが、この客はこう見えてベテランの魔法使いである。
この店には二つの顔がある。主に若い女性客相手に占いグッズなどを売るオカルトショップとしての顔と、彼のような魔法使いに魔法を売る、名前通りの魔法屋としての顔である。
だがこのおじさんは魔法使いでありながら趣味の配信のために通常の占いグッズを購入していく一般客でもある。魔法屋は客の事情に立ち入ったりしないのだが、一般客とオカルト店長の間柄では普通に客のプライベートに立ち入るような話もする。おじさんと呼ぶのも親愛の表れだ。
さて、何が問題なのかというと、彼が所望する魔法のスプーン、これもまた本物の魔法道具である。魔力を持たない一般人が持つ限りは単なるお守りでしかないが、魔法使いが持てば不思議な力を発揮する。以前は『
「いえ、配信用ではありません。幸せをすくいとるなんて、動画向きな効果ではないですからね」
それもそうか。魔法のスプーンで幸せをすくう、なんて言われても何が起こっているのか分からないだろう。私も具体的に何が起こるのかは知らないほどだ。幸運を得るものだということは分かるが、そもそも幸せなんてものは人によって変わるのだから、視聴者が満足するような結果が得られるとは限らない。
「ではご自分でお持ちになるのですか?」
派手な効果はないが、幸せをすくいとるということはつまり幸運を逃さないということだ。持っているだけで運よく命が助かるということもあるかもしれない。魔力を使うのでまったくデメリットがないというわけではないが、この手の持っているだけで良いことがあるアイテムは荒事をやらされがちな魔法使いにはとても都合が良い。
とはいえ、彼ほどのベテラン魔法使いが今さら欲しがるほどの効果があるとは思えないのだが……。
「いえ、娘へのプレゼントです」
娘!?
危ない危ない、思わず驚きの声を上げてしまうところだった。なぜか勝手に独身だと思い込んでいたが、おじさんの年齢を考えれば特に不思議なことはない。娘は魔法少女のことを知っているのだろうか?
「分かりました。では取り寄せておきましょう。明日には入荷するはずです」
「さすがの早さですね、ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもご利用ありがとうございます」
物が物だけに不思議な気持ちになったが、形式上はいつもと変わらない表の店の商売だ。娘さんに魔力があるのかは少し気になったが、それでトラブルが起こるようなこともない平和な道具だから、心配することもない。ベテラン魔法使いとの取引は安心感があって助かる。
「配信ってなんですか?」
おじさんが店を出ていった後で、特に何を買うでもなくブラブラしていた冷やかし客の女が尋ねてきた。こいつは常連の冷やかし客だ。いつもこの店でブラブラしている。実は魔法使いでもあるのだが、ここで魔法を買ったことは一度だけだ。回数で言えばおじさんも一度しか魔法を買っていないが、彼は占いグッズを頻繁に買っていくお得意様なのでこの店にとっての存在価値は天と地ほどの差がある。
「他の客の事情に首をつっこむのは良くないぞ」
時々魔法に関する質問をしてくるので何かと教えているが、他の客のプライベートに関しては教えるわけにはいかない。他の人間がいる前で配信などと言ってしまった私も良くなかったな。冷やかし娘も大して興味があったわけでもないようで、すぐに話題を変えた。
「魔法のスプーンって、本物の魔法道具ですよね? 幸せって何が起こるんですか?」
「おっ、買ってみるか?」
珍しく商品に興味を示した冷やかし娘に購入を勧める。冷やかし客からただの客にランクアップするチャンスだ!
「いえ、結構です」
ちっ。
「たぶん私は、幸せになってはいけない人間だから」
なんだ、今度は病みモードか? まだ自分の過去を引きずっているようだ。この娘は以前この店で買った魔法で他の魔法使いを殺害している。それは彼女の両親を殺した仇敵だったのだが、彼女の両親が反社会的な組織に雇われていて、治安を維持する側の魔法使いが退治したという事実が後になって分かったそうだ。
「幸せなんて、そんなに御大層なものじゃない。100円のアイスを食べて幸せになる人間もいれば、何でも買えるような富豪になっても幸せを感じない人間もいる。他人のために働くことを幸せに感じる人間もいれば、他人が不幸になっているのを見て幸せを感じる人間もいる。単なる気持ちの問題だ。悪人だって幸せを感じるし、善人だって幸せになれないこともある。要は何を望み、何を成し、それに自分が満足できるか。それだけのことだ。誰もが幸せになる権利を持っているし、誰だって突然不幸になる可能性がある」
だから魔法のスプーンを買え。
二人きりの店内にしばしの静寂が訪れた。
「……私、魔法協会に行ってみます!」
まだ行ってなかったのか。何だか決意に満ちた表情で店を出ていくが、その前に魔法のスプーンを注文していけ。
「……まあ、魔法使いとして働くようになればうちの本業に貢献してくれるだろうさ」
結局何も買わずに去っていった冷やかし娘を見送り、おそらくこれもないだろうなと思いつつも虚空に向かって願望を述べてみるのだった。
次の日。さっそく魔法協会から届いた魔法のスプーンとプレゼント用の包装紙を用意しておじさんの来店に備える。と言っても彼がやってくるのはいつも夕方以降だ。朝は常連の占い師ぐらいしかこない。
「あら可愛い。それはなに?」
「幸せをすくいとる魔法のスプーンです。蔓が巻き付いているからシチューをすくうのには使えませんけどね」
近所に店を構えている人気の占い師だが、毎日のように午前中の客がほとんどいない時間にやってきて、新商品を見つけるとどんなものか聞いてくる。この店の上得意だ。単に商品を買ってくれるだけでなく、その占い師としての技量や彼女の持ってくる噂話に色々と助けられている。魔力を持たないので魔法使いではないが、彼女の占いは魔法にも匹敵するほどの力を持っている。
「素敵な道具ね。あまり多くをすくえないようにしてあるのも、作った人の優しさを感じるわ」
あまり多くをすくえない。それはつまり大した幸せは得られないという意味でもあるのだが、この占い師はそのことを指して優しいと言う。
「幸せは多い方がいいのではないですか?」
彼女の言いたいことは分かっているが、話を膨らませるために心にもない質問を投げかける。
「うふふ、道具に頼ってあまり多くの幸せを手にすると、幸せの大切さを忘れてしまうわよ。何事もほどほどが一番ってね」
私が本気で聞いたわけではないこともお見通しなのだろう。楽し気にウインクをしてくる。彼女はテレビにも出る有名な占い師だけあって年齢的には中高年あたりなのだが、常に人の幸せを願っている人間的な魅力が彼女の外見的な印象を年齢よりずっと若く感じさせている。
結局彼女も魔法のスプーンは求めなかったが、今日もいくつかの占いグッズを購入していった。自分で使うだけでなく、占いの手ほどきも行っているそうだ。
そして夕方になり、客のおじさんがやってきた。珍しく他に客がいない。どうやら彼も他に客がいないことを確認して入ってきたようだ。
「ありがとうございます。娘は私から受け継いだのか、生まれつき魔力を持っていましてね。魔法使いとして目覚める前でも十分な効果を得られるお守りを持たせたかったのです」
魔法使いとしての発言だ。こちらも心得て相応の態度を示す。
「娘さんにはいつ頃魔法を教えるつもりだ?」
魔法使いと魔法屋の関係は弟子と師匠のようなものだ。だから魔法使いと二人きりの時には高圧的な態度を取ってみせる必要がある。それでこそ、魔法使いは私を信頼して取引をするのだ。思い返せば、あの冷やかし娘もいつも私と二人きりになるのを待って話しかけてくる。魔法マスターとしての役割を私に求めているのだろう。
「いま小学四年生ですから、せめて中学を卒業するまで……あと五年は魔法の世界に足を踏み入れないようにさせたいと思っています」
「そうだな、魔法使いとなれば年齢も関係なく利用しようとする連中が寄ってくる。しかしあと五年か、長いな」
「ええ、ですが何かあれば魔法少女が彼女を守ってくれるでしょう」
魔法少女とは、このおじさんのことだ。どうやらお守りを渡すだけではないらしい。彼自身も陰ながら娘を見守るつもりなのだろう。普段は何の仕事をしているのか知らないが、彼ほどの魔法使いなら魔法の力でどうにでもなるだろう。私が教えたもの以外にどんな魔法を覚えているのかも聞いていないが、だいたい想像はつく。
「大変だな」
「そうでもないですよ。愛する娘を守ることができるのだから、この幸せな時間がずっと続けばいいのにと思ってしまいます。でも子離れは必要ですから、中学卒業までと自分に対して制限時間を設けているんです」
なるほど。このおじさんにとっては娘を守ることこそが幸せなのだろう。父親としては一般的な感覚かもしれないな。そして親離れではなく子離れという言葉を使っていることから、自分の方が娘に執着しているという自覚があるのだろう。大したものだ。
「頑張ってくれ。必要な魔法があったらいつでも相談に乗るぞ」
「ええ、その時にはぜひ頼りにさせてもらいます」
そんな会話をして、おじさんは店を出ていった。幸せとひと口に言っても、考えることは人によって様々だ。なんとなく、私の幸せはなんだろうと物思いに耽ってしまうのだった。
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